第5回 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京 2
昨日の続きです。
横田さんの話が一段落した後、将来、医者になりたいという明確な希望を持っている女子高校生の井上さんが話し始めました。今まではなんとかなったが、目の前に社会人となる日が近づいてきて、よく指摘される、コミュニケーション能力が話題になりました。
「あなたの話は分かりにくい」が、大きな課題として見えてきたようでした。横田さんの話に触発されて、彼女とのやりとりがすすみました。その話に、横田さんやコンサルティングの会社に勤める岡本さんが、自分の体験をからめて加わります。高校生の悩みの底には、将来への不安が大きくあるようでした。「スタタリング・ナウ」2017.12.20 NO.280 より、続きを紹介します。
第5回 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京 2
横田 私は、前職で教員をしていたのですが、最終的には教員を教育するインストラクターをしていました。わかりきっている、何回もやっている授業の練習を、それでも、「お前、もういいだろう」と言われるくらいめちゃくちゃしてました。ここではつまる、ここではたぶんつまる、と分かっているので、こう言い換えようとか、これをつけたら話せるようになるから、これを言おうとか、ほんとにめちゃくちゃ準備していました。
伊藤 しんどいね。どう、そんな感じ。
岡本 そうですね。私も高校時代は、全く同じような状態でした。でも、どもりのせいで、分かりにくくなっているのか、そもそも自分の話す内容が分かりにくいのか、区別がついていない状態だったんです。今だから言えるんですけど、私も横田さんみたいに、事前に準備することでいくらか改善したけれど、そもそも、別に長く饒舌に話せばいいわけではなくて、単語だけ、メッセージだけ伝えて、それだけにするみたいな工夫をして、今はやっています。たしかに学生時代は、何を話しているのか分からないと、結構言われた。
伊藤 わかりにくさって、どういうことですか。
井上 将来、医者になりたいと思っていますが、医者の私の話は、患者さんに伝わらないと絶対だめじゃないですか。今、学校で、話していて、分かりにくいと言われる、それが社会に出たら、絶対仕事でもそうなると思ったので、どうしようかと、不安になった。
伊藤 吃音親子サマーキャンプに二人の医学部の学生がきました。二人ともかなりどもります。そのうち一人は、とびきりどもりますが、今まで吃音で悩んだことがないと言っていました。みんな、「ほんとかよ」とつっこみたくなるくらいですが、本当にそうらしいです。もう一人に、「君は、かなりどもっているけれど、心配はないんですか」と聞くと、「患者さんは、僕の言うことを聞かないと損だから、僕がどんなにどもっても、患者さんは僕の話を聞くでしょう」と言っていた。さらに、「どもる僕がどもることを認めて、自分の弱点と言われていることを出していくことが、医者としての仕事としては、すごくいいように思う。万能でかしこくて、何でもできるという人間よりも、ちょっとしんどいことがあったら、患者のしんどさがほかの人よりは多少理解できるんじゃないか」と続けていました。井上さんは、医者になって、患者さんとのコミュニケーションができるかということが、まだ医学部にも入っていない高校生なのに、今から心配なの。
井上 はい。とても心配で不安です。
伊藤 看護師の仕事をしながら、しかも子育て中で、毎週、僕らの大阪吃音教室に来た看護師がいました。彼女はかなりどもる人でした。ナースステーションから電話したら済むことでも、3階までかけのぼって報告に行ったり、患者の体温を測って、ドクターに伝えるときにどうしても言えない数字で困り、メモに書いて渡したり、日常的に相当のつらさがあったようです。彼女もしゃべっていればどもりが多少軽くなるかもしれないと、必死でがんばった。でも、がんばってもがんばっても吃音は変わらない。逃げることを決してしなかったので、とてもつらくなって、僕たちの所に来ました。よほど切羽詰まって、自分を変えたいと考えていたのでしょう。看護師という、休めない仕事なのに、さらに小さい子どもがいるのに、ほぼ毎週参加し続けました。彼女は、自分と戦い、どもりと戦い、疲れたんだと言いました。僕たちと吃音について勉強をしていく中で、吃音を否定し、吃音と戦っていたら、いつまでもこの苦しみから抜け出られないと、本音で気づいて、彼女は楽になりました。すると、戦っていたときはなかなか変わらなかったどもりが、戦うのをやめようと思ったら、だんだん変わってきた。看護師長になって、人に教える立場にもなった。
いくらどもってもなんとかやるとか、突破するとか、治すことが目的ではなく、あまり気にならなくことが目的だとか、ことばでは言うけれど、根本にやっはりどもっている自分はだめなんだと、どもりを否定する部分がどうしても核としてある。それがあると、これ、どもらずに言えるかなあ、言えないかなあ、常にそういうことを考えてしまう。これはしんどいよねえ。
21歳までの僕は、どもるかどもらないかと常に考えていた。大学2年生だったか、仲のいい友達から、「伊藤は、人の話を聞いていないだろう」と言われた。僕はしゃべれないけれど、人の話は聞いていると思っていた。「いや、お前としゃべっていても、聞いてもらっているという感じがしないんだよね」とその友だちは言った。僕は、どもる人のセルフヘルプグループを作って、人の話を聞こうとしていたし、そうしてきた。でも、自分が人の話を聞くときに、どういう態度をとっているのかを振り返ってみたら、やはりどもりということがべースにあって、この話をするとどもるかどもらないか、を考えていたのだろう。目の前にいる人と本当に裸で向き合っていなくて、常にここにどもりという壁をおいて、どもりを通して物を見、考えるから、彼はこの壁を感じたのだと思う。人が話をしているとき、次に自分が話すことを考えていたり、気ばかりあせっていたり、人の話を聞いていながら、今度、しゃべるこのことばは言えるかどうか、そんなことばっかり考えていると、本当に人の話を聞いているということにはならない。どもるかどもらないかということを基準に考えているからだと気づいたときから、僕はカウンセリングに興味を持って、勉強を始めた。自分の吃音を認めていると言いながら、どうしても否定する部分があるから、それがちくりちくりと出てくる。
