来たるべき対話に向けての二日間の対話 2「~第6回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会~  子どものレジリエンスを育てる―ともに育む哲学的対話―」報告

 昨日のつづきです。
 僕の基調提案につづき、ことばの教室の〈対話をキーワードにした実践〉をいくつか紹介しています。この親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の実行委員のメンバーによる実践です。アメリカのスピーチセラピストが、吃音を苦手としているのと違って、楽しく取り組んでいるのが伝わってきます。
 では、「スタタリング・ナウ」2018.5.21 NO.285 より紹介します。

来たるべき対話に向けての二日間の対話 2
「~第6回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会~
  子どものレジリエンスを育てる―ともに育む哲学的対話―」報告
2017年7月29、30日  於 大阪市・ホテルアウィーナ大阪
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

基調提案①「〈哲学的対話〉で子どもに向き合う」
    伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会)

伊藤伸二さんのレジリエンス
 どもることへの劣等コンプレックスに陥り、苦しんだ学童期、思春期の伊藤伸二さんがそれでも生き延びてきた、そのレジリエンスは何なのか。第4回講習会の講師だった石隈利紀さん(当時・筑波大学副学長)との対談の場で発せられた問いかけを改めて振り返ることから基調講演は始まった。
 伊藤さんが吃音に悩みだしたのは小学2年秋の学芸会がきっかけだ。どもりながら活発だった伊藤少年は台詞のある劇の役を外された。そこに台詞は流暢に話すべきだ、どもりながら台詞を言うのは恥ずかしいことだから、これは教育的配慮だという教員の意味づけ、吃音への否定的な眼差し、価値観を伊藤少年は感じた。この与えられた吃音否定の物語を受け取った伊藤さんは以降、活発だった頃とはかわって人との交流を避け続け、吃音否定の物語を強化、再生産する学校生活を送った。
 この物語を転換することになったのが、どもったままでは将来はない、とても就職などできるはずもない、どもりが治らないと人生が始まらないと思いつめて、21歳の時に入所する民間吃音矯正所、東京正生学院での合宿の経験だ。
 一ヶ月の間、学院の言語訓練を中心としたプログラムに一所懸命に取り組むものの誰一人として吃音が治ることはなかったが、自分以外のどもる人と出会い、生活をともにした日々を伊藤さんは毎日がお祭りだったと述懐する。自分一人がどもるという思いとその孤独から解放され、お互いの体験を交換し合い、そこに深い了解と発見、そしてユーモアと洞察が連日の対話を通して生成される場は祝祭空間としか表現できないものだろう。
 社会人になることが想像できなかった伊藤さんは矯正所に通いはするものの、家庭や職をもっている人との出会いによって自身の思い込みを解放することができた。また、どもる状態に変化がないにもかかわらず、日々の語り合い、対話を通して吃音と人生に対する態度に変化の兆しが見られたことは、言語関係図や吃音氷山説の本質を掴んだというだけでなく、マイケル・ホワイトが「問題に対する人の関係が問題となる」というナラティヴ・アプローチの哲学を先取りしているものだ。
 伊藤さんが半世紀以上継続しているセルフヘルプグループ活動はこの洞察を実践、検証するものであり、多くの吃音とともに豊かに生きる人生と出会えたというエビデンスを示している。そこに一貫しているのは吃音の課題は各人各様であるがゆえに、自分が自分の専門家としてお互いに対等に向き合い、対話を重ねていく姿勢である。そこで生まれる語りがその人の人生を新たな語りへとひらき、更新、生成させていく場として大阪吃音教室は存在し続けている。
 伊藤さんの寂しい学童期、思春期を支えた文学や映画に自身の境遇と思いを重ねる資質は物語る力として伊藤さんのレジリエンスとなっているのである。

