退官記念講演~言語障害臨床の今後の展望~

 内須川洸先生の特集の最後です。1990年11月25日に行われた「退官記念の集い」でのお話を再現します。日頃はとても穏やかな先生ですが、こと吃音のこと、どもる子どものこと、どもる成人のことになると、強い信念をもってお話しされます。
 吃音はもともと言語障害ではないという話、どもる成人には吃音観を磨くようにという話など、大いに共感できます。
 僕たちの考えに賛同し、理解し、活動を支援いただいたこと、本当にありがたかったです。心より感謝申し上げます。(「スタタリング・ナウ」2016.12.20 NO.268 より)

  退官記念講演~言語障害臨床の今後の展望~

治らない吃音をどうするか
 現場の先生には、吃音というのは、どうも難しいからと敬遠して逃げているんじゃないかとの話がありましたが、これは真実です。ことばの教室にどもる子どもが来なくなった、吃音は減ったと言われることがあります。しかし、あることばの教室ではすごく増えている。それは、そのことばの教室を担当している先生が、「治らない吃音をどうするか」がテーマの子どもの指導の実力を持っているからです。吃音の発生に地域差はないと私は思います。力のある先生の所に人は集まります。だから、どもる子どもが少なくなったという現象は、自分の指導力がないからだと反省することが必要かと思います。
 確かに、吃音は、研究しても非常に複雑で、難しい。こうすればいいというルーティン(手順)がない。まず、診断が適確にできると、手の打ち方はいろいろあるのです。

過敏性と波状現象
 私は、幼児・学童の吃音は、ことばの指導に力点を置いたやり方では、古いと思っています。子どもがそのことばを自分でどう受け止めるかという問題が非常に大きいということです。
 私のこれまでの臨床では、一番問題になるのは、どもる子どもはまず例外なしに、人間関係に過敏であるということです。過敏性という面を変えていかないと、吃音の症状は消えてもまた何等かの形で問題は出てきます。

 吃音の症状の特徴として、ほとんどのものに循環性があると考えていいと思います。循環性というのは、良い時があると次に悪くなる、悪くなっていると次に良くなる、という現象のことを言い、私は、波状現象と呼んでいます。ある意味では、波状現象は避け難いものです。また、もう少し極端に言えば、吃音独自のものというより、正常な人のことばでも、波状現象があると思います。しかし、波が小さいからほとんど気にならないし気にもしない。時々皆さんにも、ことばが具合悪いときがあると思います。いつでも、ことばが完壁な人なんていません。私なんか、早口で、人に比べるとことばが出てくる方かもしれませんが、それでもひっかかったり、特に格好良く話をしようなんて気持ちがあるときなど、ひっかかってしまいます。
 つまり、波状現象はだれにでもあるんです。ただ、吃音の場合、波状が大きく、上がり下がりするからいやでも目につきます。また、人によっては、幼児期に吃音が出て、その後知らないうちに良くなってしまったという子がいます。そして、小学校時代、一度もどもったことがない子どもが中学生、高校生になって再びどもり始めたという例もあります。これも、一種の波状現象で珍しくありません。ただ問題は、その間、中学校や高校に入るまで、その子の人間関係の過敏さがどれだけ改善されたかです。ところが、過敏性というのは、短期間に変えられません。一種の性格改造と同じだからです。我々の性格は、なかなか変わりません。
 特に、大人になって性格を変えることはまずできません。大人になって性格が変えられることがあるとすれば、それは非常事態であり、例えば、戦争体験とかで、自分の命を奪われるということが頻繁に起こるような、物騒な時代にはそういうことがありました。今は平和な時代ですから、そんなことがあっては困るわけです。
 だから、逆に言えば、今は良い時代で、子どもにとって非常に過保護なのです。しかし、過保護というのは、決して悪いことではないのですが、どもる子どもにとっては考える必要があります。過敏性を改善することは、過保護の中ではできません。過敏性を改善する方法は一つしかないと思います。それは、プレッシャーをかけることです。ただ、プレッシャーのかけ方を間違えると、せっかく吃音の症状がなくなっているのにもかかわらず、また吃音が出てきてしまうことがあります。だから、吃音が出てくるほど、プレッシャーを強めてはいけないんです。最初は軽くかけて段々とかけ方を強めていく。そうすると、どうしても長期間を要するのです。私は、幼児も、ケースによっては学童期よりもはるかに難しいケースがあると思っています。

