「子どものレジリエンスを育てる」―ナラティヴからレジリエンスヘ―          ~「第5回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」報告~

 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶ季節がやってきました。

 8月1・2日、「どもる君へ いま伝えたいこと」をテーマに、第13回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を愛知県で、8月21・22・23日、第35回吃音親子サマーキャンプを大阪府で開催します。ホームページに詳細を掲載していますので、ごらんください。
 今日は、第5回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の様子を報告します。(「スタタリング・ナウ」2017.6.20 NO.274 より)

「子どものレジリエンスを育てる」―ナラティヴからレジリエンスヘ―
          ~「第5回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」報告~
                 2016年8月11・12日 愛知県・岩倉市生涯学習センター
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

はじめに

 ここ数年、発達障害者支援法の支援の対象に吃音が含まれた認識が広がってきたこともあってか、吃音に関するニュースが新聞で取り上げられ、テレビ番組でも特集されることが増えてきた。また、どもる人を主人公とするドラマ「ラブソング」が2016年4月から6月まで全10話で放映された。しかし、これらの報道等は世間の耳目を集めるためにセンセーショナルに、あるいは面白おかしく構成され、どもる子どもをもつ親に少なからぬ動揺を与えているように思う。
 今回の吃音講習会の実行委員長、愛知県岩倉市立岩倉東小学校の奥村寿英さんもその認識と危機感をもつ一人だ。吃音の課題がどこにあり、ことばの教室の役割はどこにあるのかを、この講習会が提唱するナラティヴやレジリエンスのプリズムを通してしっかりと考えたい。それはこの7月に開催された全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会のテーマである「暮らし」という視点とシンクロするに違いない、という奥村さんの挨拶で5回目を迎える吃音講習会が始まった。

基調提案①
  「吃音にとって、なぜレジリエンスなのか」
                      日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さん

伊藤伸二さんの歩みから
 「伊藤さんはいつも自分の話をしている」とは2回目の講習会の講師、九州大学の高松里さんの言葉だ。伊藤伸二さんが話すのは自身の経験と多くのどもる人たちとの出会いの中から紡ぎ出され、鍛えられた言葉である。エビデンスに基づく言葉、考え方なのだ。
 伊藤さんが語る吃音ストーリーの転機は2つある。最初は小学2年の秋、どもりながらも明るく快活な伊藤少年は学芸会の主役は自分であると思っていたのだが、「どもったらかわいそう」の配慮からか、台詞のある役から外された。これを伊藤少年は「どもりは悪い、劣った、恥ずかしいもの」のレッテルとして受け止めた。以来、伊藤少年の明るさは影を潜め、どもりから逃げ続け、消極的で万事に覇気のない、アドラー心理学でいう劣等コンプレックスに陥った学校生活を送った。
 二つ目は21歳のとき。「どもりが治らなければ人生は開けない」と東京正生学院という民間吃音矯正所に入所し、一所懸命に治療と称するプログラムに取り組んだ経験だ。伊藤さんを含め、300人全員が治らなかった。治ったと退所した人も再び戻ってくる事実に出会い、言語訓練結果を日常生活に活かすのは無理だと、治すことは諦めた。

 しかし、合宿を通して同じような課題をもつ人たちとの語り合いの経験を伊藤さんは「まるでお祭りのようだった」と述懐する。吃音であれば皆、同じように悩み、人生に歩み出せずにいると思っていたのに、家族をもち、職業人として社会生活を送っている人との出会いは当時の伊藤さんには驚きであった。どもっていれば就職できないという思い込みから解放され、それが吃音に対する自身の態度を変化させ得ることを知った。この驚きに導かれて、伊藤さんは大阪教育大学の教員時代に全国吃音巡回相談会というキャラバンに出かけ、苦労はしながらも自分の人生を歩んでいる多くの人たちと出会い、人はどもりとともに生きていけるという吃音哲学を掴むことになる。異口同音という言葉があるが、同じどもりという課題をもち、そこで共感できる「同音」のメンバーでありながらも、吃音や吃音から受ける影響である人や社会、人生との向き合い方は驚くほど違うという「異口」の多様性を知った。

