吃音相談・講演会in岡山 2  《2017年6月18日》

 2017年の岡山での吃音相談会・講演会の続きです。
 初めて参加した水上さんとの対話は、印象深く、心に残っています。真摯に自分の吃音と向き合う人との時間は、吃音の持つ豊かで奥深いものを感じるいい時間でした。また、2人の対話を支えてくれたのが周りの参加者でした。しっかりと話を聞き、最後にひとりずつコメントを寄せてくれました。対話の場を支えてもらいました。
 「スタタリング・ナウ」2017.9.19 NO.277 より紹介します。

【インタビューのつづき】

伊藤 吃音親子サマーキャンプに来ていた2人の話をします。由貴さんは、「これから、どもりがマイナスになることはないと思う」と言ってサマーキャンプを卒業した。大学は薬学部で、2年生のとき、急にものすごくどもりだした。今まで、そんなどもり方をしたことがない、親も僕たちもびっくりするすごいどもり方でした。こんなにどもっていて、薬剤師として仕事ができるかと、親は心配で相談してきた。僕は、親には、吃音は変化するものなので、その内変わるから何もしなくていいと伝えた。彼女は、小学校4年生のときから吃音親子サマーキャンプに参加してきているので、どもりながら生きていくこと学んできている。2年ほど、すごくどもる状態が続いたけれど、国家試験にも通って、薬剤師として大きな病院で働いている。これが、答えの出ない、困難な事態に耐え続ける力、「ネガティヴ・ケイパビリティ」です。これまでは、問題を解決する能力が必要とされてきたけれど、どうしようもない、どうしたらいいか分からない状態に耐えるのもひとつの能力です。彼女は、吃音が全然改善されないまま、大学で発表し、アルバイトもした。耐えていたら違う局面がくると、自分の力を信じて、耐えたんですね。
 もうひとり、雅貴さんは、消防士になりたいと相談してきました。僕は、「なれるよ。なったらいいと思う。話すことが少ないと思う職業に就いてもどもる苦労はついて回る。それなら、自分の好きな仕事で苦労した方がいい。嫌々、不本意ながら就いた仕事で苦労するよりは、自分のやりたい仕事で苦労した方がいい」と言ったら、消防士になる決意をして、東京都の試験には合格したが、消防学校は、点呼も多く、厳しい。教官から「そんなにどもっていて、東京都民の命が守れると思うのか。消防学校の内に治せ」と暗に辞めることを勧められた。彼は、「ネガティヴ・ケイパビリティ」があったんだね。毎日毎日、名前を言わなければならない、点呼しなければならない。そのたびに、どもって、周りからは「早く言え」と言われたりしながら、彼は1年間耐えて、消防学校を卒業し、消防士として、今がんばっている。吃音は、いつ、どんな場面でどもるか分からない、不確実な要素がいっぱいある。その事態に耐えていくしかない。
 あなたが教員になったら、いっぱいしんどいことや辛いことがあるだろうけれど、自分がしたい仕事で耐えていけば、きっと何かが変わる。生徒の名前が言えるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、教師の仕事は続けられる。現に僕のたくさんの仲間が、教師として働いてきたのがなによりの根拠です。
 さあ、ここまで話をしました。僕が質問し、自分からも話をしてくれて、いろんなどもる人の体験を話しました。感想を言って下さい。

水上 やっぱり教師になろうと思いました。また、できるだろうとの自信も出てきました。(拍手)

伊藤 よかったです。僕は高校2年生のとき、音読ができなくて、不登校になって、将来どんな仕事に就くか全くイメージができなかった。結局、僕は大阪教育大学という教員養成大学の教員になって、講義をしたり講演をしたりするようになったけれど、高校生の頃、そんな生活をするなんて、微塵も思えなかった。でも、実際やってみて、人前で話すときは、ひどくどもるときもあるし、あまりどもらないときもあるけれど、そんなことはどうでもいい。それよりは、自分の考えを率直に語るしかない。アルバイト先で、いろいろと工夫している話も聞くことができたし、教師になりたいとの強い意志もあるので、あなたなら、きっとできると思います。はい、お疲れ様でした。

【参加者とのやりとり】

伊藤 はい、これまでのやりとりを聞いていて下さった皆さんのコメントをお願いします。

参加者 まず、若い水上さんがものすごく考えて、しっかりと発言しているので、びっくりした。アルバイトの話を聞いていても、もうほとんど教師になる準備はできている。これから水上さんが実際教師として経験していかないと分からないかもしれないけど、目標のすぐ近くにいると思う。

