第5回 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

 2017年1月8日、午前10時から午後5時まで、東京で、第5回伊藤伸二・吃音ワークショップin東京が開かれました。参加者は、13名。どもる社会人や高校生、その保護者、ことばの教室の担当者、言語聴覚士などで、沖縄、鹿児島、神奈川、千葉、東京、大阪など広範囲からの参加でした。
 少人数であることを最大限生かして、じっくり、ゆったりとした時間の流れの中で、今一番知りたいこと、考えたいことを出してもらい、対話を続ける形をとりました。ごく一部しか報告できませんが、参加している人たちは、我が事として耳を傾け、レスポンスし、感想を発言しました。(「スタタリング・ナウ」2017.12.20 NO.280 より)

第5回 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

 自己紹介で、公認会計士の横田さんは、「小さい頃から成績も良く、学生時代はなんとかやり過ごしてきた。社会人になってから、電話がすごく苦しく、全然だめで、気になり、自信がなくなった。吃音のせいだけではないと思うが、なんとか自信を取り戻したくて、参加した」と話しました。

横田 公認会計士で、クライアントに電話で質問をする機会がすごく多い。パソコンを前に、仕事をしていて、よく分からないことがあったら、電話で、会社の経理室につないで聞くのですが、そのときに自分の名前が出ない。何々監査法人の・・となって、えっ、何ですかと聞き返される。仕事仲間も、電話を聞いていて、「早く名前言えよ」「何やってんだ」と言う。「よよ、…横田です」と言って、やっと話が始まる。書類を見ていて、質問や疑問が出たときから、不安が出てきます。

伊藤 疑問が出たら、クライアントに電話しなければいけない。それに対する不安ですね。

横田 電話で聞かないと絶対仕事が進まない。そう思う瞬間から手が止まってしまって、その後の作業能率がものすごく悪くなる。電話をする前も、した後も後悔して、結局、長時間、何もしていない無駄な時間ができてしまう。

伊藤 それで、あなたとしては、どうしたいですか。どう考えたいですか。

横田 伊藤さんの本をいろいろ読んで、治らなくても、最終的には吃音が気にならなくなるところまでいけるのかなあと、私はとらえました。話す前もあまり不安にならず、どもった瞬間も困るには困るけど気にぜず、どもった後も仕事が終わったのだからとあまり気にしない。そんな、どもることが気にならない生活に、本当に自分もなれるのかなあと思っています。どもったらどもったで別にいいんですけど、不安な気持ちや嫌だなあという気持ちは、どうしても消せなくて、

伊藤 不安というのは、消せないですよねえ。

横田 それが消せるんだというとらえかたをして、今回、それができるのかできないのか、知りたくて参加しました。伊藤さんの本に出会ったのは、2年くらい前で、それから、いろいろ本を読んで、仕事上でも実践してみました。うまくいったと思っても、また不安になって、その繰り返しで、波もあり、自分ではどうしようもないなあと思いながら、ここに至っています。

伊藤 僕の本を読む以外に、吃音のことで何かやってこられたことはありますか。

横田 ほとんど伊藤さん関連の著書を読むくらいですが、吃音は、治そうとして、治るものではないというのは、なんか本能的に分かりました。

伊藤 本能的に? それはどういうことですか。

横田 吃音が始まったのは、10歳くらいからで、23年間くらいどもっています。中学生になり、高校生になっても、変化しないので、そんなに変わらないんじゃないかと思っていました。

伊藤 ほう。じゃ、中学生や高校生の頃と、今とでは、どもり方はほとんど変わらないですか。

横田 変わらないです。自分はどもるけれども、話していこうと思ってきました。話していけば治るかも、改善していくかもという気持ちがあったのかもしれない。でも、話し続けていても、ある場面になったら、絶対ことばが出ない。電話が特にそうで、それが、残り続けたので、練習でなんとかできるものじゃないと、本能的に分かった。会計士の勉強をし、試験に受かって、一段落ついたとき、吃音に向き合おうと思った。「吃音を治す・改善する」の本がずらっと並んでいる中に、吃音を認めようという本があり、多分こっちだと思って、ずっと伊藤さんの本を読んできました。
 本能的に、どもりは治せるものではないと思っているので、気持ちの面で、とらえ方が変えられるのか、それはどうすればできるのか、知りたいなと思っています。

