2016年度 第19回ことば文学賞 3
昨日の続きです。今日で最後です。
自分と同じようにどもる人への周りの反応を、自分に向けられたものと感じてしまう、特にその反応がからかいや蔑みだと、まるで自分がからかわれ、蔑まれたと、辛く悲しい気持ちになってしまいます。東野さんが、そんな心境を丁寧に綴っています。そこから、東野さんの自己洞察が始まります。「どもりのかくれんぼ」ということばは、どもりを隠し、悩んだ日々を的確に表しているようです。 (「スタタリング・ナウ」2017.3.20 NO.271 より)
もう一人のどもり
東野晃之(59歳団体職員)
大学を卒業し就職して1年。会社の仕事にはようやく慣れてきたが、電話応対には苦労していたし、特に電話の取り次ぎが嫌だった。受話器をマイクに切り替え、社内アナウンスをしなければならない。社内に自分の声が響き渡るので社員の皆が聞いている。どもったら自分のどもりが知れ渡ると思うと、私は、みっともなく、恥ずかしくて耐えられなかった。マイクでの取り次ぎのことを思うと、電話をとることに余計に緊張感が増した。営業の電話はひっきりなしにかかってくるので、逃げるわけにいかず、取ったり、掛けたりしているうちに少しずつ慣れてきたが、このマイクでの取り次ぎの呼び出しはできるものなら避けたかった。
ところが、入社して1年目のある日、新人社員が社内で呼び出しのアナウンスをしている。そのアナウンスの声が連発でどもっていた。少しあわてての早口のようにも聞こえるが、私の耳には明らかにどもっていた。入社してきたばかりの彼は、その後もたびたび呼び出しのアナウンスをしたが、常にどもっていた。私は、社内に響く、彼のどもる声を聞くのが嫌だった。商品倉庫やデスクで、彼のアナウンスが流れる度に、ある者は顔をしかめ、またそばにいる者同士でおかしがっていた。私は、彼がどもるたびに周囲の失笑の的になっていることが、自分のことのように辛かった。
しかし、同時に、どもりながらも逃げずに電話の呼び出しをする彼の姿がうらやましくも思えた。どもりを隠し、人に知られないように振る舞っている自分が、だんだんと恥ずかしく感じられるようになった。私は、彼に対してある種の劣等感を覚えた。どもりながら呼び出しのアナウンスをする彼のように、私はどもりをオープンにできなかったからだ。
なぜ、私はこのようにどもった時の周りの反応を異常に意識するようになったのだろうか。
どもりをみっともなく恥ずかしいものだと否定的にとらえるようになったのは、小学校低学年の頃、近所の遊び仲間にどもる子どもがいたからだ。私より年上の彼は私とよく遊んでくれたが、話すたびにどもる言葉がおかしく、陰では友達とどもる真似をしておどけていた。家に帰っても、親の前で面白がって、その子のことを話し、どもる真似をしたら、「どもりがうつるからやめなさい」としかられた。子ども心に、どもりは悪いものだとの意識が芽生えた。
数年後、中学生になって、どもりをからかっていた自分がどもるようになった。大きなショックだった。「どもりはカッコ悪く、人にからかわれ、うつったらダメなもの」、だからどもることを人に知られてはならない。どもりを否定的にとらえ、隠すようになったのは、この小学生時代の体験にあったように思う。
高校生のときも、同じクラスに僕のほかにもう一人どもる人がいた。彼は、普段の会話でもよくどもったため、口の悪いクラスメートは、彼のどもりをよくからかった。どもる真似をし、早く言えないことをおもしろがった。性格は明るく、人の良い彼は、そんなクラスメートに強く反抗することもなく、穏やかにやり過ごしていた。そんな、どもる彼とクラスメートのやりとりを教室の隅で見ながら、私は、彼の穏やかな対応ではなく、人前でどもったときの周囲の反応を感じとっていた。どもったら人からからかわれ、馬鹿にされるという一つの現実を見ていたのだ。
小学生と高校生の時と、二人のどもる人と出会った経験が、直接、自分自身がどもりを否定されたわけではないのに、間接的に「どもりは劣ったもの」という烙印を押されたように心に強く刻まれた。そして、自分自身が中学生でどもり出して以来、人にどもりを知られ、あからさまになるのを恐れてきた。
その後、その会社を退職し、市の団体職員になって月日は流れ、大阪吃音教室で吃音についてたくさんのことを学んだこともあって、吃音否定の感覚はずいぶんと和らいでいた。しかし、まだ、周りの反応へのネガティヴな思いは、完全に払拭されていたわけではなかった。
その職場では、年度末には会議で決算報告をするのが私の役割だ。毎年のことなので、なんとかやり過ごすことができていたのだが、その年の会議の日は、いつになくはじめからことばの調子が悪く、あやうさを感じていた。案の定、言いにくさを気にし出すと余計にことばが引っかかって途切れ、よくどもった。発表の時間がとても長く感じられた。ようやく終わって席に座ったときには、汗びっしょりになっていた。
会議が終わり、後片づけをしていると、横に座っていた上司から声をかけられ、よくどもっていたことを指摘された。思わず、私は、自分がどもることを公表した。意外にさらっと打ち明けることができた。どもりの話題はすぐ雑談となって流れて終わった。
