2015年度 第18回ことば文学賞 3

 昨日に続いて、第18回ことば文学賞の作品を紹介します。今日で最後です。後に続くどもる人たちへ、直接的なメッセージもあれば、間接的なメッセージもあり、バラエティに富んだ内容の作品ばかりです。読み応えのあることば文学賞、今年も楽しみです。
 では、「スタタリング・ナウ」2016.8.20 NO.264 より、紹介します。

2015年度 第18回ことば文学賞 3

  春のタ暮れ
                              鈴木永弘

 桜の花もあらかた散ってしまうと、春の暖かい陽射しに新しい生活を予感させられる季節が、毎年必ずやって来る。それは一年で最も苦手な季節。この頃になると、頭から首そして胸の上あたりまで、フワフワとした海綿が四六時中詰まっているようで、息苦しく、気持ちがザワザワとして落ち着かない。そんな時は、僕の吃音の調子も悪くなった。とくに今年は中学生最後の一年間。新学期が始まってから、何となく憂鬱な毎日が続いている。小学校から中学校に進学する時も不安でたまらなかったけれど、高校生になる不安は僕の心を押し潰してしまいそうだ。これまで、そういう時には出来るだけ今の状況から目を背け、不安を感じないようにしてやり過ごして来た。

 僕はいつだって現実を直視することは出来なかった。意識して今の状況から目を背けようとする行為は、不安が過ぎ去ったあとから生まれて来るもので、不安に支配されている時やどもっている時には、無意識のうちにマイナスの感情が身体を支配し、何をすることも出来ない状態になった。一刻も早くその場から逃れたい、消え去りたいという願いがあるだけだった。

 小学5年生から通っていた学習塾を、中学2年生の3学期で辞めた。この塾の授業は、問題集の解答を順番に発表していくというやり方だった。どもる僕にとって、90分間の授業で何十回も当てられるのは苦痛だった。しかも大学を出て間もない国語の教師は、親切にも授業が終わってから、僕のどもりを治すための発声練習までしてくれた。高校受験まであと1年の辛抱だったが、もう限界だった。1か月前までは学校の授業が終わったら、クラブの練習があり、その後、家に帰ると少し早い夕食を慌ただしく摂ってからすぐ塾に行き、夜の9時頃まで勉強をするという忙しい毎日だった。今はクラブ活動も辞めて自由な時間はたっぷりとあるが、塾もクラブも途中で挫折してしまったことで、家での勉強時間をもっと増やすように、母から口うるさく言われるようになった。

 今日は土曜日なので、昼過ぎには帰宅し、テレビを観ながらご飯を食べるとすぐ、勉強をする素振りを見せるかのようにして自分の部屋に行った。しかし机の前に座っても、気分が暗く沈んでしまって仕方がない。明日は日曜日なのに…。まだ休みが始まったばかりだというのに。
 今朝、学校で社会科の学年最初の授業があった。教科書の内容に入る前に教師は一つの質問をした。
 「もし、将来大人になってから戦争が起こったとしたら、君たちは戦揚へ行きますか?」
 「今から紙を配るので、考えを書いてみなさい」
 戦争ということばを聞いた僕は、心がざわついて暗い気持ちになった。僕の父は「あと少し太平洋戦争が長引いていたら、兵隊として戦争へ行く覚悟があった。そうすればお国のために働くことが出来たのに、あの時は無念だった」というような話をする。戦時中は軍需工場で働いた、昭和一桁生まれの男である。日頃から工場での生活や戦時中の苦労話が、頻繁に家族の会話に登場した。その会話の内容から、僕が想像する戦争のイメージがあった。「軍隊はとても厳しい。全て迅速に決められた通りにしなければならない。軍隊では皆同じ行動、同じ考え、同じ話し方をしなければならない。きっと、どもりは厳しく矯正され、とても辛い思いをしなくてはいけない」「今、中学校の授業でも毎日が苦痛なのに、軍隊に入ったら、訓練という名の体罰やいじめのような日々から逃げ出してしまうに違いない」父の話を聞きながら、その時のためにどこに逃げれば良いのだろうか、という空想までしていた。

 全員に紙が配られ、自分の考えを書かなければならなくなった時には、心臓がドキドキし、どう書けば良いものかわからなかった。本当は、「逃げ出したい」と書きたかった。しかし、「昔は国のためとか天皇陛下への忠誠を尽くすために、日本人は戦場へ行ったと聞くが、愛する人のためや大切な家族を守るために、と考えることも出来るぞ」と言う教師のことばを聞いてしまった後では「よくわかりませんが、大切な人は守りたいと思います。」と書くのが精一杯だった。
 その日の授業が終わり、学校から帰る途中で、友達が今日の社会科の授業についてしゃべり出した。
 「やっぱり、愛する人や家族は守らんとあかんやろ。男やしな。お前もそうやろ」
 「まあな…、大切なものは守らんと。」
 「そうやで、恋人や親は自分の力で守らんと。国のためやないで。大切な人のためや」
 僕は道端に転がっている空き缶を蹴って、友達にパスをした。この話はそこで途切れ、空き缶をパスし合いながら家の近くまで一緒に帰った。

