どもる世界の著名人 -国内編-
» 秋野 暢子(あきの ようこ)
女優。小学校のころ吃音がひどく、返事ができず、学校ではいつも泣かされひどく消極的で暗い子だった。小学校5年の担任が大きな影響を与える。引っ込み思案な少女を学芸会の舞台に引っ張り出し、その時の一言のセリフが、人前でスムーズに声が出た初めての体験。他者を演じる劇の中なら自己表現できると演劇の世界を薦めたのもこの担任。
» 井上 ひさし(いのうえ ひさし)
直木賞作家。仙台から上京し、方言を笑われからかわれたことでどもるようになる。「ひょっこりひょうたん島」の原作が話題となる。吃音矯正学校のドタバタを描いた喜劇「日本人のへそ」は、吃音の体験がなければ描けない戯曲となっている。平和運動にも積極的にかかわった。
» 江崎 玲於奈(えざき れおな)
ノーベル物理学賞受賞者。子どものころ、ひどくどもっているのを母親が心配したとの手記が残っている。学校生活でコミュニケーションができないことが苦痛で、自分の中に引きこもりがちだった。あまり人と話さなくてもよいサイエンスの研究に適した人間だと子どものころから思っていた。吃音は、ノーベル賞にプラスに働いたかもしれないと言う。
» 扇谷 正造
評論家であり、週間朝日編集長。中学に入って、友だちのまねをしたためか、吃り始める。子どものころから早口だったが、徳川夢声の影響を受け、話に間を置き、ゆっくりしゃべることを心がける一方、編集長として、取材や様々な会でスピーチをする場数を踏んでいるうちに、早口がなくなり、気がついたら、あまり吃らなくなった。
» 大江 健三郎
日本を代表する小説家。吃音に悩みながら、誠実な人柄がその友人たちの証言によって紹介されている。原爆の「ヒロシマ」にこだわり、世界の平和を訴える活動家でもある。日本で2人目のノーベル文学賞受賞者。
» 小倉 智昭
ドモ金、ドモ金とからかわれた少年が、家族中に反対されながら吃音を治すためにアナウンサーになろうと決意する。現在フジテレビ「とくダネ!」のメインキャスター。テレビの前では吃らないが、普段は吃り、どもりは治らないと、自分を「吃音キャスター」と言っている。
» 尾崎 士郎
女性にやさしい。作家・宇野千代など女性から愛され、「若い人」の作品で知られる作家、石坂洋次郎から、「お前のどもりがうらやましい」と言われる。代表作「人生劇場」は、たびたび映画化されている。
» 桂 文福
会社に就職するも、当時ブームだった落語を生で聞きに行ったことをきっかけに、その熱気に押されて、人前でしゃべることができればいいと、落語の世界に入る。個性を尊重する師匠のおかげで、独自の落語の世界を作り出す。正当な古典落語よりも、相撲甚句、河内音頭などを活かしたオリジナルな落語家人生を選ぶ。劣等感を持つ人を弟子として受け入れ育てている。
» 神近 市子
当時少なかった女性国会議員。子どものころは吃るが、女学校がキリスト教の学校であったため、英語では吃ることがあまりなかった。弁舌が大事な国会議員になり、発生よりも言おうとする内容にエネルギーを使う。言おうとすることにはっきりとした新年を持つことが必要だと言う。
» 姜 尚中
『悩む力』が大ベストセラーになった政治学者。中学に入った頃から、吃音で語頭の母音が言えずに国語の音読が一番苦手だった。吃るので、自分が話す前に、他人の話をじっくり聞かざるを得ない修正が身についたとして、対話力とは聴く力だという。「朝まで生テレビ」などの討論番組などで、他の人とは全く違うソフトな語り口が人気。
» 喜早 哲
下駄さんの愛称で知られるバリトン歌手。小学時代、吃音に苦しみ、特に人前ではあせってコトバが出なかった。母親がとても心配し、発声練習、早口ことばのレッスンでそれが終わらないと寝かせてもらえなかった。コーラスグループのダークダックスを結成。
» 木の実 ナナ
名前が言えず、音読の指名が怖くて、うつむいて授業を受けていた少女が芸能界に入り、女優として映画に舞台に活躍。渥美清の「フーテンの寅」出演の時「おにいちゃん」のセリフが言えず2日撮影がストップ。いまでは「どもりでよかった」とさえ言う。
» 金 鶴泳
当時差別の強かった「在日韓国人」であることよりも、「吃音」のほうが苦しかったと言う。吃音を治すために毎日発声練習する様子が日記に綴られている。しかし、治らずに悩みを深めるが、小説「凍える口」で吃音の苦悩を書いたことで、吃音の悩みから解放される。芥川賞候補に何度も選ばれた気鋭の作家だったが、若くして亡くなる。
» 小島 信夫