伊藤 治すという非現実的なことは考えず、どもりながらもそれなりに仕事ができるように、現実的なことを考えておられる。僕は、実現できそうな計画だと思うけれど、どこがネックになり、どこをクリアしたらできそうだと思いますか。

横田 今は、どもりそうなことばを言い換えて、なんとか出しています。なんかそれさえも後ろめたい気持ちがある。

伊藤 ああ、そうなんだ。言い換えることに、後ろめたい気持ちがあるのね。

横田 逃げているという気持ちがあります。言いたいことを、どもってもいいから言えるようになるというのが、ゴールだと思うんです。でも、電話の話でいうと、名前を言うのを後回しにしたり、やりくりしながらやっているのが後ろめたい。なんで私は、どもってでも言わないのか。恥ずかしがっているんだと思う。その壁を突破できない。

伊藤 まず、そのゴール設定が根本的に間違っているんじゃないですかね。言い換えてしまった自分に、後ろめたさや罪悪感を持つことはやめましょうよ。アメリカの言語病理学者の中には、自分自身がどもっている研究者がたくさんいます。その人たちの中に、吃音と向き合うのであれば、どんなにどもっても言い換えしないで突破すべきだという考え方がありました。でも、スペンサー・ブラウンという人が、「そんな非現実的なことはどもる人に通用しない。そう言う研究者が言い換えを絶対していないと言い切れるのか」と言った。
 僕は、今、いっぱい言い換えをしていると思います。かなり巧妙になってきているので、無意識のレベルで、瞬間的に言い換えていることに、全く罪悪感がないので、言い換えをした意識すらなく、過ぎ去っていきます。
 4年前のオランダでの世界大会で、世界的に有名な小説家、デイビット・ミッチェルさんと仲良くなりました。東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール)の本を翻訳し、世界に東田さんを紹介した人です。ミッチェルさんも、ことばを言い換えることでやりくりしてきたんですが、13歳だったら絶対に使わない難しいことばを、どもりたくないからと、友人たちの中で使っている自分をまるで犯罪者のような感じを持っていたそうです。それで苦しくて苦しくて、吃音と戦ってきた。33歳のときに、今の苦しみは結局は、自分の中にあるどもりと戦っている、この戦いをやめないと、自分が壊れてしまう、もうこれ以上は悩みたくない、と何かの拍子にぱっと思った。これまで排除し続けようとしてきた、自分の中のどもりに、「どもりさん、僕の中に君はいてもいいよ」と、呼びかけたら、自分のこれまでのこだわり、悩みが消えたと話してくれました。
 どもりたくないために言い換えてきたことは、サハイバルだし、これまで生き延びてきた自分の才能で、工夫だったのだと全肯定をする。僕も、小学校に入る前のおつかいで、「たまご5個」が絶対に言えずに、小学校に入る前の子なら絶対に言わない、「鶏卵、下さい」と言った。それが、一番古い記憶です。言い換えは、どもる人にとっては、日常的なことです。デイビッド・ミッチェルさんも、ことばを言い換えてきたことが、ことばを吟味することになり、小説家になったときに、すごく活きている、役に立っていると言っていました。
 ことばを言い換えることを「ごまかす」という人がいますが、「サバイバル」と言っていいと思います。どんな手を使っても、相手との会話や仕事をこなしていきたい。自分がやりたいと思った仕事はがんばって続けたい。このことは決して逃げないけれど、ここは逃げてもいいと、逃げることにメリハリをもつことが大事だと思う。
 このワークショップに、何年か前に参加した教師は、普段教室で子どもに話すときは話せるが、卒業式で言いにくい名前の子がいたら言えないという不安で、高学年を受け持たないできた。でも、そうもいかなくなって、6年生をもった。4月から3月の卒業式のことばかり考えていた。それ、分かるでしょう。

横田 はい。とてもよく分かります。

伊藤 あと少しで卒業式がある、不安の極限状態になって、相談の電話がかかってきました。そういう局面で、あなたならどうしますか?