 机の前には、仏像の写真と、小学生の時に友達の影響を受けて好きになった、カンフー映画のポスターが貼ってある。最近、興味を持ち始めたお寺や神社の建築物、またその建物の中に安置されている仏像を観たくて、休みの日には時々一人で京都や奈良に行き、仏像の写真を買ってきて壁に貼るようになった。
 窓から入ってくる春の優しい日差しが、その写真を照らしている。光に照らされた写真も綺麗だが、実際の古い建築物や仏像はほんとうに美しいと思う。美しいと思うと同時に恐怖でもある。「生への恐怖」である。それらが経て来た時代の流れ、時間の経過は「生きること」、「命」を連想させる。以前、授業で仏教の教え「生きることの苦」について習った。ただ、あまり詳しくは説明されず、その時はよく理解出来なかったのだが、いつか仏教関連の本を読んでみたいと思う。
 楽しいはずの休日を前にしてこんなことを考えているのも、吃音であることが関係しているのだろうか。今の僕にとって生きている「苦」は吃音だ。しかもその吃音は、自分自身にもよくわからないものだ。これからどうして生きて行けば良いのか見当もつかない。いつも吃音のことを考えると、混沌とした世界に入り込んでしまう。

 小学生の頃はもっと清みきった世界だった。親や教師の言う通りにしていれば、すべての物事が進んで行った。どもって落ち込むことは多々あったが、深く考えないようにする方法で乗り切ることは出来た。自分を誤魔化してでも前に進めば、先には道が用意されていると思っていた。親も教師も吃音のことは心配しなくても、いつかは消えてなくなると教えてくれた。それよりもしっかりと勉強をして、学校の授業を理解することが大切だと。そして、清みきった世界で教えられたことをそのまま覚えて、紙に書き写すことはその時は容易に出来ていた。
 今では清みきった世界は無くなり混沌としている。けれど、その中でいろいろと思いを巡らすのは心地良い。昔は用意されていると思っていた道も、もう見えない。そのかわり道がないなら、どこへ向かって歩こうが自由だ。

 「人生はほんとうに苦なのか? 吃音のある人生は、ほんとうに苦なのか? 吃音が治ったら、道は開けているのか? どもると吃音の調子が悪いのか? 良いのか? 大切な人を守るためには、戦うしか方法はないのか? 本当に守るべきものは何なのか? 本当に大切なものは何なのか?」
 考えることは多く、それらは容易ではない。また、長年身体に沁みついた、現実に背を向ける習慣はそうすぐには変えることは出来ないだろう。不安や困難の渦中で現実を直視し行動に移すことは、まだ当分…、もしかしたら一生無理かもしれない。でも、考えることは大切にしていきたい。そして、今は到底出来そうにないけれど、考えたことを他人に伝えられる人になりたい。

 そう思っていても、現実の生活は苦労の連続だ。新学期が始まったばかりだから、新しく知り合ったクラスメートもいる。彼らは授業中の発表や本読みで、僕のどもる姿を初めて目にすることだろう。そんな彼らとも上手く付き合っていかなければならない。
 あと少しでゴールデンウィークが始まる。それまでどうにか頑張って、連休で一息ついて、また今度は夏休みまで頑張る。今の僕には、そうするしか仕方なさそうだ。
 沈んだ気分であれこれと思いを巡らせているうちに、いつの間にか春の陽気に誘われて、机に突っ伏す形で眠ってしまっていた。陽が沈みかけ、ガラス戸を全開にしている窓から流れ込んでくる空気に、僕は肌寒さを覚えて目が覚める。そして椅子から立ち上がり、薄暗くなっている部屋の壁に貼ってある、カンフー映画のポスターを剥がした。

【選者コメント】
 文学賞ということばにふさわしい文学作品である。特に、書き出しの美しい情景描写には思わず引き込まれる。
 4月の新学期からゴールデンウィークまでの、ある土曜日の春の夕暮れの一日の描写。その一日に至るまでの心の旅が、淡い光の中で、回想シーンを見るかのように綴られている。
 作品全体を通して流れている「考える」というテーマは、小学校の時にはあまり考えないようにすることで、筆者を助けてきた。だが、中学生になって混沌とする中で思いを巡らすことが心地よくなってからは、吃音の悩みもより深まったものの、その苦悩が、筆者の考える力を育んでいく。教師の戦争への問いかけにも、吃音を通して、吃音と深くかかわりながら、独自の切り口で答えを出している。
 じっくり深く考えることで、作者は、自分のことばを耕してきた。使われていることばのひとつひとつが洗練され、作者のセンスが光る。
 カンフーのポスターを剥がしたことで、考えたことを他者に伝えるために、自分の力で歩きだそうと決意したのではないだろうか。

【作者感想】
 ことば文学賞優秀賞をいただき、ありがとうございます。今回は学生生活を送っていた時代の混沌とした気持ちを、あえてまとまりのない文章で表現したいと思っていました。読み返してみると、まとまってしまっていますが、吃音だけでは決してなかった、しかし吃音が厚い霞のように覆いかぶさっていた中学生時代のエピソードの描写から、読まれた人がそれぞれの思いを持っていただければ、たいへん嬉しいことだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/05/10

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