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東京吃音ワークショップとは

 「吃音を治すことにこだわらず、吃音と共に豊かに生きていくことを目指そう」と、大阪を基盤に活動している日本吃音臨床研究会の伊藤伸二とその仲間と一緒に、吃音の問題について考え、話し合い、吃音との上手なつきあい方を探る関東地方での吃音ワークショップです。


 内容は参加者の要望によって組み立てますが、次のようなことが考えられます。

◇吃音を生きる、論理療法、交流分析、認知行動療法、アサーティヴ・トレーニング、健康生成論、レジリエンスなどについて
◇吃音で苦戦している問題についての具体的対処
◇どもって声が出ないときの対処・サバイバル
◇吃音を治す言語訓練に代わる、日本語の発音・発声のレッスン
◇今、困っていること、悩んでいることの課題を明らかにし、展望を探る、公開面接<対話>
◇当事者研究の手法を用い、やりとりをしながら、今後の対処を明らかにする





日本吃音臨床研究会は、東京吃音ワークショップ(吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップ in 東京)を、これまで開催して来ました。
・2023.01.09(月) 第10回
・2022.01.10(月) 第9回
・2020.01.13(月) 第8回
・2019.01.14(月) 第7回
・2018.02.12(月) 第6回
・2017.01.08(日) 第5回
・2016.01.10(日) 第4回
・2015.01.11(日) 第3回
・2014.01.12(日) 第2回
・2013.01.13(日) 第1回
※時刻はいずれも 10:00~17:00
※会場は東京都北区の北とぴあ(ほくとぴあ)


以下、伊藤伸二ブログに掲載された記事から、東京吃音ワークショップの情報をまとめました。



☆同ブログ 2020年01月23日「いい聞き手がいるところで、人は語ることができる」記事

 吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップの名前のとおり、しっかり真剣に自分と、吃音と向き合った1日ワークショップでした。参加者は17名、全国各地からの参加でした。

 和やかで、温かい雰囲気の中で、どの人も率直に自分を語って下さいました。うなずいたり、笑ったり、拍手が自然と起こったり、そこには共感の輪が広がっているようでした。初めて参加した人も、たくさん語って下さいました。それは同時に、参加している人たちが、真剣に話に耳を傾けるいい聞き手であったことを表しています。いい聞き手がいるところで、人は語れるのです。



☆同ブログ 2019年01月22日「対話する仲間のいることの幸せ 語っても語っても尽きることない吃音の話」記事

 この記事には、2019年01月12日から翌日までの活動仲間の合宿と、同年01月14日の10時から17時まで開催された東京吃音ワークショップでのエピソードが紹介されています。この回の東京吃音ワークショップには、ホームページの案内を見た人や、吃音でないのに伊藤伸二と石隈利紀さんの共著『やわらかに生きる-論理療法と吃音に学ぶ』(2005年5月、金子書房)を読んでつながった人など、15人が参加しました。

 参加した活動仲間の感想を紹介します。「東京ワークショップでは、中学生も含めて参加者の真剣な語りを伊藤さんがどんなふうに聞いて、そして語りかけていくのか。対話の大切さを改めて確かめるとともに、自分にとっては、とにかく刺激いっぱいの時間でした。場の力も感じることができました」



☆同ブログ 2017年01月29日「どもりそうな時、どんな手を使っても話す」記事

 2017.01.08(日)開催の第5回東京吃音ワークショップ。

 この回は、半年前くらいに問い合わせが届き、日本吃音臨床研究会機関紙『スタタリング・ナウ』の定期購読をして下さっている公認会計士の男性Aさんのほか、吃音をめぐって様々な背景を持つ人たちが参加し、どもる人の人生が語られる温かく深い雰囲気の中で進行しました。


 このワークショップで出た多くの話題の中、Aさんと伊藤伸二の対話を紹介します。Aさんは、伊藤の「吃音とともに豊かに生きる」と主張する書籍をかなり読んでいて、吃音は治らないだろうし、治せないだろう、吃音を受け入れて生きていこう、そう心に決めたものの、時に、そうできない自分に気づき、悩み、生きづらさを感じていました。


