第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

 昨日のつづきです。読み返してみると、子どもは参加せず、親だけが参加というところもあるようです。僕たちの主催する吃音親子サマーキャンプでも、どうしても子どもが行きたくないと言うので親だけが参加したことがありました。真剣に自分の吃音と向き合っている親の姿は、きっと子どもにも伝わるだろうと思います。親の真剣な話が続きます。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

◆周りの友だちの親から子どものことで、「そのままでも大丈夫なの?」と言われた。どもってはいけないと追い込まれたような気持ちになった。今は、どもりに関する知識も得て、大丈夫だと思えます。

伊藤 愛媛大学の水町俊郎教授と共著で新しく出る本に、どもる人がどんな職業に就いているかという調査報告をしています。多くの人がいろんな職業に就いてがんばっています。どもる人ばかりが困難を抱えているわけではなく、誰もが何らかの悩みを抱え、苦労しつつも生きています。東京のワークショップで出会った女性の絵本作家は、かなりどもって子どもに絵本を読んであげられないと悩みを言いました。でも、どもるから絵が好きになり、絵本作家になった。とてもすてきな生き方だと思いました。何不自由なく、特徴のない人生を送るのがいいか、苦労しながらも人と違ったすてきな人生を送るのがいいかは本人の選択です。欠点と考えるものがあるからこそ、工夫したり、別の力を身にっけようとする。映画監督の山田洋次さんが「男はつらいよ」で、マドンナ役の木の実ナナさんが「おにいちゃん」の一言が言えずに撮影がストップしたとき、「欠点があるから、努力する。欠点があってよかったじゃないか」と言いました。苦しむこと、悩むことは悪いことではありません。

◆夫の母が、とても心配性で、先回りをして心配している。私は、それに反抗して、できることは何でも自分でさせるようにしています。

◆子どもが大きくなればなるほど、親が直接してしてやれることは少なくなってくる。それは、どうしようもないことだ。陸上の先生が、「努力すれば必ず報われる。けれど、それは、何年先に報われるかは分からないけど」とおっしゃった。どもる子どもには「放っておいてくれ。勝手にしたい」と言われたので、放っている。

◆娘に、友達ができるか心配でした。本読みがあると聞き、それも心配していました。泣いているので、自分で担任に相談させた方がいいのではないかという助言をもらい、娘に言って、そうさせた。本人が担任に直接相談し、何でも言える関係が子どもと担任との間にできてよかったと思う。

◆自分でこうだと考えても、周囲に言われると揺れます。決めておくと、子どもに返すことばがプラスにつながるものになるので、決めることは大事だと思います。もう少し周囲の人に理解してもらいたいと思うが、どうしたらいいか。

伊藤 『どもりと向き合う一問一答』の10冊運動をしています。特別割引をしているので、10冊買って、担任や周囲の人に配ったお母さんがいます。自分のことばで説明するのは難しいので、読んでもらって、理解をしてもらうのです。

◆初めて参加しました。私だけ参加して、子どもは今回参加していません。みなさんのお子さんが元気で生き生きして明るいのにびっくりしています。考え方によるのか、気持ちの持ちようで変われるのでしょうか。紙一重だと思います。想像していたのと違って、とても新鮮な驚きです。

伊藤 どもりは治るはずだと思い、私はどもる自分を否定し、表情も暗く、陰気な雰囲気だった。どもりは簡単には治らない、どもる自分が自分だと認めてから変わりました。受け止め方の違いで、表情も違います。どう受け止めるかがポイントです。

◆私が吃音に悩んでいた時、担任に、「自分がどもることを、みんながどう思っているか、聞いて下さい」と頼んだことがあります。学活の時間、聞いてくれたんですが、そのとき先生は、「何をされたら、嫌なの?」と聞いてくれました。一人で本読みをすると、読めないけれど、誰かと一緒だと大丈夫だと言いました。そのことを友達にも話して理解してもらい、それからは友達と一緒に本読みをするようになりました。隠そうとすると、難しい。息子も同じようで、一緒に本読みをしてと頼んできます。自分の力でサバイバルして欲しい。

伊藤 子どもが苦しみ、考え、工夫している時、吃音を肯定的に考える大人が周りにいることが大切です。肯定的な態度で子どもの自己変化力が働き始め、変わります。親が直接できることはあまりないが、肯定的に考えることはできます。