 こうした経験が伊藤さんをセルフヘルプグループ活動へ向かわせた。グループでの語り合いは伊藤さんたちにどもりながらも人生の課題に向き合い、それなりに対処してきた、サバイバルしてきた事実を発見させ、自信を与えた。自らを縛っていたドミナント・ストーリーから、それとは別の隠れていたオルタナティヴ・ストーリーへと自分の吃音ストーリーの書き換えが共同の作業として行われていった。また、伊藤さんは精力的にグループの活動を企画、実行、リーダーシップを発揮していった。吃音から逃げたいばかりに学校生活を投げやりに過ごし、生きもの係とかクラスの委員を何一つ担ってこなかった伊藤さんは、エリクソンが学童期までに獲得すべきものとしてあげた自発性、勤勉性などの性向をこうしたセルフヘルプグループでの活動を通して育てていくことができた。これらは逆境の中にあっても自身を支え、回復させていく力であるレジリエンスと考えることができるものだろう。

 この講習会はナラティヴとレジリエンスを方法論の柱としている。心理学や精神医療、教育、福祉等の領域で最近注目を集めている思潮に乗ったのではなく、伊藤さんの吃音の課題への取り組みの軌跡、セルフヘルプグループで実践し培ってきたものが、言葉こそ知らなかったもののナラティヴとレジリエンスという概念、方法で吃音と向き合ってきたことを発見したのだ。時代の思潮が伊藤さんに追いついたのだ。

アメリカ言語病理学を超えて
 伊藤さんが日米の研究者、臨床家が見過ごしている、アメリカ言語病理学の精髄であるウェンデル・ジョンソンの言語関係図やジョセフ・G・シーアンの吃音氷山説の問いかけるものを受け継ぎ、発展させているのはその理論を知る前に既に自身の経験の中から、そのエッセンスを掴んでいたからに違いない。
 伊藤さんはアメリカ言語病理学や日本のほとんどの研究者、臨床家が唱える吃音を「治す」、「軽くする」という方向は「根拠のない楽天主義」だと喝破する。いつか治る、コントロールできるようになる、よい治療法ができるはずだなどの期待はその人の人生を無駄に足踏みさせるだけだ。吃音の悩みの本質はどもることを言い訳にして、本来向き合わねばならない、学びや恋愛、仕事等の人生の課題から逃げ続け、自身の人生に歩み出せなかったことにある。最新の言語訓練とされるバリー・ギターの「ゆっくり、そっと、やわらかく」の不自然な話し方にしかならない流暢性形成技法は、どもる人の誰でもが教えられなくても思いつき、試み、失敗している方法なのだ。こうした訓練で、どもり方が多少軽くなったとしても、それはさらに吃音を隠し、逃げることへとつながり、吃音に囚われ続けることになりかねない。悩みは深くなるばかりである。これは他の領域の課題や障害といわれるものとは異なる吃音独特のメカニズムである。どもる状態の軽減にほとんど意味がないことに臨床家は気づいてほしい。

 シーアンは吃音を非流暢性の問題として考える専門家は無責任だと指摘している。流暢性の獲得は間接的にもたらされることを知る必要がある。それに、吃音の課題はライフステージごとに変わることを考えたとき、流暢性にこだわることにどれほどの意味があるのだろうか。大阪吃音教室にはそれまで会社でそれなりにやっていたものの、職制が上がって会議の司会で、「起立、礼、着席」が言えないとの悩みで扉を叩く人が毎年のように参加する。普段はあまりどもらないので、人前で短いことばをどもりたくない。これを伊藤さんは、「どもれない苦悩」という。少しどもっても、と思えれば司会はできるはずだが、これまで隠してきた吃音を、人前でさらしたくないのだ。この背景には学童期の音読でどもって、からかわれて恥ずかしかった経験があって、どもると評価されないという思い込みに支配されたストーリーを生きてきたのだろう。吃音そのものに悩むのではなく、吃音否定の物語に悩んできたのだ。吃音という問題とその影響を分けて考え、否定の物語を肯定の物語に書き換えることが求められる。ナラティヴ・アプローチを学ぶ意味はここにある。この人に必要なのは言語訓練ではなく、言語関係図のZ軸、自身の吃音に対する態度へのアプローチなのだ。