A 職場で仲間が聞いている中で電話をしないといけないことが多いと思った瞬間から、電話のことばかり考えてしまって、電話への不安から能率が悪くなる。<中略>

 「治す」と「治さない」があったら、僕は、「治さない」の方だとは思っている。でも、吃音を受け入れようとしている僕が、どもらないようにと、言い換えをすると、後ろめたい気持ちになる。言いたいことを、どもって言えるようになるのが、僕の考えるゴールなんですが。


伊藤 ゴールの設定がまずいな。言い換えてしまった自分に後ろめたさを持つのはやめましょう。<中略>

 今、僕はこうしてしゃべっているけれど、いっぱい言い換えをしている。その言い換えは子どものころからしているので巧妙で、無意識になっている。言い換えをしたという意識すらない。言い換えは、どもる僕たちの生きていくためのサバイバルと考えよう。<後略>


<中略>


A 治すか、受け入れてどんなにどもっても言っていくのふたつの選択肢を持っていなかった。

伊藤 どもる子どもたちにも必ず複数の選択肢をもつようにと言っている。吃音以外のことでも、選択肢の幅を広げられたらいい。生きやすくなる。

A どもれるようになろう、に結論を置いていた。でも、そうではなくて、なんとかことばが出るようにいろいろな手を使って、サバイバルして、どうしても出ないときは、どもって言う覚悟を決めましょうということですね。

伊藤 そう。相手に伝えるということを一番大事に考えたら、何でもあり。大事にしたいのは、人と人との関係。ギリギリまで悪あがきをしたらいい。そして、最後はどもるに任せる。<後略>



☆同ブログ 2016年01月19日「豊かな吃音の世界だから、3日間の吃音談義が楽しい」記事

 この記事には、2016年01月10日(日)に開催された東京吃音ワークショップと、その前後に行われた活動仲間の合宿でのエピソードが紹介されています。

 この年の東京吃音ワークショップでは初めての試みとして、希望者と伊藤伸二が1対1で公開面接をしました。そのうちのひとり、ワークショップ直前に参加を決めた男子中学生R君の話を紹介します。


 どもることに抵抗のあるR君は、どもらずに言えると確信できるまで、ことばを発しません。彼の口から出ることばはどもっていませんが、彼の心の中では出たがっていることばが思うように外に出ず、確かにどもっているという思いでいるのでしょう。ぽつりぽつりと語るR君の話は、思春期に入り、悩みも大きくなってきたのだろうと思わせるものでした。

 彼との公開面接は、気づくと60分たっていました。ぽつりぽつりと語り、質問を繰り返していったのですが、不思議と長いと感じませんでした。周りで聞いていた人も、集中してそれを聞いて支えていました。

 自分を語るときの重みを思いました。軽い、薄っぺらなことばが飛び交うことの多い現代にあって、どもる人のどもることばは、リアリティをもって伝わってきます。どもる人のどもることばは、それだけで、相手に届く力をもっているのだと思います。



☆同ブログ 2015年01月18日「吃音(どもり)を認めることは難しくない」記事

 2015年01月11日(日)に開催された東京吃音ワークショップには、関東地方の人を中心に、大阪や鹿児島・沖永良部島からも参加。この年は初めて、中学生・高校生が保護者とともに参加しました。その時の話題をひとつ紹介します。

 52歳の女性の参加者から、「私は吃音である自分をなかなか受け入れられない。これまで治す努力をしてきたけれども治らない、受け入れたいとは思うが難しい。伊藤さんはどうして21歳の時にどもる自分を認められたのか」と質問を受けました。

 「どうしたら、吃音を認められ、受け入れることができるか。そうできないから、ついどもらないようにごまかして、どもりを隠そうとしてしまう」


 そこで僕(伊藤伸二)は、ワークシヨップの参加者全員にかんがえてもらうことにしました。どもりを受け入れないことで起こるメリットとデメリットについてです。

<中略>

 吃音を否定し、吃音を認められない人は、吃音を否定してもそれなりの人生を歩むことができている人です。僕のように、吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げていたら、東京で生活費も、学費も全て自分で稼がなくてはならなかった、貧乏な学生の僕には生きていくことができなかったのです。ことばを代えれば「吃音を認めなくても、否定しても生きていくことができれば、何も「吃音を受け入れる」必要はないと僕は思います。



