どもる人の豊かな内面の世界
『スタタリング・ナウ』NO.103(2003.3.21)には、2000年の吃音ショートコースに特別ゲストとしてきてくださった、映画監督・羽仁進さんの話を掲載しています。〈どもる人の内面の世界〉を豊かにしようという呼びかけは、いつも僕の心の中で響いています。羽仁進さんのそのことばを心の中で反芻しながら、僕は活動しています。
《羽仁進が語る》 どもる人の内面の世界
2000年の吃音ショートコースの特別ゲストとして来て下さった映像作家の羽仁進さん。羽仁さんとのおつきあいはとても古く、著書からも、またテレビで見るお姿からも大いに励まされました。吃音と人間関係というテーマでお話いただいたものの一部を紹介します。羽仁さんの提言、どもる人の内面の世界を広げよう、を味わっていただければと思います。全文は、もうすぐ発行予定の2000年の年報をお楽しみに。
羽仁進さんの承諾を得て掲載していますが、文責は「スタタリング・ナウ」編集部にあります。
言葉の広さ
ことばには社会の約束という面があるが、同時にそのことばにはその人でなければ、言えない感情があると思います。
志賀直哉という小説家が、「ナイルの水の一滴」という短い文章で、「自分の存在を人類の中で考えると、ナイルの水の一滴にすぎないが、何万年逆のぼっても、自分と同じ水は一滴もない。言い替えれば自分と同じ人間は絶対に生まれなかっただろうし、何万年後も生まれないだろう。一滴の水はかけがえのない水だ」と書いています。
一人の人間が生まれることは、かけがえのない何かがある。そのかけがえのない何かを社会的に通用するかけがえのあることばに僕達が工作しているので、ことばは現実よりも、もっと広い問題のような気がします。
例えば「愛」ということばは、子どもでも言えるようなことばだからと言わない人もいるし、簡単に言ってしまう人もいる。実に言いづらいことばです。ややユーモラスに考えれば、「愛」というようなことばを言う場合には、本当は人間が全部どもった方が誠実じゃないかというような気がします。
僕たちのように言語表現に多少障害のある者は、ちょうど魚が泳いでいる川に向って網を投げているようなものです。ある場合は、網を投げても魚が入っていない。ある場合には、自分の投げた網と泳いで来た魚とがぴったり一致して魚をとることができる。言いかえれば、自分の言おうとしたことばと感情とが出合った瞬間がある。こんなことをいろいろ考えると、僕たちどもる人間は、自然にことばを使える人に比べ、表現についてひっかかりながらも、考えることで、何か得ることがあるのではなかろうかという気がするのです。
「失敗は人間に何ももたらさないけれど、その失敗について苦悩すること、苦しみ悩むことは人間にとって業績だ」
これは、僕の好きなフランクルのことばで、業績とは何かもたらす成果のあった仕事という意味です。どもることで、ことばの表現について悩むことで、コミュニケーションに深く入っていける。コミュニケーションについて、我々のような言語障害のある者だけでなく、一般の人々が考えなくてはいけないのではないかと思っています。
どもる人全部が持っているかどうか分かりませんが、どもる人の内面について考えていきたいと思っています。少なくとも僕はそういうものを持っています。
僕の吃音
僕は、50代の初めくらいまではものすごくどもっていました。若い頃、あるテレビのシリーズが始まって2回目か3回目の時に、プロデューサーが、「とても安心しました。シリーズとしてやっていけることが分かりました」と言う。そんなこと分からないでシリーズを始めたのかと思ったら、そうじゃなくて、僕の吃音がどう受け止められるかということだった。番組へ手紙はいっぱいきたけれど、どもることに関して文句を言った手紙は1通か2通しかなかったから安心したと言う。「人がどもっちゃいけないのか!?」って、僕はとても驚きました。
また、30歳前の頃、ある雑誌社の講演会で、僕は作家の有吉佐和子さんと一緒になった。彼女は、「話はとってもおもしろかったけれど、あんなにもどもっちゃしょうがないわね」と言う。「勝手にしろ」とその時思ったんですが、人がどもることをこのように思う人がいるのかと、不思議な発見をしました。
親父はいつも小さいときから、僕のことを「どもり、どもり」「お前はどもりだから…」というようなことは言っていたけれど、僕の言うことを聞かなかった訳じゃない。親父は僕のどもりが嫌いかもしれないけど、それは親父の勝手で、すごくどもりながら、僕は自分の言いたいことは言ってきました。
