ありのままに「今ここ」を生きる 3 ~行逢(いちゃ)りば、兄弟(ちょーでー)(周りは仲間)~
昨日の続きです。これで最後です。比嘉義裕さんというひとりのどもる人の歩みを、吃音が彩っていることが伝わってきます。人と人とを結びつけるための「ことば」を大切にしたいと思います。そこに、どもる・どもらないは、何の関係もありません。
「スタタリング・ナウ」2018.1.21 NO.281 より紹介します。
ありのままに「今ここ」を生きる 3
~行逢(いちゃ)りば、兄弟(ちょーでー)(周りは仲間)~
比嘉義裕(元ろう学校教員)
脳出血で入院
2016年1月24日、沖縄本島に史上初めて雪(みぞれ:みぞれは分類上雪)が降った。その2日後、浦添市のお気に入りの水族館喫茶で昼食を食べていた時、箸を持つ右手が突然思うように動かせなくなった。トイレに行くと右足も思うように動かせない。私は巨人の長嶋茂雄終身名誉監督の脳梗塞に違いないと即座に判断し、店の人に救急車の要請をお願いした。救急車で近くの浦添総合病院に搬送された。早い対応が私の命を救った。
脳出血を発症していて20日間の入院生活を過ごした。1日が終わり、午後9時の消灯後もすぐには眠られず、病院の4階の窓から見える大きな木を眺めると、5歳の頃、屋我地の保育園で木登りをして遊んだ記憶が蘇った。その木は、今では樹齢200年を超え、「済井出のアコウの木」として天然記念物に指定されている。夜中に大きな木を眺めていると、多くの方々の見舞いへの感謝の思いがあふれ、涙がこぼれ落ちた。私は大きな木に励まされ、2月14日に退院できた。
現在でも右腕、右足にマヒが残ってはいるが、対応が早かったために、幸い日常生活にさほど支障はない程度で済んだ。しかし、病気をして、いつ死を迎えてもおかしくない年齢に達したと強く実感させられた。
私にとっての幸せな時間
人生は限りあるもので、これまで死ななかった人は誰一人としていない。今、生きている人も、早い遅いの多少の違いはあっても、いずれは皆死ぬのだ。残されたこれからの人生をどう生きていけばよいか。どのように生きるのが幸福なのか。入院生活を通してこのことを深く考えるようになった。
アドラー心理学では「『今ここ』を生きること、過去と未来を手放すこと」だといっている。
今年になって、懐かしい人との出会いがいくつか実現したのは幸せなことだった。
1月、名護の小学校の先輩で、首里高校の野球部の先輩でもある又吉氏(甲子園で沖縄県勢が初勝利を挙げた時の投手)にお会いし、私の両親のことや高校野球に対する熱い思いにあふれた話を聴いた。
4月から高校3年の同級生の集まりに誘われ参加するようになった。同級生は「君は高校生の頃は、無口でおとなしくて話をしなかったけど、今はよく話すし、この会も君が参加してから楽しくなったよ」と話してくれた。
5月、小学校6年の恩師に56年振りにお会いし、小学生の頃のことをいろいろ聞くことができた。
同じく5月、沖縄での吃音キャンプに来ていた、伊藤伸二さんとは42年振りに再会し、大阪教育大学時代のことなどを話し合えた。
7月、大阪教育大学専攻科の初めての同窓会を大阪で行った。7名しか出席できず残念だったけれど、旧交を温めることができた。お互いの顔には42年という歳月の長さが刻まれていた。しかし、話し方、話す雰囲気、そこからにじみ出る人柄は42年という歳月を経ても、当時とほとんど変わらず同じだった。それが、懐かしく嬉しかった。
7月に、子どもの頃に過ごした屋我地島の愛楽園に行った。愛楽園の手前に人形劇団「かじまやあ」(2016年子どもたちに沖縄の『しまくとうば』〈島言葉〉を伝え続け青少年文化普及に貢献したと久留島武彦文化賞を受賞)の桑江純子さんが住んでいて、お会いした。
桑江さんとの交流は、彼女がキリスト教短大の保育科の学生で、どもり研究会のサークル室に来て、幼児の言語発達のことを調べに来たことから始まる。私の妻と同期で児童文化サークルの活動をしていて、交歓会や合宿を共にした。
これらの人たちとの出会いは、私にとって幸せな時間だった。
「今ここ」を生きる
太古の昔、人間は小さくて弱い存在だった。生きるために集団を形成し、集団を維持するための道具としてことばを使うようになった。ことばは、一人では生きていけない人間が、人と人を結びつけるために発明した道具なのである。
アドラー心理学では人間の悩みはすべて対人関係の悩みだといっている。この世の中に自分以外に人間が存在しなければ、人と人を結びつけることばは要らないし、対人関係の悩みもない。しかし、人間の生きる喜びは、人と関わり、ことばを交わすことで得られる。それは、今年さまざまな人と会って、ことばを交わし喜びを実感できたことからうなずける。
アドラーは人との関わり方として、まず「今あるがままの自分をそのまま受け入れること」が大事だといっている。そして、人間は年齢、学歴、地位などに関係なく「存在」としてみな「対等」であり、周りは「仲間」だと思って関わるように提言している。周り「仲間」は沖縄のことわざの「行逢(いちゃ)りば兄弟(ちょーでー):全く見ず知らずの他人でも、縁があって出会えば、皆兄弟のようなもの」と似ていて、私もそのような思いを持って日々人に接するようにしている。