オープンダイアローグへの視座
 フィンランド発のオープンダイアローグ(以下、OD)という精神病急性期の人へのアプローチがその領域を越えて注目されている。精神的危機にある本人、家族からの相談依頼に対して24時間以内の即時的な対応を基本に医師、看護師、心理士、家族や本人にとって大切な人たちがチームを組んで当人の自宅において「開かれた対話」を連日行うという実践である。この薬や強制的な入院に頼らない方法が実は再発率も低いという、従来の精神科治療の枠組みを大きく揺さぶるあり方を伊藤さんは深い了解をもって肯定的に受け止める。
 東京正生学院での祝祭空間と大阪吃音教室の活動、そして「べてるの家」の実践のあり方を知る伊藤さんにとってODの哲学は自身のものでもあるからだ。精神病を関係の病と考えると、これからどうなるのかという恐怖と不安に駆られる本人、家族にその「不確実性への耐性」を求めるには「対話主義」を実践できる「社会ネットワークのポリフォニー」というODの理論背景、関係性が不可欠だ。医師の権威は本人の不安をあおり、言葉を閉じ込めるだけだろう。対話の場面では自らの専門性を脇におけることこそが専門性であることを何らかの援助職にある人は知るべきだ。ODの場における対等な関係に基づく継続的なキーパーソンたちによるどう展開していくのか予想もできないのが対話だが、そのあいまいさを心のひだとして共有できるものから紡がれる多声的(ポリフォニー)な言葉が堂々巡りに陥るモノローグの世界に支配される本人の言葉を促す。それはこの世に住む安心感と不確実な状況に耐える力を与える。
 吃音もある意味で関係性の課題である。ODの3つの理論と大阪吃音教室、吃音親子サマーキャンプに流れる思想は同じだ。波現象のある吃音はその状態に関しては不確実性そのものである。また年齢によって課題も異なる、つまり今悩んでいないからといって、将来もそうであるとは限らないのだ。と考えるとこの不確実で見通しの立たない状況に耐える、持ちこたえる能力として作家・精神科医の帚木蓬生が提唱する「ネガティヴ・ケイパビリティ」(negative capability)もどもる人に必要なレジリエンスなのである。
 東京正生学院に行く21歳までの伊藤さんはネガティヴ・ケイパビリティによって道を踏み外すことなく自身を支え、それ以降は物語る力と他者の物語を聴き取る能力によって人生を切り開いていった。そして、吃音親子サマーキャンプは2泊3日、対話と芝居を通して、自分の言葉に向き合い続け、それを語り合う力とサバイバルという状況を持ちこたえるネガティヴ・ケイパビリティを養う、「未来語りのダイアローグ」が実践される子どもによるセルフヘルプループ活動と理解できる。

ことばの教室の〈対話をキーワードにした実践〉
①「対話を振り返って」
           渡邉美穂さん(千葉市立院内小学校)
子どもと対話をする私について
 ことばの教室の担当者となった頃、子どもからの「先生はどもらないよね」の一言が現在に至る渡邉美穂さんの教員としてのスタンスを決定付けた。この言葉を「どもらない私がどう子どもと向き合うことができるのか」と解釈し、「吃音親子サマーキャンプに行こう」と転換した。
 当初は知識、情報を得て、子どもに伝える教員としての真摯な姿勢をもちながらも、子どもとの縦の関係をイメージさせる構造がそこにあっただろう。しかし、キャンプは誰もが一参加者として存在する場、吃音を通して自身の課題を見つめる仕組みを持つ、「お客さん」でいることが不可能な空間である。
 初めて会ったにもかかわらず話し合いをしている子どもの姿、子どもと話し合いのファシリテーターや劇のスタッフとして誠実に関わるどもる成人、さりげなく初参加の親を気遣い、声をかけ話を聞いている複数回参加している親の姿の場の力に渡邉さんはすっかり魅了され、存分に楽しんだ。
 この楽しかった思いと体験して感じ、考えたことを自分の言葉で夢中に語りかける姿にことばの教室の子どもたちは自分と対等に向き合う教員の姿を発見したに違いない。対話が成立する基盤が成立したのだ。
 子どもの同行者として吃音の豊穣な世界に横並びで対峙する渡邉さんの姿勢は一貫している。子どもの中では確実に言葉が生まれ、紡ぎ出されている。でなければ、どもる男子の「ぼくのお嫁さんはわかってくれるはず」のようなカルタができるはずがない。

②「児童と保護者との面接」
                   瀬川幸子(横浜市立藤が丘小学校)
子どもとの始めの一歩
 ことばの教室に来るなりゲームを始める子どもがいる。遊びを通して、気持ちを解放しているのだとすればこれも一つの通級の姿である。しかし、本人なりになぜこの教室に通うのかは知っているはずだ。親とどんな話をしているのか、また、友だちにはなんと言って教室を出て行くのか。通ってくる子どもと吃音についての話の糸口を掴むところから、ことばの教室の担当者としての苦労と喜びが始まるのだろう。
 瀬川幸子さんは、「どもらない時が続いたり、どもる時が続いたりします。これをどもりのなみといいます」などと吃音の基礎知識を台詞にした絵本や紙芝居をパワーポイントにして、子どもと一緒に見て話をする。何かに託して話をするのは、「あるある」になるのでハードルが低く、話を引き出しやすい方法だろう。ユニークなのは保護者にも同席してもらうこと。子どもの「あるある」は親にとっても、この子はこんなことを考えていたのかという「あるある」になる。家庭での親子の対話を促す取り組みにもなっている。

