相手への関心と好奇心
最近、対話が大切だ、ということがよく言われます。家庭や学校などという狭い範囲から、国際情勢という広い範囲まで、対話の話題が出ないことはないといってもいいくらい、よく目にします。一昨日の新聞に、対話が大切だと言っておけばいいみたいな風潮があるけれど、対話の前に出会いが必要ではないか、とありました。確かに対話をするには、その前に出会いがないと成り立ちません。僕は、それに加えて、対話の前に、相手への関心が大切だと思います。相手への好奇心といってもいいでしょう。好奇心は、非認知能力のひとつとして、挙がっていたことです。相手への関心をもち、好奇心をもって相手に質問することから、対話は始まります。そこに、人間関係の鍵があるように思うのです。
今日は、「スタタリング・ナウ」」2017.5.20 NO.273 を紹介します。まずは、巻頭言です。
2ページからは、昨日のつづきです。
相手への関心と好奇心
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「声が出なくて、言いたいことが言えないんだよ」
「じゃあ、ゆっくりしゃべったら」
新学年が始まり、学校から帰ってきた中学1年生の男子と母親の会話だ。これでは後が続かない。
小学生から中学生になるときは誰もが、期待はあるが、不安や恐れももつ。まして、どもる子どもであればなおさらだ。私は、小学5年生の終わり頃から、中学校での最初の自己紹介を恐れていた。3月の春の風がからだに感じられる頃、私はいつも、新学期を思って不安定になっていた。
親との関係が悪かったわけではないが、吃音について、なぜなのかは分からないが話せなかった。もし私が、「声が出なくて、言いたいことが言えない」と話せて、母親が「そうか、私はどもらないので分からないから教えてほしいんだけど、どんな時に声が出ないの。声が出ないとき、どんな気持ちなの」などと、質問してくれて対話が続いていたら、吃音のつらさや、将来への不安などを話していただろう。アドバイスがなくても、対話の中で、私自身がいろんなことに気づけただろう。
マイケル・ターナーも、母親がどもる体験者であるにもかかわらず、家族に吃音について話せなかった。25歳でドキュメンタリー映画の制作を通して対話ができるようになった。母親の「あなたの子どもがどもったら怖い?」との質問は、ターナを産んだ時、自分自身に問いかけていたことだろう。「うん、でもなんとかやれると思う」の答えに、「なら、大丈夫ね」とほほえむ姿は、この映画のラストにふさわしいものだった。
この春の神戸吃音相談会で、子どもに「じゃあ、ゆっくりしゃべったら」と言ったことが適切だったかどうかと母親が質問をしたので、私が中学生になり、また母親になりして対話をすることにした。私が中学生になった時、母親は何を質問していいのか分からないと言った。私が母親になり、子ども役の母親に質問をした時、子どもに対する情報が乏しく対話にならなかった。役割を代えての対話は中止せざるを得なかった。
せっかく子どもが話し始めたのに、母親はなぜ対話に応じられないのだろう。どもる人が吃音を親に話せなかった理由として、親に心配をかけたくなかったからとよく言う。そうだとすると、子どもの「親に心配をかけたくない」の気持ちを察して質問しないのか。触れてほしくないことを聞き出そうとしていると躊躇するのか。好奇心をもって質問をすることは、相手の中に土足で入っていく感じがするのだろうか。
今回の渋谷でのトーク。私や吃音について関心をもち、好奇心で質問してもらって、私はとてもうれしく、気持ちよく話すことができ、自分を整理することもできた。対話の中で新しい発見もあった。自分が体験していない、分からないからこそ好奇心をもって子どもに質問する、この当然なことが家族でできていないのは寂しい。
家族と子ども、教師と子どもが対話ができるようになるためには、まず、お互いが、関心をもって聞いてもらって話をする楽しさと喜びを体験する必要があるのだろう。
日本に対話がないと言い始めたのは、哲学者の中島義道で『対話のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの』(PHP新書)で、「あらゆる言葉によるコミュニケーションのうち、日本では、哲学的対話のみがスッポリ抜け落ちている」と言う。演劇教育の平田オリザも『対話のレッスン』(小学館)で同調し、さらに、暉峻淑子が、『対話する社会へ』(岩波新書)で、「対話は、日常の中にあり、対話によって、取り返しのつかない断絶が起こるのを未然に防いでいる。対話はいろいろな意味で欠くことのできないコミュニケーションの手段になり、バラバラの個人をつなぎ、非人間化していく社会に人間性をとり戻し、子どもたちの個性ある人格発達の培養土となっています。対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくり出しているのです」と言う。
第6回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会のテーマは、「子どものレジリエンスを育てる―ともに育む哲学的対話―」だ。対話の力を互いに育むために何ができるか、考えていきたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/14

