気がつくと、先の見えないことばかりやっています。~仕事とは、『旅』を続けること~ 2
月刊セルフラーニング『Co:こぉ』の2004年6月号に掲載された、僕と平井雷太さんと飯島ツトムさんとの鼎談というか放談というかを、今、読み直してみて、こんなこと、あったんだというのが正直な感想です。すっかり忘れていました。僕は、同じようなことを話していますが、話す相手が違うと、少しずつ展開が違い、広がっていきますね。ここでは「旅」がひとつのキーワードになっています。
旅といえば、大学生のとき日本一周をしたことを皮切りに、あちこち旅をしてきました。放浪癖があるのではというくらい、今でも旅が好きです。いつだったか、どこだったか、旅先の無人のお店で「旅」という色紙、誰が書かれたものか分かりませんが、買い求めました。僕の旅好きを物語っているようです。
昨日のつづきです。「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 に掲載された文章を紹介します。
気がつくと、先の見えないことばかりやっています。
~仕事とは、『旅』を続けること~
伊藤伸二+平井雷太+飯島ツトム(CO-WORKS代表)
2003年11月29日セルフラーニング研究所にて
◇「理論」を離れ、「リアル」に触れる旅に出る
伊藤 僕の人生の中で考えてきた、「どもりの生き方」というか、「どもってもいい」という生き方が、果たして他の人にも受け入れられるかどうか、北海道から九州まで全国38会場で、相談会・講演会をしました。
平井 どれくらいの期間でですか?
伊藤 3ヶ月くらいです。今日は帯広、明日は札幌…と。旅巡業みたいなものです。
平井 それはいつ頃ですか?
伊藤 大阪教育大学に就職をして、助手の時代です。まだ講師ではないので、講義を持たなくてもいいですから、自由に動けたんです。
平井 何歳の時に?
伊藤 29か30かな。そんな若くても、やはり田舎のほうでは「大阪教育大学の伊藤伸二が来る!」と言ったら、それなりに「おお、大学の先生が来るのか」という事で人が集まってくれます。新聞社やNHKが宣伝をしてくれました。でも、何の計画もなしに、出発するんです。僕の研究室に研究生が一人いて、連絡を取りながら、相談会を組み立てていくんです。「帯広が終わった。じゃ、札幌に電話してくれ!」と。そうすると、札幌の『ことばの教室』の教師たちが会場を設営してくれる。「次は、青森の八戸でやるから、八戸で誰か協力してくれる人はいないか、当たって欲しい」。今考えたら、無謀も無謀ですね。計画なしのゆきあたりばったりなんですから。でも、それが、35都道府県38会場で開くことができたんだから、おもしろいですね。
平井 でも、それも、吃音のおかげですよね。『吃音ネットワーク』じゃないですか?
伊藤 はい。そんな事ができたというのが、今考えてもすごく面白いです。「どもりはどう治すかではなくて、どう生きるかの問題だ」という、私の経験から得た一つの結論の検証の旅ですが、どもりで悩んでいる人だけでなく、どもりながら平気で生きている人とたくさん出会いました。これは、全国を行脚した最大の収穫です。僕は、自分自身がどもりに深刻に悩んできたし、どもりに悩む人の話ばかりを聞いてきたから、「どもりであれば悩むはずだ」と信じて疑わなかったんです。僕は幸いセルフヘルプグループをつくって、いろんな人との出会いの中で、どもっていても平気で生きられるようになってきた。ところが、吃音の勉強もしてなくて、グループに参加もしてなくて、もちろん治療も受けなくても、普通のおっちゃん、おばちゃんが、平気でどもりながら生きてるんですね。じゃあ、僕の主張もまんざら間違いではないなあと思えた訳です。この、どもってはいるけれど悩んでいない人との出会いは、ひょっとしたらコペルニクス的な新しい発見でした。
これは、僕が、全国を検証して行く『旅』に出たから知ることができたことであって、理論的に頭の中で「どもっていても、平気でいる人がいるではないか」と言うのとは、全然違う。そこで出会った人たちの話を聞いて、「ああ、そうか。人は、こういうふうに変わっていくのか」と、自分の体験と重なったんです。例えば、町役場の助役になった人が、助役になった事で答弁をしなくてはならない。それで、ノイローゼになる。その助役が、ふと気がついて、「そうだ、どもりを隠そうとするから、上手にやろうとするから、ノイローゼになるんだ。自分は、どもりなんだから、どもって答弁してやろう」と思う。そして、答弁の前に「私はどもりで、みんな聞きにくいかも知れないけれども、いつでも質問してくれ」と言い、そこからスタートしたら、嘘みたいにどもりの悩みが消えた。そんな話をいっぱいいっぱい聞いたんです。
平井 やはり、「情報を収集した」というのは、大きいですよね。
伊藤 学者や研究者が、研究室の中で、理論的に、「吃音を受け入れる」とか、「自己受容」とか、そういうことを言うのとは、全然違う。出会った人たちが、自分のどもりとどう出会い、どう乗り越えてきたかという事を3ヶ月にわたって検証して来た訳だから、出会った人の顔が浮かんできます。これは、やっぱり、「情報収集」ですよ。
飯島 逆に言うと、わずか3ヶ月でリアルに触れられる、ということですよね。やろうとすれば。
平井 そう。連日、「何なんだ、これは!」みたいなことが連続する訳です。見えないことが見えてくるんですよね。
飯島 そういうことが、今の学校も含めて、みんなぶつ切りですよね。だから、分からない。リアルに触れる、までいかないですよね。
伊藤 そうだと思います。連続というのは、すごくいいですよね。
飯島 だから、「全部つながっているんだ」ということも分かるんでしょう。僕も若い頃にヨーロッパを旅行したことがあります。そうすると、日本では、アジアとイスラムとヨーロッパは違う、と教えられるじゃないですか。歩いてみると、「基本的には、あまり変わりがない」というふうに、リアルに思う。「国境なんかない」ということもリアルに思うし。集中してやることが一番リアリティーを実感できます。もちろん、フィールドワークも、少しずつ自分の中に…。
平井 たぶん、普段の生活の中からストップアウトすることに意味があるんですよね。「離れる」というか、「居る場所から離れると、居た場所が見えてくる」というのがあるんでしょうね。
伊藤 そうだと思います。大学の研究室にだけ居たのでは、絶対見えてこない。そこを飛び出すことによって、見えてきたのでしょう。
平井 それに、行ってみないと、予定が立たないですよね。
伊藤 そうだと思います。とりあえず、フッとした思いつきで行ってみるという。
平井 「予定がない」というか、「先が見えない」ということですね。それに、『旅』のメリットは、やっぱり困ることなんじゃないんですか?明日どこに行くか決めなきゃならないし…。「決めること」の連続ですよね。
伊藤 そう「一瞬の判断」。でも、先の見えないことばっかり、僕はやっているような気がします。セルフヘルプグループを創ったのも、世界大会を開いたのも、です。
飯島 だから、『旅』になるんですよね。
平井 今もまだその続き…みたいな。
伊藤 その続きみたいなものですよ。だって、『吃音の世界最初の国際大会』にしても、それが本当に開くことができるかなんて誰にも分からないわけですよ。当時は、どこの国にどもる人のセルフヘルプグループがあるのか、という情報さえなかった。だけど動き始めたら、情報は入って来るんですよ、不思議と…。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/11