第5回ことば文学賞

 今の「スタタリング・ナウ」の編集と、この頃の編集とはずいぶん違っているようです。このNO.104を見ると、言語聴覚士養成の専門学校での受講生たちとのやりとりから感じたことを巻頭言に書き、鴻上尚史さんのご著書に書かれた吃音ショートコースの感想を紹介し、そして、ことば文学賞の作品を紹介しています。どういう編集方針だったのだろうかと思ってしまいます。現在、354号まできていますが、巻頭言と次のページからの文章とはできる限り関連づけて書いているので、以前の「スタタリング・ナウ」を読み返してみると、自分でも不思議な気がします。
 今日は、「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104に掲載の、第5回ことば文学賞の作品の中から最優秀賞の作品を紹介します。
 ことばについて、吃音について、コミュニケーションについて、自分の思いを綴ってみようと、大阪スタタリングプロジェクトの主催で始まったことば文学賞の5回目です。選者は、毎年お願いしている元朝日新聞記者で、朝日新聞を定年退職後は、カルチャーセンターなどで文章教室の講師をしておられる高橋徹さんでした。もうお亡くなりになっていますが、どもる人に寄り添った温かいコメントを書いておられました。読み返してみると、高橋さんの顔と声が浮かんできます。そのコメントも合わせて紹介します。

《最優秀賞作品》

  酒屋のおっちゃんと私
                          神谷勝(飲食業37歳)

 「まっ、まっ、まっ、まいど! どっ、どっ、どっ、どうでっか!」
 私の家の隣から、元気で大きな声が聞こえてくる。いつも激しくどもっている。この人は私の親戚で酒屋を営んでいる。私はこの声を聞くのが実に嫌だった。「いつもどもって、かっこ悪いのに大きな声でしゃべるな、どもりだったら静かにしておけ」と思っていた。
 私がどもるようになったのは、このおっちゃんも関係している。小学校2年生ぐらいの時に近所にどもりの同じ年の男の子がいた。私はふざけて、男の子の前でどもりの真似をして笑いをとっていた。そのうち、他の男の子に、「どもりの真似をしていたらうつるぞ! お前の親戚のおっちゃんもどもりやろ!」と言われた。
 「えっ、うそ、どもりがうっったらどうしよう」
 この瞬間に私の中で急激にどもりに対する恐怖が膨れ上がった。私にとってどもりとは、酒屋のおっちゃんの激しくどもるかっこ悪さや、真似をして笑いをとるという何一ついいものがなく、軽蔑すべきものだった。しかし気持ちと裏腹に、徐々にどもり始めていた。「どうしよう・・だんだんうつってきた」。そしてそのうち、完全にことばを自分でコントロールできなくなってしまった。
 小・中・高校と不思議なくらいクラスに、私ともう1人どもるクラスメートがいた。しかしどもるようになってからも、どもりとは、私にとって軽蔑すべきものだったので、同じクラスメートに声をかけるどころか、近づくこともしなかった。同じ仲間と思われたくなかったし、どもり同士何か喋っていると思われたくなかった。国語の本読みなどで当てられ、どもりながら読んだ時も、ふざけながら読み、まるで知ってどもっているように見せた時もあった。他の友だちに「知って、どもっているやろ」と言われた。そこまでしても認めたくなかった。しかし、どもりのクラスメートの心を踏みにじったような気持ちがした。心が痛かった。余計に彼に声がかけられなかった。
 就職してからも、何とかどもりを隠せたのでずっと隠していた。早く治したかった。仕事が忙しく、吃音矯正所などに行く時間がなく、ずっともやもやした気持ちで毎日過ごしていた。今年に入り、時間ができ、大阪吃音教室に行ってみた。もちろん、ちょっとでも治ればと、あとは何も求めていなかった。しかし、参加してみて人生観が変わってしまった。全く考え方が逆転してしまったのだ。あれだけ避けていたどもりの仲間。あれだけ嫌だったどもりを認めること。ずっと30年間思ってきたことが、ここに来てわずかの時間でこんなに考え方が変わるなんて。私は今までいいこと、いやなことなどは、プラス100、マイナス100と、かけ離れているものだと思っていた。しかし、今は硬貨の裏表をコロッとひっくり返すように考え方が変わってしまった。これほどどもりの仲間の中で話し、一緒に行動することがこんなに楽しいこととは夢にも思わなかった。これからもどもりに対する自分の考え方が、いろいろ変わっていくと思う。でも、今思う一瞬一瞬の気持ちを大切にしたいと思う。
 この大阪吃音教室からのどもりとしてのスタートは、私にとってもう少し早ければよかったと思うが、人生はいくらでもスタートをやり直せるので、新しくできた仲間と一緒にもう一度スタートをしたいと思う。あと、もちろん酒屋のおっちゃんに対する考え方も変わった。おっちゃんのように、大きな声でどもっても自分のことばを伝える、実にシンプルなこと、これが正解だったのだ。
 「どっ、どっ、どや! げっ、げっ、元気か!」
 今日も隣から元気で大きな声が響いてくる。おっちゃんの笑顔も目に浮かぶ。今は、この声が実に心地よい。

〈高橋徹さんのコメント〉
 文章が伸び伸びとしていて、読者に吃音の苦悩をわかりやすく明解に伝えている。このような作者の苦悩を書く文章は、つい重たくなってしまうが、この作品は淡々と読ませる。この作品のように、文章は内省力で自己の心の動きに細かな光を当てて書くことが大切である。文章の初めの数行と終わりの数行が、何らかの関係を持つように書くことで読者に強い印象を与える。今までの文学賞作品の中で、近所の親戚の人(おっちゃん)と自分を題材に書いた作品はなく、題材の面白さも光った。(「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/13

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