交流分析と吃音 2

 大阪吃音教室の2024年度が昨日、新しい会場である大阪ボランティア協会のセミナー室で始まりました。初参加者5名を含む17名の参加がありました。ホームページを見た人や僕の開設している吃音ホットラインに電話をくださった人たちが、吃音という共通項で集まりました。これから1年間、互いの経験を出し合い、吃音と上手につきあうことを探っていきたいと思います。
 昨日のつづきを紹介します。
 同じ程度のどもる状態であっても、深刻に悩む人もいれば、全く悩まない人もいます。吃音をどうとらえ、どう向き合うかによって、大きく影響を受けることもあれば、全く日常生活に支障がないこともあります。吃音と上手につきあうため、交流分析は、大きな強い味方になってくれます。

2001 吃音ショートコース 対談 2
            交流分析と吃音
                       杉田峰康・伊藤伸二

「どもってもいい」と心身医学の発展の歴史

杉田:自由を妨げるのは〈禁止令〉です。禁止令は非常に多くの場合、「べき」が中心にあって、「こうしなければいけない」、「完全でなければならない」、「完全に健康でなければならない」という完全神話が背景にあります。「べき」から自由になる必要があります。時々、べきを全部外す練習なんかもいいと思います。小さい頃から親や先生や、マスコミが言ってきた、一見「べき」にみえるものを外して生きてみたらどうなるか。
 例えば、「節約すべきである」。節約は大事なことですが、あまり「べき」が強くて、電気を消すべきだと考えすぎると、老人がいる家では、家庭の中でつまづいたり、ぶつかったりして怪我をする。お年を召したら、「節約しろ」から少し自由になって、電気ぐらいは自分の人生で怪我しないために、明るくする。定年退職した人で、お金はたくさんあるのに、「節約しよう」とばかり言う人は、「楽しんではいけない」という禁止令に縛られて、うつ病になります。停年後は、自分の人生の重荷を歯を食いしばって生きていく生き方からも自由になることも必要ですね。
 「吃音は悪いもの、劣ったもの」というメッセージを、自分たちの時代で修正して、次の時代に渡さないということは非常に重要だと思います。世代継承をしない。次の子どもに私と同じ苦しみを味合わせない。禁止令から自由になりましょうということ伝えていきたいものです。

伊藤:どもる人のセルフヘルプグループの活動の中から、真実に目覚めた人間にとって、そういう役割が大事だと思っています。吃音の取り組みの大きな流れは、どもりで悩んでいる人と出会うとやっぱりかわいそうで、治さなきゃならない、と揺れている。そして、「治すべきだ」となる。その中で、僕らの姿勢が、あまりにもかたくなだと言われても、少なくとも日本吃音臨床研究会だけでも、きちっと歯止めをかけたい。油断をすると、やっぱり「治すべき」という方向にいきます。臨床家として、セルフヘルプグループの世話役にとっても、治したいという人に「辛いよね、やっぱり治した方がいいよね」は楽だからつい言ってしまう。治したいという人に、「どもってもいい」はある意味でエネルギーのいることなんです。

