どもる子どもたちとの活動を振り返って
2016年、第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会が島根で開催されました。僕は、このとき、吃音の分科会のコーディネーターをしていました。吃音の発表は、2本で、千葉の黒田明志さんと、今回紹介する島根の森川和宜さんでした。
森川さんの発表の中に何度も出てくる島根スタタリングフォーラムは、今年で28回目を迎え、10月31日・11月1日、江津の島根県立少年自然の家で開催します。歴代の難聴・言語の担当者が事務局を上手につないでくれたおかげでしょう。森川さんは、今年も事務局をしてくれています。
今日は、その森川さんの実践の発表を紹介します。全国でも珍しい中学生の取り組みです。(「スタタリング・ナウ」2017.2.20 NO.270 より)
【第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会】
どもる子どもたちとの活動を振り返って
島根県江津市立青陵中学校通級指導教室 教諭 森川和宜
2016年の7月、全難言島根大会が出雲市で開催され、私は、この大会の吃音分科会の提案発表をしました。当日は、コーディネーターとして伊藤伸二さんに分科会の進行・指導講評をしていただきました。
会場には、約90名の参加者(県内外を合わせ)があり、3つの提案発表後は参加された方からの質問や感想が途切れることなく続き、時間が過ぎるのがとてもはやく感じました。私自身このような大会での発表の経験はなく、自分の中では落ち着いていると感じていても体は正直で、マウスを握る手が震え、そのため、画面が切り替わらないことに動揺しながら、やっとのことで25分間の発表を終えることができました。
滉介さんの心の成長や保護者の思いについて紹介します。
Ⅰ 島根大会発表に向けて
島根大会の発表者が決まったのは、2015年の4月でした。島根県聴覚言語障害教育研究会中学校部会で吃音分科会の発表を行うことになり、当時、島根スタタリングフォーラムの事務局をしていた私が発表することになりました。
昨年度私は、現在の学校に転勤したばかりで担当する子どもの中にどもる生徒はいませんでした。そのため、これまでにかかわってきたどもる生徒との活動の様子と大学生、社会人へと成長した子どもたちの姿について発表しようと考えていました。過去の資料(指導記録など)を振り返ったり、直接子どもと会って当時を振り返ったり、卒業後の様子や現在の暮らしについて話を聞いたりしました。中学生時代が一番しんどかったと振り返る子どもや、高校時代は暗黒の時代でしたと振り返る子どもなど様々でしたが、現在は社会人や大学生として立派に暮らしている姿に出会い、改めて「吃音があっても大丈夫」と感じさせてくれました。
発表の原稿をまとめていく中で、滉介さんと出会いました。現在指導を行っている滉介さんについて発表することで、皆さんから意見をいただき、それを滉介さんとの時間に活かしていきたいと考え、当日の発表では滉介さんとの関わりだけの発表にしました。
Ⅱ 島根大会発表
ここでは、島根県大会で発表した原稿を載せます。文章が重なる部分もあり、読みにくい面もあるかもしれませんが、ご了承ください。
~発表原稿~
仲間や周囲の人との出会いによる暮らしの充実を考える ~中学生との関わりを通して~
1 はじめに
島根県では、約20%の中学校に通級指導教室が設置され、通級による指導の対象となる生徒をそれぞれの教室で指導している。現在、これらの教室で指導を受けているのは、LDやAD/HDなどのある生徒が多く、言語障がいで指導を受けている生徒は少ない。私が担当している教室でも、吃音で指導を行っている生徒は毎年数名である。島根県の通級指導教室では巡回指導を実施しており、担当者が生徒の在籍校へ訪問し、指導を行っている。そのため、どもる生徒同士が出会う機会も少ない。中学校は、入学する際、複数の小学校から児童が集まってくることが多く、小学校までは小さな頃からの繋がりの中でなんとなく受け入れられていた話し方であったり、一定の自己理解ができていたりしても、新たな友達や環境のもとで再び悩みを大きくすることがある。また、授業や部活動の時間に通級による指導を受けることに抵抗を感じる生徒もおり、指導に至らないケースもある。一方で、通級による指導の時問をとても楽しみにして、笑顔で通ってくる生徒も多い。さらに教科担任制ということで、生徒は様々な教職員との学習や活動の場があり、良き理解者を増やすチャンスでもある。