横田 なんとか言おうとしますかね、やっぱり。

伊藤 言おうとしたら言えるのかな。あなたの場合以上の緊張感の中で、子どもの名前を読み上げていって、次の「田中こうじ」が言えない。緊張感が高まりますよね。そのときにどうするかです。あなたは、「たたたたた、たたたた、えー、たたたた田中こうじ」と言う、ということですか。

横田 私の考え方の中には、それしか選択肢がないです。

伊藤 選択肢がないことが、あなたを苦しめているんだと思いますね。あなたのように、強行突破するのも、ひとつの方法として悪くはないけれど、戦略はいくつもあった方がいい。僕は、彼に、「どもる教師が、卒業式の体験を書いているので、送りましょうか」と言ったら、「いらない」と言う。日本吃音臨床研究会の封筒で送られてきたら、妻に自分が吃音に悩んでいることが知られる、それが嫌だと言う。その経緯を話すと長くなるので止めますが、結局は送りました。普段あまりどもらないから、同僚も、校長も、妻も吃音だとは知らない。あなたがどもることを知ってる人、いる?

横田 たぶん、いないと思います。

伊藤 そうですよね。専門家は、どもる症状さえ軽くすれば、事足りると錯覚をしている。僕は、たくさんのどもる人と出会っていますが、すごくどもっているのに、それなりに平気でやっている人もいれば、妻も知らない程度にしかどもらないのに、言語病理学からすれば、ほとんどどもらなくなっている優等生が、社会人になってから、とても悩み、困っている。そんなことは、アメリカでも重々知っているはずなのに、いまだに専門家は、吃音の症状の軽減や改善にこだわるんです。僕はとても不思議に思っています。
 僕は彼に、「妻、同僚、校長に自分のどもりのことを話して、相談しなさい」と提案しました。そして、いくつかの選択肢を提案しました。強行突破で「たたたたた田中」というのもいいし、教頭に横に立っていてもらって、がんばってみて、どうしても言えなかったら、合図をして、教頭に代わりに言ってもらうも選択肢に入れました。どの選択肢を選んだか知りませんが、無事に卒業式が終わってから、彼は電話をくれました。自分のことをさらけ出し、真実の自分を分かってもらい、子どもととてもいい関係で、卒業式を迎えられたと言っていました。今の話を聞いてどんな感想を持ちますか。

横田 なんとか言おうとすることだけ考えると、言い換えができないものがどうしても出てくる。会社名とか自分の名前は絶対変えられないので、ものすごく時間がかかっても、ものすごく変になっても言うしかないとずっと思っていました。でも、それには慣れることができない。何年経っても耐えられなくて、苦しくて、この方法じゃだめかなと思っていました。今、その方のお話をお闘きして、そうだと思いました。けれども、仲間内には吃音を打ち明けることができたとしても、外部と接する機会があるので、この世の中全体に私のどもりが知れ渡る状況は作れない。初めてのクライアントに電話するとき、あらかじめ、吃音のことを伝えられない、初めて電話する相手の場合はどうすればいいのか、疑問が残ります。

伊藤 落語家の桂文福さんは、40年間、どもりながら落語家として活躍していますが、文福さんは、ことばの言い換えを、「芸」だと言いました。文福さんの出身は和歌山ですが、「文福さん、どこの出身ですか」と聞かれたとき、「わ」が出ない。和歌山を別のことばには言い換えできない。「紀州です」と、瞬間的に変えたり、「近畿地方の和歌山です」など、言いにくい音があったら、瞬間的に、言いやすい音をつけて、その勢いで、ひゅっと言う。僕らは、それを「技」というけど、桂文福さんは、「芸」という。芸と表現するのはすごいなと思う。何かつけると言いやすいことはありますか。

横田 えーとか、あーとか、

伊藤 ああ、それじゃ、それをつけたらいい。

横田 でも、それは使えたり使えなかったりする。

伊藤 ほかのもので何かない? たとえば、他の人は自己紹介のとき、「横田です」、「伊藤です」と、言っていっても、「阪神ファンの横田です」が言えるなら、言えばいい。言いやすくてかっこいいフレーズをつけたら、ユニークな自己紹介ができる。