 また、どもり始めてから時が経過すると、ある子どもは自然に吃音が治ってしまいます。こういうのを自然治癒といいます。以前は、80%と言われた時代がありましたが、後の研究で、40~45%程度というのが、研究者の定説です。そして、自然治癒というのは、残念ながら、私達に研究の努力が足りないので、あまりよく分かりません。どういうときに自然治癒が起こるのかが分かれば、もっと明確なことが言えるでしょう。
 どうも私達の臨床経験では、吃音は簡単には除去できない、解決にかなり時間がかかると見ていいでしょう。
 対人関係の過敏性が保存されたまま、ことばの問題だけをいじっていると、どもらなくなっても、また循環性によって吃音が出てきたときに、そこから問題が起こってきます。特に問題なのは、思春期・青年期なんです。このときは人間関係にデリケートになる時期で、どもる子どもの場合、デリケートな上にデリケートになってしまいます。

けんかができない
 小学校1年生のどもる子どもを考えてみると、他人に迷惑をかける・お母さんの言うことを聞かない・悪さをするということができないんです。友達関係を見るとよく分かります。けんかができないんです。お母さんはその場合、けんかができないとは言わずに、けんかをしない良い子と言いますが、私はけんかもできない弱い子と言うんです。同じことなのです。お母さんは、争いを好まない良い子だと言うのですが、そうではないのです。これは間違いなんです。友達の中で自分の主張ができれば、嫌なことは嫌と言えます。向こうが欲しいと言ってきたとき、嫌と言えば争いになります。どもる子どもの特徴は、「これ欲しい」と友達に言われたら嫌でも、「いいよ」と言ってしまうところです。争わないから、一応友達関係はできますが、これは本物の友達関係ではありません。

 友達関係の良さ・おもしろさというのは、けんかして仲直りすることの繰り返しです。これを体験すると本物の友達になっていきます。けんかができるということは、例えば、親友ができ、大人になって何か問題があったとしたら、「それは問題じゃないか、やめろよ」というのが親友ですね。変だというのが分かっていながら、何も言わないというのは、親友とは言わないのです。こういうことが言えるようになるためには大人になってからでは難しく、やはり小さい頃からトレーニングをすることが大切です。自然治癒した子どもは、性格的にタフネスがあって、けんかはするし、やんちゃ坊主です。私は、そういう子どもを小さいときから作っていくことが、大事だと思っています。ところが、今の子どもは、おとなしい模範生で争いごとはしない、しかも大人みたいに争うと損だと考えてしまう。こうならないようにした方がいい。実は吃音の自然治癒の問題の中核にそれがあるんじゃないかと考えています。幼児・学童において、どもりの子をただどもらないようにする、ことばだけの問題と考えてはいけないんで、問題は、そこの所の改善を中心に考えることです。

吃音の症状について
 しかし、吃音症状が非常に重い場合、そのまま放っておくのは良くありません。吃音の場合、いろんな症状がありますが、困る症状はつまる症状(ブロック)です。言おうとすればするほど、出てこない吃音の症状をたくさん持っている場合には、そのまま放っておいても自然には良くなりません。「ぼ・ぼ・僕ね」という形からもっと進むと「ぼーくね」と伸ばさないと言えなくなってしまいます。一番具合の悪いのは、「ウッ!」とつまってしまって、ブロックになってしまい、そのまま強行しで話そうとすることです。そうなると吃音が悪くなってしまいます。
 だから、症状的には、軽くどもるのは大変結構で、軽くどもる状態で、前向きにどんどん話すような子どもは、すぐ治ってしまうことが多いです。自然治癒のタイプはたいていは、人間関係の過敏さは少なく、タフネスがあり、悪いことばでいうと図々しいんです。だから図々しい子どもを作ることが大事だと思います。

 私は吃音の成人の方と長く接していますが、図々しい吃音の方にはなかなかお目にかかれません。私のつきあいの多いどもる人の中にはかなり図々しくなっている方もおり、人に言いにくいことをずばりと言うし、人の嫌がることを言うし、どもればみんなワーッと笑うしね。だいたい、どもったら笑っちゃいけないと思ってるんですが、そうじゃない。笑われたからといって、どもりのことを気にしていたら駄目なんです。自分もワーッと笑えるような子どもにすれば、自然治癒することも多いし、しなくても何の問題もありません。それができないから、自然治癒にはならないし、悩みを深めるのです。
 ことばだけを一生懸命いじくりまわして、何か良い方法はないかということになってしまいますが、意味がありません。しかし、ブロック症状がどうしても抜けないとき、もっと楽にしゃべることができるように指導することは、意味があると思います。しかし、子どもが楽にどもるようになったら、それでもうおしまいではなくて、問題は内面的なものを考えなくてはなりません。これが私の基本的な考え方です。
 U仮説というのは、吃音を内面と外面の両面から考えています。外面的条件というのは、そういう条件が加わるとどんどん良くなる条件です。これが積極的改善条件で、一つは、ブロックまでいかない軽くどもるような状態で、何でも話せるおしゃべりを、人前でどんどんしていくことが挙げられます。これを積極的に治すといいます。
 吃音問題は、時間は長くかかるけれども、間違わない指導をすればどんどん悪くなるということはないと思っています。

