交流分析と吃音 1

 「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」、このスティグマによって、自分を否定し、悩みを深めていったどもる人はどれだけたくさんいることでしょう。21歳までの僕もそうでした。吃音に限らず、苦悩の始まりは、このスティグマが大きく関係しているのだと思います。自分で、他者によって、あるいは社会によって貼られたこのスティグマをはがすために、これまで、さまざまな分野から学んできました。
 今回、紹介するのは、大阪吃音教室でも定番になっている交流分析です。
2001年の吃音ショートコースのテーマは、《日常生活に活かす交流分析入門》でした。日本の交流分析の第一人者である、福岡県立大学大学院の杉田峰康さんを講師にお迎えし、講義・演習、そして僕との対談と、交流分析にどっぷりと浸った2泊3日でした。「スタタリング・ナウ」 2004.7.24 NO.119 から、対談のごく一部分ですが、紹介します。

2001 吃音ショートコース 対談
            交流分析と吃音
                       杉田峰康・伊藤伸二

伊藤:吃音について交流分析でどう考えるか、昨日から学んだことを具体的に生活に活かすにはどうしたらいいかをお聞きします。まず私が、吃音について交流分析で考えたのは、人生脚本の〈禁止令〉です。過去延々と続いてきた吃音の歴史は、「どもりは悪いもの、劣ったもの。恥ずかしいもの、治すべきもの」という脚本をずっと周りから与え続けらた歴史でもありました。
 私が吃音に悩んでいた、1950年代の新聞や雑誌などの一般的な情報が全てそうでした。公的な相談機関が全くない中で、どもる子どもも大人も民間吃音矯正所にたよるしかありません。民間吃音矯正所が全国を回り、学校の講堂を使って、どもりを治す講習会をしていました。それらの矯正所は、必ず、反社会的な行動や自殺などの「どもりの悲劇」を並び立てました。例えば、金閣寺を焼いた若い僧侶はひどい吃音で、すごく悩んでいたとか、オリンピックの円谷選手が自殺したのは、金メダルのプレッシャーもあったが、吃音も影響していたとか。これらのことが、大きく吃音矯正所の出版する本などに書かれています。その反社会的な、非社会的な行動は、吃音が原因だから、「どもりを治さないと決して有意義な人生は送れない」とし、私たちの吃音矯正所では必ず治すと宣伝しました。
 「吃音は悪いもの、治さなければならない」という脚本に反論する教育機関も相談機関もなく、医学系や心理学系の大学の一部の教授たちも、知ってか知らずか吃音矯正所を支援をしていました。この民間矯正所の垂れ流す情報が、唯一の情報でした。私たちは、他に情報を知りませんから、その脚本を渡されて、「どもりを治さなければ」と治す努力もしてきました。しかし、治らずに、自分を否定して、吃音矯正所に手渡された脚本通りに、有意義な人生が送れなかったと嘆く人も稀ではありませんでした。
 今ここで、私たち私たちが出来ることは、これまでの吃音の人生脚本を変えることです。過去の綿々と続いてきた、「どもりは悪いもの劣ったもの」という吃音に対する認識を、断ち切らないと、そこから起こる二次的な問題の発生の連鎖を切らないと、後に続くどもる人たちに自分たちが縛られた脚本をまた渡してしまうことになる。私たち日本臨床吃音研究会の役割はこの連鎖を切ることだ。吃音の人生脚本を書き換え、後に続く人たちに新しい脚本を渡さなくてはいけない。そう考えて交流分析を学んできました。
 これまで考えてきたことや、実践をそろそろまとめ、提案する時期に来ていると感じていました。その時に、杉田先生と出会え、お教え頂くのは大変ありがたいことです。お力をお貸し下さい。

マイナスの強化因子

杉田:はい。私もこちらにきて、みなさんの実践発表やどもる人の体験を聞かせて頂いて、特に、教育現場で吃音に関しては、あきらかに〈禁止令〉が働いていることを実感しました。私は心療内科に長年勤めてきましたが、吃音の方も少しいらっしゃいました。私は吃音そのものを直接治すことはいたしませんで、全人間的に心理面・社会面・環境面で、総合的にその人が生きやすくなるという事を中心に心身医学的に患者さんにかかわります。これは対症療法ではないわけです。全人間的な視点からその人の生き方、生活習慣、また環境面のストレスも考慮したアプローチです。環境面から見てみますと、今、伊藤さんがおっしゃったマイナスの強化因子が大変多いですね。
 例えば、別の例で言いますと、拒食症は、強化因子のほとんどがマスコミです。女性雑誌は、とにかく「痩せている人は美しい」と書く。すると、深くものを考えない方々が、特に、女性がまずご飯を食べないで痩せる。そうすると周りが、「きれいになったね」と言う。その結果、病気がどんどん固定していく。同じような意味で、マスコミが、「吃音の悲劇」をあまりに主張し、回のり人たちも吃音をマイナスの目で見ると、マイナスの強化の環境になりますね。
 女性のアルコール依存や若者の喫煙がすごく増えてますが、これも、どんどん自動販売機を作って、テレビでどんどん宣伝することが影響していますね。外国では子どもがテレビを見る時間帯では、酒の広告はコマーシャルさせないことになっています。こういうことはアルコール依存の主な原因ではないと思うんですが、強化因子といえましょう。
 次に、問題はマスコミに影響をされやすい人びとです。マスコミがいくら「やせている人は美しい」と言っても、「そんなはずはない」といえる健全な人はいます。栄養失調になって、生理が止まって、ガリガリの体重35kgくらいになったら、赤ちゃんは産めないし、生命も危ないのは常識で考えれば、わかるわけです。それと同じように、吃音が、マスコミに影響されるのも、自分で考えて生きるという主体性がないからでしょうね。
 交流分析では、主体性がない心の状態を、AC(adapted child)と考えます。主体性を欠く人は、親の期待に添おう、親を喜ばせようとする。段々痩せても、「お母さん、大丈夫よ、安心して」と言って、親を心配させないように振る舞う。親の方もこの子がそう言うのだから、まかせましょうと考えて、本気になって事実を見ない。本来の自分ができていない主体性のなさ、マスコミに影響されやすい自我の弱さが問題だと思いますね。誰がなんと言おうとも、自分で観察し、考えて正しいと判断したこと以外は排除するという強さが必要です。
私はここに来る前に、伊藤さんの本を読ませていただきました。私どもは、心理療法を用いてまいりましたが、心がいやされるポイントは「真理は汝を自由にする」ということだと思います。伊藤さんの「治らないという事実を受け入れて、どもりながら実りのある人生を生きる」が、私も真理だと思います。自分のありのまま姿(真理)に気づくとき、人は自由になります。昨日の皆さんの話を伺っていて、あんなに立派に話をなさる方が心の奥の奥では、劣等感に悩んでいるということは、症状が良くなっても、生き方自体はまだまだ吃音を隠してどもることを恐れてることになりますね。どもりながらでも、やるべき事はするとおっしゃっていた方々が自由になられた方々だと思いました。
 日本人がお米とみそ汁の食生活からハンバーガーやステーキの西洋食にしたら、糖尿病は増えましたね。糖尿病は治らない病気ですから、治療は、自分で自分の体をよく知って、セルフコントロールしていくことが必要だといわれます。「私は糖尿病です。低血糖値で倒れたら助けてください」と書いたカードを持って、病気をしっかりと受け止めて、生きていく。今日はそういう教育が中心になっています。そんな意味で「真理は汝を自由にする」と、自分のことをちゃんと知った時、本当の生き方と結びついていくのではないでしょうか。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/13

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