◆今日は、6年生と3年生の男の子と一緒に参加しました。おととし、長男が書いた作文に驚きました。それまでは、親子でどもりについて話したことはありませんでした。「こんなにたくさんの人がいる。どうしてどもるのか、医者に聞きたい。中学生くらいになったら治ると思う」というような内容の作文だった。次男は、小学校1年生で参加しました。早朝登山の、大声で何かことばを叫ぶというときに、小学校1年生グループは、「どもりは、一生治らないぞー」と叫んだのです。そんなこと、これまでこの子に話したことはありませんのでびっくりしました。このフォーラムでこの子に、どもりは一生治らないという荷物をしょいこませてしまったようで、動揺しました。聞かせていけないことを聞かせてしまったと思ったのです。
 そして、山から下りてから伊藤さんに相談しました。伊藤さんが朝の話し合いにそのことを取り上げて下さり、「子どもを信じなさい」と言って下さいました。そして今があります。親の私が先回りしていたんだと今になって思います。

伊藤 そうでしたね。子どもはいろんな体験や、いろんなことばに出会い、動揺したり、悩んだりしながら変わっていく。一年生が「どもりは一生治らない」と叫んだ意味は深いと思います。私たちの苦悩は、どもりが治ると信じたことでした。

◆今のお話を聞いていて、親子で吃音について前向きに向き合ってこられたんだと感心しました。私はずっと逃げてきました。吃音について悩んでいたので、その頃は他に悩みはないと思っていましたが、今、吃音の悩みがなくなると、今度は、自分の性格など本質的なことで悩み始めました。もしかしたら、どもりで悩んでいたということは、幸せだったのかもしれないと思います。
 伊藤さんのご両親はどのような接し方をされたのですか?

伊藤 中学生のとき、どもりを治そうと発声練習をしていたら、母から「うるさいわね、そんなことしても、治りっこないでしょ」と言われ、母を恨んでいました。そのことを講演の時話したら、「すばらしい。お母さんはそのままで大丈夫だ、と言いたかったのではないか」と感想を言う人がいて、思ってもみなかったことでびっくりしました。
 私は、28歳まで学生でぶらぶらしていました。28歳のとき、大阪教育大学で吃音の勉強をしたいと思い、親父に「学費を出してくれないか」と頼みました。それまではアルバイトで授業料も生活費も自分で稼いでいました。大阪では勉強に集中したかったからです。親父は、「いいよ」と言ってくれました。「そろそろ就職しろ。28歳にもなって何だ」など全く言わなかった両親の我慢強さ、信じて待つ力のすごさを今は感じています。

◆息子は、一人っ子です。友達ができて友達と遊んでいると親としては安心なんですが、ゲームなどを持っているだけで、息子は安心しています。またゲートボールや相撲も好きで、共通の趣味がある友達はいない。おじいちゃんの仲間とゲートボールをしています。自分が決めたようにしている。むだな時間を作らず、自分のいいと思うことをとことんするのが大事だと思うので、これでまあいいかあと思います。

伊藤 これまでの価値観がくずれ、人生を自分の価値観で豊かに生きるのを自分で選択する時代です。人生の意味は何かを考えるとき、どもりであることは有利かなと思います。高度経済成長の時代は、強く、速く、たくましく、が必要でしたが、今は、しなやかさや優しさの時代です。優しいどもる子どもには生きやすい時代だといえます。

◆中学校3年生のとき、電話をしないといけないのに、自分でかけることができず、姉にかけてもらいました。そのとき、くやしくてくやしくて、両親に初めて、私はどもりで悩み、苦しんできたことを話しました。「産まれてこなかった方がよかった」とも言いました。両親は、「元気で産まれてきてくれたことがありがたかったので、そこまで気にしていなかった、気づけなくてごめんね」と言ってくれた。うれしくて、そうだと思いました。産まれてきてくれてありがとうが全てだと思います。自分も、我が子にそう伝えたいと思いました。
 どもりは母親のせいだと言われることがありますが、それをどう思われますか?

伊藤 「吃音は2、3歳から始まる発達性のものだから、子育てをする母の責任だ」と長い間言われました。小さい子どものときに始まることは多いのですが、中学、高校、社会人になってからという人もいます。62歳でどもり始めた人も知っています。母親が原因だとする説は現在は完全に否定されていますが、吃音の原因は未だに分かりません。どんなに理想的な母親に育てられてもどもる子はどもるし、劣悪な環境に育ってもどもらない子はどもらないのです。母親のせいだと考えることはありません。
 ただ子どもがどもっているから、子育てを考え直すチャンスだと思います。1泊2日この集まりに参加し、どもりについて話し合う。普通こんな機会はない。そう思うと、お母さん方は幸せですよ。
 言語聴覚士養成の専門学校で、私たちの滋賀県での吃音親子サマーキャンプのビデオを見せると、必ず「吃音と向き合い、自分を語り合えて、この子どもたちがうらやましい」と感想を言います。
 人は必ず何らかのテーマを与えられて生きています。私たちどもる人間は、吃音をテーマに人生を考えるということです。苦しみや悲しみは、それと向き合わなければ前に進めません。吃音で悩んだことは、音楽やスポーツや他の方面でも花開き、人を豊かにするテーマにもなり得ます。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/0

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