大阪吃音教室 吃音Q&A

 大阪吃音教室の講座は、吃音と上手につきあうために、3つの柱を立てています。

1.吃音に関する基礎講座…吃音の原因、これまでの吃音治療の効果と限界など、つきあう相手、つまり吃音そのものについて学びます。
2.コミュニケーション能力を高めるための講座…吃音そのものは完全に治らなくとも、人と楽しくコミュニケーションすることはできます。その能力を伸ばすために、話す、読む、聞く、書く、と総合的なトレーニングを行います。
3.自分を知り、よりよい人間関係をつくるための講座…ちょっとした自分への気づきでも、人間関係は変わります。交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニングなどの考え方を応用して、よりよい人間関係をつくるにはどうすればよいかなどを学びます。

 そのうちの一つ、吃音の正しい知識を知る講座のメインともいえる「吃音Q&A」を再現した「スタタリング・ナウ」2018.2.20 NO.282 を紹介します。
 このとき、You Tubeで紹介するために、映像の収録を公開の場である大阪吃音教室でしました。紙面の都合ですべては紹介できませんが、エッセンスは味わっていただけることと思います。
 大阪吃音教室や、日本吃音臨床研究会のホームページで動画として公開していますので、ご覧ください。また、大勢の方に紹介していただけるとありがたいです。

大阪吃音教室 吃音Q&A

◆不安への対処

藤岡 私たちどもる人は、発表する場面、人と話す場面などを想像して不安になることは多い。そのときの不安への対処を知りたいです。

伊藤 それは予期不安で、吃音の中心的なテーマですね。たとえば一週間後に発表があって、それまでの一週間、長い人なら一ヶ月とか二ヶ月不安が続く、そういうことですか?

藤岡 はい、不安すぎて仕事が手につかない。

伊藤 それは損だね。

藤岡 というくらい不安もあるし、そこまでいかない不安もあると思いますが、そういう不安ともうまくつき合っていく方法はありますか?

伊藤 いわゆる社会不安障害と違って、どもる人の不安への対処は、僕はそんなに難しいことではないと思います。不安になる原因がある程度明確だからです。藤岡さんの場合は、どうして話す場面に遭遇すると不安になるんですか?

藤岡 自分がしゃべる場面を想像してうまくいかないだろうとか、立ち往生するかもしれないとか、そんな自分を自分で立て直せるのかとか、すごい落ち込むんじゃないかとか、

伊藤 ということは、人前でしゃべる時にどもらないでしゃべる姿が正常な姿で、そういう正常な姿にならないかもしれないということで不安を持つと考えていいですか?

藤岡 はい

伊藤 僕は今、毎週のように講演をしたり子どもたちのキャンプに行ったりして人前で話すことが多いけれども、全く不安はないです。もし僕に少しでも不安があったら、講演依頼や講義依頼を、きっと断ると思います。どうして僕が断らないでどこにでも出て行って、しゃべっているかは、対処というほど大げさなことではないけれど、どもることが当然だと思っているからです。講義や講演で、時にすごくどもって立ち往生してもそれが僕にとって普通の状態だと思っているから、スラスラしゃべっている姿をイメージしないので、不安になることはないと思うんです。となると、社会不安障害と違って、どもる人の不安への対処は、僕はすごくシンプルだと思う。実際にそれができるかどうかとなると「そんなに簡単なものじゃない」と言うかもしれないけど、どもる覚悟をし、「どもってもいい」と本音で思うことができれば、少なくとも「どもるかもしれない」という不安はなくなります。
 話の内容やどう話すかについては、準備はする。北海道のことばの教室の担当者の全道大会で記念講演した時も、パワーポイントで講演をするつもりで、その印刷をしてもらう資料をギリギリまで文章を書き直したり、パワーポイントの画面を練り直したりしていた。しつこく取り組むのは、こういうふうに話をして内容がきちんとみんなに伝わるかどうか、こういう伝え方が果たしてふさわしいかどうかという不安があるからです。それは、準備できることだし、準備しておく必要があることです。
 でも、「どもるかもしれない」という不安に対してどんな準備ができますかね。「私には不安がない、不安がない」と自分に言い聞かせたとしても、不安への対処にはならないでしょう。

藤岡 余計に不安が高まりますね。

伊藤 「どもるかもしれない」という不安に対しての準備は不可能です。となると、どもることを認めること以外にないと僕は思います。僕も21歳までは全く認められなかったけれど、今となっては、どもることを認めることって、そんなに大変なことだろうかと僕は思います。どもってもOKだというどもる覚悟ができないのはなぜかということを考えていく必要があると僕は思います。認められないのはなぜだと思いますか?