杉田:これはある意味で、心身医学の発展の歴史でも同じだったといえましょう。

伊藤:あー、そうなんですか。

杉田:内科の領域に心理学を入れるなんて、と従来の医学の抵抗がありました。私の恩師の池見酉次郎先生は、内科の領域に心理学を入れて、心身一如の立場から人間を全体的に見て、病気を心と体の両面から追究しようとされました。心療内科が出来た当時、暫くの間、心療内科は科学的でないなど厳しい批判も受けましたが、今日では、心身症は常識になって、21世紀は心身症という言葉すらなくなるであろうといわれます。何故かというと、全ての病気が心と体が互いに関係するので、身体、心理、社会環境、さらには生態学を含めて、全人間的なアプローチをしなければならないからです。いろんな意味で医学教育と医療制度にもチャレンジし、今はだいたいどこに行ってもストレスがもとに病気がおこることが認識されてきています。心身症医を標榜されて開業なさる先生方も増えております。しかし、ときどきマイナスの面も起こります。なんでもかんでも、心から起こると言って、一種の新興宗教みたいに患者さんを集めて治療することは、いうまでもなく誤りです。心療内科の歴史は長い主体性確立の歴史でした。
 不登校も同じようなところがあります。親の育て方が悪いと母親を悪者にする。父親も非難されることも時々ありますけれども、そもそも不登校の本当の原因はわからないんです。10人10色ですね。それを悪者探しで、何々がいけないと決めつけていた。そして、「学校へ行け」と登校刺激を与えるが、ある子どもは行けても、大部分の子どもは行けない。このように従来の教育の方法ではよけい行けなくなるからと、文科省も登校刺激を与えないようにと指導しています。学校へ行けと言わないで親子の関係を改善すると、結果はずっといい。今、学校にようやくスクールカウンセラーが入り始めて、全体的にものを見て、人間関係を良くして、生徒の立場から気持ちを理解しようとするといい結果が出始めました。
 お母さんは「あんたが学校へ行っても行けなくても大事な人間よ」と、休んでる間に、一緒にご飯食べたり、遊んだりする。子どもが休んでるときに、「単語くらい覚えなさい、教科書くらい開けなさい」などと、学校の延長の様なことを続けないで、思い切って心のふれあいを回復する。私は可愛がられて大事な人間だ、人間として産まれてきて良かった、愛されてるんだと、お母さんお父さんとのふれあいで感じ取ると、多くの子どもがモゾモゾと動き出すんです。親の期待する学校に行くか行かないかは関係なく、どこへ出しても、この子は生きていけると信頼する。学校へ行きたければ20歳になってからでも、もう一回高校行ったっていいんですものね。そういう生き方を選べるようにしっかりした心を育てるように指導していくのは、皆さんの考え方と似ているんではないかと思います。
 おそらく、今までの吃音を治す方法では、症状が一時良くなっても、根本的な自分の人生観や考え方が手つかずでは、劣等感や自己否定感情が残ります。思い切って、根本的な問題である人間関係や、親子の心のふれあいを回復することが大切ですね。

伊藤:そうですね、不登校や拒食症状を吃音に置き換えれば、十分考えられると思います。交流分析や心身症の治療に関わってこられたご経験から、吃音について何かご質問いただけますか。

「治したい」から、「そのままでいい」へ

杉田:吃音の人の何人かは、治すことを中心とした民間吃音矯正所に出入りされていました。しかし、今日では、そうしたクリニックも、だんだんに全人間的な立場に変わってきているようです。しかし、今だに、やはり、リラックスしてみんなの前で話させるとか、言語の修正が中心で、ありのまま生きるところまでは行ってないと思うんですね。私が一番伺いたいのは伊藤さんがどういういきさつで今の到達点にお立ちになったかですね。

伊藤:私たちも最初は、治したいにばかり縛られてたんです。どもっている自分は仮の人生で、どもりが治ってからが本来の自分なんだと。治りたいと思い詰めて一生懸命治す訓練をしました。私はどもりが治ると宣伝する吃音矯正所で4ヶ月一生懸命治すために頑張ったんですが、治らなかった。私だけでなく、同じ時期に治療を受けた300人ほどの全員が治らなかったという事実に向きあうと、これまでの、「どもりは治る」という情報は何だったんだと、疑問がわきました。ひょっとしたら、どもりは治らないのではないかと思うようになりました。治らないものに対して、治そうとしている。そして、治さなければならないというメッセージをずっと子どもの頃から与えられ続けてきた。この「治る、治せる」という呪縛から抜ける必要があったのですが、簡単なことではなかったですね。

完全主義

杉田:交流分析から言えば、間違いなく〈禁止令〉ですね。呪いですね。完全でなければいけないとか、治っていない事実があるのに、事実でないものを一生懸命追いかけて、「完全たれ、完全でないのはダメ人間」と追いつめる。

伊藤:そうですね。どもる人が自分の言語生活の中で、どれだけどもっているのかを計ってみると、もちろん症状の重い人も色々様々ですが、多くの人は、例えば、10%くらいしかどもってないことが分かる。それを「話すからには完全でなければならない」と考えると、90パーセントのどもらない部分を見ないで、10パーセントが許せなくなる。完全主義がすごく強い。紀元前560年ごろに、どもりを治して、大雄弁家になったデモステネスに憧れて、吃音の専門用語で、デモステネス・コンプレックスというのがあるくらいです。完全主義、完全癖と言っていいのでしょうか。それがどもりの大きな問題なんです。