私の好きな歌の一つに『星空に両手を』(歌:島倉千代子・守屋洋)がある。〈宝石なんてなくっても 心は夢のエメラルド 星空に両手を上げて…思ってることを話そうよ〉。
これからの残りの人生をアドラーの「今あるがままの自分をそのまま受け入れること」(吃音を持ったままのありのままの自分を認める)で、私の人生において大切な人(子や孫などを含めた家族、友人、これまで関わった人、これから新たに関わる人)に自分から積極的に関わるようにしたい。そして『星空に両手を』の歌詞のように自分の思っていることを素直な心で、思う存分自分のことばで話していきたいと思う。
最近読んだ本に「聴く」という字は耳偏に十四の心と書き、十四歳の頃のような繊細で柔らかな心で相手のことばを受け止めることが大事だと書かれていた。素直な心で自分の思いを「話す」だけでなく、相手の話を繊細で柔らかな心で「聴く」生の対話にこそ人間としての喜びがあり、人と関わることにこそ本当の幸せがあると思う。
私がこれまで見た映画の中で、最も感銘を受けた映画は黒澤明監督の「生きる」(1952年作品)である。市役所の市民課長の渡辺は、胃がんで余命いくばくもないと知り、絶望する。しかし、その死の淵から〈汚水溜めを何とかしてほしい〉という主婦たちからの古い陳情書を探し出し、残された日々を公園づくりに捧げる。渡辺は上司や暴力団の圧力にも屈せず公園を完成させる。
雪の舞う夜、公園のブランコに揺られながら渡辺がたったひとつ憶えている昔の歌を歌う。〈いのち短し恋せよ乙女 黒髪の色 あせぬ間に 心のほのお消えぬ間に 今日はふたたび来ぬものを〉(ゴンドラの唄)と歌いながら、静かに息を引き取る。その顔は精一杯生ききった満足感にあふれていた。まさしく渡辺はアドラーのいう「『今ここ』を生きる」を生きて、満足して生涯を終えたのである。私も限りある命を渡辺のように生ききって生涯を終えたい。
大阪教育大学専攻科の恩師の神山五郎先生が2017年6月16日(偶然にも私の誕生日)、91歳でお亡くなりになった。神山先生は「うっかりすると吃音は一生を棒に振りかねない問題になり得る。自分がどう居直るか、その心構えをつくることが吃音の問題の解決に大切で、居直ると同時に、『自分の本当にしたいこと』を見つけ出し、それに集中することこそ痛快だ」(スタタリング・ナウ 2017.7.18 NO.275)と提言している。
何かが実現すればその時初めて本当の人生が始まるというふうに考えていれば、「今ここ」を生きることはできない。もしも、吃音が治れば、その時に本当の人生が始まる、と吃音で悩んでいた頃は本当に思っていた。しかし、同じようにどもる仲間と出会い、「琉大どもり研究会」を設立し必死に活動する中で、そのような思いは消えた。
いつまでも「吃音を治す・改善する」にとどまらなくて良かった。神山先生のいう吃音に居直り(肯定し)、自分の本当にしたいことに集中し、仲間である他者との関わりを大切にして、これからの人生も、一日一日を生きていきたい。
人生は一度きり(YOU ONLY LIVE ONCE)なのだから。
今でも私のどもりは治っておらず、どもりながら話している。しかし、どもることを認め、ありのままの自分を生きるようにしている。他人と会話をする時、携帯電話で話をする時、レストランでメニューを注文する時、どもりで苦しんでいた頃は、いつもどもるのではと予期不安でいっぱいだった。現在はほとんど不安を感じることなく、それらのことを自然にこなしている。それは、吃音を肯定して生きるようになったからだと思う。
沖縄県のどもる人、どもる子どもの今
沖縄で、どもる子どもと親のための吃音キャンプを始めた平良和さんは、7月から琉球新報のコラム「南風」の執筆者に選ばれ、7月5日に1回目の投稿が掲載されていた。言語聴覚士の仕事の中での吃音について書いてくださることだろう。
私は関わっていないが、今年の3月に琉球言友会が発足し、毎月1回、神村会長の運営でセミナーが開催されている。中部の北谷町では、精神科クリニック勤務の福田氏が月1回成人のどもる人の会を始めた。最近吃音が再び動き出したようだ。
かつて琉球大学で「琉大どもり研究会」を発足させた仲間は、還暦を過ぎた頃から、月1回カラオケルームで会合を持っている。ボーリング大会、パークゴルフ大会、船釣り、バーベキュー大会、忘年会等の行事を行っている。もちろん、吃音は仲間の共通言語だ。
沖縄では今、それぞれのグループが、それぞれの考えで吃音に関係する取り組みを行っている。独自の活動を行いながら協力できるところは協力し合っていけば、沖縄のどもる子ども、どもる人の未来は明るい展望が開けるものと思う。私も何かの役に立ちたいと思う。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/07/28