私は通級指導教室を担当し9年目を迎えた。この間、たくさんの子どもたちやその保護者、担任の先生、他の通級指導教室担当者との出会いを通して、子どもたちやその周囲の人たちの思いに触れることができた。今、私が子どもに向けるまなざしは、今までかかわってきた様々な人たちとの出会いによって身についたものである。
今日は、私が今までに出会ったどもる子どもたちの中で、『中学校に入学する際、指導の継続を希望しなかったが、学校生活を送る中で指導を再開した生徒』を通して、生徒と共に活動する中で学んだことや、本人やその周囲の人たちの心の変化について発表したい。
2 概要
(1)滉介さんとの出会い
滉介さんは、現在中学3年生の男子生徒である。滉介さんは小学4年生の時、学習発表会でセリフが出ないという体験をした。約1年間一人で悩んでいたが、5年生の担任の先生に「ことばが出にくいの?」と聞かれ、自分のことばについて話をすることができた。小学校5年生の1月から巡回指導を受け始め、通級指導教室担当者と自分自身の吃音について話し合ったり、得意な活動を楽しんだりすることができた。中学校入学後は、巡回指導は希望せず1年間を過ごした。
ところが、2年生になると発表でことばが詰まったり、友達との関係に悩んだりする中で吃音に対するマイナスの思いが大きく膨れ上がった。「学校へ行きたくない」という思いが大きくなった滉介さんの様子を心配された両親が知人に相談し、数日後、両親が通級指導教室に来られ、滉介さんの様子について話をされた。
滉介さんは吃音にとても悩んでいて、「どもる自分は駄目だ」「吃音さえなくなれば…」「手術してでも治したい」と思っていることや、「周囲の視線が気になるから校内で通級担当者と出会うことは絶対に嫌だ」「別の学校(通級指導教室設置校)であれば会ってもいい」と思っていることを話された。また、滉介さんが学校に行けなかった日に、お父さんが一緒に登山をしたことを話された。
「大自然を見れば吃音で悩んでいることが小さなことだと感じてくれるのではないかと思い、一緒に登りました」ということだった。また、お母さんは「滉介が元気がないときに励ましても『本人じゃないと分からない』と言われると、どう声をかけてあげていいかわからなくて。私も吃音についてもっと勉強したいのですが」と話をされた。ご両親の話を聞き、滉介さんはとても大切に思われ、愛されていることを感じた。「大丈夫1」根拠はなかったが、そんな気がした。
日程を調整し、6月のある朝、滉介さんがお母さんと一緒に通級指導教室にやって来た。滉介さんの表情は硬く、私の質問に答えるときも隣に座っているお母さんを見たり、しばらくうつむいて小さな声で答えたりしていた。好きなことは魚釣りで、学校では日直の司会がしんどいことなどを話してくれた。また、「どもる人に会ってみたい」「どもる人はどんな学校生活を送っているのか聞いてみたい」とも話してくれた。
滉介さんにとって、同じどもる仲間と出会うことが必要だと感じ、秋に予定されていた島根スタタリングフォーラムを紹介した。お母さんはとても興味をもたれていたが、滉介さんは興味をもちながらも少し不安そうな様子だった。
1学期の終わり、滉介さんの学校では学級弁論大会が開かれた。この学級弁論大会は、クラス全員が自分の体験したことや感じていること、考えていることなどをみんなの前で発表しなければならない。滉介さんにとってはとても高いハードルだった。弁論文は書いたが、当日は学校を休んだ。保護者からの要望もあり、担任の先生はクラスのみんなに滉介さんのしんどい思いを伝えた。
「誰もが不安や悩みを抱えているものだけど、今、滉介さんは発表のときや自分の思いを伝えようとしたときにことばが出ないことがあり、その時に周りのみんなが『何か思っているのではないか』と感じて悩んでいる。その様な場面を見かけたら温かく見守ってあげようね」と話をされた。
このことがきっかけで周囲の友だちの雰囲気に変化を感じ、滉介さんの気持ちは楽になり、夏休みをはさんだ2学期の開始も好調だった。
担任の先生と話す機会はあっても、指導に至っていない滉介さんとは出会う機会もなく、やがて秋になった。私は、滉介さんのお父さんに連絡を取り、島根スタタリングフォーラムの案内を渡した。最近の滉介さんは気持ちも安定していて、がんばって学校へ通っていることを教えてもらった。