成人の吃音は吃音観を磨くこと
 しかし、成人の問題に関しては、皆さんが言う通り、治療の間題ではない、ことばを良くするという問題をはるかに超越している。
 吃音をどのように自分で受け止めるのかという吃音観・価値観の問題だと思います。少なくともこれまで、吃音は治さないと駄目なんだ、治さない限り全部マイナスしかないという考えの人が、治すことに一生懸命になってきました。しかし、果たして治すことはできるのか、つまり、現象はまた戻ってきます。出たり入ったりしています。完全に治すなんてことは有り得ない、これは夢で、そんなことは有り得ないことです。ことばが正常な人間でも、完全なスピーチができる人なんていないんだから。
 だから問題は、ことばではないんです。どもってもよいじゃないか、どもるから言いたいことが言えないのか、どもりながらでも言いたいことを言い切ればよいじゃないか。問題は途中で止めてしまうことです。だから、心の問題を前向きにしていけば、吃音の症状の問題ではないのです。症状を改善しよう、取り去ろうと考えているうちは駄目なんです。

吃音はもともとは言語障害ではない
 吃音は、確かにことばの現象で、言語障害のひとつと考えられていますが、私は、言語障害を、こう説明するんです。吃音というのは、始まった時から言語障害ではない。吃音は「言語障害である」言語障害ではなく、「言語障害になる」言語障害だと、私は思うんです。
 言語障害には、もともとの言語障害があります。初めからことばが出ないというのがあります。例えば脳性小児マヒの方の言語は、初めから言語障害なんです。
 吃音はそうじゃなくて、言語障害でもなんでもない、多少ことばの話し方が一風変わっているという程度のものから始まるんです。それがだんだんとネガティヴなものと意識することで言語障害になり、最後は、まさに言語障害で、コミュニケーション障害になってしまう。

 「なる」というのは、どもることが嫌で、話すことをあきらめてしまって話さなければ、言語障害になるということです。コミュニケートしないのだから。どもりながらでも、自分の言いたいことを言いきることができたら、ことばは相手に通じているのだから、言語障害ではない。
 ことばを相手に通じさせるのが重要なので、形の方を改めるのは徐々にやればよい。人前で自分の吃音を押し出すことができるようにならなければだめです。けんかができるためにも、押し出す気持ちがなければけんかはできない。どうしてもしゃべり方がなめらかにならない人がいるかも知れない。それはそれでよい。どもりながらも、コミュニケートすれば、立派なことばです。
 その人の人柄にぴったりした話し方なら、たとえどもっていてもコミュニケートする上で、それが一番よい。皆さんは、「どもりはだめだ」と思っているかも知れないが、どもりはいいもんだと、考えてみなさい。どもりは素敵なものですよ。私がそう思っているのだから、現にそう言う人(私)がいるのだから間違いない。

 私はどもる皆さんの姿を見て、非常にうらやましいと思うことがある。吃音で苦労している。苦労というのは、人を良くするんです。苦労しなかったら、ろくな人間にならない。しかし、苦労がいやだ、いやだと逃げ歩いているうちは、何のプラスにもならない。
 徹底してどもってごらんなさい。どもって、どもって、言いたいことを絶対相手に言い聞かせるくらいになれば、そのうち吃音そのものが変わってくる。吃音の症状そのものを変えようとすると、症状は変わらない。しかも吃音は波があるから、ちょっといいと思っても、また落ち込んでしまう。そんなものに惑わされてはいけない。
 私も一度どもりになってみたいと思うことがありますが、それはできないので、私は吃音観というものを持っていない。私は、皆さんが吃音観というものを磨いたら、それはすばらしい宝物になるのではないかと思うんです。吃音を長年研究してきた、これは私の本音です。
 私はどもらないが、別のハンディを持っています。それは私にとって、とても大切なものです。私がもし完壁な人間ならば、くだらない人間になっているかもしれない。問題があるからいいんです。私は、一般的にはハンディと思われている私の問題を大事にしているおかげで、今日あると思っています。皆さんはどもりという問題があるんだから、そのおかげですばらしい人間になれる可能性がある。やればできる、と思っています。
 とにかく吃音観を磨いて下さい。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/05/29

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