2016年度 第19回ことば文学賞 2

 昨日のつづきです。2016年度の第19回ことば文学賞の作品を紹介します。
 この作品の作者、田谷さんとは、研修会などで時折話すのですが、不思議な出会いをしています。僕が、龍谷大学で、ソーシャルワーク演習という課目を担当していたとき、田谷さんは学生として僕の話を聞いてくれていました。はじめは、どもって講義をする僕の姿をまっすぐに見ることができなかった田谷さんでしたが、いつのまにか僕のどもって講義する姿をかっこいいと思うようになります。田谷さんの中で、自分の吃音と向き合い、吃音とともに歩く覚悟ができた過程なのでしょう。そのあたりのことも、今日紹介する作品に書かれています。(「スタタリング・ナウ」2017.3.20 NO.271 より)
 
  言いたくない理由が言葉になる時
                         田谷栄子(26歳福祉職員)

 「毎回、小学校高学年の子にやってもらってるんよ。お願いしてもいいかな?」
 小学生の頃、先生から発表会の影アナウンスを依頼された。影アナウンスとは、発表会などで舞台袖から諸注意やプログラムを読み、司会進行する役割だ。当時私はどもることが怖く、どもる自分に対して強い劣等感をもっていた。同時にどもりながら原稿を読むことは自分から恥をかきにいくことと同じであった。小学校高学年だからとはいえ「正直やりたくないな」と思っていた。
 また、この頃の私は「どもり」という言葉を嫌い、絶対に使おうとしなかった。「どもる」という言葉を使えば「私は変な人」だと自ら宣言しているように感じ、周りからも「普通の人ではない」とレッテルを貼られるようで、すごく恥ずかしかったからである。そんなこともあり、吃音のことを「言葉がつまったりつっかえたりする」という表現で、遠回しに影アナウンスをしたくないと先生に伝えたが、「私だって言葉がつっかえたりすることあるし、大丈夫やで」と返され、「どもる」という意味がなかなか伝わらなかった。
 「どもる」という言葉を使って説明できれば苦労はしなかったのかもしれないが、当時の私はどう言葉にしたらいいのか分からず、ただ「なぜ伝わらないのか」という悔しい感情が胸の中に溜まっていくだけであった。
 結局、影アナウンスを引き受けたのだが、本番中はどもる恐怖と読まないといけないという使命感がぶつかりあい、マイクの前で全身を使って闘いを繰り広げていた。しかし実際は何も読めず、その場で固まっていたため、見かねた先生は代役を立てることを私に提案した。私はすんなりと受け入れ、周りから「原稿が読めない変な人」だと思われないだけましだと、影アナウンスから外れたことにほっとした。
 この出来事は自分の中の吃音を強烈に印象づけたが、その後もどもっているにも関わらず、「変な人」だと思われないために「私はどもりではない」と自分を思い込ませ、どもっている事実から目をそむけて小学校から高校までの学校生活を送っていた。
 高校卒業後は大学に進学した。大学では福祉分野について学び、社会福祉士の受験資格を得るため、3回生の後期に実習に行くことになっていた。その準備段階で実習先のことを深く学ぶ実習ゼミというゼミを履修していたのだが、その講義の中でゼミ生が毎週テキストを音読する時間があった。他のゼミ生は淀みなく文章を読んでいく中、私はどもりながら文章を読むしかなかった。文章を読み終わると小学生の頃に感じていた、どもっている「間」の怖さを思い出し、「変な人」だと思われていないだろうか、どもっていてソーシャルワーカーになれるのかと急に不安になっていた。実習では吃音を意識することは少なかったが、「自分の吃音は嫌なもの」という感情と不安はずつとっきまとっていた。
 そんな不安の中で大学4回生になり、ソーシャルワーク演習の先生を選ぶ機会があった。どの先生の講義を受けようかと迷い、パソコンで先生の名前を調べていた。すると、吃音に詳しく自身もどもる人だという伊藤伸二さんの紹介が目に飛び込んできた。その時「吃音に対するヒントがもらえるかもしれない」と直感し、伊藤さんの講義を迷わず選んだ。それが伊藤さんと私が出会ったきっかけである。
 伊藤さんは想像通り、最初からどもりながら講義をされていた。しかし、そんな姿を見ると自分が人前でどもっているような感覚になり、どもる姿を自分自身と重ねていた。ある講義の日、講義中の伊藤さんの顔を見るのが嫌になり、無意識に視線を机に向けている自分に気づいた。同時にどもる自分が「どもり仲間」を心のどこかで軽蔑しているのではないか、すなわち自分の吃音と向き合おうとしていなかったのではないかと気づかされ、心の中で「自分は何をしているのだろう」と思い、落ち込んだ。しかし考えるうちに「どもる仲間だからこそ、自分が聴いてほしい態度で講義を受けよう」と思い、それからは意識して伊藤さんの顔を見て講義を受けるようにした。そして約3ヶ月間、伊藤さんの講義を受けるうちに、いつしかどもりながら講義をしている伊藤さんがかっこいいと素直に思うようになった。この頃から、目をそむけ続けていた自分の吃音と少しずつ向き合い始めていた。
 社会人になった私は大学時代の縁もあり、日本吃音臨床研究会が主催する吃音ショートコースという、吃音のことを考える集まりに参加していた。こんなに吃音のことを深く考えるようになるとは、小学校時代の自分からすれば考えもしなかった事だと思う。しかし、実際は家族に「吃音ショートコースに行く」と言わずに「仕事の研修会がある」とごまかして参加していたため、2日目の夕食後に家族から電話がかかってきた。
 「どこで何してるん!? ほんまにそんな時間まで研修会やってるん? はよ帰らんと危ないで!」