横田 会社の場合だったら、「初めてお電話します横田です」とか、ですか。

伊藤 「初めて電話します」を初めに言ったら、言いやすいんですか。

横田 はい。そういうのを使って言いやすくなるけれど、しばらく使っていると、だんだん言えなくなったりする。

伊藤 そうね。それが、ディストラクション効果(注意転換法)の限界なんだけどね。

横田 そうすると、やっぱりだめなんだなと思う。えーとか、あーとか言って、それも使えなくなって、ほんとに出なくなったとき、また振り出しだなあと思う。

伊藤 振り出しに戻る、か。今、その仕事をして何年になりますか。

横田 転職してきてるんですけど、今は、2年目です。その前は、教員をしていて、そのときはもっと電話に出ていました。京都にいたんですが、その「きょ」が出なくて、何々京都校なのに、内線でも外線でも、「きょきょきょ」と言っていた。そして、そこに居づらくなった。

伊藤 今まで勤めていた郵便局の名前は言いやすかったのが、転勤で、亀有郵便局に移り、「はい、こちら亀有郵便局です」が言えず、転職か郵便局を変えてもらうかと、すごく悩んだ人が、ワークショップにきました。さてどうしますか?

横田 今の私のテクニックでいうと、えーをつけるしかないので、「えー、亀有郵便局です」だけど、

伊藤 あーとかえーとか、これは普通に使うよね。みんなでいろいろ考えたけれど、亀有の「か」をやめて「めあり」郵便局でも、相手は亀有郵便局にかけてきているんだから、通用する。僕たちどもる人間は、一音一音ちゃんと言わなければならないというこだわりを捨てると生きやすい。高校生たちが「ありがとうございます」が言えないので、コンビニでバイトしたいけれどできないと悩む。そんな時、「あ」なんて言わないで、「りがとうございました」でも、十分に「ありがとう」になっている。通じさえすればいいと思えばいい。世の中には、滑舌が悪かったり、早口だったりする人は山ほどいるのに、それは度外視して、アナウンサークラスの人間と比べてどもる自分はだめだと思っている。要求水準をあまり高くしなければ、たぶん、同僚の中に、どもらないけれど、しどろもどろになって電話をしている人もいると思うけれど、どうですか?

横田 それはいます。

伊藤 いるでしょう。でも、その人たちは、そのことに対して、別にどうってことないと思っているわけだ。

横田 そうですね。

伊藤 自分の本来の仕事をまじめにきちっとできていれば、電話は、業務の中でしなければならないことだけで、どもってもいいと覚悟できればできる。あの手この手を使って悪あがきをして、どんな手を使ってもしのぐけれども、最後は、腹をくくって、どもる覚悟を決めたら、あなたの場合、楽になると思う。また、言い換えをすることは、生き延びるためのサバイバルで、どもる人のひとつの勲章みたいなものです。文福さんは「芸」と言い、僕らは「技」と言う。できるだけ技を、楽しみながら磨いていくのはどうでしょう。

横田 研究してみます。ほんとに私は、これまで選択肢を全然持ってなかったと知りました。

伊藤 そうですよね。僕たちが子どもたちやどもる人たちに伝えたいのは、どんな困難だと感じる場面に直面しても、その対処には、必ず複数の選択肢があるということです。僕たちは、奇想天外なことも含めて、選択肢を出してみるトレーニングをすることがあります。あなたは、どこかに行くとき、いつも決まった道しか行かないでしょう。

横田 ええ。(笑いながら)、同じ道だけでなく、食べるものも、同じものばっかり食べてます。

伊藤 そうでしょう。できるだけ、寄り道してみたり、違う道を通るようにすると、景色が変わる。これまで同じものばかり食べていたのなら、ちょっと違うものを食べてみるとか、行動パターンを変え、いろんな選択肢を探すようにすると、選択肢の幅が広がるので、ちょっと楽になると思う。会計事務所からの電話ということが伝われば、会計事務所の横田でも中村でも誰でもいいのですか。

横田 誰でもいいです。

伊藤 それなら、名前にこだわらないのもひとつの選択肢ですね。おもしろい話があります。電話のオペレーターをしている人が、なぜオペレーターの仕事を選んだのかと僕は思うけれど、最初の頃は言えたそうです。何年か経つうちに、自分の名前がどうしても言えなくなった。でも、電話は、ばんばんかかってくる。そのとき、どうするか。ちょっと選択肢を考えてみましょう。名前が出ない。電話はひっきりなしにかかってくる。さて、どうするかです。

井上 小さい声で、ぼそぼそと言う、とか。

岡本 私の場合は、私にとって言いやすいことばは何かと考えて、さらにこの場はどういう表現だったら許されるかと考えて、じゃ、一番目にこれを言おう、もし言えなかったら二番目にこれを言おう、それでも言えなかったらこれを言おうとしています。