参加者 明るく話す、水上さんの話を聞いていて、水上さんの自分らしさ、どもってもいいやという感じで、今、現在もっている明るさで、将来を明るくみつめて生きていければいいなと思いました。

参加者 我が子の担任の先生が、水上さんだったら、いいだろうと思いました。同じ立場じゃないと分からないこともあるし。吃音だけでなくて、発達障害や、貧困家庭、不登校の子と、いろいろな課題を抱えた子どもがいる中で、教育学だけを勉強して上からもの言う先生ではなくて、いろんなことを経験して、自分も悩みながら、子どものことを分かってくれて、一緒に考えてくれる先生だったら、どんなに保護者もいいか。ぜひ、先生になってがんばっていただきたいと思います。

参加者 ただただ圧倒されながら、二人の話を聞いていました。すごいなあと思ったのは、彼女の表清が、話し始めた最初と、最後の今とは全然違うことです。また、二人のやりとりのベクトルがきちんと向いていて、水上さんの言いたいことを伊藤さんがきちんと拾って、なおかつ伝えられたいことをしっかり伝えて、中途半端なところもなく、置き去りにされることもなく、対話が行き来し合って、伝えたいことがきちんと心に伝わり、次の話に続いていくところがすごいと思いました。とてもおもしろかったです。

参加者 私は幼稚園のことばの教室を担当しています。どもる子どもやその保護者が来られたとき、水上さんのような人に担当者になっていただいて、保護者に「そうだよね」と、子どもに「大丈夫だよ」と言ってもらえたら、それはきっと本物のことばだから、いいなあと思う。
 私は、どもる当事者ではないので、言い切ることも難しく、保護者にどうことばをかけたらいいのか、子どもにどう寄り添えばいいのか、伊藤さんの本を読んで、いろいろ考えているけれど、実際、お母さんに対して「治ることは、難しい」とはなかなか言えない。どもらない私には、ことばの教室の仕事が重いと思うことがたくさんある。私がやっていていいんだろうかと思うこともある。
 実際に、ことばの教室の先生でどもる人が、100人ほどが集まる担当者会で、「僕自身が吃音なので、子どもの気持ちがよく分かります」と言われていると、どもる人だからこそ、語れるものがあっていいなあ、うらやましいなと思う。
 ことばの教室の担当者として、いつも困っているのは、子どもが通っている園や小学校の担任の先生が、「ゆっくり言いなさい。ゆっくり言ったらいいんだよ」、「家でもっと練習してきたらいいんだよ」と声をかけることです。「ゆっくり言えば治るというものじゃないんです」と何回説明をしてもだめで、時間が経つと、また、「ゆっくり言ってごらん」と言っている。幼稚園や小学校の先生の中にどもる人がいて、吃音とはこういうものなんだよと日々アピールして下さればと思う。

伊藤 当事者でないと分からないとか、当事者に強みがあるというのは、逃げ口上です。「私はどもるから、どもる人の気持ちが分かる」というのは、幻想です。むしろ、当事者だからこそ、分からないというところがある。言語聴覚士の養成学校で講義をしていますが、どもるから、どもる人の気持ちが分かると、言語聴覚士を目指す子がいますが、基本的には、僕は賛成しません。どもりはひとりひとり違うので、自分の経験だけで言われると、却って大きなマイナスになるからです。自分の経験を客観化するのはとても難しい。どもらない人が、どもる人の気持ちを分かろうとする努力や、想像力の方が大事です。分かったような気になってしまうことの方が危険だと思います。吃音と向き合うことは、自分自身に向き合うこと、生きることと向き合うことなので、すべての人が当事者です。どもるかそうでないかは関係ない。

参加者 どもっていてもできない仕事はないということですが、面接官が吃音をどう思うかで、したい仕事ができるかの壁になる。舌が出るとか、反動をつけないと話せないことに、面接官がどう思うかということも、あるんじゃないかと思う。

伊藤 理解してくれる面接官ばかりではないのはその通りだと思います。しかし、面接官がどうだ、社会の理解がどうだと言ってしまうと、そうではない現実の中では、恐ろしくて立ちすくんでしまい、理解されない限り、何もできないことになってしまいかねない。理解のない人と向き合ったとき、対話をしながら、自分はこれはできないけれど、これはできると、きちんと説明できる必要がある。社会が理解してくれたら、この子はちゃんと仕事に就けるけれど、そうでないとだめだと考えると、子どもの可能性を閉ざしてしまうことになる。理解してくれる人はきっといると信じて、人に関わっていくしかない。また、吃音以外のことで努力をし、実力をつける、人生に対する誠実さ、まじめさが問われるんだと思います。

