どもる子どもたちとの活動を振り返って 2

 昨日は、飛び込んできた新聞記事について思うところがあって、急遽、投稿内容を変更したので、一日とびましたが、第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会の吃音分科会での、森川和宜さんの発表の紹介を続けます。
 森川さんが、発表の中で、時折、涙ぐんでおられたことが印象的でした。滉介さんとの出会いを思い出されていたのでしょう。その滉介さんの弁論大会での原稿が、最後に紹介されています。(「スタタリング・ナウ」2017.2.20 NO.270 より)

【第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会】
  どもる子どもたちとの活動を振り返って 2
          島根県江津市立青陵中学校通級指導教室 教諭 森川和宜

3 島根スタタリングフォーラム
 今回の発表で何度も出てきた”島根スタタリングフォーラム”とは、どもる子ども、その保護者、教師の集まりである。毎年開催し、2016年秋で18回目となる。このフォーラムの講師には、毎年、伊藤伸二さんに来ていただいている。また、スタッフとして県内の通級指導教室担当者等が子どもたちや保護者の活動を支えている。子どもたちは、スタッフの「どもることはいけないことじゃないよ。どもっても大丈夫だよ」というまなざしの中、仲間(フォーラム参加者)との話し合いや活動を通して、じっくりと自分自身を見つめることができる。このフォーラムはどもる子どもだけでなくその子どもを支える周囲(保護者、きょうだい、通級担当者)の思いも支え、育てていると感じる。
 フォーラムには様々な年代の子どもたちが集まってくる。自分より年下の子どもたちの姿に、過去の自分を重ね合わせ優しく関わり、同世代の子どもたちとは仲間として同じ悩みを語り合い、先輩の姿から未来の自分をイメージすることができる。相談していた子どもが、やがて話を聞いてあげる役割に代わっていく。
 昨年度の第17回島根スタタリングフォーラムでは、”出会いの広場”に始まり、”伊藤さんと話そう”、”グループ別活動(話し合い)”、”キャンドルの集い”、”早朝登山”、”グループ活動(作文タイム)”、”冒険の森”を楽しんだ。作文タイムでは、普段作文を書くことが苦手な子どもも2日間の活動や今までの自分自身を振り返ることで文章を書くことができる。このことは、日頃から吃音や自分自身について見つめている子どもたちだからできるのだと感じる。また、発表の場面では、周囲の温かい眼差しの中、どもりながら最後まで自分の思いを伝え、開いてもらう体験をすることができた。
 また、親グループでは、伊藤伸二さんと一緒に2日間、長い時間じっくりと吃音に向き合うことができた。初めて出会った保護者同士でも、同じ悩みをもつ親として本音で語り合う。吃音に関する悩みから子育てに関する悩みまで語り合うことができた。「吃音が治らないと聞いたときはショックでしたが、2日間のフォーラムを通して”治らないものは仕方ない”と覚悟を決めることができました」「吃音について子どもと話すことが増えました。子どもの吃音も変化してきて不思議とどもらなくなってきたように感じます」と話してくださった保護者の方もあった。

参加者の声(中学生以上グループより)
・初めて自分以外のどもる人と出会い、いろいろな話を聞くことができた。これまでは、「吃音は悪いもの」としか思えなかったけど、良いものとも思えるようになってきた。
・どもる人はやはり少数派。すごく小さい頃からずっと参加してきて、今は吃音以外のマイノリティの人たち(いろいろあるけど)に対しても目が向けられるようになっているし、通じるところがあることを感じる。
・ここに来て安心できる仲間と出会って、いっぱい話を聞いて、「よし、自分もがんばろう」と思う。でも山を下りれば明日からまた現実が待っているというのも事実。日々いろんなことがあるけど、またスタタリングフォーラムで仲間に会おうと思ったらそれでいい。
・ここに来ると安心する。来年も、これからも来たいな~と思う。

 島根スタタリングフォーラムが長く続いているのは、このフォーラムが良き仲間と出会い、吃音を治すことにこだわらず、ありのままの自分を受け入れてもらえる居心地の良い空間であることがあげられる。代々受け継がれているこの思いを大切に、吃音に悩んでいる子どもやその保護者に「吃音があっても大丈夫。たくさん話をしていくことが大切であること」「人と繋がることの喜び」を伝えていきたい。