杉田:心身症の中にも、性格的には自我不確実感を持った〈完全主義〉の人が多いんです。それを一応、言葉では強迫性格、強迫傾向と言っていいと思います。たとえば、ものごとをとことん調べないと気がすまない、汚れたら徹底的にきれいにしないと気がすまないとか、極端になりますと、一日中、お掃除をしてる。石鹸を一日に2個くらい洗い流して手を洗わないと気がすまない。これらのこだわり、とらわれの完全主義の背後にあるのは不安ですね。不安恐怖です。そこでの不安恐怖に対する防衛がなされますが、防衛がうまくいきますと、補償というかたちになります。デモスネスの話がありましたけども、とにかく完全にしゃべろうとして、頑張って成功した例ですね。例えば、田中角栄さんは小学校しか出なかったが、ものすごい努力をして、総理大臣になった。ある意味で、成功した例ですよ。でも、その頑張れ、頑張れというのは結局、不安と恐怖ですよね。1%か2%の人が大成功者にあこがれるのでしょうけども、元々は完全主義の自分に対する恐怖と不安に対するが中核にあります。病的になって、「完全にしゃべらなきゃいけない」というと、強迫ノイローゼの一種ですよね。それに失敗すると、自分を責める。ダメ人間、というような、どこかで共通した因子があるんじゃないでしょうかね。
 日本人にはこういう傾向は多いそうですね。物事や体の状態にこだわって、とらわれる森田神経質といわれる性格特性ですね。私の恩師の池見先生はこのタイプだったんです。私が最初にアメリカから帰ってお会いしたとき、私にとって印象的なのは、「杉田さん、私は対人恐怖なんです」と言われたことでした。その時、先生が、慶応大学で講演をするのを聞いたのですが、大変、立派な講演でした。「先生、今日の講演は本当に感銘深く受け止めました」と申しましたところ、「杉田さん、私は対人恐怖で、若い頃から、森田正馬先生のところに通って、ありのままの生き方を受け入れたんです。私が心療内科を作ったのは、私の弱点を克服して、他の人びとに同じようにこういう形で、ありのままで生きる生き方を示したいからです」と話されました。

伊藤:この前、お亡くなりになりましたけども、晩年は対人恐怖は無くなったんですか。

杉田:いいえ、依然ありましたよ。でも、先生はそのことをお認めになって、対人恐怖だけれども、あるがままで生きる。生の欲望が強いから、それだけこだわるんです。そのエネルギーがちょっとゆがむとこだわれるという形になるとよく言われました。池見先生ご本人も不眠症で、過敏性腸症候群で、下痢や便秘で長い間、苦労なされました。でも、下痢をしても体重は減らないんだと発見された。医者として、便通にこだわる自分も含めて色々調べてたら、ストレスを与えると腸が痙攣して下痢になりやすいと分かった。緊張やこだわりが関係するので、森田先生に学んだ、あるがままの生き方を、不眠症、過敏性腸症候群、対人恐怖にもあてはめていかれたわけです。

伊藤:僕らが困るのは、田中角栄やデモステネスなどの一部の成功者なんです。それを例にだしながら、自分も治ったという人が、「私はどもりを治した、あなたも治るはずだ」と圧力をかける。僕らが「どもりは治らない」と言うと、「治った人がいるじゃないか」という。治った人がいるかもしれないが、ごく一部の成功者を挙げて、「治った人もいるじゃないか」と言われても困るんです。僕は、「宝くじだって当たる人はいる、ほとんどが当たらないだろう」と宝くじを例に出します。

杉田:認知の大きな歪みの一例ではないでしょうか。「結論の飛躍」ですね。体育系の人が生活指導で、「朝起きて運動して、腕立て伏せ50回して頑張って県大会に出た。俺に出来ることは君らに出来ないはずない。俺も学校行きたくなかったけど、耐えてやったんだ。この忍耐が君らに出来ないはずはない」などと、例外を全部一般化するのはおかしいのです。「学校に行けなかったら、思い切って汗かいて運動場の一つも走ってこい」こうした教育はその人には役に立っても、体の弱い人に無理なのです。運動場を走らせたら、倒れてしまう。結論の飛躍です。例外は例外と認めず、例外を全部、「俺の通りにやればいいのだ」というのは一種の強要、強制で、それは認知の歪みから来ると思います。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/14

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