☆同ブログ 2013年01月23日「東京吃音ワークシヨップ5 人それぞれの体験」記事

☆同ブログ 2013年01月22日「東京吃音ワークシヨップ4 ホームページで吃音親子サマーキャンプの報告」記事  ※東京WS報告連載途中にある、別の話題の記事です。

☆同ブログ 2013年01月21日「東京吃音ワークショップ3 どもる教師が卒業式を無事に終えた体験」記事

☆同ブログ 2013年01月20日「東京吃音ワークショップ2 卒業式で名前が言えない吃音の教師の悩み」記事

☆同ブログ 2013年01月19日「東京吃音ワークショップ1 吃音の深い世界に共感」記事

 2013年01月13日(日)に東京吃音ワークショップを行いました。関東地方の人を中心に、遠く、佐賀県、新潟県などから、どもる当事者が8人、ことばの教室の担当者やスピーチセラピストなど臨床家が6人、伊藤伸二と溝口稚佳子の計16人のワークシヨップになりました。初めに伊藤が簡単に自己紹介し、その後、ぐるっと回って全員の自己紹介が終わったのが、1時間後でした。ゆったりとした時間の中で、自分を語り、他者の語りを聞くという、このワークショップの基本的な姿勢そのままのオープニングとなりました。

 このワークショップに参加しての感想のいくつかを紹介します。


・期待半分、不安半分で参加したが、いい話を聞けてよかった。今から自分を変えていけそうな気がする。

・どもりながらも今までいろいろなことを乗り越えてきた自分を信じていきたいと思う。吃音に悩んできたからこそ、相手の弱い点を考えるゆとりも持てたのかなと思った。どもりの短所だけでなく、長所も考えていきたい。

・皆さんの話を聞いて、どもる人の悩みの深さに気づいた。その上で、多くの人がいろんな悩みがあるように、吃音も、人間の悩みのひとつとしてとらえてもいいんじゃないかとも思った。

・今まで、自分がしゃべれることばだけを選んでしゃべってきた。今日は、自分のことばで自分のことを言うことができるようになってよかった。これからはそうしていきたい。

・自分がこれまで大事にしてきたことは、間違ってなかったと思った。

・当事者だけでなく、ことばの教室の担当者や言語聴覚士なども参加してくれて、同じように考えてくれる人がいるのはうれしい。これからもどんどん広がっていってほしい。

・改めて吃音のテーマは、どう生きるかということに直結している、深いものだと思った。去年はいろいろあってブレたけれど、今日からまたブレずに生きていこうと思う。どもりでなかったら、こんなにいろんなことを学ぶ機会はなかったと思う。どもることが社会貢献になるとの話を聞いて、また、明後日からたっぷりどもって社会貢献をしようと思う。

・ずいぶん前に伊藤さんに初めて会ったとき、まっすぐな人だなと思ったが、今も変わらないのがうれしい。それから何年も経って、私自身いろいろなことがあったが、話題になていた、HELPを出すのがうまくなったなあと思う。

・あっという間の8時間だった。これまで幼稚園や小学生、その親たちと話すことはあるが、成人のどもる人と会うことは少なかった。今回は、真摯に自分と向き合ったなあと思う。

・佐賀県から来てよかった。教師として、ひとりの人間として、生き様を伝えることができたらいいなあと思う。これからも、多少ぶれることはあるかもしれないけれど、ひとつのふんぎりがついた。

・ドキドキしながら参加した。私自身はどもることはないけれど、ちゃんとしなきゃいけないと思ってしまうところがある。今日、論理療法の話を聞いて、みんなで考えて、楽になった。ことばの教室で出会うどもる子ども、そして私のどもる子ども、両方とも、一緒に考えながらすすんでいけたらいいなあと思う。

・教師なので、こうしなければならないという思いが強かった。失敗してもいいよ、とどもりながら一生懸命伝えることが大事かなと思った。

・来て良かったと思います。どもっていて、何ができるのかと思っていたけれど、どもりながら生きている、そのことが社会貢献だと聞いて、そうかと思った。自分がだめになる前にHELP(助け)を出すことの大切さも学んだ。

・「どもるくらいたいしたことない」ではないと軽くうけとめるのではなく、深く悩む人のことを知りながら、それでも、「どっていても大丈夫」というよき理解者になりたい。