私と『スタタリング・ナウ』(10)

 『スタタリング・ナウ』を購読してくださるようになるきっかけはさまざまです。言友会時代からのつきあいのある人、吃音相談会に参加された保護者、研修会や講演会などで出会ったことばの教室の担当者や言語聴覚士、何がきっかけだったか忘れてしまったけれど、長いおつきあいになっている人など、月に一度お送りするニュースレターが、縁をつなぎ続けてくれています。
 NHK Eテレ ハートネットTVのフクチッチで吃音が取り上げられ、「吃音者宣言」が紹介されたことは、放送の翌日に書きました。その後、番組のことを知っていて見たという人から、感想も届いています。元筑波大学副学長の石隈利紀さん、元生活の発見会会長の大谷鈴代さん、落語家の桂文福さん、三重県津市の小中高校時代の同級生に連絡をしてくれた分部紘一さんなどから見たよと連絡がありました。思いがけない近況報告になったようです。
 では、つづきを。

  『スタタリング・ナウ』は私のお守り
                        石井由美子 会社員(福岡県)

 「えっ、もう100号」早いですね。毎月送ってくるのが当たり前のようになっていて、改めて100号の重みを感じえずにはいられません。
 毎月送られてくる『スタタリング・ナウ』は、忙しい日常生活の中、仲間と吃音へ思いを馳せる大切な時間を作ってくれます。
 伊藤さんの巻頭言は『スタタリング・ナウ』の大黒柱。そして私に毎回課題を与えてくれます。吃音のセルフヘルプグループから日本吃音臨床研究会へと33年間、きょうだいのようにつきあっていただいていますが、今までの『スタタリング・ナウ』の中で《吃音ファミリー》が私には印象に残ります。
 私は7歳からどもりましたが、両親、先生、友人たちから何の隔たりもなく接してもらい、劣等感をあまり持たずに成長できたことはよかったと思います。
 でも一つ困ったことがありました。それは「かわいそうに」という同情でした。私自身もそれに甘えてしまい、何に対しても競争心を持たず、努力しなかったことを今になって反省しています。このようなことから子どもの頃からの接し方が大切になってくると常々思っています。どもる子どもの親・研究者・臨床家・教育現場の教師の方々は、その子にとっての本当の愛とはを考えていらっしゃると思います。何の障害に対しても同じだと思います。
 「どもる子どもの悩みに寄り添い、うれしいことがあれば皆で喜ぶ。この姿はまさに家族そのものだ。この吃音ファミリーは、どもる人やどもる子どもだけのユートピアでなく、ひとり立ちするための母港だと言える。時には厳しく接するし、吃音でない多くの人が出入りする開かれたファミリーだ」(1997.12.20号)
 私の好きな文章です。ひとり立ちのための母港、母港と言う言葉に大きな愛を感じます。そして安心して旅立てるのです。受け止めてくれる大きなファミリー。
 毎回の情報に自分の生活の悩みと照らし合わせ問題点を引き出して、いかに自分らしく生きていけるか問答する毎日です。生きづらくなっていく現代、心のよりどころとして、お守りのように通勤のバッグに入れています。まだまだどもる人の受け皿として200号、300号と続くことを願っています。

【長いおつき合いになりました。吃音ショートコースの常連です。北九州での相談会を、北九州市立障害福祉センターの方と一緒に企画・実行して下さいました】

  込められた”想い”
                         内田智恵 主婦(神奈川県)
 普段の生活の中で、言葉を一言も話さない日は、まずあり得ません。結婚して、子どももいる今、人前で話すことや、苦手な電話をかける機会も増えました。
 以前と比べれば、どもることを受け入れられるようになってはいるものの、思うように話せないことを恥ずかしく思ったり、どもりたくない、どもらないで話すことができたらどんなにいいか…などと感じることも確かです。言葉に詰まったり、言いたいことが伝えられない時などは落ち込んでしまうことも多く、吃音をマイナスにとらえがちになるのですが、毎月送られてくる『スタタリング・ナウ』が届いたその日は、心が元気になって、マイナス思考も吹き飛んでしまいます。
 吃音という共通のキーワードを通して、様々な人たちの生き方や考え方に触れることのできる『スタタリング・ナウ』を読んでいる時間は、私にとって、かけがえのない大切な時間となっています。もし、私が吃音でなかったら、人生や物事に対して、これほどまでに深く考えることはなかったかもしれないと思うと、吃音が貴重なものにさえ思えることがあります。
 以前、『スタタリング・ナウ』に掲載された体験談を読んで、非常に共感し、私自身の体験や気持ちを書いて日本吃音臨床研究会に送りました。勢いに任せてペンをとり、それまでは決して他の人に語ったことのない、自分と吃音とのかかわりを書いたものが、思いがけず『スタタリング・ナウ』に掲載され、びっくりしたことがありました。でもそれはいい意味での驚きで、今まで隠したり、逃げていた吃音を、前向きに考えることができるようになり、吃音をオープンにすることに抵抗がなくなった大きなできごととなりました。
 自分の吃音を語る時、その『スタタリング・ナウ』を相手の人に読んでもらうこともあります。相手の反応は様々ですが、たいていの人は、私の状態や考えを分かってくれ、吃音への理解も深めてくれているようです。吃音と向き合い、自分を素直に語れるようになったことで、新たな出会いが生まれ、いろいろな経験ができたことは『スタタリング・ナウ』のおかげです。
 毎月届く『スタタリング・ナウ』が、時には背中を”ポン”と押してくれ、大勢の方のたくさんの文字や言葉で綴られた吃音に対する”想い”が、私にパワーを与えてくれます。号数が進むにつれて、私と吃音との関係もより豊かなものとなるように、これからも愛読していきたいと思っています。