 伊藤さんが提唱するのは「根拠ある楽観主義」だ。学資と生活費を稼ぐためにありとあらゆるアルバイトを体験した伊藤さんが得たのは「どもってできないことは何もない」の現実だ。アナウンサー、落語家、刑務官、営業職、医師、教員等、ありとあらゆる職業にどもる人は就いている。治したいと思っている人も、既にどもりとともに生きているのが事実だ。不本意ではなく、納得してどもりとともに生きていきたいものではないか。
 伊藤さんはそれをセルフヘルプグループで実践し、大勢のどもる人々とともに歩んできた。アメリカ言語病理学の吃音を治すための言語訓練が難行苦行だとしたら、物語を書き換え、そのことを通して自身の強みであるレジリエンスを発見し育んでいくこと、そのために自分の人生を丁寧に大切に生きることは、どもる決心と覚悟があれば誰にでもできる易行だと伊藤さんは楽観的だ。しかし、易行は原則的でシンプルなだけに、時、所、人で伝え方にバリエーションが求められる。明快な教えを説くイエスや仏陀の話が喩えで満ちているように。

 最近の伊藤さんは講演等を行う際、十分に話を練り、レジュメを準備しながらも、いざ話す段階になると、参加者の顔を見て、その反応に呼応しながらその場で思いついた言葉、エピソードを語っている。それはひとつの言葉が次の言葉を喚起し、ひとつのエピソードが次のエピソードを想起させる流れるような場、時間だ。どこに辿りつくのかわからないミステリー・ツアーだが、私は安心して参加している。第一回吃音問題研究国際大会を主催した頃の伊藤さんは大学教員として人前で話す機会が増え、講義、講演等ではほとんどどもらなくなったというが、自在さに欠ける話しぶりではなかったかと想像する。伊藤さんはその話し方、言葉を竹内敏晴に壊されたエピソードを嬉しそうによく語る。竹内敏晴が伊藤さんに伝えたかったのは、言葉はその場の共同の営みとして発せられ、生成されていくものであることではなかったか。その場で生まれた言葉が言いにくい音であり、どもる波がくればよくどもることにはなるだろうが、その話は自由自在であり、参加者にはよく伝わる言葉、話となるだろう。ミステリー・ツアーが心地よく、伊藤さんの思考に聞くほうも参加しているようなライブ感があるのはそれゆえだ。

語るべき物語
 現在、東京で消防士として働く兵頭雅貴さんは小学2年の彼に薬を処方する医師の対応に不安を抱いた母親が伊藤さんに相談したことがきっかけで、どもる大人のための、大阪吃音教室に小学5年から参加した青年だ。点呼や号令がつきものの消防学校時代の教官からの「どもりを治せ」や「そんなことで東京都民の命が守れるのか」と理不尽な叱責に耐え、初志を貫けた兵頭さんは小学校の頃に日記をつける習慣をもっていた。日記を書くことを通して、自己の体験や気持ちを整理し見つめた。それはウォーリンがレジリエンスとして挙げる「洞察力」を培うことになっただろう。辛い体験に飲み込まれることなく耐え、凌ぐことができたのには彼が大阪吃音教室のプログラムである論理療法をその洞察力ゆえに深く了解し、適切な感情と不適切な感情を分けるなどのことができたことも支えになったのだろう。辛い時期にサマーキャンプの事前レッスンに参加して、身体を動かし声を出して、自身を確かめていた彼の姿を思い出す。彼にきっかけを与えた親の、多くの情報の中から伊藤さんをキャッチした力、一所懸命にレッスンに参加する彼をそれとなく見守り、声をかける仲間の存在。レジリエンスも言葉と同様、こういう共同の営みの中で見出され、育まれていくものだろう。

