物語能力
対話の大切さは、教育の世界だけでなく、いろいろなところで言われています。そのために必要な物語能力について、「スタタリング・ナウ」の巻頭言では、何度も切り口を変え、書いてきました。
物語る能力、他者の物語に耳を傾け共感する能力、自分の物語を書き換える能力、それらを子どもと一緒にどう育てることができるか、これからもずっと考えていきたい大事なテーマです。
今日は、「スタタリング・ナウ」2018.5.21 NO.285 より、まず巻頭言を紹介します。
物語能力
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
映画と本、この二つがなければ私は学童期・思春期を乗り切れなかったと思う。E.Hエリクソンがいう学童期の勤勉性、思春期の自己同一性の形成という社会心理的発達課題を全く達成できずに青年期に向かっていったのだから、乗り切ったとはとてもいえないのかもしれないが、しのいだ、とにかく越えてきたという不思議な安堵感がある。
就学前から小学校低学年にかけて見た二つの映画は、私にどう影響したのだろうか。就学前、映画館のない田舎では夜、校庭に布のスクリーンを張って時々映画会があった。子どもの見るような映画は上映されない。「きけわだつみのこえ」では、学徒動員兵が、上官に軍靴を口に押し込められて殴られる暴行シーンと、戦地の父親を思って小さな川の橋の上で「春の小川はさらさらいくよ」と歌うシーンが未だに記憶としてある。一度しか見ていないので、そんなシーンが実際にあったのか確かめていないが、戦争と日常の対比のシーンを常に思い出すのは、それなりの理由があるのだろう。この映画から私は反戦少年になり、国と国とが争うように感じられてしまう、みんなが好きなオリンピックが、子どもの頃から嫌いだった。
もうひとつの映画は三益愛子の母物映画だ。貧しく厳しい生活に耐える悲しい物語ばかりだった。家がとても貧しかったこともあって、主人公が常に母親と重なった。映画を見ながら母親のことが心配になり、家まで駆けて帰って母親の顔を見て安心することが何度かあった。映画の中の物語が、母親からの私への愛、母親への思いの確認作業だったような気がする。私を非行少年になる一歩手前で踏みとどまらせたのも、後になって人を愛することができたのも、セルフヘルプグループを創立できたのも、他者や社会を信頼する土台となった母から得た基本的信頼感があったからだ。
小学生の頃に私を支えてくれた本は、下村湖人の「次郎物語」だった。この家族の物語も、自分の体験と重ねていた。また、世界少年少女文学全集などの文学は、ひとりぽっちで行動せず逃げてばかりの生活では味わうことができなかった、友情、冒険、やさしさ、愛の体験を補ってくれた。
思春期に私を支えてくれたのはジェームズ・ディーンの映画「エデンの東」だった。これは名画座全盛の時代だったので、映画館で20回以上も見ている。別れた母への思い、父の愛を求めても突き放される苦しみと悲しみ。ここにも家族の物語があった。「愛されないほどつらいことはない。愛されないと思ってこれから彼はどうして生きていけるのか。彼に世話を頼みなさい」と病床の父親への恋人のことばは、愛を求めていた思春期の私には胸に迫った。
学芸会でセリフのある役から外されたとしても、誰もが私のように大きな影響を受けるとは限らない。外されたのは3人、他の2人がどんな人生を歩んだかは知らないが、私は「どもりは悪い、劣った、恥ずかしいものだ」の物語を語り、悩みの世界に入っていった。物語から影響を受ける力が、本や映画で人よりも育っていたということだろう。これは、私の物語能力がマイナスに働いた例だ。
東京正生学院でどもりが治らなかった人はたくさんいた。その人たちは、別の治療を求めるか、何度も繰り返し東京正生学院を訪れていた。私は、一度きりの失敗体験で、あれだけ悩み、治したいと思い詰めていたものを、あっさり、きっぱりとあきらめることができた。文学や小説、映画を通してではあるが、人生は思い通りになるものではなく、誰もが何がしかの悩み苦しみをもちながら生きているということを知っていたからだ。これは、私の物語能力がプラスに働いたのだと思う。
「病の物語を認識し、吸収し、解釈し、それに心動かされて行動する」ために必要とされる物語能力を、医師、看護士などの医療従事者は高める必要があると、リタ・シャロンが提唱するナラティヴ・メディスンが注目されている。
言語訓練で多少の吃音が改善されることよりも、子どもの物語る能力、他者の物語に耳を傾け共感する能力、自分の物語を書き換える能力を子どもと一緒にどう育てることができるか。今回報告する吃音講習会などを通して考えていきたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/09/20