参加者 実際、そういうふうに自分に吃音があることで、こんな仕事ができるんですよと逆にアピールできるとか、吃音があることで相手の気持ちが分かることでできる仕事がありますよとか、セールスポイントになっていけばいいんでしょうけど、いろいろ大変だろうなとは思いますが。

伊藤 大変だからこそ、生きる力が出てくる。「どもる君には無理だ」と言う消防学校の教官に、どもる僕たちには、ひどいことを言うと思うけれど、消防署の人間としては、当然のことを言っていると考えているのでしょう。確かに、どもることはハンディになることもあるけれど、彼が一所懸命努力したのは、消防服に早く着替えることや、消防士としての運動能力を高めるためにからだを鍛えた。その努力は高く評価されている。どもることだけを考えたら、そこで萎縮してしまうけれども、その他でがんばろうとするエネルギーが持てるような子どもになってほしいなと思う。

参加者 私は吃音ではなく、教員です。皆さんが、考える基準になる「吃音」を持っていることが、すごくすてきだなと思います。教師として自分に迷いがあるときは、伊藤伸二さんたちと吃音について考えたいと思います。教員も持ち味がないといけない。水上さんのような人がいることで、学校環境がいいものになる。自分なりの生き方で、子どもを大切にしていける教師仲間ができるととってもうれしい。話の浅い人の言うことは、結局、子どもは聞かないし、本当にこの人には、伝えたいことがあるということは、空気感でも伝わるし、子どもは聞いてくれる。

参加者 私の人生のテーマは、どもりを克服することで、どもらなくなることがいいことだと思って、どもりを少しでも軽減する方法があったら教えてほしいと思って、ここに参加したんです。表面的ではなく、内面的な話で楽しく充実していて、びっくりしました。
 私は幼稚園前からどもっていて、親にも誰にも言えず、高校を卒業するくらいまで、毎日が地獄のようで、死にたいと思ったことがあった。今、私は65歳になりますが、死ななくてよかったと思います。今、どもっていても、幸せです。
 私は、少しでも吃音を克服し、軽くなればと、初対面の人としゃべる時、私は自分がどもることを言い、できるだけ人と話すようにして、だんだんしゃべれるようになりました。今も、どもりのことは、本当は気にしているんですが、「私自身が気にしていないんだから、あなたも気にしないでね」と言います。そしたら、向こうも気にしないです。人と話すときも練習のように思ってきたんですけど、今の瞬間まで、どもっていてもいいんだということが分かってなかった。今日参加して、吃音に対する考え方が、180度わりました。今からは、治すことを考えず、人と話していきます。今からの私の人生のテーマは、どうやってこれから人に私の体験を伝えていくかになりました。

参加者 2人の話を聞いて、伊藤さんが最後に言った、苦しむんだったら、自分の好きな仕事をして苦しんだ方がいいというのが一番心に残った。私は、吃音ではありません。今、システムエンジニアをやっていまして、本当になりたかった職業は通訳です。英語が好きで得意だったので通訳に憧れていたけれど、しゃべるのが苦手だったので、職業を決めるとき、通訳になろうとは思わなかった。水上さんは、がんばって先生になろうと思っているので、うらやましいなと思いました。

参加者 水上さんが、中学、高校とどもっても、それなりに、生き抜いてきたのは、これから絶対プラスになると思います。私にはできなかった。私は、「分かりません」、「うるさい、先こう」と言って、どもるのが嫌で逃げました。未だに、逃げたときの気持ちが残っている。伊藤さんは不安がないと言ったけど、私は、大事な発表などの時は不安がある。以前は、1週間、うつ状態が続いたけれど、最近は、大体15分くらいになった。回復力は、少しついてきたかなあと思います。
 ぜひ、いっぱいどもる先生になっていただきたい。どもりながら授業する先生がいる。どもる生徒もいる。他の障害の人も、耳の聞こえない人も同じところで話をしながら教育ができたらいいなあと思っています。そういう現場をぜひ作って下さい。自分もこれから作ろうと思います。

