吃音ショートコースの21年 2

 昨日の続きです。最後の吃音ショートコースとなった、2015年の第21回吃音ショートコースの報告です。報告者の目を通した吃音ショートコースが綴られています。(「スタタリング・ナウ」2016.9.20 NO.265 より)
           

吃音ショートコースの21年 2
            西田逸夫(大阪スタタリングプロジェクト、64歳、団体職員)

◇私にとっての吃音ショートコース
 吃音ショートコースで学んだことは、すべて毎週金曜日に開かれる、大阪吃音教室の年間スケジュールに組み込まれている。それぞれのテーマの講座を担当する世話役は、これまで発行されている書籍や年報や、先輩の資料を読んで勉強する。新しい人が、勇気を出して担当すると、自分自身が学ぶ機会が得られる。周りのサポートで、毎回充実した講座が展開される。私が大阪吃音教室に出会う前から、吃音ショートコースは始まっているため、私が参加していない回もあるが、大阪吃音教室での講座を含めて、私個人の経験を振り返る。

1 自分自身が自分の一番の味方になった
 私は2001年夏から大阪吃音教室に通い始め、吃音ショートコースには2003年に初めて参加し、以後、続けて参加している。私が自分の吃音を考えるに最も深く影響を受けたのは、論理療法だ。

 私が大阪吃音教室に初参加した例会のテーマが「論理療法入門」だった。例会後の喫茶店で伊藤さんから聞いた「論理療法を身につけることが吃音に悩む人の務めだ」という発言と、「吃音は哲学だ」の発言が耳に残った。
 早速、例会会場で、『論理療法と吃音』(芳賀書店)、現在は『やわらかに生きる 論理療法と吃音に学ぶ』(金子書房)になっている本を買って読み、大いに影響された。
 論理療法から受けた影響の最大のものは、過剰な自己批判をやめたことだ。それまで自己嫌悪の固まりのような人間で、自分をいじめるのが趣味のような生き方をしていた私が、自分自身の人生の一番の味方になることができた。論理療法との出会いが、「自分はこういう人間でなければならない」「こういう場面では自分はこう振舞わねばならない」などの「こわばり」を解きほぐした。ずいぶん、生きるのが楽になった。

2 自分がどもるだけの人でないことに気づいた
 私が苦しんでいたことの一つは、一日中自分のどもりにとらわれている感覚だった。初参加した2003年の吃音ショートコースで、講師の文化人類学者のディビッド・レイノルズさんの講義で「皆さんは、いつもどもっているわけでも、いつもどもりのことを考えているわけではないですよね」と話された。そのとき、思わず私は「いや、しゃべっていない時も、どもりにくい言葉づかいを考えていたりして、私は一日中どもる人間なんですよ」と反発し、発言していた。
 翌年の諸富祥彦さんの、気掛かりなことを絵にする「自分の部屋」のセッションで私は、その時の自分を図化し、隣に座った徳田さんと描いた絵を互いに見せて話し合った。徳田さんも私も、吃音のことは描いていなかった。2003年に講師の話を遮ってまで「一日中どもる人間なんです」と主張した私自身が、2004年には「いつもいつもどもり、というわけではない」と、自分を図に描いていた。「一日中自分のどもりにとらわれている私」というのは、単なる思い込みに過ぎなかったのだ。

3 吃音が自分の一番大切なものになった
 同じく、諸富祥彦さんから、「その人がそのときに抱えている最大の問題が、その人が自身の人生の意味を知るための最大の鉱脈だ」のメッセージを受け取った時、地中に巨大なマグマだまりがあって、鉱脈に沿って地上近くまでマグマが上がって来るとのイメージが私の頭に浮かんだ。その時に一番活発に噴煙を上げて活動している火山、つまり自分自身を一番困らせている問題の直下には、まさにマグマが噴き上がろうとしており、マグマだまりである自分自身の根幹に到達するチャンネルが開いているのだ。いきなりそこを降下するのは危険が伴うらしいが。

 それまでにも私は、自分の吃音体験を自分にとってプラスのこと、大事なことと、とらえていたが、それは「つらいことが多かったけれども得したこと、学んだこともある」という、「総合的判断でのプラスの評価」だった。鉱脈の考え方に触れて、吃音体験こそが自分にとって最大の宝物なのだと、無条件の肯定に改めることができた。この時のショートコースのテーマは「生きる意味を考える」だったが、私は自分が「生きる意味を考える」手掛かりを手中にしていると気づいたのだ。

