吃音を生きるということ~子どもたちのレジリエンス~

 ここに登場する黒田明志さんとの出会いほど、強烈なものはないでしょう。
 北海道で開かれた全国難聴・言語障害教育協議会全国大会に参加していた僕は、同じように参加していた黒田さんを、「君は今、ここに参加すべきだ」と強引に、翌日から滋賀県で開かれる吃音ショートコースに引っ張ってきました。帰りの飛行機の予約をキャンセルさせてしまったのです。そのときの吃音ショートコースのテーマは、当事者研究。黒田さんには今これが必要なんだという強い確信が僕にはあったからです。時には、必要だと確信したら、今回のように強引に誘うことがあります。しかし、最終的には本人の選択なのですが。
 当事者研究に出会った黒田さんにとって、そのときの出会いは大きな転機となりました。
 そんな強引なことを誰にでもすることはありません。あのときの黒田さんだったからできたのです。黒田さんは、今、僕たちの大事な仲間のひとりとして、ともに学び続けています。
 「スタタリング・ナウ」2016.10.22 No.266 より、黒田さんの実践を紹介します。

  吃音を生きるということ~子どもたちのレジリエンス~
              千葉市立花見川第三小学校 ことばの教室 黒田明志

 2016年7月28日に行われた第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会の吃音分科会で発表した経験と実践を報告します。

はじめに

 島根県出雲市で行われる全難言協の全国大会で、私が提案することになった。伊藤伸二さんをはじめ、信頼する仲間から薦められたことは大変光栄なことではあったが、それと同時に、何をどのように提案すればよいのか、その時の私には全く想像すらできなかった。「子どもたちのことを伝えたい」という漠然とした思いはあったものの、「レジリエンス」や「ナラティヴ・アプローチ」、「当事者研究」の実践をどのようにまとめていけばよいのか分からず、途方に暮れる日々であった。

 「私が語る意味とは何だろう。」
 大会までの数か月間、常に頭の中にあった疑問だ。ことばの教室の担当者として講師の期間を含めても6年目。経験をたくさん積んだわけでもないし、ましてや専門的に研究をしてきたわけでもない。しかし、子どもとの関わりの中でどもる自分、教師としての自分と向き合うようになり、いつしか子どもとともに私自身の「自分を語ることば」が育ってきたのだと、準備を進めていくうちに改めて感じるようになった。そして、「私が今語るべきことは自分を語れるようになった私自身のことで、それは私にしか語れないものだ」と、ようやく私が語ることの意味を見出すことができた。
 自分を良く見せようと格好つけた文になると、その度に伊藤伸二さんや、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の仲間からは「ダメ出し」をされ、何度も書き直した。一番印象に残っているのは、「勇気」と使った言葉に対してのダメ出しだ。何をもっての勇気なのか、そんな曖昧な言葉は使ってはいけない、というものだ。今まで深く意味を考えないまま言葉を使っていたことに気づかされた。
 自分の思いを言葉にすることの難しさを感じた。考えすぎて伝えたいことが自分でも分からなくなり、立ち止まることもあった。発表では「ことばが持つ力」を謳っているのに、何とも皮肉な話だ。だが、そんな時は伊藤さんや仲間とのやりとりを通して、「ことばの持つ力」に後押しされたのもまた事実だ。発表の準備を進める中で、ここまで深く自分自身や言葉と向き合う時間を過ごすことができたのは、語り合える仲間の存在と、私自身にもそのレジリエンスがあったからだと感じている。

私とどもり

 実は、私はどもる。しかし、他人からはあまり気づかれない。どもりを隠しているつもりはなく、無意識に言葉を言い換えたり、ほんの一瞬の間を取ったりしているのだと思う。学生時代にコンビニのアルバイトで「ありがとうございます」や「お疲れ様です」、「お先に失礼します」が言えなくなったのが始まりである。4年間ずっと同じアルバイトを続けたのは、それほど深く悩まずにやり過ごしていたからだろう。
 音楽が大好きで、音楽で生きていこうと25歳まで頑張ったが、上手くいかなかった。25歳で音楽の夢を諦め、そこから通信制の大学に通い、教職を目指した。元々音楽をしながら塾講師のアルバイトをしていて、教えることの楽しさを感じていた。そして28歳の頃に千葉市の教員採用試験に合格し、ことばの教室の担当者になった。そこで初めて、「吃音」や「どもり」の言葉を聞き、私自身がどもるということを知った。
 ことばの教室でどもる子どもと出会った私は、子どもたちとどもりにっいて語り合うことが大切だと、先輩の先生の実践を見たり、『親・教師・言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)などを読んだりして、頭では理解していた。しかし、自分の吃音とどう向き合えばよいか分からなかった私は、実際にどもる子どもを目の前にしても「自分を語ることば」がなく、どもりとは関係のない話を延々と続けるばかりであった。

