セルフヘルプグループの成果を大学で検証

 今年は、「吃音者宣言」提起から50年、セルフヘルプグループ言友会創立から60年の節目の年です。その頃、一緒に活動した人たちはもうほとんどが引退されて、未だに現役で活動を続けているのは、数少なくなってきました。
「スタタリング・ナウ」2018.1.21 NO.281 の巻頭言を読み返すと、その頃の精力的な活動の様子がみえます。懐かしい思いで、読みました。 

  セルフヘルプグループの成果を大学で検証

                       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音は必ず治る、治せる」
 私が学童期・思春期を送った、1950年代から1960年代にかけて、当時の新聞、雑誌の情報、教育現場の教師の吃音に対する認識は、おおむねこのようなものだった。吃音をとりまく社会のこの情報一色の中で、私が吃音が治ることにあこがれ、吃音が治ってからの人生を夢見たのは、仕方がないことだった。しかし、当時でも、「吃音と共に豊かに生きている」人は、たくさんいたはずだ。しかし、その人たちの声は私たちに届けられることはなかった。一方で、民間吃音矯正所は人を集める常套手段として、治さないと大変だと「吃音の悲劇」を垂れ流した。吃音のネガティヴなナラティヴ(物語)だけが吃音の世界を支配していた。
 その状況の中で、私が、一度の吃音治療の失敗体験で「吃音を治す・改善する」を諦められたのは、「努力不足」とは言わせないほど必死に取り組み、300人もの人と一緒に治らなかったからだ。どもりは簡単に治せるものではないと知ることができた。さらに、悩みつつも、様々な仕事に就いて生きる、肯定的な物語とも出会えたからだ。
 吃音は自分の力で長い年月をかけて取り組むものだとの覚悟ができた。だが、一人でできることではない。そこで、私はどもる人のセルフヘルプグループ言友会を創立して、仲間と一緒に吃音に取り組むことにした。会創立後の数年の活動は楽しく、無気力で怠惰だった学童期・思春期を一気に取り戻す、私にとってはお祭りだった。
 浮かれているだけでなく、吃音について理論的に学ぼうと、アメリカ言語病理学の本で学習会をしたり、「吃音理論部」をつくり、調査活動にも乗り出した。そして、吃音専門雑誌を創刊し、吃音研究者だけでなく、関係領域の人々の協力も得て『ことばのりずむ』と名づけた冊子は11号まで発行することができた。真正面から学術的に吃音に取り組めたのは、後輩が大阪教育大学で勉強したいとの思いに同行し、言語障害児教育教員養成1年課程に入学したことが大きい。自分自身の吃音の体験、セルフヘルプグループでの体験を整理し、大学の場で検証する機会がもてたのだ。
 日本に言語病理学を紹介し、吃音研究の第一人者の神山五郎教授の指導のもと、広い視野から吃音を見ることができた。どもる人が全国からたくさん集まり、議論を重ね、言友会で話し合ってきた内容とはかなり違う角度から吃音をとらえることができた。
 翌年、研究生として残った私は、5泊6日の大学の集中講義合宿の企画、運営を任された。学生との事前学習、調査、臨床現場の見学などを企画し、東京学芸大学・内須川洸助教授を講師に、国民宿舎・吉野山荘で開いた。
 大学の集中講義の枠を超え、民間吃音矯正所、東京正生学院の梅田英彦理事長、国立特殊教育総合研究所の長沢泰子室長、京都府立医科大学・耳鼻咽喉科・井上靖二医師、大阪市立小児保健センターなどのスピーチセラピスト、ことばの教室の教師など、50人以上の多彩な参加者が集まった。夜遅くまで議論したことは「KJ法」でまとめられ、冊子となった。
 その後私は、大阪教育大学の教員になった。私の研究室には、全国から大勢のどもる人が集まり、「吃音の哲学的対話」は夜遅くまで続いた。
 また、3か月をかけ、35都道府県38会場で開催した「全国巡回吃音相談会」や「吃音の悩みの実態調査」などで600名近い人たちと対話をすることができた。その旅で得た最大の収穫は、「吃音であれば、吃音で困り、悩んでいるはずだ」の思い込みを打ち破ることができたことだ。「吃音と共に豊かに、健康に生きる」大勢の人たちと出会えたのだ。それは、吃音が治らなくても、自分の人生を生きる人たちが育った、言友会の活動の成果と合致した。私は「吃音の悲劇」の物語に変わる物語を、『吃音者宣言』の起草文として書き、それは言友会10年の大会で採択された。
 比嘉義裕さんが「琉大どもり研究会」を作り、「吃音肯定」の物語を紡いでいった歴史は、私が言友会を創立した歴史とほぼ同じなのは興味深い。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/07/25

Follow me!