伊藤 研究してますね。

岡本 その対策を順番に書いています。

伊藤 オペレーターの仕事なので、名前は絶対言わないといけない。選択肢を考えるには、常識的な選択肢ではだめで、奇想天外な、そんなことあり得ないと言われるような選択肢も考えていくと、結局は、常識的な選択肢に行き着きます。とりあえずは、非常識なことも含めて考える。どういう選択肢が考えられますか。

横田 名前しか言わないんですか。

伊藤 そう。最初はまず名前しか言わない。それが出れば、後は慣れている業務なのでいえるが、「横田」だけで止まっている。そういう状況のとき、どうしたらいいだろう。

横田 前職の教員時代、電話をとっても、こちらが何も言わないので、向こうがもしもしと言ってくれる。向こうが何か話し出すと、逆に言える。

伊藤 そういう間をとるのはいいですね。

岡本 私の場合、横田さんがおっしゃっていたような場面に、日常的に結構出くわして、同じような悩みを持っています。このことばを必ず電話で言わなければいけないと思っていたけれど、そもそも社名や名前を言う必要があるんだろうかと思い、自分の言いやすいように、ルールを変えていった。また、私の場合、社名が言いづらいけれど、自分の名前ならなんとか言えることが分かったので、私は、名前だけで取り次いでもらえるようにした。なんとか自分の言いやすいものに変えていくというアプローチをとった。

伊藤 すごいですね。僕は、大学の教員を辞めて、カレー専門店のオーナーシェフになった時、インドの詩人のタゴールが好きだったので、言いにくいのが分かっているのに、店の名前をタゴールとつけてほんとに苦しかった。でも、「タタタ・・」と言うと、相手が、「タゴールさんですね」と言ってくれた。こんな関係性ができた。あなたの場合は、そういう関係ができないんだろうけど。さて、この人がとった選択は、名前を変えることでした。

横田 えっ、名前をですか。

伊藤 想像できないでしょう。それもアリだったんですね。上司に、私は名前の横田が言えないので、会社では岡本にして下さいとお願いした。電話をしてきた人は、本当の名前を聞くことが重要なことではなく、何かトラブルが起きたときに、誰が対応したのかが分かれば誰でもいい。会社が了解してくれたので、会社では岡本さんになった。この話には驚きましたが、極端に言えば、それくらいの手を使ってでもいいんですね。僕たちはつらい思いをしてきたんだから。罪に問われない範囲でいくらでも柔軟に考えたらいい。子どもたちも、そんなサバイバルをしている。健康観察で、「片山ゆうた、元気です」が、どうしても言えないので、「たやまゆうた、元気です」と言っている。
 どうでもいいようなことは逃げる。どうですか。ご質問からここまできました。合点していただけましたでしょうか。

横田 選択肢がないという前提できたんですけど、いろいろあるんだなあと思いました。どもる状態は変化していくから、これ、使えるなと思ったら、しばらく使ってみて、まただめになったら、また入れ替えてみて、ローテーションにしていってもいいかなあと思えるようになりました。

伊藤 僕は、それを楽しくやってほしいんです。ああ、これ、だめだった。じゃ、次はこれか、みたいな、悲牡感ではなくて、おお、これもだめだったか。じゃ、次は何を考えようかな、みたいに。自分がどう生き延びるかの研究者になって考えて、おもしろいことを思いついたら、すごいな、俺はと、密かにガッッポーズをしたらいい。言い換えは、奨励する必要もないけれど、僕たちのサバイバル術として、持っておいたらいい。それに罪悪感を感じる必要もないし、卑下する必要もない。すべてを含めて、肯定することです。
 どもることを公表した方がいいか、しないほうがいいかの論議があるようですが、わざわざ自分はどもりですということを言わなくても、どもっていけば自然に分かることです。相手が分かったときは、笑ってそれを認め、分からなければそれで生き延びてもいい。そういう柔軟さがあっていい。いろいろと挑戦してみて下さい。横田さん、一番知りたかったことは聞けましたか。

横田 一番聞きたかったこと、どうしても突破できない、言えないことばは、どう考えても残るんだろうなと思っていた。それをうまくやりくりする方法があるんだなと気づいたので、よかったと思います。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/07/23

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