フォーラムには大阪より伊藤伸二さんも来られ、どもる子どもたちが参加するので、ぜひ滉介さんにも参加してほしいことを伝え、参加申し込みの連絡があることを願いながら待った。申し込みの連絡があったときはとてもうれしかった。フォーラムに参加する仲間との出会いを通して、滉介さん自身が吃音に対して今までと違った視点を見つけてくれるのではないかと感じたからだった。
(2)島根スタタリングフォーラムに参加した滉介さん
スタタリングフォーラム当日、受付に来た滉介さんの表情は少し硬かったが、話しかけると笑顔も見られた。フォーラムが始まり、『出会いの広場(構成的グループエンカウンターのような時間)』では、穏やかな雰囲気の中で活動する滉介さんに少しずつ笑顔が見られていった。『伊藤さんと話そう』の時間には、伊藤さんの体験してこられた話を聞いたり、伊藤さんと子どもたちとのやり取りを聞いたりする中で、自分と同じ思いをしている仲間の存在を知ることができた。グループ活動(中学生以上グループ)では、どもりながら話をしている同じ中学生や高校生、OB、OGの人の話を聞くことができた。
この時、滉介さんは今までの自分の体験や吃音に対する思いを聞いてもらって「俺もそうだったけ~。中学校が一番しんどいけ~」と思いを受け止めてもらい、「でも今は吃音が僕の長所だから」と堂々と語る先輩を見て「先輩のような人になりたい」「どもってもいいんだ」と思えるようになったことを後に話してくれた。また、OBから「しんどいことが多かったのは中学・高校だった。でも、楽しいと感じたのも中学・高校だった。卒業して大人になって、同窓会で集まったとき、楽しかったと話せるような中学・高校時代を過ごして欲しい」との話も聞くことができた。
2日間のフオーラムを終え、帰宅する際の滉介さんとお母さんの表情は受付に来られた時の表情とはあきらかに違うものだった。その姿から、滉介さんの吃音に対する見方・受け止め方に変化が生まれたことを感じた。
(3)巡回指導開始
フォーラムが終わった次の日、滉介さんのお母さんから連絡があった。「滉介が通級(巡回指導)を受けたいと言っているのですが…」ということだった。周囲の視線を気にして在籍校での指導を嫌がっていた滉介さんが、在籍校での指導を希望しているという気持ちの変化に驚いた。時間帯も放課後(頑張っている部活動の時間帯)に指導を受けたいと言っていることにも驚いたが、滉介さんが「通級がある日は朝練に早く行くから大丈夫」と言って自分で時間を生み出そうとしていることを聞いて、内面と向き合おうとしている姿が垣間見られ、とてもうれしく思った。
11月より、毎週1回放課後の巡回指導を開始した。滉介さんは、相談室に入り私と目が合うといつもいい笑顔を見せる。その笑顔に毎回癒される。「今週はどうだったかね?」と聞くと、「出にくいときがあります」と小さな声で答えることが多い。島根スタタリングフォーラムに参加し、「どもってもいいんだ」と感じていても、授業の発表の場面でことばが詰まり、言えない時間が長くなると辛い思いをしてしまう。滉介さんはこの気持ちを指導の時間に話してくる。私はこの思いを受け止めながら滉介さんとの時聞を過ごしている。
私が巡回指導を行う上で大切にしていることは、
◇滉介さんが安心して自分の思いを表現できる場とする。
◇滉介さんが自分自身を振り返り、自分とはどのような人物であるかを見つめる場とする。
◇滉介さんが得意なこと、苦手なことに主体的に取り組むことができる場とする。
である。また、私自身も滉介さんとの活動を通して自分自身を見っめていきたいと考えている。ここで、巡回指導での滉介さんとのやり取りについて2つ紹介したい。
①エピソード(「家の仕事をしたいと思って」)
〈背景〉
滉介さんが2年生の12月、学校での出来事や期末テストの結果などの話をする中で、進路についての話題となった。「滉介さんは中学校を卒業したらどうしたいの?」と聞くと、「高校に行きたいです」との返事があった。「どこの高校に行きたいの?」と、私は近隣の高校をイメージしながら聞くと「隠岐の高校へ行きたいです」との答えが返って来た。予想もしなかった高校の名前が出てきたので驚きながら「どうして隠岐の高校へ行きたいの?」と聞くと「環境を変えたいと思って」と話してくれた。
2学期末の保護者懇談のとき、滉介さんが隠岐の高校へ行きたいと思うようになったきっかけをお母さんが話してくださった。
「フォーラムが終わった次の日、隠岐から参加していた子のお母さんから電話があった。滉介さんのことを家で話をしたら、その子の兄がどうしても滉介さんと話がしたいと言ったので、滉介さんは、そのお兄さんと話をした。その中で『隠岐はいいところだから隠岐へおいで』と誘われた」とのことだった。このことがきっかけで滉介さんは進路について考え、「隠岐へ行きたい」という思いを強くしていったのだそうだ。両親は突然の話に驚きながらも、隠岐の家族に感謝の気持ちをもち、「滉介さんの思いを大切にしていきたい」と応援しておられた。