 実は以前、大阪吃音教室に参加しようと「大阪のお寺まで行ってくる」と言ったがために新興宗教に騙されているのではないかという疑惑をもたれた経緯があり、家族は娘がどこで何をしているのか心配するのは当然だった。「わかってる」と一言返したものの、吃音ショートコースのことをどう説明したらいいのか分からず、まるで影アナウンスを依頼された時の、自分の吃音が説明できない小学生の頃に戻ったようであった。結局、家族には詳しいことを話さず、早めに帰ることだけを言って電話を切った。
 夜の講義後、このまま家族に吃音ショートコースのことをごまかそうか、どうしようかと考えていた。コミュニティーアワーの会場でその場におられた方に今までのことを相談すると、思いがけない言葉が返ってきた。
 「それはあなたの中で何か言いたくない理由があるんじゃないかな。言えるようになるまで大切にもっていてもいいと思う。いつか『言いたい』と思えるようになってから言えばいいと思うよ」
 それまで吃音のことを家族にどう伝えようとしか考えていなかったが、「言いたくない理由があれば言わなくてもいい」という選択肢は、頭の中になかった意外なものであった。同時に「それでもいいんだ」「言えなくてもよかったんだ」と自分の思いを肯定して下さったことで心がすっと軽くなった。
 考えてみると、影アナウンスの時も私がどもれば家族が周りから変な目で見られるのではないかと思っていたこと、また家族に心配をかけたくないと思うあまり、学校で起こった出来事をあまり自分から話そうとしていなかったことを思い出した。それは、「心配をかけたくないからこそ言わない」という結果であった。
 「心配をかけたくないからこそ言わない」という姿勢は吃音にも大きく髭響していた。家族に自分の吃音のことを言いたくないのは、吃音の話をすること自体が恥ずかしいものだとどこかで思わされ、自分もそう思っていたのではないか。どもる自分のことを家族に話せない後ろめたさが、吃音の集まりへ参加することに対し、やましいと思う感情をもっていたことに繋がっているのではないか。考えをめぐらすと「言いたくない理由」が「家族を心配させたくない」という自分を守る術であったと同時に、自分自身の過去や思い込みにとらわれている結果、吃音に対する否定的な考えが根強いからだと気づいた。
 「この集まりは、著名な大学教授を講師に呼んでいる、由緒ある集まりだよ」
 吃音の集まりに参加させるためにしていた意味づけも間違っていた。相談した方と話をするうちに、吃音ショートコースはやましさをもって参加する集まりではなく、自信をもって参加していると言ってもいいんだと思えるようになった。同時に吃音ショートコースのことを家族に話してもいいかも、とふと思った。
 吃音ショートコースの会場と家は近く、仕事の関係もあり、その日で帰ることにしていた。帰宅すると時計は23時40分を指しており、我が家では遅い帰宅と言われる時間帯であった。私の帰りを待っていた家族は、案の定、私にどこにいたかを訊いた。一瞬、自分が家に帰るまでいたところをごまかそうかと思ったが、ふと「今が言うべきタイミングかもしれない」と直感し「吃音ショートコース」と言ってみた。どんな言葉で返されるか胸がドキドキして不安だったが、「ふーん」と返され、特にそれ以上何かを訊かれることはなく会話はあっさり終了した。あれだけ「ごまかそうかどうしようか」と葛藤していたのにと思うと何だか拍子抜けしてしまったが、悩んでいたことに対して「それでもいい」と肯定や意味づけを変えて下さったからこそ、今いる拍子抜けした空間があるのかもしれない。
 あの時なぜ家族は深く話を掘り下げなかったのだろうかと今となって思うが、それは私が自分の言葉で話すのを待ってくれているのかもしれない、と勝手に考えている。本当のところはまだ分からないが。
 それから今年に入り、私は吃音を考える会に参加しようと大阪吃音教室の予定表を家族に見せ、「ここに行く」と一言言ってみた。普段は「大阪に行ってくる」としか言わないのだが、思いきって紙を渡して見せると家族は「そうか、勉強してこい」と言ってくれた。少しだけだが自分がいる吃音の世界を話せた嬉しさで、会場に向かう道中にやましい気持ちはなかった。
 初めて参加した吃音ショートコースから2年経つが、今でも自分の吃音の全てを家族に話せるようになった訳ではない。結果的には「言いたくない理由」に小学生の頃から時間をかけたことになるが、時間がかかってもそのことに向き合い続けたことで、様々な角度から吃音のことを深く考え実践されている方々に出会うことができた。
 今の私があるのは、その方々が「あなたはあなたのままでいい」と言葉や雰囲気で伝えて下さっているおかげである。
 また、あの時の「言いたくない理由があれば言わなくてもいい」という後押しが今、吃音と向き合う力になっている。「言いたい」と思える境地に至るまでに一生かかるかもしれないし、自分自身のありのままを認めることですんなりと「言ってもいいかも」と境地が開けるかもしれない。どちらにしろ、自分の吃音と向き合い生きていくことに変わりはないのだ。
 吃音ショートコースの出来事を通して、自分の言葉で言いたいことを言えるタイミングは必ず来るし、誰しもがそれを持っていることを確信した。そして自分のもっている意味づけを変えることも、「言ってもいい、言わなくてもいい」ということも、自分で選ぶことができるのだと身をもって感じている。言いたくない理由が言いたい言葉になるまで、これからも「吃音」というテーマを深く考え実践している方々と一緒に吃音のことを考えていきたい。