長い間、私は人にどもりを知られないように隠してきた。どもりは、みっともなく、恥ずかしいものだ。どもることがわかれば、からかわれ、馬鹿にされるに違いない。それは心が傷つき、とても耐えられない恐ろしいことだと過去の経験から想像し、思い込んでいた。この吃音否定の物語は、上司との数分間の会話で一瞬にして書き換えられた。
現実の世界でどもりに対する周囲の反応を体験した私は、「どもっても恐くない、大丈夫」という現実を知った。
どもりを隠し、悩んだ過去は、どもりのかくれんぼをしてきたようだ。私は、どもりが見つからないように息をひそめて人陰に隠れ、ときどき少し覗いては周囲の様子をうかがった。どもりを見つかった者が、鬼にからかわれ、いじめられる様子を見ては、その苦しさを想像した。だが、とうとう自分が見つかってみれば、どこにも鬼はいなかった。自分の妄想が鬼を作り上げていることに気づいた。上司にどもりを公表した時、ふっとからだの力がぬけ、身軽になったと感じた。どもりを覆っていた鎧を脱ぎ捨てた瞬間だった。
【作者の感想】
どもりを隠し、悩んだ過去は、どもりのかくれんぼをしてきたようだ。・・から最後までの数行が、この文章で伝えたかったことだ。文章を書いてみて、あらためて自分が、「気の小さい、臆病な人間」であるのを思った。そういえば、亡くなった父親からどもらなかった小学生の頃、叱られるたび、何かにつけてよく言われた。
作品発表会の時、選者の講評で指摘された箇所を加筆した。おかげで小学生時代のもう一人のどもりが登場し、吃音否定の原体験を思い出すことができた。他人のどもりをからかっていた気の小さい、臆病な小学生が、中学生になって自分がどもりになった時、どんな悩み方をするのか、という視点が広がった。他人に読んでもらい、感想をもらうのはありがたい。
参加することに意義ありと、全回に応募してきた。10数年ぶり2回目の優秀賞だ。
文章を書く、励みになりとても嬉しい。
【選者コメント】
就職して間もない頃、どもりを知られたくなくて、電話の取り次ぎのアナウンスを苦手にしていたとき、新人社員がどもりながらアナウンスをしているのを聞く。そのアナウンスに対する周りの反応を見聞きして、筆者は、自分がどもって、周りから否定的な反応を受けているかのように感じる。吃音を否定的にとらえていたら、他人がどもっているのを聞くのも嫌なものだ。
そのできごとから、なぜこんなに、どもった時の反応を恐れるのだろうと考えると、小学生や高校生のときの体験に行き着く。それらは、「どもっていたら人からからかわれ、馬鹿にされる」という想像の世界だった。吃音を否定的なものとしてとらえてしまう歴史に、3人のどもる人が登場するのは珍しい体験だろう。
周りの反応による吃音否定の物語を変えたのは、想像ではなく実際の体験だ。どもった時の職場の上司の実際の反応は、ただどもる事実を伝えられただけで、そこには評価や批判はない。この経験を通して、自分が思っているほど他人はどもっても気にしていないという現実に作者は向き合った。
他者は自分が思っているほど、自分のどもりを気にしてはいないとは、よく言われることばだか、実際に経験をしてみないと実感としては定着しない。
過去の経験を丁寧に書くことで、作者は自分を見つめ直すことができた。体験を通して得た大切な経験知は、これから人生の困難な場面に遭遇したとき、きっと作者を助けてくれるだろう。
成人のどもる人のセルフヘルプグループであるNPO法人大阪スタタリングプロジェクトでは、どもる人の体験を集めた体験集を2冊、発行しています。ことば文学賞受賞作品が多く掲載されています。
吃音を生きるⅠ どもる人々の体験集
吃音を生きるⅡ どもる人たちのサバイバル
ともに、定価は、1冊700円(送料含む)です。ご注文いただければ、お送りします。
送金方法は、以下のとおりです。
①切手700円分を、日本吃音臨床研究会事務局にお送りください。
②郵便局に備え付けの郵便振替用紙をご利用の上、700円をご送金ください。
加入者名 日本吃音臨床研究会
口座番号 00970-1-314142
就職、面接、結婚、電話など、さまざまなシーンでの生の体験が綴られています。共感し、生きる上でのヒントを得ることができるでしょう。
また、ことば文学賞受賞作品を受賞した本人が自分の体験を自分で朗読している映像があります。日本吃音臨床研究会の動画のコーナーで見ることができます。
本人の、どもりながら紡ぎ出されることばは、圧倒的な迫力で迫ってきます。朗読の後、伊藤伸二と、作者と作品について対談もしています。その作品が生まれた背景が分かると、より味わい深くなります。ぜひ、ご覧下さい。吃音とともに豊かに生きる世界を味わっていただけることでしょう。「日本吃音臨床研究会」や「大阪吃音教室」のホームページでは、内容を充実させるとともに、映像プロジェクトが動画も発信していきます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/09