 兵頭さんはいまでも点呼等は苦手らしいが、訓練には人一倍励み、消防技術、体力では一目置かれた存在だ。スキャットマン・ジョンはどもりを逆手にとって彼オリジナルのスキャットで一世を風靡した。全難言・島根大会で、ある小児科医が、発達障害を「何々の苦手」と表現していた。
 吃音を、言語障害というより、「発音、発声の苦手」と捉えるほうがナラティヴやレジリエンスと相性がいいのではないだろうか。

講義「ナラティヴとは何か?/レジリエンスの心理学」
                     滋賀県立大学 松嶋秀明さん

松嶋秀明さんのナラティヴ
 「雨降って、地固まる」という言葉がある。雨には雨の都合があり、地には地の論理と思いがあるのだろうが、両者の物語を結びいろいろあったが結果としてうまくやっているというようにつなげ、よりよい未来をつくろうとする言語活動のことを松嶋秀明さんはナラティヴと説明し、自身のストーリーを語った。

 最近、「妖怪ウォッチ」が大好きな松嶋さんの息子は父の影響で「ドラえもん」の面白さにも目覚め、松嶋さんは親子のつながりをより強く感じているのだが、ドラえもんは松嶋さんにとって自身を語るうえで欠かせないアイテムである。付き合いは小学生の頃に遡る。風邪を引いて寝込んでいる松嶋さんは母親が買ってきてくれたドラえもんの漫画を読んで、楽しく大いに笑う時間を過ごし、気がつけば症状が引き、風邪が治ったという体験をした。以来、母親は「ドラえもんは命の恩人やね」とことあるごとに語るようになる。医学的関連は別に、両者の間に因果関係を認め、家族の、松嶋さんの物語として繰り返し母親が語ってくれることで、ドラえもんはいつしか松嶋さんにとって特別な存在となり、絵も上手に描けるようにもなった。それがクラスの中で「絵がうまい松嶋くん」、「ドラえもんといえば松嶋くん」の評価を生み、運動会の応援団旗をみんなに勧められるままに描き、誉められるという誇らしい経験もした。
ドラえもんは今風に言えば「気になる子ども」であった松嶋さんの学校生活を支えたのである。

 ナラティヴの生成には「雨降って、地固まる」と語り合える相手、家族の物語として話し合える母親といった他者、それをナラティヴ・アプローチでは共著者というが、そうした存在が不可欠なのだ。ここに専門家の立ち位置がある。松嶋さんは臨床心理士でもあるのだが、一般的にこうした専門家、セラピストは対象となる人を何らかの検査法等によってアセスメントするが、ナラティヴ・アプローチではそれを薄い記述と捉え、両者の相互作用による「厚い記述」を求めている。そのための方法が「外在化」と呼ばれるものである。

 例えば、「あなたはどういう時にどもるのか?」という問いかけは、どもりをその人自身の問題と意識させてしまう問い方だが、「どもりはあなたが友だちと話している時にどんな影響を及ぼすのか?」の問いは、吃音を自身から引き離して考察する視点を与えることになる。こうして吃音と吃音から受ける影響を分けて考え、影響を受けながらもサバイバルした、うまく乗り切ったという「ユニークな結果」を見出す。そして、そのストーリーをセラピストとともに広げていくことで問題とされることに対する新たな語り方を創造する。つまり新たなアイデンティティを確定することを目指す。問題はそのまま残り、解決されてはいないものの解消される。ここで示唆されているのは「問題が問題であって、人や人間関係が問題ではない」ということ。問題に対する私たちの関係が問題なのであるというナラティヴ・アプローチの基本的な考え方である。

