障害を生きる

 吃音の夏、吃音の秋が終わり、いい時間を過ごしたこと、ありがたく思っています。
 さて、このブログ、イベントが重なり、過去の「スタタリング・ナウ」を紹介していくブログのひとつの流れが、7月以来、ストップしていました。戻ります。
 今日は、「スタタリング・ナウ」の 2002.6.15 NO.94 の巻頭言です。タイトルは、〈障害を生きる〉、大阪セルフヘルプ支援センターで共に活動をしていた、河辺美智子さんの体験が、この後に続きます。吃音に悩みながら、治したいと願いながら、何ひとつ努力をしてこなかった私と、河辺さんとの違いは何だろうとの自分自身への問いかけは、今も続いています。河辺さんの体験を紹介できる喜びを感じます。随分会っていませんが、今、どうしておられるのでしょうか。

障害を生きる
          日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 命にもかかわるような大きな病気を3度も経験し、病気の後遺症で脳に損傷を受け、記憶を失い、ことばも失う。他者の世話を受けなければ、退院できないという中で、一度は絶望し死を決意する。その中から、再び生きる意欲を取り戻し、ことばを取り戻すために、国語辞典で一語一語ことばを覚え、実物と百科辞典をひとつひとつ確認し、絵に描いてことばを獲得していく作業は、大変なことだっただろう。
 河辺美智子さんの体験は、状況は違っても、ことばに悩むどもる人や、言語障害の臨床に携わる人々に大きな示唆を与えてくれるだろう。自らの人生を振り返りつつ、河辺さんの生きる力について考えた。
 先だって、ある同じ市で時を同じくして、吃音に悩む人の相談会と、言語聴覚士養成の専門学校での講義をする経験した。その中で、直接はふれなかったものの、河辺さんの体験は常に頭をよぎっていた。吃音を治したいと、治ることをあきらめられない人々と、臨床家の使命として、治さなければならないと考える人達と出会ったからだ。
 最近私は、これまでほとんど使わなかった、「あきらめる」ということばを誤解を恐れずによく使うようになった。吃音の症状を自分の力で治したり、コントロールすることは極めて難しいから、「あきらめて」、ただ、日常生活を丁寧に、誠実に生きよう。具体的に自分のできることから行動しようとの呼びかけだ。しかし、相談会に来られた吃音に悩む多くの人々は、治ることを「あきらめ」られないと言う。あきらめられないと言うのなら、治す努力をしていますか?と、問答が続く。ほとんどの人が何もしていないと答えた。ひとりだけが、本を声を出して読んでいますと言った。
 一方、臨床家の卵の専門学校の学生は、そのように吃音に悩む人々と向き合うと、やはり専門職として治してあげたいと思うと言う。そして、「治そうとすることなしに、治らないとあきらめ、それを受け入れることなどできるだろうか?」と、疑問を投げかけてきた。まずは吃音を治そうと互いに努力すべきだと言う。
 これは、これまでも延々と繰り返されてきた論議だが、答えは簡単なのだ。納得のいくまで治す努力してからでないと、あきらめられないのなら、私たちの失敗の経験が全く生かされないのは誠に残念だが、実際に納得いくまで、とことん治す努力をしてみればいいのだ。しかし、なぜ、それができないのだろうか。ここに吃音治療の難しさがある。
 私は、小学校2年の秋から吃音に悩み始めたが、常に吃音を治したいと思っていた。吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げ、不本意な、学童期、思春期を過ごした。治したい、治そうと思いつめながら、結局私が吃音を治すために努力したのは、やっと21歳の夏からの30日だけだった。ほとんどの年月を、具体的な努力をしないで、ただ、治したい、治るはずだ、との思いだけで過ごしたことになる。私の知る限り、吃音を治したいと願う人の多くは、ただ思うだけで、実際の真剣な努力はしない。民間の吃音矯正所や、催眠療法や、治ると宣伝するところに、ちょっと参加してみるだけのことが多い。自らの力で治すではなく、治してくれる所を探しているにすぎないのだ。
 河辺さんのように、言語聴覚士の言語治療を拒否し、自らの力で、このように意欲をもって懸命の努力をしている人に、私は会ったことがない。この意欲は、自分は何もできないことを受け入れることから出発しているのも興味深い。この意欲、努力と、私を含めてどもる人のことばに対する意欲、努力とはどう違うのだろうか。それは、命と向き合っているかどうかの違いではないだろうか。どもることは恥ずかしいと思う人も、その恥ずかしさに耐えれば、生活できる。さらに、吃音を隠し、話すことから逃げていれば、恥ずかしさ、悩むことからも一時的だが逃れることができる。
 心臓病とつき合いながら、苦しい生活を続けるのとは、質的に違うのだろう。河辺さんの、この心臓病とのつき合いが、絶望してもおかしくない状況で、ことばを再学習しようという、ヘルペス脳炎の後遺症とのつきあい、乳癌とのつきあいにも生かされたのだろう。
 自分が自分の病気の主人公だという考え方の徹底ぶりにも、治療に対する自己決定の力にも驚かされる。出産か死かの瀬戸際の選択の中で、心臓の手術を拒否し続け、そのことで起こる苦しさは自らが引き受ける。そして、手術を受けることも自ら決断する。言語治療も専門家の治療を拒否し、自らの力を信じて、血の滲むような地道な努力で、ことばを獲得していく。
 吃音を治したいと思いながら、自分では何も努力をしないで、21歳まで苦しんで来た私との違いを思った。河辺さんの体験に私たちが学ぶものは多い。(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/08

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