<エピソード>
2月に入り、校内でも3年生の受験の話題が聞かれる頃、2016年度県内公立高校志願者数が新聞で発表された。その新聞の記事を見ながら進路の話をした。「以前、隠岐の高校に行きたいと言ってたけど、今も変わらないの?」と聞くと、「最近は近くの学校でもいいかなって思うようになりました」と穏やかな表情で話した。
2016年の4月、滉介さんは3年生になった。滉介さんの学校では進路説明会が開かれた。2日間をかけて近隣の上級学校等の教員がそれぞれの学校の特徴などの話をされる。その説明会後、滉介さんと進路のことについて話をすると「○○高校へ行きたいと思います」と具体的な学校名をあげて答えた。「何で○○高校なの?」と聞くと、「家(会社)の仕事をしたいと思って」との返事だった。
〈考察〉
環境を変えたいと思って進路を考えていた滉介さんが、自分の将来を考え、それに向かうための進路選択をしようとしていることが嬉しかった。
滉介さんははじめ、進路を考える上で「環境を変えたい」という思いを重要視していた。これはどもる自分自身を否定し、周囲との関わりに悩んでいたからだと考える。その滉介さんがどもる先輩や仲間と出会い、どもる自分自身を肯定的に見つめることができるようになったことで「環境を変えたい」という思いが小さくなり、吃音だけではなく自分自身の将来に目を向けて進路について考えることができるようになったからだと考える。
滉介さんは悩みながら進路について考えてきた。その中で変わらなかったのが”家族の応援”だと感じる。滉介さんの思いに寄り添いながら常にそばにいてくれる存在があることで、滉介さんは安心して悩むことができたのだ。今後滉介さんがどのような進路を選択していくかは分からないが、進路について悩んだ経験と、滉介さんを応援している周囲の人たちの存在が、今後も滉介さんの支えとなっていくと確信している。
②エピソード(「発表してみようと思います」)
〈背景〉
今年も弁論の季節となった。1年前の滉介さんは、「吃音を手術してでも治したい」「どもる自分は駄目だ」「なぜ僕だけ」と自分自身を否定しながら暮らしていた。お母さんの励ましのことばも「本人じゃないと分からない!」と素直に受け入れることができないこともあった。しかし、この1年でどもる仲間と出会い、先輩の話を聞き、周囲の人の温かいまなざしを受けて「どもってもいいんだ」と思えるようになっていた。
<エピソード>
5月中旬、最近の様子(吃音、学校生活など)について話をした。その中で、「今年もまた弁論の時期が来るけど」と弁論の話題を振ってみると、滉介さんは弁論に対する不安な思いを語ってくれた。私はその思いを聞いた後、「去年の学級弁論の日は休んで、担任の先生から滉介さんのしんどい思いをクラスのみんなに伝えてもらったけど、今年は自分で思いを伝えてみたらどうかと思うんだけど。もし、吃音や自分の思いについて発表するなら、先生にも何かできることがあるかもしれないけど」と私の思いを伝えた。
私は、滉介さんの中に自分自身のことを語るエネルギーが蓄えられているのか不安もあったが、今の滉介さんなら弁論に向き合えるのではないかという期待もあった。約1か月後の6月、再び弁論について話をすると「発表してみようと思います」との返事だった。とても真剣な表情で答える滉介さんから、強い思いを感じることができた。
〈考察〉
滉介さんはこの1か月の間、弁論で吃音や自分の思いを発表しようか迷っていた。しかし、お母さんに相談し「いいんじゃない。発表してみれば」と背中を押してもらうことができた。
今回、滉介さんが自分の思いを弁論で発表してみようと思えたのは、どもることも含めて自分自身を肯定的に受け入れることができるようになったことや自分の思いをみんなに知ってほしいという気持ちが強くなってきたこと、みんなと同じように弁論から逃げたくないという思いが強くなったことがあげられる。また、周囲の人が滉介さんのことを分かってくれ、応援してくれていることも素直に受け入れられるようになり、このクラスなら自分の思いを聞いてくれ分かってくれると感じたことが発表に向かうエネルギーへと繋がった。
第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/06/03



