『スタタリング・ナウ』100号雑感

 毎月、月の初めの1週間は、「スタタリング・ナウ」の編集に追われます。巻頭言は、毎号、その号の記事にできるだけ合わせて書くようにしています。伝えたいことは同じですが、導入をどうするか、どんなエピソードをもってくるか、字数の制限のある中、苦労しながら、入稿ぎりぎりまで粘っています。最終的には声に出して読み上げ、よし、これでいこう!と入稿しているのです。読者はきっと気づくことはないだろうなあと思うような細かいところにこだわって編集しています。
 今日は、2002年12月21日発行の「スタタリング・ナウ」NO.100号の巻頭言を紹介します。
 1994年、不安な旅立ちから、ようやく100号に達したことに安堵し、感慨深い思いで編集したことを思い出します。多くの方に支えられていることを実感できたときでもありました。
今、2024年の1月号の編集中です。今月号は、NO.352。100号から20年以上経ちました。長く続けてきたなあと思います。では、「スタタリング・ナウ」 2002.12.21 NO.100 の巻頭言、〈100号雑感〉を紹介します。

   100号雑感
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 100号まできた。1994年、私を支えて下さった大阪、神戸の信頼するどもる仲間と、吃音研究者、臨床家のみなさんと一緒に、これまでの言友会の縁を断ち切って、日本吃音臨床研究会を設立した。
 それは、愚かな私自身への反省の中で、後悔と懺悔との入り交じった複雑な思いに満ちた、私の厳しい、寂しい、苦渋の選択でもあった。
 1965年、11人の仲間と設立し、30年近くにわたって、どもる人のセルフヘルプグループ言友会活動の先頭に立ち続けた私が、それと決別し、違う道を選択した時、これまでとは全く違う活動を展開したかった。だから、日本吃音臨床研究会という、固い印象を与えるが、活動をそのままに志向する名称とした。したがって、日本吃音臨床研究会は、セルフヘルプの思想は色濃いが、純粋な意味でのセルフヘルプグループではない。セルフヘルプグループとしての活動は、共に活動する、大阪スタタリングプロジェクトと、神戸スタタリングプロジェクトが担ってくれている。
 このような、セルフヘルプグループとは一線を画した活動が果たして続いていくものなのか、どう動いていくのか、不安に満ちた旅立ちでもあった。
 その不安と予想をはるかに越えて、活動は展開していった。前のグループから引き続いて購読者になって下さったのは80名。それが、研究会になったことと、年報を加えたことで、日本吃音臨床研究会の会員になって下さる人が飛躍的に増え、『スタタリング・ナウ』は現在500名を越える読者を得た。大阪、神戸のどもる人のセルフヘルプグループに所属する人たちを加えると、700名の人たちが『スタタリング・ナウ』を読んで下さっていることになる。
 吃音親子サマーキャンプも、50人ほどの参加で続けていたのが、100名を越えるようになり、ここ3年は150名近くが全国から参加する。数の多さを誇る気持ちはないが、寂しい、孤独の旅立ちだっただけに、多くの人々と共に吃音について考え、行動できることが、とてもありがたくうれしい。
 この広がりは、吃音研究者やことばの教室などの臨床家の多くの方々が、私たちの活動に共感し、『スタタリング・ナウ』や『吃音親子サマーキャンプ』を周りの人々に紹介して下さったからだ。新聞、雑誌、テレビ、ラジオで私たちの活動が紹介され、さらには3冊の吃音の本が出版された。これらマスメディアが取り上げて下さったことも大きかった。
 また、どもる子どもやどもる人本人や親が、吃音と上手につきあうことの意義を理解し、行動し、どんどん変わっていった。私たちの主張は間違っていないという確信がもて、吃音と向き合う考えも行動も、深まっていった。それは吃音ショートコースのテーマに現れ、さらにそれが年報という果実になり、私たちの大きな財産となった。
 100号記念のメッセージも多くの人が寄せて下さった。多くの人との出会いや、支えがなければ、ここまで活動は続かなかった。これまで出会ってきた多くの人々に心から感謝致します。

 「吃音を治す」「吃音克服」「吃音とつきあう」と、私の吃音との向き合い方だけでなく、表現の仕方も大きく変化していった。吃音克服には力でねじ伏せる感じに違和感をもち始め、早くから使わなくなった。吃音は個性だと今はまだ言い切ることもできず、最近は吃音受容にも抵抗を感じるようになった。初めに個性や受容があるわけではなく、そう考え、そう言えるのは、あくまでその人の生きた結果のことなのだと思い始めたのだ。
 このようにことばに敏感になってくるのはいいことなのだろうか?周りの人に誤解を与えるだけではないのかという恐れはある。しかし、変わっていく私自身は嫌いではない。あのとき、こう言っていたではないかと言われたら、スミマセンと言う他はない。ことばは変わっても本質はあまり変わっていない。躊躇なく言えるのは、「吃音と自分を否定しないこと」「どもる事実を認めること」である。
 吃音を否定することで、どもることを隠し、話すことをできるだけ避けてきた。自分を否定した人生がどれほど危うく、辛いことか。失うものがどれほど多いか。自らの人生で身に染み、また同じような体験をもつ人とたくさん出会ってきたからだ。
 吃音の原因は未だに解明されず、治療法も開発されていない現在、吃音を否定せず、吃音をマイナスのものとだけ考えずに、そこに意味を見い出そうと考える人たちがいてもいいだろうと思う。(「スタタリング・ナウ」 2002.12.21 NO.100)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/05

Follow me!