吃音の問題と展望~第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演~

 1986年夏、京都で開いた第1回の吃音問題研究国際大会で、基調講演をして下さったヒューゴー・グレゴリー博士と、どもる子どもの指導についてワークショップをして下さったイギリスのレナ・ラスティンさんが、2004年秋から冬にかけて相次いで亡くなられました。
 グレゴリー博士は1985年から2001年までノースウェスタン大学で教えるとともに多くの吃音ワークショップを行い、吃音治療に関する指導的な役割を果たし、レナ・ラスティンさんは、吃音治療のパイオニアであり、1993年、ロンドンに、どもる子どものためのマイケル・パリンセンター設立のために情熱を注がれました。
 1986年8月の京都での国際大会の、グレゴリーさんの基調講演を紹介します。アメリカの吃音事情を知ることができます。(「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 より)

吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

1 はじめに
 私のどもる人間としての経験、35年間、どもる人や子どもとかかわってきた言語病理学者としての経験からお話をします。
 まず、学童の子どもにとっても、成人にとっても「自分の吃音は自分が責任を持って取り組む」という自助努力が、最終的に最も重要だということを強調したいと思います。そのことを理解させることが、臨床家としての務めでもあります。私自身が私自身の吃音問題にどのように取り組み、そこで何を学んだか、そして私が実際に実践している方法のお話を致しましょう。

2 私の体験
*初めての治療経験
 私は15才のとき、初めて吃音の治療を受けました。アンカーサスにある私の家から2400キロメートル離れたところに、その吃音矯正所はありました。その施設で母音を長く引き伸ばしたり、子音を軽く発音しながら話すことを教わりました。この練習によって、私は安心感を得、以前と比べ、随分楽に話せるようになりました。これこそ、私を長い間苦しめてきた吃音から解放してくれる方法だと思いました。また熱心に教えられたとおり練習すれば、吃音の治療は短い間、長くても1年や2年で終わるだろうとさえ思いました。
 しかし、家に帰って2、3ケ月もたたないうちに、私はまたどもり始めました。次の年、またその矯正所に行き、もっと楽に話す訓練を受けました。
 当時、私は自分の吃音を「抑制」することばかりに熱中し、どもりたくない一心で努力しました。ところが、話し方にばかり意識を集中することがかえって大きなマイナスの作用を及ぼすことに、その当時の私は気づきませんでした。自分がなめらかに話せるか、そうでないか、ばかりに敏感になり、ずっと吃音を隠し続けました。そして、吃音を隠そうと思えば思うほど、どもることへの恐怖心が増していきました。そうすると、少しでもどもるとパニックに陥ることが往々にしてありました。それでも、どうすればこの恐怖から逃れることができるか、さっぱり分かりませんでした。
 このままいくと泥沼に落ち込んでしまうと思った私は、自分の吃音に対するこれまでの態度を振り返ってみました。その中で、これまで話すことにのみ集中しすぎて、吃音に対する態度に関するセラピーをおろそかにしていたことに気づき始めました。どもっているときには、いかに自分自身に対する評価が厳しく、まるで大変なことをしでかした失敗者であるかのように自分をみなしていることが分かってきました。

*ウエンデル・ジョンソンから学んだこと
 後に、大学に進んでから知ったウェンデル・ジョンソンの考え方が、私にとって大いに役立ちました。ジョンソンは、「どもる人間か、それともどもらない人間か、で自分を二分評価すべきではない」と言っていました。ジョンソンのおかげで私は、「話すときに、ときどきどもるひとりの人間」として自分を考えることができるようになりました。さらに、吃音そのものや吃音に対する態度などは、ある程度の時間をかけて変化していくもので、今、その変化の中に自分はいるのだと考えるようになりました。
 その過程は、次のような段階をたどって変化していきました。
 どもったときに自分が何をしているか考えてみる→話し方を変えてみる→変えてみてどうだったか、再び考える→その上でさらに話し方を変えてみる
 もし治療を受けている人であれば、治療者と一緒になって考え、このプロセスの中に入っていけばいいのです。こういうプロセスをたどって徐々に行動を変えていくのです。もちろん、それは吃音に対する態度の変化も含みます。

*自分が考えるほどは他人は気にしていない
 これらの変化のプロセスの中で、私はこれまでの人生で、吃音による影響をあまりにも意識しすぎてきたのではないか、あるいは他人が私の吃音をどうみるかということを意識しすぎてきたのではないかと考えるようになりました。他人は、自分が考えているほどには、私がどもることを気にしていないことも分かってきました。人は、吃音に限らず、人生において、何かを意識する、気にする、という敏感な点が必ずあるはずです。そして誰しもがその敏感な点に集中する傾向があるようです。その態度そのものを点検し、より正しい態度がとれるよう、自己開発のプログラムを立てる必要があります。
 私の親戚にベスというおばさんがいますが、彼女はとても神経質です。私は彼女の前に出ると吃音がひどくなりました。反対にジョーというおじさんは物静かな人で、彼の前では比較的スムーズに話ができました。誰でもジョーおじさんのようであればいいなあと思いましたが、それは無理なことです。そういう人ばかり捜して歩くわけにはいきません。そこで私は、自分自身を変えることを考えました。つまり、相手が気楽になれるように、自分がなればいいのです。私たちが自分自身の吃音に敏感にならなければ、周りの人たちはもっと気楽になり、さらにそれがどもる人も気楽にさせ、どもることも少なくなります。このように、悪循環とは反対の方向に自分をもっていくことが必要だということが分かってきました。

*意図的にどもることを知る
 私が自分の吃音に取り組み始めた頃、どもることへの恐怖をどう処理すればよいか分かりませんでした。大学に進んで、ヴァン・ライパーの著書で、意図的にどもることを知りました。そこで、わざと目立ったどもり方をしたり、いろいろなどもり方を試みました。どもっているという事実は変わらなくても、どもるパターンは変えられることを学びました。「ここーこれ、あーれ、すすする」といった、半ば遊びのようにわざとどもって話をしました。このように意図的にどもることによって、私のどもることへの恐怖は徐々にやわらいでいきました。大学1年生のときに、自己紹介ができるよう、この意図的な吃音を使って取り組みました。
 吃音に悩む人であれば誰しもがそうであるように、私も自己紹介が大の苦手でした。自己紹介のある場に出ていくのは恐怖そのものでした。その場から逃げることもたびたびありました。大学1年の頃、どもる人のセルフヘルプグループに入っており、毎月曜日に夕食会がありました。そのときは必ず自己紹介をすることになっています。私はいつも「ヒューゴー…」となり、ヒューゴーの後がどうしても出てきませんでした。そして、ヴァン・ライパーの意図的な吃音を知り、それをやってみようという気になりました。ある日の夕食会の席で、「ヒューゴー、グレ、グレ、グレゴリー」とわざとどもってみました。その後、そのようなどもり方をしようと決意したおかげで予期不安や恐怖心がなくなりました。1年ぐらいたったでしょうか。自己紹介をするとき不安や恐怖がなくなり、自己紹介をすることを決して避けなくなりました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/14

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