それが、50代の後半から急にどもることが減ってきた。でも、どもってるじゃないかと言われるかもしれませんが、少なくとも僕自身はどもりが減ったような気がするんです。それはどうしてかを考えてみると、自分自身の後ろにある人間性が、「これでもいいんだ」と思うようになってきたからだと思います。どもりをなくそうとは全く考えなかったが、いつの間にかあまりどもらなくなったような気がするんです。
今よりもひどくどもっていた時代の僕が抱えていた人間性は、少数派の人間性だと思うんです。昔は特にそうでしょうが、人間が社会の一部で暮らすことが第一義だと考えると、少数派はやっぱり欠けているとみられます。社会の多数派が正常で、そうならなきゃいけないと子どもの頃に言われていた。僕は常に少数派で生きてきたように思います。その出発は小学校の入学試験です。
小学校の入学試験に落ちる
小学校の入学試験で落ちるのかと思う人がいるかも知れませんが、僕は小学校の入学試験に落ちました。正常な知能を持っているかどうか見るための試験で、僕は生まれて初めての試験に非常に興奮していました。
12月の寒い日だったと思うんですが、試験の部屋に僕が入ると、そこに座りなさいと試験官の先生が言い、助手の若い先生が、大小二つのキューピーの人形を持ってきました。そして、「この人形には違っているところがある。分かったら言いなさい」と質問しました。後で聞くと、「こっちが大きくてこっちが小さい」と言えばよかったらしいのですが、僕は試験は相当難しいものだと思っていたので、見れば分かるようなことが答えだとは思いもしません。目の丸さ、足の裏、頭のどこかが違うかと見たが、なかなか分からない。ふと先生の顔を見ると、「あれ?」と不審の色が見える。
僕は焦ってきて、冷や汗をかきながら、ハッと思ったのが、「製造マークか!」だった。よく探したがない。それでは中にあると思い、僕は「かなづちを持ってきて下さい」と言った。先生が変な顔をしたので、「これを壊してみます」と言ったら、先生たちは部屋から出ていき、ひとり教室に残された。やっと足音が聞こえてきたので、はりきってドアのとこまで駆け寄ったら、先生が、とても不機嫌な顔で「君はもう家へお帰んなさい」って言うんです。
翌日学校から、「お宅のお子さんは、知能を調べてみたら非常に低いです。残念ながらうちの学校では勉強は無理です」と言ってきた。ところが、僕が試験を受けた学校は、僕の祖父母が創立した学校の中の私立小学校でした。僕は祖父母から結構可愛がられていたので、まさかかわいい孫が、知能が低いとは思っていなかったのでしょう。祖父母や両親がすごく怒ったからということではなくて、学校の委員会みたいなのが、創立者の孫が頭が悪くて落ちるのはいかにもまずいと、僕は入学式の前日に補欠で入りました。
小学校の頃
物こころついた頃にはどもっていたことは確かです。
小学校で一番辛かったのは、野球です。僕が二塁手のときは、皆が二塁へ盗塁したくないと言いました。その頃どもりがうつるという迷信があって、僕が守っている二塁にいくとうつる可能性があると嫌がられたんです。
吃音だけが原因ではないでしょうが、僕はだんだんと集団に入れなくなりました。学校へ行くのが大嫌いで、「行ってきます」と家を出るのですが、学校の近くまで来ると、どうしても嫌になってしまう。途中にある雑木林の中で穴を掘り、鞄を埋めて遊んでいました。虫を見るのが好きで、かぶと虫が木に穴をあけて汁を吸っているところを、ぼんやり一時間位見ている。そうすると、「欠席届がないが、お休みですか」と先生が家に電話をかけてきます。母が行きましたと答えると、クラスの優等生たちが捜しにくる。たいがい雑木林にいるので、学校に連れて来られてしまう。
先生は、「どうして学校に来なかったか」と分かっているのに形式的に聞く。「お腹が痛くて来られなかった」と言うと、嘘をついたと考える。僕は今日も誰かが捜しに来るんじゃないかと、気にしながら、雑木林で座り込んでいるわけですから、お尻がだんだん冷えてくる。迎えが来る頃には、本当におなかが悪くなっている。先生が、「また、お前は嘘をついた」と言っているうちに、「便所へ行きたい」と言うものだから、先生は嘘の上塗りをして便所へ行こうとすると考えていたようです。
でも、実際は本当にお腹が痛かったのです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/05