4 おわりに
 今回、中学生という時代を現在生きている滉介さんについて発表するにあたり、発表をしてもよいか本人や保護者に確認したところ、快く「いいですよ」と返事が返ってきた。吃音を「手術してでも治したい」と言っていた滉介さんが、今は吃音を自分の個性の一つと考え、暮らしている。
 私はどもる子どもたちとの活動や島根スタタリングフォーラムでの出会いによって子どもたちや保護者の方から様々なことを学ぶことができた。「吃音のせいで…」と考えていた子どもたちが、仲問との出会いや周囲の人との関わりの中で悩んだり受け入れたりする経験を通して、「吃音のおかげで…」という見方に変わっていく姿と出会うこともできた。自分を語り、周囲と繋がる。吃音があることで苦労することもあるかもしれないが、吃音や自分自身を否定するのではなく、周囲の人と支え・支えられる関係の下、暮らしていってほしいと思う。
 ”吃音”を通して生まれたこの繋がりに感謝し、これからも子どもや保護者の思いに寄り添いながら、子どもを中心にその周囲の人たちも共に心豊かに暮らしていけるよう歩んでいきたい。
                             ~発表終了~

Ⅲ 大会当日
 大会当日は、この発表に加えその後の滉介さんさんの様子についてお話しました。
 学級弁論で自分の思いをクラスのみんなに伝え、クラスのみんなから学級の代表として校内弁論への推薦を受けた滉介さんは、『自分を受け入れること』と題した弁論を発表することになった。学期末懇談の場では、弁論を発表することは覚悟を決めて話してくれたが、私とお母さんが「聴きに行きたいな~」と伝えても首を縦に振ってくれませんでした。その後、私は滉介さんの弁論をこっそりと聞きに行こうかどうしようか悩み続けていました。発表当日の朝、お母さんから連絡があり、「今滉介が家を出ました。先生には照れて言えなかったことを私が代わりに伝えます。『今日の弁論は、今まで支えてくれたみんなに感謝の気持ちを伝えられるように頑張りたい。もしよかったら先生にも聴いてほしい』と言っていました。私も聴きに行こうと思います」とのことでした。私の悩みはなくなり、滉介さんの学校の校長先生に校内弁論を聞きに行きたいという思いを伝えると「いいわ~ね。来んさい」と快く受け入れていただきました。
 体育館に入ると、校長先生が声をかけてくださいました。他の先生方も私が弁論大会の会場にいることの理由を知っておられるような雰囲気で、滉介さんの弁論に注目されていました。しばらくすると滉介さんのお母さんも体育館に来られ、滉介さんの姿を見守っておられました。体育館のステージで堂々と発表する滉介さんの姿に勇気をもらいました。発表が終わり、フロアーに降りた滉介さんとお母さんの間には声にはない思いの伝え合いがあったように感じました。

 私の発表が終わり、質疑応答の時間には、自身がどもっていて小学生の頃に通級による指導を受けていた方の経験や他県の通級指導教室の取り組みの紹介など、多数発表していただき、充実した時間となりました。
 今回吃音分科会に参加していただいた方は、島根県からの参加者を除くと中学校からの参加者はほとんどありませんでした。これは、他県の中学校にことばの指導を行う通級指導教室がまだあまり設置されていないためだと考えられます。また、島根県ではどもる生徒も指導の対象となっていますが、昨年度、吃音で指導を受けた生徒は11名でした。指導を受けている生徒の数は少ないですが、滉介さんのように通級指導教室と繋がるときは大きな悩みを抱えておられることが多く、子どもやその保護者が必要とする時に近隣の通級指導教室で指導ができる体制を整えておくことが大切だと考えます。そして、吃音があっても明るく元気に暮らしていけるよう支えていけたらと考えます。