③「対話という繕い作業が生きやすさにつながる」
                        土井幸美さん(横浜市立幸ケ谷小学校)
「対話の見える化」の試み
 子どもと向き合い対話を始めるには教員も自らを語る用意が求められる。
教員としての自己形成史を振り返ることはそのための資源として有効であることは、この講習会のメンバーの多くが伊藤さんや吃音親子サマーキャンプとの出会いを必ずといっていいほど語ることから理解できることだ。
 土井幸美さんは、ろう学校の教員としてスタートした。きっかけは「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」と謳う「ろう文化宣言」(1995年)との出会いだ。医学モデルから決別し、ろうの世界のありようを独自のろう文化と表現し、それを生きるとの自己定義である。この哲学に触れていた土井さんが、きこえとことばの教室の担当となってから、「吃音を豊かに生きる」と主張する伊藤さんたちと出会うのは必然であった。
 土井さんは通ってくる吃音や難聴の子どもと「自分研究所」を立ち上げ、「自分研究」のノート作りに取り組む。自分の課題に向き合う子どもの揺れや気になることやそれに対処する方法、考え方を書き込んでいく課題の「見える化」の試みである。
 それはナラティヴ・アプローチでいう外在化であり、対話を始めていく資源としてのノート作りなのだ。

④「吃音について考え、表現する活動の取り組み」
                     溝上茂樹さん(鹿児島市立名山小学校)
「どもりキャラクターの登場!
 溝上茂樹さんは自身もどもる人だ。いじめられた体験はないが、何となく自信のない、将来への不安の強い少年だった。今にして思うことは悩んでいた頃の溝上さんはモノローグの世界に生きていた。吃音親子サマーキャンプに参加して、ダイアローグの世界で生きる必要を感じた溝上さんはそれをことばの教室での通級で形にしようとしている。
 どもりカルタの変形ヴァージョンの自分の「どもりキャラクター」の絵を描く外在化の試みだ。
 色、形、表情を持った絵を前にして、それが自分のどこにいて、どんな働きをしているのかなどをエピソードとして話し合う。時期ごとのキャラクターの変化やその理由も語ることができる。Aさんは溝上さんに「とげ」というどもりキャラクターに苦労をさせられたからやっつけたいが、意外にもその感情は50%だという。「思い出とかが残っているから半分は残したい」と語るAさんは自分史の中にどもりを組み込み、それなりの納得をもって生きている。ネガティヴな思いも持つが、自分にとって大切な、自分の一部だということなのだろう。ともに生きる意味を教えられた思いがする。
 通ってくる子どもみんなが一同に集まることは難しい。そこでホワイトボードにみんなに質問したいことなどを書いて、教室に来た人がそれにコメントをする、間接的なグループ活動をする。タイムラグを持ちながら少しずつコメントが増えていくスタイルだ。相互に関連しまたは相反したコメントがボードー杯に広がる様は吃音の豊穣な世界を示す曼荼羅だ。子どもたちは時間を置いた間接的なボード上に外在化された対話にかえって他者の存在をリアルに感じるだろう。

⑤「いま、ことばの教室でやっていること」
                    高木浩明さん(宇都宮市立陽東小学校)
自分の様子をグラフにする
 言語関係図や吃音氷山などの吃音の課題を可視化、外在化する実践に加えて、高木浩明さんは通う子どもの「クうスの中で話す量・話しやすさ・どもりがどれくらい気になるか」の3要素からなるグラフ作成に新たに取り組んでいる。
 子どものある時点からの月ごとの3要素を折れ線グラフにする。このグラフの変化を子どもと一緒にいろいろなエピソードを掘り起こしながら話し合う、考えていく方法だ。ある子どもはどもる状態に関わらず、春になると吃音が気になる値が高まったことがグラフから見て取れた。それはクラス替えが近づいたことや、転校生が来ることによると理解できた。また、ある子どもは通級に来たことで気になる値が高まったことが明らかになる。
 それは同じどもる仲間と出会い、自身の課題に向き合い、気にすることができるようになったからで、通級以前は実は気にしていないふりをしていただけだという洞察が生まれた。高木さんと子どもが共同作業で見出したユニークな結果である。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/09/22

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