 この背景にあるのが「ことばが世界をつくる」、「ことばが現実をつくる」という社会構成主義の世界観である。世界や自己を理解するために私たちが使用する言葉によって、現実はつくられるのである。例えば、一昔前なら特定の分野に詳しいことからクラスの中で「博士」と呼ばれ包摂されていた生徒が、現在では「アスペルガー障害」という診断名によって支援の対象とされるように。発達障害という概念は科学的、医学的概念ではなく社会構成主義的につくられた概念であると知るべきだろう。支援の対象として自明のものなのかが問われねばならない。吃音を障害と考えるのか、ことばの特徴と理解するのか、または発音、発声の苦手と捉えるのか。私たちに求められるのは、その言葉を使うことによってその人の人生がどうなるかという視点である。

非行に走る中学生のレジリエンス
 レジリエンスとは個人の中に見出される、困難な状況にも適応する強み、本人を支えている性向のようなもののことをいう。松嶋さんはレジリエンスは個人の中に備わっている能力のようなものというより、周囲とともにつくりあげていくものだと強調する。本人に敏感に対応し、信頼関係をもつことのできる、情緒の安定した他者の存在が不可欠なのだ。

 松嶋さんはそれを授業に出ずに廊下にたむろする、いわゆる「ヤンキー」や「ヤンチャ」と呼ばれる中学生と向き合い、その立ち直りを参与観察してきた経験から語る。一般的には家出は非行の始まりと理解されるが、例えば親から虐待に合っている生徒にとってその家から逃げること、家出はレジリエンスを発揮した行為だ。非行ではないが過酷ないじめの渦中にある子どもには、不登校はレジリエンスなのだ。周囲の大人には本人のとる、ある意味でパワフルな戦略を社会的に受け入れられるものへと促していくことが求められる。本人が必要な資源にアクセスできるための「舵取り」とそれを利用できるよう「交渉」するのを援助するのである。そのためにはその生徒の真実を聴く姿勢が関わるものの倫理となる。伊藤さんはそれを対等性という言葉で表現している。

対談 松嶋秀明さん&伊藤伸二さん

吃音の臨床
 冒頭、伊藤さんは再度、小学2年の学芸会での担任の「配慮の暴力」で、「吃音は劣ったもの」のレッテルを引き受けてしまったことから吃音に悩む人生が始まったこと。セルプヘルプグループの活動の中でどもる状態の軽重とは関係なく、吃音とともに豊かに生きている多くの人々と出会い、自らに貼ったレッテルから解放されたことで人生が始まったことを振り返り、吃音否定から吃音肯定へのナラティヴの書き換えが吃音の臨床の本質であると定義する。

 ことばの教室の役割もここにある。通常学級で起こるであろうことにどう対処するのか、子どもが自分の課題として吃音をどう位置づけるのかを一緒に考える場。子どもの自己概念を育て、自身を語る言葉を鍛えていく場なのだ。教室で楽しく遊んでいるだけの時間であっても、子どもにとってはクラスであった辛いことから自身を回復させよう、元気を取り戻そうとしている時間、つまりレジリエンスを育てている時間なのだ。子どもが変わっていく場は、学校では通常学級においてでしかない。親、教員、言語聴覚士などの臨床家はそれを支える存在、特にことばの教室の教員は子どもがクラスであったことを持ち込む場における、子どもの当事者研究の共同研究者の役割がある。

 「転ばぬ先の杖」は、今の特別支援教育の流れでいうと環境調整という考え方だろう。しかし、人は転ぶものであり、親、教員より長生きするであろう子どもの環境を調整し続けることは不可能だ。子どもが経験し、やがてはそこから立ち直っていくであろう苦労や失敗を奪ってはならない。北海道・浦河にある精神障害の人たちのコミュニティであるべてるの家が主張するのは「苦労を取り戻す」だ。過剰な投薬で症状のみを抑えようとするのではなく、日常生活の中で繰り返す失敗を仲間とともに語り合い、自身を助ける方法を編み出すという人間的連帯に基づく実践である。