Ⅳ おわりに
 この度、「スタタリング・ナウ」への寄稿が決まり、島根県大会への取り組みについて振り返ることができました。滉介さんとの出会いは、吃音に悩み「吃音を手術してでも治したい」と思う滉介さんとその滉介さんを支えるご家族との出会いでした。初回相談の時、根拠のない自信「滉介さんは大丈夫」と感じたのは、滉介さんの思いを大切にしながらも、どもる滉介さんを丸ごと愛しておられるご両親の姿があったからだと思います。
 今年度の1学期末の懇談で、お母さんが「先生方に出会えて本当に良かったです。皆さんに出会えていなかったら、今でも苦しい思いをしていたと思います。吃音を否定して『治したい!』と思っていたときは、本当につらかったです」と滉介さんの顔を見つめ話された姿が印象に残っています。そして、「いろいろな方に助けてもらったので、今度は私たちが何かできることがあったら力になりたいと思います」と話してくださいました。
 この思いの循環が島根スタタリングフォーラムを支えています。子どもたちは仲間との出会いを通して吃音に対する見方、考え方を学び、保護者も先輩保護者の体験を聞いたり、思いを受け止めてもらったりすることで次へ向かうエネルギーを蓄えていかれます。また、担当者も子どもたちや保護者の思いや姿に触れることで自分自身の吃音に対する見方や考え方を学んでいます。
 滉介さんとの関わりは今後も続いていきます。通級担当者としての関わりは残り少なくなりましたが、過去にかかわってきた子どもたち同様、今後も繋がっていきたいと考えています。そして、その姿から学んできたことを根拠として、これから出会う子どもたちや保護者の思いに寄り添っていきたいと思います。滉介さんの弁論原稿を紹介します。

  自分を受け入れること
                                   滉介
 皆さんは、自分の短所を長所として考えることができますか?
 僕は、自分の吃音をどうにもならない短所と思い、いつも「自分に吃音があったから」とか「吃音さえなかったら」などという事を考えていました。その吃音とは、自分が話したいときにことばが出なかったり、ことばに詰まってうまく発表ができなかったりという事が起こる、僕が小学生の頃からあった自分の個性です。その個性が僕はとても嫌で、「何で自分にだけそんな吃音なんかがあるんだろう」と思っていました。
 そのまま僕は中学校に入学し、いつもそのことのせいで悩まされていました。そして僕は、吃音のことがものすごく嫌になり、ことばを一言も言いたくなくなり、学校に行くのも、人に会うのも嫌になった時がありました。
 そして僕は中学2年生になりました。その時も、会話をすることや発表をすることがとても嫌いでした。それがもっとひどくなり、僕は吃音が嫌で学校を休むことが何回もありました。その時は、僕がことばが出ないことを人に知られることがとても嫌でした。しかし、母が先生に、「吃音のことをクラスのみんなに伝えてください」と言ったことを知り、本当にショックで学校に行きたくなくなりました。しかし、母と話をして学校に行く事になりました。学校に行くと、みんなが僕の吃音のことを知っていると思うとその場に居づらくなりました。しかし、発表できなかったときに、これまでとは違って「大丈夫だよ」と言ってくれた時はとても嬉しかったです。
 それでもまだ不安が残っていた僕は、島根スタタリングフォーラムに参加し、小中学校の時に吃音に悩んでいたという人たちの話を聞きました。そこで僕は、新しい考えを見つけることができました。それは、吃音でどう悩んだか話をしている人の中で「自分は吃音を長所だと思っている」という一言を言った人がいたことです。その人も僕と同じで「小中学校のときはとても吃音で悩まされていた」と言っていました。しかし、考え方を変え、ポジティブに考えるようになり、もっと世界が広がって、吃音のことを考えることが少なくなったと言っていたのを聞いて、僕はネガティブに考えすぎていたんだと思いました。
 それからは、「吃音のせいで」とか「吃音さえなければ」というようなネガティブな考え方をやめて、「吃音があったから」とか「吃音のおかげで」などのポジティブな考え方をするようになりました。すると吃音のおかげで人の気持ちを考えられるようになったり、少しずつだけど人の気持ちが分かるようになりました。
 昔は、自分に吃音があったから、吃音さえなくなればというネガティブなことを言ったり、考えたりしていたけど、どもる人の話を聞いたことで吃音に対しての考え方も変わり、それにネガティブなことばも少なくなっていると思います。まだ、ポジティブなことばを言う事はあまりできないけど、これからはもっと吃音を受け入れられるようになっていきたいです。
 僕は吃音という短所があったからこそ、分かったことがたくさんありました。これからは、吃音を僕自身として考えていきたいと思います。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/05

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