藤岡 私も長いこと認められなくて、

伊藤 それはどうしてですか?

藤岡 大阪吃音教室に来て、「どもってもいいのかな」と思い始めても、やっぱり覚悟はできなかったですね。人前でなかなかどもれなかったんですけど、なんで覚悟ができなかったのだろう…。

伊藤 ずっと認められなかった自分自身のことを振り返ってみると、やっぱりどもりは治るものだ、治せるものだ、努力をすることで治るものだと思っていたからかなあと思います。昔は「治る」と確信していたけれど、だんだんそれは難しいなと思い始めた。でも、どこかでまだ「治るんじゃないかな」という思いを捨て切れなかった。今から45年くらい前に、治そう、治したいという思いを捨て切るにはどうしたらいいか?と考えた時、まずは「治そう」とする行動そのものをやめようとした。「どもりを治す努力の否定」という提案をしたのは、「治したい思い」を捨て去るのは難しいけれど、どもりを治そうとする行動そのものはやめることはできる。発声練習や音読練習や何かを試してみることをやめてしまった。治すことは一切考えず、治す努力も一切しない。それでいくしかないと思ったんです。覚悟ができない人は、「どこかに治してくれる人がいるんじゃないか」「どこかで治るんじゃないか」という思いを捨て切れないと思います。だから、不安があっても何があってもどもっていく。どもっていく中で、少しずつ慣れていく。不安に慣れていくしか、不安への対処はないと思います。

藤岡 今の伊藤さんの話を聞きながら私が思っていたのは、どもる覚悟と言ってしまうとその瞬間、決めたのだったら、それを貫かないといけないと思ってしまうんです。

伊藤 自分を追い込んでしまうんだね。

藤岡 貫くことはほぼ不可能だから、ハードルが高いと思い、身構えてしまうかもしれません。私は、大阪吃音教室に来て、「どもる覚悟」まで思っていたかどうか分からないですけど、もうどもっていいんだ、あの人の前でどもってみたいと思って、吃音教室を出るとやっぱりこわいと思ったり、そういうことを繰り返しながらちょっとずつ変化してきたように思います。覚悟を決めて、へこんで、また覚悟を決めて、へこんで、というのを繰り返してきたなと思います。

伊藤 そうだと思います。そうやって繰り返しながら、どもりながらしゃべっていく。昔、悩んでいた時は、どもっている姿を周りの人が見たら、眉をひそめるんじゃないか、ちゃんと聞いてもらえないんじゃないかと想像していたけれど、実際にどもってしゃべってみたら、案外人はちゃんと聞いてくれるものなんだと分かってくる。そういう経験を積み重ねて、知っていくしかないんじゃないでしょうか。
 覚悟を決めても覚悟は崩れるし、またぐちゃぐちゃになったりするかもしれないけど、基本的には、自分を大切にして、相手も大切にして、相手にしゃべっていくことでしょう。
 その時に、「どもってもいいと」と思いながらも、それに矛盾するかもしれないけれど、できるだけどもらないように言葉を言い換えたり、言いやすい言葉をまず先につけて勢いで言ってみたり、そんなことは僕はありだと思います。どもる覚悟を決めたからといって、どこでも平気でどもるということではない。「どもらないように」と、悪あがきはいくらやってもいいけれど、悪あがきができない場合には、最終的にはどもる覚悟をしておくということです。どもりたくないという思いが完全になくなることはおそらくないと思うので、それはそのままにしておいて、どもっていく。それを積み重ねていくと、少しずつ慣れて、面の皮が厚くなる、それ以外に方法はないと思います。
 吃音の問題の核心は不安であり、恐れです。アメリ力言語病理学でもそれをきちんと把握し、それに対する研究や取り組みが行われてきているだろうけれども、どもる症状に効果的な方法を提示できないのと同様に、不安や恐れへの対処も全く提示されていない。ですから、最終的には「どもる覚悟」を決めること、それしかないのではないでしょうか。

坂本 思いは残るかもしれないけど、行動は変えられるということですね。

西田 どもることを認めるしかないないですね。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/08/12

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