思い込みの背景

 言語聴覚士養成のための大学や専門学校で、長年吃音の講義を担当していました。多いときは、7校、8校、同時進行でした。同じ専門学校の昼間部、夜間部のどちらにも出向いていたこともあります。学生との対話を大事にしていたので、予定はあくまで予定で、同じように進むとは限りません。どこまで話したのか、分からなくなってしまうので苦労した覚えがあります。出会った学生たちの多くは、今、医療の分野で言語聴覚士として働いているでしょう。どんな言語聴覚士になってくれているのかなあと思います。どもる人を、助けてあげなければならない弱い存在としてではなく、自分で自分の人生を選択していける人として接してくれていますようにと願っています。今日は、そんな懐かしい講義の場を思い出させてくれる巻頭言です。6日間連続して講義をしたいた頃のことですが、全45時間、吃音の講義をしていたことになります。その頃のこと、よく覚えています。(「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)

  思い込みの背景
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「あわてて急いで言ったり、自信がないことを話したり、心にもないことを言ったりする場合、誰でもどもることがある。どもるという現象は、誰にも身に覚えのある、身近なことだ。だからといってどもり続けている訳でもないので、吃音に悩んでいる人の吃音もそれとあまり変わらず、吃音は治るはずだと思ってしまうのではないか」
 「子どもの頃、どもっていた人が大人になったらどもらなくなっていたので、治ると思った」
 「全くしゃべれないのではなく、どもらないときもあるので、治ると思ってしまう」
 「いわゆる軽い障害で、普通に限りなく近いから、現代医学で治ると思っていた」

 大学を卒業して2年間学び、国家試験を受けて、言語聴覚士として働く人たち。言語聴覚士養成の専門学校での6日間の集中講義は、常に私と学生との対話ですすんでいく。
 「医療現場で働く言語聴覚士は、どもる人や、親の治したいというニーズに応えなければならない。吃音は治らないかも知れないとは、とても言えない。治療できるものなら、治療したいし、その可能性は捨てたくない」
 こう言う学生に対して、「糖尿病などは誰も治ると言わないのに、なぜ、吃音は治るはずだ、治せると思うのだろうか?」と、問いかけていく。ひとりひとりが、考え、考え、ぽつりぽつりと発言していく。
 「そうか、だから、私たちはどもりは治るはずだと思い、言語訓練をすれば、専門家としての役割が果たせることになり、効果もあるはずだと思い込んできたのか」
 みんなの発言を聞きながら、学生たちは、自分たちの思い込みの背景を共通理解していく。
 現代の医学や科学をもってしても治せない病気は少なくない。私がずっとつき合っている糖尿病がその典型的な例だ。私がいくら治ることを願っても、医師は、「治らない、治せない」とはっきり言う。薬が処方されてもそれで治るわけではなく、あくまで補助手段だ。医師は、食事療法と運動療法を中心とした生活の提案をするだけだ。ちょっと油断すると、とたんに血糖値が上がる。一生、自分をコントロールしてつき合っていかなければならないのだ。アルコール依存症にしても、治らない。断酒を続けるしかない。適度に酒をたしなむことはできないのだ。このように、いかに本人が治して欲しいとのニーズをもっていても、医師は治ることを約束はしてはくれない。

 今年は、アメリカによる大規模なイラク攻撃のまっただ中の4月1日から6日までの6日間連続の集中講義だった。私には、小学校入学前に見た映画、「きけ、わだつみの声」の、戦場で上官が部下に軍靴を口の中に押し込め、なぐりつけるシーンが鮮やかに記憶に残り続けている。暴力や戦争に対して、異常に反応してしまう私にとっては、絶望的になる気持ちをなだめ、気力をふりしぼっての6日間でもあった。
 44名の学生のひとりも休むことなく、熱心に私の話に耳を傾け、話し合い、考え、発表すした。私も学生の発言に耳を傾ける。
 「講義内容を家に帰って家族に話しています。家族の吃音に対する認識は、講義を受ける前の私と全く同じで、まるで昨日までの自分を見ているようでおかしいですが、ひとつひとつ、私は講義の中で共感したこと、また考え、悩んだことを家族に話します。これにより、家族は一日遅れで、私が感じたようなことを考えるに違いありません。そして、いつか機会がきたら、家族がまた誰かに話をするかもしれません。そうやって、吃音について考える輪が広がっていけばいいなと思います」
 このひとりの学生のふりかえりに、私のゆううつな気分が少し救われたような気分になった。私は今年から吃音についての学会発表や自主シンポジウムをやめる。それよりも、小さな集まりで、辻説法のように語り、その人たちと共に考えたい。対話の手間を放棄して、破壊することをいとわずに、世界の正義をふりかざす大きな流れの中で、私には、目の前のひとりひとりと、丁寧に語り合うことしかできないのだから。
 バグダッドがつぶされても、民衆は生きている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/11

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