落語家の立川談志が、落語論で、「落語というのは、人間の業の全肯定である」という言い方をしている。全肯定なんて非常に難しいかもしれないけれども、僕は、21歳のころから、もういい、もうどもろうとどもろまいともういいと覚悟を決めた。こう言ったらどもるだろうか、どもらないだろうか、それが全くなくなった。デイビット・ミッチェルさんもそうだったらしい。どもるときはどもればいいし、ごまかせればごまかせばいい。僕は、講演でもほとんど準備しません。その場その場で、自分の思っている事を話せばいいと思っている。テレビでスタジオ出演したときも、どもるかもしれないという思いは全くなかった。なぜだろう。実際にはすごくどもる。僕の講演のテープ起こしをしてくれる人が聞いてみて、びっくりする。伊藤さん、こんなにどもってたのか、と。しゃべっているとき、表情をつけたりしているから、それほどどもっているように感じられなくても、機械はクリアに録音するから、めちゃくちゃどもっている。自分ではどもっているという意識はないんだけど。そんなふうになったらいいなあと思うけど、そういう道は遠いですか。
横田 伊藤さんの本を読んで、その道を目指したんですけど、そこへの道筋が少し違っていたことが、今回のワークショップでわかりました。
伊藤 目指すときに、目指す方向がちょっと違ったんだよね。井上さん、友達と話す時や、発表でどうしたらいいと思う?
井上 学校の発表で、全員の前でどもったことはあまりないので、一回どもってみたら楽になれるのかもと思いました。
伊藤 楽だよ、一度どもったら。どもる人も、言語聴覚士やことばの教室担当者も、どもらないようにすること、症状を軽くすることが、その人の人生にとって幸せだと誤解している。そしたら、どもりの軽い人はどもりの重い人より悩んでいないはずだし、病気や障害の等級によって生活の困難さが変わるはずだけど、吃音は、悩みや生活の困難さが重さによって変わらない。むしろ、どもりが軽くなればなるほど、人前ではどもりたくないという思いが強くなる。そうでしょう。
横田 はい。
伊藤 思いは強くなるから、行動も狭まってくる。臨床家たちがよかれと思って、どもる人たちの幸せを思ってやっている、どもりを軽くすることが、実はその人の人生を非常に重いものにしていく。そんなことよりも、どもっても大丈夫だ、生きていけるという自己概念、覚悟を、子どものころから持つことの方がはるかに大事なのに。そういうことには全然思いを抱かずに、ただ表面的な症状といわれるものを軽くすることを考えると、今度はすごく大きな問題として、どもれないということが起こってくる。どもれない悩みです。これは、これまで以上に大変な問題になる。いっぺん、どもってみたら。わざとどもる必要は全然ないけれど、自然に任せて、一度どもってみる。すると、どもることの心地よさを味わうことができる。そういうことを経験した人は、僕たちの周りにいっぱいいる。
大阪吃音教室の藤岡千恵さん、ユーチューブに映像で出ているので、ぜひ見て下さい。彼女が初めて大阪吃音教室に来たときは、どもる人間だとは分からないくらい、ほとんどどもっていなかった。子どものころから、どもってはいけない、ゆっくりしゃべればいいんだと親に言われて、親の前ではどもらないように、コントロールしてきた。それがどうしても苦しく、精神的にもしんどくなり、この苦しみをなくすには、どもりを治すしかないと思って僕たちのところに来た。なのに、僕たちは明るく堂々とどもっている。これはなんだと思って、彼女は来なくなった。来なくなったことで、うつ病にされるんですよ。なぜなら、自分はどもりですごく苦しんでいると言って心療内科や精神科に行ったら、「あなた、どもってないじゃないですか」と言われ、全然どもっていないのに、どもると言うのは、何か精神的に問題があるから、薬を出しましょうとなる。薬を飲んでいると、だんだん「うつ」になってしまう。要するに、医者から、「うつ」にさせられた。彼女が7年吃音を治そうとさまよって、再度僕たちのところに来たときには、どもらないようにしようという規制を外して、どもるときにはどもろうと思った。そしたら、めちゃくちゃどもるようになった。今、人からみればすごくどもるようにみえます。でも、どもって話す今の方がずっと話しやすいし、精神的に楽だと言う。周りから見たら、たとえば、精神科医から見たら、今、ものすごく時間をかけて、どもってしゃべっているからしんどそうに見えるだろうけど。今は、そんなにどもる必要ないんじゃないかというくらい、どもっている。彼女は、どもれることが幸せだと言う。どもるときはどもると自然に任せていけば、自分も楽になるし、周りも楽になる。分かりにくさは解消できるだろう。
それと、医者はある意味、医療の現場では権力者だから、説明が分かりにくかったら患者は質問してくるから、大丈夫ですよ。井上さんは、最初の自己紹介で話すことの多い仕事に就きたいとおっしゃった。僕は、どもる人は、話さなくても済むような仕事に就くよりも、話すことの多い仕事に就いた方が絶対有利だと思う。壁にぶち当たるだろうけれど、そのとき考えたり工夫したりすることが、人間を成長させるし、どもりからのとらわれからも、抜け出られるんじゃないでしょうか。
濃密な時間が過ぎていきました。
よかったら、来年2月、ご一緒しませんか。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/07/24