【直接お会いしたのは、横浜での相談会の1回のみ、でもこれだけ深いつながりができています。お寄せ下さった体験談は、『スタタリング・ナウ』81号に掲載しています】

  ふり返れば
                丹佳子 西条市市役所教育委員会(愛媛県)
 私がどもり始めたのは、小学校6年生か中学校1年生くらいの時でした。それまでは、国語の本読みでもきちんと抑揚をつけ、すらすらと読むことができていました。なので、どもり始めたときは、きっとすぐもとのようになれる、すぐ治るから気にする必要はないと思っていました。でも、治らず、だんだんひどくなってきました。授業中わかったと思って手を上げ、指名されたとき、答えの最初の音が出ず、テレ笑いして「忘れました」としか言えないことが増えていきました。先生たちの中には、ゆっくり言ってもいいよといって下さる方もいましたが、私がふざけていると思って授業の最後まで立ってなさいと言った方もいました。そんなことが重なって、だんだん話すことがいやで落ち込むことが多くなりました。
 でもどもることで落ち込んでいることは、周りには悟られたくなくて、どもりがでてもテレ笑いしてごまかし、ぜんぜん気にしてないのよという態度をとっていました。それにどもりには波があるようで、どもらない時期には全然どもらず、そんなときはどもりのことは忘れていました。しかし、再びどもりの時期がくるとやっぱりどもりました。そして、お前はどもりなのだ、これが本当のお前なのだ、どんなに飾ってもこの醜い姿がお前の本当の姿なのだと言われているような気がしました。
 試験でよい点をとったり、いいことがあったりしてうきうきしているときでも、しゃべるときにどもりが出ると落ち込んでその度に、その声が、「ほ~ら、いい気になってるから、何思い上がっているの」と言っているような気がしました。そして私はいろんなことに対するやる気をすっかり失ってしまいました。小さいころから、あこがれていた語学の勉強もする気がなくなり、将来は安定しているから公務員にでもなればいいやと、地元の国立大学の法科にすすみました。
 大学の4年間は、とにかくしゃべることから逃げた日々でした。何かの代表で話さないといけないときも、私はどもりがあるからと替わってもらいました。ゼミの発表のときは、とにかくどもらないようにどもらないようにとレジメに書いてあることだけ読むようにしていました。周りの人がしていたように、レジメは要点だけをかき、発表するときにそれを肉付けしながらアドリブを入れて話すなんて芸当は全然できませんでした。そして、文系なのに話す訓練のされていない、どもるたびに固まってしまう、プライドだけは高いくせになんの資格もない、そしてどうみても暗~い女の子は、就職活動での面接試験にことごとく落ちました。
 そのあと職業訓練センターに少し通い、母の知り合いの会社に技術職で採用してもらいました。そこでは仕事もいろいろ教えていただき、技術面ではいっぱしの社会人に育てていただきました。でも電話にはいつも苦労しました。例えば、自分の会社名が言えない、次に相手の名前が聞き取れなかったとき聞き返せないなどです。家の電話で練習していって、うまくいっても、会社ではできませんでした。誰でも簡単にできることが自分だけできないのはすごく恥ずかしくて、電話があまりかかってこないようにといつも思っていました。そして、不景気のあおりで仕事が減っていき、電話も減ってきていたある日リストラになってしまいました。
 でもこの会社にいる間にスラスラしゃべっても中身の薄い人や、ぽつりぽつりしか話さないけれど重みのある言葉を持っている人をみることができました。そして、ぽつりぽつりとしか話さない人にもきちんと固定のお客さんがついていたのをみて、スラスラ話すことだけが能ではないのだな、大事なのは中身があることと誠実さと真心なのだと実感することができました。
 現在はなんとか地元の市役所に勤めることができるようになり、仕事の傍ら、ことばの教室のボランティアや手話サークルに参加し、言葉や表現を考える日々が続いています。
 今年の夏に、『スタタリング・ナウ』に出会い、臨床家のための吃音講習会に出席し、日本吃音臨床研究会の存在を知り、吃音ショートコースにも参加し、その中のいろいろな人に出会えて、以前はどもりについては、心の中では泣きながら表面だけ笑って、しょうがないことなのだとあきらめて受け入れていたのが、今はどもってもいいや、いっぱい言い換えしてもいいや、それでいいんだと思えるようにもなってきました。
 どもりに悩んで自己否定しても死にきれなかった日々、死ねないなら血を絶つために子どもなんかいらないと思った日々。ウチは先祖代々、戦国時代からのどもりの家系らしく、地元にどもり神社として歴史に残っています。それでも生き抜くために語彙力を増やし、言い換えや言い回しを工夫した日々、そしてまだ迷いつづけている人生。今後また生きている限り日々は続くし、つらいこともいろいろあるとは思いますが、どもってもいいやと生きていけそうです。

【吃音ショートコースの報告で紹介した、祖先は戦国時代の武将、丹民部守清光(たんみんぶのかみきよみつ)。どもって即座に声が出なかったために、敵と間違えられて討ち死にし、塚が建てられました。四国の西条市で「民部さん」と呼ばれて人々の信仰が厚く、吃音の神様、足の神様として全国にも知られるようになりました。”由緒あるどもり”の人。講習会、吃音ショートコースとお会いするごとに表情が明るくなっていかれるように思います】
 。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/01

Follow me!