 そんな時、同じ千葉市のことばの教室の渡邉美穂さんに誘われて、日本吃音臨床研究会主催の吃音親子サマーキャンプに参加することになった。2泊3日のキャンプは、吃音についての話し合いと、自分の体験を書く作文教室、声やことばに向き合うための劇の練習と上演が主な内容だった。ゲームやケータイは使用禁止で、いわゆる遊びの要素はほとんどないにもかかわらず、子どもたちは「楽しかった、またキャンプに参加したい」と言う。それはどもる仲間と出会い、吃音と向き合い、語り合うことを子どもたちが求めているからだろう。自分を語り、他者の語りに耳を傾け、自己をふり返ることで、子どもたちは自ずと変わっていく。
 どもりながらもいきいきと生きる子どもや、スタッフとして誠実に子どもとかかわっている成人のどもる人と出会い、「どもりは治さなくて、平気なんだ」「どもっても大丈夫なんだ」と自分自身のどもりについて考えるようになった。私は、ようやく子どもたちとどもりについて話し始めた。話し合いを進めていく中で子どもたちは「どもりカルタ」を作るようになり、どもりについて考えたり、クラスの子にどもりを伝えたいと言ったりするようになった。そして、子どもと私の距離も徐々に近くなっていくのを感じていた。
 けれども、「どもりを治さなくても、どもっても大丈夫」と頭では理解していても、実際自分自身は無意識とは言えどもりを隠していることに次第に違和感を持っようになった。そして、私の不安を見抜いたかのように、どもりの話を進めても子どもたちは自分の思いを語らなくなった。「大丈夫」「心配なことはない」と彼らから言われる私は、やがて子どもと向き合えない自分が教師を続けることに疑問を抱くようになった。

 悩みの淵で身動きが取れずにいた私に、手を差し伸べてくれたのが伊藤伸二さんだ。2000年秋の全国難聴言語障害教育研究協議会・全国大会、北海道大会に参加している時、伊藤さんから突然「明日から琵琶湖で吃音の集まりがあるから、君はそこに参加した方がよい」と言われ、私は戸惑った。帰りの飛行機も予約し、その後の予定もあったので、急に変えるのは難しいと断っても、「いや、君は、今、絶対に来るべきだ」と強引に口説かれた。
 そこまで他人のことでしつこく言うには、何かがあるのだと、私は意を決した。帰りの飛行機をキャンセルし、急遽予定を変更して滋賀県に行くことにした。今思うとそこまでして私は深い悩みの淵から脱したかったのかもしれない。それまでの私なら、急な予定の変更や準備もしないまま行動をするなんてことは絶対に考えられなかった。

当事者研究 私の転機

 琵琶湖のほとりで行われる吃音ショートコースは、北海道・浦河の社会福祉法人「べてるの家」理事で北海道医療大学教授、ソーシャルワーカーの向谷地生良さんが講師で、そこで当事者研究に出会った。
 当事者研究とは、「生活の中から研究の素材を見出して、それを研究テーマとして再構成し、背景にある事柄や経験、意味などを見極めて、自分らしいユニークな発想で、自分にあった『自分の助け方』や理解を見出す一連の研究活動の総称」である。統合失調症など生きづらさを抱えた方々が自分の病気を「研究テーマ」として捉え、仲間と一緒に自分を語り、自分自身の助け方について、ともに考えていく。カウンセリングという医者と患者という関係ではなく、当事者同士の対等な関係で、当事者自身の力に着目した取り組みである。

 そこで、これも伊藤さんや仲間の強引なすすめで、当事者研究の当事者の役割を与えられた。私は教師を続けられるかと思い悩んでいた、自分の悩みを「研究」をする機会を得た。参加者から質問を受け、語り、研究を進めていく中で、吃音を否定しているわけではないのに「どもれない」ことが私の課題だと気づいた。それは、吃音を隠すというよりは自然に言葉を言い換え、どもらない話し方を身につけ、吃音に向き合うことなく今までやり過ごしてきた結果であった。
 さらに、仲間との語りを通して「悩む」の意味づけが少しずつ変化していった。悩んでいるということは、子どものことを考えている証拠、今を一生懸命に生きているということだ。だから、どもりを無意識に隠そうが、言いやすい言葉を言い変えようが、私のどもりは「どもれないどもり」なのだ。つまり、私はこのままの私でよいのだと。
 当事者研究での語りを通して、私の言葉の意味づけが変わったのは、ナラティヴ・アプローチと呼ばれるものだ。自分自身の思い込みのストーリー(教師としてダメだ、どもりを隠す自分はダメだと悩む)が、仲間との語りを通して全く違ったストーリー(悩むことは子どもを真剣に考えている証拠であり、今を必死に生きている証拠)に変わったのだ。

 このことは私にとって大きな転機となった。子どもとなかなか向き合えずに悩んでいた私に実は「悩む力」があり、それが子どもと向き合うために必要なことだと気づくことができた。そして、ことばの教室の担当者として子どもと対等の立場で、子どもの語りに耳を傾け、自分を語り、子どもが持っている、ネガティヴな吃音の物語を肯定的なものにしていくお手伝いをすることが、私が目指すどもる子どもに向き合う姿勢となった。
 私の人生で伊藤さんをはじめ、千葉の渡邉さんや吃音の仲間との出会いが私をここまで導いてくれたことに、私は人の縁のありがたさや不思議さを感じている。それと同時に、私自身にも、今までなら考えられなかった、北海道から滋賀県へ突然行く先を変えるなど、縁を手繰り寄せる力があったのだと気づいた。縁結びの神様が宿る、島根出雲の地で私が話す意味とは、自分を語れるようになった私を、そして今なお悩み続けている姿を見ていただくことにあったのだろうと、この文章を書きながら改めて思い返しているところである。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/05/20

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