 私たちはどもる子どもがどもりながら生きていること自体が既にレジリエンスを証していることに気づくべきだろう。リッカム・プログラムが導入され、これまでタブーとされてきた言葉の流暢性の訓練、指導が幼児吃音の世界に入ってきた。保育園や幼稚園であったことを親に一杯話したいと思っている子どもの、その話す内容ではなく、どもる話し方にしか注目しないこの方法は幼い子どもに否定的な自己概念を与えることになる、ネガティヴな自己物語を形成させてしまうことになるのではないか。伊藤さんが、最近精力的に幼児吃音の課題に取り組む理由はここにある。

松嶋さんのフィールドから
 昨今、学校現場で聞かれる「気になる子どもの保護者が医療につながってくれない」との教員の発言は、発達障害と診断されることによって何か目覚しいアプローチや特別な治療法があるのではないかという幻想に過ぎない。日常に起きる出来事に丁寧に向き合う以上のことはないと、松嶋さんはいう。

 松嶋さんがフィールドとする児童自立支援施設においても同様だ。厚生労働省管轄のこの施設は不良行為をする、もしくはするおそれのある、または家庭環境上の理由で生活指導等が必要な児童が入所するところで、一般的にイメージされるような更生のための施設ではない。松嶋さんの言い方だと子どもが大事にされる場所、失敗しながらも次に進んでいける基礎を培う場所なのだ。そのために行われていることはある職員の言葉をかりれば、「当たり前の生活をするために当たり前のことを毎日当たり前にする」ということ。毎日、三度の温かい食事があり、風呂に入り、清潔な衣服と寝床がある日常の繰り返しに尽きるというが、これは決してこの職員の謙遜ではないと松嶋さんは指摘する。携帯電話もゲームもない環境ながら、「ここは案外といいところですよ」という子どもがいる。入所する子どもたちの多くはこうした当たり前が奪われ、家庭より深夜の繁華街のほうが安全であった現実を私たちはあまりにも知らない。

 児童自立支援施設は子どもたちに安全と安心と、大事にされる経験を提供する場だ。それを支えるのが職員の役割だが、それは入所の期間に限ったことではない。退所後、犯罪に手を染めてしまう子どももいるが、ある意味で織り込み済みのこと、失敗も含めて子どもは前に進んでいく。必要とあれば裁判の証言台にも立つというある職員の言葉、覚悟を松嶋さんは語ってくれた。そこまでの関係性があってはじめて人は変わることができるのだ。

再び吃音の臨床について
 長いスパンでの子どもとの関係性という点でいえば、四半世紀を超える夏の「吃音親子サマーキャンプ」を通して、伊藤さんとキャンプを支えるスタッフは子どもの成長を見続けてきた。私たちの仲間には通級を卒業し、次の段階の学校へと進学してからもその子どもとのつながりをもっていることばの教室の教員がいる。こうした長い期間の付き合いの中から、私たちはどもる子どもたちがどもりの影響への向き合い方とそれを通したアイデンティティ形成の課題に取り組み、いろいろと困難はあるだろうが、それでも自身の人生を開いていく姿を見てきた。私たちのエビデンスである。

 「吃音を治したい」との子ども、保護者のニーズに寄り添うという立場、考え方は一見、当事者ファーストのようでありながら問題の先送り、臨床家として無責任なあり方だ。世界最高の臨床家のチャールズ・ヴァン・ライパーは数千人のどもる人の臨床にあたりながら、自身を含め誰一人として治せなかったったという、重い事実を私たちは受け止めるべきだろう。ライパーは最後までどもり方をコントロールすることを諦めきれなかったが、どもる事実を認めよう、自分のどもりを受け入れようと述べている。私たちはむしろ治せないところからこそ吃音臨床の専門性が立ち上がってくる、臨床家の「無知の姿勢」に基づいたアプローチが始まると考える。松嶋さんは「ナラティヴ・アプローチはじわじわ効いてくるアプローチである」というが、キャンプが四半世紀、セルフヘルプグループ活動が半世紀以上の活動歴をもつのもじわじわと参加者を幸せにしているからだ。ライフステージごとに取り組める課題が一杯あり、どもる人自身も一研究者、専門家として参加できる楽しさがなければこれだけ長く、しかも手弁当での活動が続くはずがない。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/17

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