第35回吃音親子サマーキャンプ~渡辺貴裕さんのFacebookから~
第35回吃音親子サマーキャンプが無事終わったことの第一弾をお伝えしてから、日が経ってしまいました。会場の大阪府立少年自然の家への礼状を書いたり、参加者やスタッフへの手紙を送ったりしていたら、そのうちに、みんなから参加しての感想が届いて…、それを読んで返事を書いているうちに、あっという間に1週間。
まずは、学生の頃から吃音親子サマーキャンプに参加して、竹内敏晴さんがお亡くなりになってからは、演劇の担当を引き継いでくれている渡辺貴裕さんのFacebookより、吃音親子サマーキャンプを振り返ります。渡辺さんの了解を得て、紹介します。
第35回吃音親子サマーキャンプ。
どもる子どもとその親やきょうだい、大人のどもる人やことばの教室の先生やらが集まるこのキャンプ。学生時代からスタッフとして参加し続けて私はもう25回目。これまで会場だった滋賀県の荒神山自然の家が老朽化により廃止されてしまったため、今回は、大阪府の水間観音方面にある大阪府立少年自然の家。
演劇・話し合い・作文の3つが、キャンプの活動の柱。どもる子たちが劇に取り組み、吃音について仲間と話し合い、原稿用紙に書く。参加者は今回総計90名ほど。
私も10年くらい前までは、子どもたちとかかわったり親御さんの話を聞いたりするのがただただ楽しくて、全身が沸き立つ感覚があって参加していた。が、今ではもう、それなりに多忙な8月にアラフィフの体で、決して快適とはいえない施設で2泊3日自由も利かず(携帯電話も原則禁止)生活するのは、こたえるようになっている。
それでも参加するのは、以前も似たようなことを書いた気がするが、一言でいえば、自分の卑小さを思い知るためだろう。
普段とは違う環境に自分の身を置き、普段とは違う人と、違うかたちで、子どもとも大人とも出会う。
ある中学生の話。クラス代表に自分から立候補して務めている。授業で号令をかける役割も、どもりながらなんとかやっている。地域学習で、地域の人にお礼の言葉を言うのもクラス代表の役割。きちんと準備して臨んだが、1分くらい、どもって言葉が出てこなかった。それでもなんとか最後までやり切った。その後、別のクラスの担任の先生から「頑張ったね」と声をかけられた。それが彼女には「複雑な気持ち」だったという。その先生が励ましてくれているのはわかる。が、自分にとって、クラス代表が謝辞を言うのは当たり前のこと。それを「頑張ったね」と言われるのは嫌だった、と。
ある高校生の話(最後に全体の場で作文を紹介させてもらった)。小学生のときは自分の吃音を気にしておらず、よく発言する子だった。が、中学時代から気にするようになり、高校ではその傾向が強まった。
「僕はどもっている人を見るのは、みんなにとって『不快』なものだと考えていた。また、どもることは俗に言う『やばい奴』の特徴なのだと思っていた。」
そんな自分に話しかけられるのはきっと相手にとって迷惑だろうと考え、話しかけにいかず、友達ができず、そうこうしているうちに、授業でのグループワークなどでもそもそも何も思い浮かばなくなった。
「それすらも自分は吃音のせいだと思うようになり、吃音持ちの人はみな自分のようにコミュニケーション能力もあまりない暗いやつばかりなのだろうと思うようになった。」
そんな彼が、昨年初めてキャンプに参加して、「衝撃を受けた」という。
「そこには、吃音があっても、明るく積極的に人と関わっている人がたくさんいた。」
部活の部長をやったり、接客業のバイトをしたりしている同年代のメンバーの存在。そして、「自分を一番差別していたのは自分だった」と思うようになる。いろいろな話を聞かせてもらい、いろいろな姿に触れる。そして、普段自分に見えているのがいかに狭い世界か、見えていないものがいかに多いか、を痛感する。
この高校生のことにしたって、普段学校のなかで見かけたら、ただ「コミュニケーションに積極的じゃない子」として見てしまうかもしれない。その背後にその子の事情や思いがあることが想像できない(あと、めちゃくちゃ解読困難な字で深い内容の作文を書いてきたりするのだが、普段はその内容の深さをキャッチできないかもしれない)。
甘えた生活を日々送っている私にとって、このキャンプは、人生修行のようなものだろうと思う。
もちろん、旧知の友人ら&キャンプ卒業生らに会ったり、子どもたちと劇づくりの活動をしたりと、自分にとっての楽しさはいろいろあるが、けれども、それだけではない。
吃音と全く関係のない人が、こんなに長くかかわってくれるありがたさを痛感しています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/08/31