伊藤 最後に、水上さんの参考になればと、ふたりの教員の話をします。
 お配りした資料『吃音を生きるⅡ』(大阪スタタリングプロジェクト)に、大阪府の教員採用試験の体験を書いている女性がいます。「名前と自己アピールをどうぞ」言われて、手を振っても、体でリズムをとっても出ません。面接官は不思議そうに見つめます。「もうこれで落ちた」と思った彼女さんは、思い切って「私はどもります。だから名前が言えませんでした」と言いました。すると面接官が「いいですよ、ゆっくりで」と言ってくれて、なんとか名前が言えて「今までどもりに悩んできた私だから、できることがある」と話しました。面接の最後に、面接官が「あなたのような人が、教員になってくれたらいいですね」と言ってくれた。そのことばで、採用試験に不合格でもいいやと思ったけど、彼女は採用された。卒業式など困ることもあるが、がんばっています。
 もうひとりは、僕が大阪教育大学の教員時代の学生で、水上さんとは比べものにならないくらい、どもっていました。彼女は、教員になるつもりは全然なかったのですが、4年間、僕たちと一緒に活動する中で、島根県の採用試験を受けて、受かってしまった。最終面接で、あまりどもるので、島根県の教育委員会が、こんなにどもる人が教員になっていいのかと心配になって、大阪教育大学と教育実習先に連絡があった。大阪教育大学側は、彼女のような人こそ教員になるべきだと強く推薦しました。結局、彼女は、島根県の採用試験に合格して、教員になりますが、最初の5、6年は、新しい職場での自己紹介で名前が言えない、職員会議でしゃべれないなど苦労したが、「ネガティヴ・ケイパビリティ」で耐えて、教員生活を続けました。20何年ぶりかで島根県で会ったときには、あれだけどもっていた彼女があまりどもらなくなっていました。教員生活で、どもりながらも話していく中で、少しずつ変わっていったんですね。
 その佐々木和子さんですが、大阪教育大学の言語障害児教育教員養成課程で吃音をしっかり勉強し、自分自身がどもりで苦しんで生きてきて、結婚して、子どもができて、自分もどもる人間として立派に教師として生きてきたにもかかわらず、自分の子どもがどもり始めたときには慌てました。何にもならないと分かっていながら、自分が言われたら嫌で、自分もできなかったのに、子どものどもる姿が見たくなくて、「ゆっくり言いなさい」と言ってしまう。自分自身の問題と、子どもの問題とは違うんですね。
 さきほどの話で、幼稚園のことばの教室担当者が、私は当事者じゃないからというのは、逃げ口上で、潔くないと言いました。ほんとのところはどもる当事者であっても、間違ったことをしてしまう。そして、お互いが分かり合えないんです。これが大前提です。同じようにどもるからといって、当事者の気持ちなんて分からないです。
 すごくどもっていて、日常生活の中で一言一言どもっている人と、あまり普段はどもらないのに、ちょっとの場面でどもる人との悩みは全く違います。それだけしゃべれているんだから、文句ないんじゃないかと言ってしまったり、反対に、ほとんどどもっていないのに悩んでいる人の悩みが全然理解できないとか、同じような程度でどもっていても、親の経済力があるかないかでも悩みは全然違う。ひとりひとりが全然違うとなると、当事者であるかどうかは関係がない。つまり、欠点や障害をもちながらどう生きるか、挫折や困難な場面をどう生きてきたかなど、自分自身が、生きるということをずっと考えてきたとしたら、堂々と、自分は自分なりに、僕の本でもいいけれど、専門家として勉強した範囲の中で、きちっといかに伝えるかであって、当事者だから説得力があるとかないとかではありません。

参加者 安心しました。どもる教員をうらやましく思うのはやめます。私もいろんな経験をして生きてきたのですから。自信をもっていけそうです。あまり自信をもってはいけないのかもしれないけれど。

伊藤 自信をもっていいです。これまで、挫折したり、いろいろ苦しい経験をしながらあなたも生きてきたと思うので、そういう工夫や考えてきたことは、きっと生きていると思う。それらをもとにして、相手のことは、100%は分からないけれども、私としてはこう思うということは、悪びれずに自信をもって伝えればいいと思います。
 皆さんが、水上さんにいろいろとコメントをし、彼女もしっかりとそれを受け止めたと思います。みんなが言うように、人の痛み、苦しみをきちんと受け止められるような人間が教員になるべきだと思います。水上さん、がんばって下さい。陰ながらみんな応援していますよ。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/07/03

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