吃音に深く悩み、中学校の卒業式にも出ないで大阪の吃音学院に吃音を直しに行き、その時の体験をもとに20年後、「吃音学院」の小説を書く。実力派の小説家。
» 三遊亭 円歌
元落語協会会長。国鉄の駅員時代、「新大久保」の駅名が言えずに、会社を辞め、先代円歌の弟子入りをする。「吃音でも落語家になれますか」に、師匠が「おおおおれもどもりだ」と吃りながら言った話は有名。吃音のため、古典では勝負せず、新作に活路を見出し、吃音体験を活かした新作落語「山のあなあなあな・・・・・・」で人気。
» 重松 清
直木賞作家。子供のころ、吃音に悩んだ体験をモチーフに小説「きよしこ」で吃る子どもの心情を、「青い鳥」ではひどく吃る青年教師が誠実に子どもとかかわる姿を描いた。「青い鳥」は、阿部寛主演で映画化された。吃音に悩んだことを生かし、教育への発言を続ける。
» 篠田 正浩
「瀬戸内少年野球団」「心中天網島」などの映画監督。小学校の入学式後吃り始め、国語の朗読に苦労するが、人と話せない代わりに本を読むのが好きになった。なめらかに話すと言葉は逃げるなどと、吃ることばの豊かさを主張する。夫人は、女優の岩下志麻さん。
» 田中 角栄
小学時代、習字の時間に墨をひっくり返したと疑われ、「僕ではありません」と言おうとしたが、顔が真っ赤になるだけで何も言えなかった。この悔しさから、その年の学芸会で、安宅の関の弁慶役をし、成功して自信を得た。後に小学校卒の総理大臣となり、豊臣秀吉をもじって「今太閤」と言われた。今も一部では人気の高い政治家。
» 田辺 一鶴
子どものころ、どもりを治す講演会で集まった子どもの中で、いちばんひどく吃っていたと言う。吃音を治すために講談の世界に入り、講談では吃らなくなった経験を生かして「講談教室」を開催。それが、吃るひとの会、言友会の誕生につながった。多くの弟子を育て、講談会に大きな功績を残した。ラジオ、テレビで大活躍した時代があった。
» 谷川 徹三
著名な哲学者であり、法政大学総長。吃音に悩み、中学5年生の夏休み、どもりを治すために、伊沢修二の楽石社に行く。ここで、ゆっくり話せば吃らなくなるが、また吃るようになったと言う。詩人、谷川俊太郎さんの父君。講演などではあまり吃らないが、家では吃っていた、と谷川俊太郎さんは話す。
» 坪内 寿夫
若いときはかなりひどく吃っていたようで、人前では話ができなかった。話をするのに人の3倍かかった。ものすごい努力家で、船舶、造船、ドッグ会社などの再建を次々成功させ、「再建王」と言われた・来島ドッグの再建は有名。吃って話す言葉に説得力があったという。
» 中坊 公平
日本で最も有名な弁護士。元日弁連会長。強度の近眼とどもり。16歳までおねしょをしていた。見合いの相手には、その弱さを全て盛大に披露して結構。人権派弁護士として活躍。吃音のためか友人の結婚式でのスピーチでは座を白けさせ、弁護士なのに弁が立たないと言われる。弱い人の立場に立ち、悪に向かう弁護士として、「平成の鬼平」と呼ばれた。
» 間 直之助
大きな建設会社の社長を継ぐ立場にありながら、優しい性格と吃音が影響したのか、好きだった「サル」の研究で、「サルになった人間」と言われ、遠藤周作の「彼の生き方」のモデルになる。少年時代、吃音でなければ生涯を猿学に捧げられなかっただろうと遠藤周作は言う。
» 羽仁 進
野生動物をこよなく愛し、アフリカにこだわり、映画を撮り続けた映像作家。テレビでも、自分の撮影した野生動物のドキュメンタリー映像の解説などに出演し、音を繰り返す派手などもり方で人を和ませる。どもりの奥にある豊かな世界を知ろうと常に訴えている。
» 藤沢 周平
最も人気のある時代小説の作家。吃音に悩んだことが小説家になるきっかけになったと言う。小説に出てくる主人公は、市井の人や下級武士や浪人で、常に優しく温かいまなざしを向けている。暗い話も、結局は「人間っていいなあ」になる。「蝉しぐれ」など、数多くの作品が映画やテレビドラマ化されている。
» 村田 喜代子
芥川賞作家。すごく吃る叔父の影響から吃り始め、小学校時代は名前が言えない、先生に申告するテストの点数が言えないなど、小学校、中学校時代、吃音に苦しむ。今でも言いにくい名前の編集長に電話をかけるとき、友だちに言ってもらうなど、やわらかに生きる。
» 梁瀬 次郎
ドイツの高級車「ベンツ」の輸入販売会社社長として有名。子どものころは先生に当てられても返事ができず、本も読めず、答えが分かっていても答えられずに、その悔しさにどんどん気が短い少年になっていった。親から継いだ会社を、乗用車だけを輸入する大きな会社に成長させた。