第7回ことば文学賞受賞作品
前回、受賞発表の日の大阪吃音教室の様子と、選考をお願いした五孝隆実さんの文章を紹介しましたが、今日は、受賞作品の紹介です。改めて読み直して、ひとりひとりの物語の豊かさを感じます。
《最優秀賞》 母との思い出
橋元貴世(大阪 主婦 28歳)
私が母に真剣に吃音の相談をしたのは5年前のゴールデンウィークです。
社会人になってまだ1ヶ月程で、会社での電話に相当まいっていた時期でした。私は吃音の正しい知識もなく毎日家に帰っては受話器をもって、電話の練習をしたり発声練習をしていました。
大学の友だちと卒業以来久しぶりに集まると、皆はまだ仕事に慣れないけれど、少しずつ覚えてきて楽しくなってきているようでした。電話で悩んでる人もいましたが、私のように電話の取り次ぎや会社名が言えないなどのそんな単純なことではありませんでした。そんな友だちの話を聞くと、私は皆がとても生き生き働いているように思い、うらやましくなりました。私は皆とは違うんだとますます落ち込みました。
その翌日だったでしょうか。父は出かけており、姉も妹もそれぞれ彼氏とデートの為に朝から出かけて私は母と2人でした。その日は本当にいい天気でした。私は家で何をするのでもなく、ボーッとテレビを見たり、姉や妹のことをうらやましく思い、またどうして自分だけ吃音なんだろうと考えたり、ダラダラと過ごしていました。
そんな時、私に元気がないのがわかったのか、急に母が「貴ちゃん、お弁当持って浮見堂に行こう! こんないい天気に家にいても仕方ないやん」と誘ってくれました。私は、落ち込んでいたので外に出る気持ちにはなれなかったのですが、せっかく誘ってくれているのに断るのも悪いなとそんな気持ちで家を出ました。浮見堂は家から歩いて10分もあれば着くのですが、本当に久しぶりでした。
久しぶりの浮見堂は、新緑がきれいで、観光客がたくさんいて、ぽかぽか陽気でとても気持ちよかったです。芝生の上でお弁当を広げて食べました。いつもと変わらないお弁当なのにすごくおいしくて来てよかったと思いました。お弁当も食べ終わり、2人で少し歩いてベンチに座りました。
そこで、私は急になぜ話そうと思ったのかはわかりませんが、吃音で悩んでいることを話しました。就職活動の時に少し言ったことはあるのですが、会社に入って慣れてきたら吃音は治ると思っていたので、真剣には話していませんでした。
「カ行とタ行が言いにくい。最近、ア行も言いにくくなってきて、電話で最初にありがとうございますのアが出ないのがすごくしんどい」
「えー! そんなん初めて知ったわ。そんなことってあるんや。でもいつも言えてるやん」
「それは私が言い換えしてるからやねん」
「それやったら貴世のタも言いにくいん?」
「うん」
このような会話が続いて、母はすごく驚いた様子でした。私は言いたいことが言えて少しすっきりしましたが、母は考え込んでいるようでした。
それからしばらくたったある日、テレビか雑誌で見たのか分かりませんが、左利きを右利きに無理矢理直すと吃音になるという情報を聞いたらしく、「お母さんのせいかな?」と言いました。確かに私は小さい頃お腹が一杯になると、食べるのがいやになるのか左利きになっていたような気がします。しかし、私は中学2年の時の塾の先生のことが怖くて、発表するときにだんだん言いづらくなって吃音になったと思っているので、それは違うよと母に言いました。
就職活動の時には、「気」というか「念力」をかけたメダルをもっていると吃音も治ると言われ、母もなんとかしようと必死だったようで、遠い地方へそれをもらいにいってくれました。そのように心配をかけていたのに、就職してからもまた母に心配をかけてしまったと、本当に申し訳ないと思っていました。
それから、私はこのままだと会社にいられなくなると思って、吃音を治しに「話し方教室」へ行きました。母も賛成してくれていましたが。かなりの高額な為に心配もしていました。ですが、1年程たっても効果はありません。ここでは吃音は治らないと見切りをつけ、次に私が行ったのが大阪吃音教室でした。「吃音と上手くつきあおう」というのがどんなのか知りたかったのです。
そこではみんなが堂々と楽しそうにどもっていて、前の「話し方教室」のようにどもったら注意されていた世界とは全く違っていました。私はとても満足した気持ちで家に帰ると母が玄関の前で待っていてくれました。私は「どもってもいいんやって」と教室での様子を話ました。母も「そうやで、どもったっていいんやで」とこたえてくれました。
その日以来、吃音の相談は大阪吃音教室でするようになり、母にはしなくなりました。
そして、家でもどもれるようになってきました。それでもたまに吃音の話になると「なかなか人にわかってもらえない悩みを抱えてがんばっている」と言ってくれます。ところが今の私は母が思っているよりもずいぶん楽になっています。「今は本当に、全然、吃音には悩んでないから心配はいらないよ」というのですが、わかっているのかわかっていないのかよく分かりません。ですが、吃音について母にわかってもらおうと話し合うつもりはありません。説明するよりも私が元気でいる姿を見せるのが何より母に心配をかけた恩返しだと思っています。
あの日、浮見堂で真剣に話を聞いてくれたことは私にとってとてもよかったことでした。
否定されたり、そんなことで落ち込んでどうするのなど言われていたらもっと落ち込んでいただろうと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
〈五孝さんの講評〉
・最初に読んだ時は、さほど強い印象はなかったのですが、2度目、3度目になるといいなあと感じました。飾り気のない、素直な文章。たんたんと書いています。すっと読めました。分かりにくいところは、「メダルをもっていると……」の一個所だけでした。
・テーマも、お母さんとのからみだけに統一されています。「どもってもいいんやって」「そうやで、どもったっていいんやで」。なにげないやりとりのなかで、親子の愛情が描かれています。お母さんの愛情をしっかりと受け止めていることが伝わってきました。
・吃音と上手につきあおうという気持ちになるのは難しいことだと思います。でも、この筆者はやり遂げるような気がします。読者にそう思わせるというのは、この人の文章の力でしょう。
・難は句読点の打ち方。もっと考えた方がいいでしょう。句読点の打ち方は人によって様々のようですが、私はかなり多く打つ方です。私は皆さんと違って実際に声を出して読むことはしませんが、頭の中では書きながら声を出しています。リズムを考え、言葉を切った方が良いと思ったところで句読点を打ちます。
※注紹介した文章は、五孝さんの指摘を受け、句読点が少し修正されたものです。また、分かりにくいと指摘されたメダルのところも少し加筆・修正されています。
この五孝さんの講評を聞いて、橋本さんは涙した。この素直さが、きっと最優秀賞につながったのだろうと思う。…筆者はやり遂げるような気がします…との五孝さんのことばは、橋本さんにとって、静かで大きな応援になったのではないだろうか。(「スタタリング・ナウ」2005.3.20 NO.127)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/21