【作者の感想】
 初めて応募した作品が優秀賞に入選し、とても驚きました。嬉しい気持ちでいっぱいです。
 去年の吃音ショートコースに参加した際、ことば文学賞に入選した作品が発表されるのを聴きながら「いつか応募したい」と思ったのが今回の作品を書くきっかけになりました。
 何度も書き直しては読み返す作業は、当時の自分が何を考えどう行動していたのかを客観的にみることができ、まるで霧がじわじわと晴れて物語が少しずつ明確に整理されていくような感覚になりました。
 同時に、人は常に何かを選択しながら前に進み、これからも選択し続けていくのだと改めて感じました。今まで自分がしてきた選択が人との出会いを生み、その出会いから自分の考えが変わっていく面白さが伝わればと思います。
 小学生の頃のエピソードは今のように吃音と向き合うことがなければ、「どもりで嫌だった記憶」として思い出すことはなかったと思います。改めて吃音のご縁に感謝し、これからも自分自身の中身や自分の吃音と向き合っていきたいと思います。

【選者コメント】
 子どもの頃からどもる自分が嫌で、どもっているにも関わらず、「変な人」だと思われないために「私はどもりではない」と自分に思い込ませ、どもっている事実から目をそむけていた田谷さんが、どもる私の講義「ソーシャルワーク演習」を履修することになる。
 私の講義は演習なので、学生が発言をする機会が多かったはずなのに、その中にどもる人がいるとは気づかなかった。田谷さんは、私がどもりながら講義をする姿を見るのが嫌だったが、そのうちに、かっこいいと思い始めたという。その心の変遷を、最終講義のときに初めて聞いた。
 吃音を否定するきっかけとなった出来事から、その後、私と出会い、吃音ショートコースや吃音講習会など、これまで考えてこなかった吃音について考える場に出かけるようになった過程が、田谷さんにとって吃音と向き合う旅になった。
 旅の途中で出会った人の助言に彼女は素直に耳を傾ける。この作品も、素直に自分をみつめている。人が変わるのに必要なのは、素直さではないだろうか。迷いながら、悩みながら、人が変わっていく道を同行させてもらったような気がする。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/08

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