4 忘れがたい講師陣
 これまでの吃音ショートコースの記録に目を通すと、講師がほぼ例外なく、私たちが勉強熱心で反応の良い聞き手だったこと、講義しやすくて楽しい場だったことを語っておられる。私にとっても、何人も、忘れがたい講師がいる。
 中でも私にとって印象深かったお一人が、2006年の講師、認知療法・認知行動療法の大野裕さんだ。吃音ショートコース会場に到着された時には、少し緊張しておられる様子だったが、時間を経るに従って微笑が増え、最終日、伊藤さんとの対談を終えた後には満面の笑顔を見せて下さり、幸せな気持ちになったことをよく覚えている。大野さんは、その後日本経済新聞のコラムで書いて下さるなど、さまざまな機会に、吃音ショートコースでの経験を話して下さっている。

 別な面で忘れられないのは、2010年の講師、サイコドラマの増野肇さんだ。増野さんは吃音ショートコースで、サイコドラマのさまざまな入門編の手法を紹介して下さった。私たちがサイコドラマを初めて経験するのだからと、全員で経験するデモンストレーションのようなことが続いた。参加者の中に、サイコドラマでみんなと一緒に考えたい初参加者のために、伊藤さんが、2日目の夕食後に増野さんに、個人ワークを入れてほしいとお願いした。それに増野さんが応えて下さり、2日目の夜と3日目の朝を使って、3っの本格的な個人に焦点を当てたサイコドラマを経験することができた。その時の主役が小林悠太さんで、彼はその後ウィーンに留学し、プロのオーケストラのバイオリン演奏者として活躍している。(「スタタリング・ナウ」245号参照)
 基本的には、講義内容をすべて講師にお任せしてきた吃音ショートコースだが、このような私たちの願いに講師が応えて下さることもあった。

◇学びの場として~記録は年報や書籍に~
 6ページに、21回のショートコースの年表を掲載している。伊藤さんがその年の吃音ショートコースのテーマを決め、それぞれの分野の日本での第一人者に講師依頼をするという形で、運営されてきた。その毎回の記録が、金子書房から4冊の単行本として、また日本吃音臨床研究会の20冊の年報の形で残っている。開催を続けるうち、講師依頼を受けた方が過去のショートコースの記録を読み、「こんなに幅広く、一流の講師陣から学んでいる、これはすごい団体に招かれた。過去の講師陣に恥じない講義にせねば」と、力を入れて講義準備をしたと講師の方から聞いたことがある。
 また、毎日夕食後まである講義と演習、最終日の対談と振り返りのプログラムに、「こんなにこき使われたのは初めて」と笑われる講師の方もいらした。数多くの講演や講義を経験されたような著名な講師の方にとっても、型破りで長時間の、内容の濃い体験学習の場だったようだ。

 最後の吃音ショートコースだったので、会場の一隅には20年間の日本吃音臨床研究会の年報(各年度のショートコース報告、4冊の単行本を含む)がずらりと並んでいたが、私たちの活動と考え方の広がり、深まりを表していた。ショートコース期間中、参加者が折々に手に取り、内容を話題に歓談している姿が見られた。毎回の記録がすべて出版の対象となり、その回に不参加の人もエッセンスを味わうことができるというのが、吃音ショートコースの一つの大きな特長である。

◇どもり内観
 最後に、吃音ショートコースの各回をつなぐエピソードとして、「どもり内観」を紹介しておきたい。内観療法は、大阪吃音教室が早くから取り組んで来たことの一つであり、伊藤伸二さん、東野晃之さんはじめ、古くからの常連メンバーの何人かは、「奈良内観研修所」での「内観研修」も体験している。2003年のディビッド・レイノルズさん(建設的生き方)が、時間は短めながら、内観療法の基本を丁寧に紹介して下さり、参加者一人ひとりが自分の母親を対象に、内観を体験した。

 大阪吃音教室で、「吃音」を擬人化し、「吃音に世話になったこと」「吃音にして返したこと」「吃音に迷惑をかけたこと」を考えてみたことがある。
 「吃音にはさんざん迷惑を受けてきた」としか考えたことのなかった大半の参加者にとって、このような観点から吃音を見直すことは難しいことだった。それでも、何人かが「吃音で得をした経験」を語り、「自分がすべきことを吃音のせいにして回避し続け、迷惑をかけてきた」ことの反省を口にするなどを続けるうち、「どもり内観」に面白さを感じる人が増え始めた。「どもり内観」はその後、大阪吃音教室で年1回の例会テーマとなって続けられてきた。
 10年後の2013年、三木善彦さんを講師とした吃音ショートコースの最終日、「どもり内観」を実施した際には、「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3項目いずれも、大阪からの参加者を中心にほとんど途切れることなく次々に発言が相次ぎ、三木さんも驚いておられた。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/05/17

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