2015年度 第18回ことば文学賞
2015年、吃音ショートコースと名付けた、2泊3日の体験型ワークショップは、21年の歴史に幕を下ろしました。その道の第一人者を講師として迎え、参加者とともに作り上げた2泊3日の空間は、吃音にどっぷりつかり、吃音の豊かな世界を味わえるすばらしい場でした。
その吃音ショートコースのプログラムの中にいつもあったのが、発表の広場です。どもる人やどもる子どもの親はその体験を、ことばの教室や言語聴覚士などの臨床家はその実践を発表します。発表の広場は、ひとりひとりの人生に耳を傾け、味わうことのできる時間でした。その中の一角に、ことば文学賞がありました。自分の体験を綴ること、客観的に自分をみつめること、後に続く人のために大切な体験を残すこと、話すにつながる書くコミュニケーション能力を磨くこと、そんな様々な思いや願いから、大阪スタタリングプロジェクトが継続してきた取り組みです。吃音ショートコースは歴史に幕を下ろしましたが、ことば文学賞は、今も続いています。2026年、今年度のことば文学賞は、今、応募作品を募集中です。
また、吃音ショートコースに代わる場として、新・吃音ショートコースを開催しています。
第9回となる今年の新・吃音ショートコースは、6月20・21日、大阪府寝屋川市の寝屋川市立市民会館で行います。以前の吃音ショートコースとは違い、講師を迎えず、参加者のみんなで語り、考え、作り上げていく2日間です。吃音にどっぷりつかり、吃音の豊かな世界を味わうことができるのは変わりありません。ぜひ、ご参加ください。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページに掲載します。
では、今日は、最後の吃音ショートコースの発表の広場で披露された、第18回ことば文学賞の作品を紹介します。「スタタリング・ナウ」2016.8.20 NO.264 よりです。
《2015年度 第18回ことば文学賞 作品》
どもりの不幸と後悔の鍵
丹佳子
中三のときに文化祭で人権劇をすることになった。生徒会の子たちが劇の中心メンバーになっていて、そのとき学級委員をしていた私にも先生が声をかけてきた。演劇は好きだったし、俳優や声優にもあこがれていた時期だったので出てみたいと思ったが、「どもって台詞が言えなくなったらどうしよう」と思いが先にたち、「どもりがあるから無理です」と断ってしまった。でも、引きずるものがあり、「やってみればよかったかも…もう一回先生声かけてくれないかなあ」と思っているうちに人数が集まったらしく、その後は声をかけられることもなかった。文化祭で演じられた劇は、同和地区の差別問題を描いた重いテーマのもので、同級生が一生懸命台詞を言い、がんばって演技をしている姿が印象的だった。「わたしもあの中に入りたかったな。でも、どもりがあるからやっぱり無理だったよね。」それが私と人権劇の最初の接点だった。
それから15年ほど経ったころ、大阪吃音教室の伊藤伸二さんや仲間と出会い、それまで否定し続けていたどもりの自分を受け入れることができるようになった。でも、「どもりだから」を理由に劇から逃げた後悔は、不幸な青春の象徴のように、心の中にずっと残っていた。
大阪吃音教室に関わるうち、竹内レッスンというものがあるのを知った。プロの演出家である竹内敏晴さんが、演劇のレッスンを取り入れて、からだをほぐし、声を出しやすくするようなレッスンをし、3月には劇を舞台で発表するというものらしい。伊藤さんに「應典院の舞台を一度見てみたらいい」と言われので、「どんなものかな」と、安くはない電車代を払って見に行ってみた。このときの演目は『12人の怒れる男たち』で、舞台の上には、吃音教室やショートコースで知り合った仲間の姿もあった。体験レッスンのとき、歌のレッスンをしてくださったのだが、ことばの意味を考えながら皆で歌った『春が来た』も楽しかった。「みんな堂々といい声出しているなあ。歌のレッスンもいいなあ。私も参加したいけど、電車代とレッスン代…高いなあ」そうこうしているうちに1年経った。この間に一度、お試しのつもりでレッスンを受けに行った。「ゆらし」をしてもらっているとき、力を抜いているつもりなのに、竹内さんに「あなたは相手の動きを予想して自分で動こうとしているよ、あーこれはひどいね」と笑われたのを覚えている。その年も舞台を見に行った。その次の年も、さらにその次の年も見に行った。定期的にレッスンを受けたら舞台に出してもらえるということも知った。「レッスンも舞台もいいなあ。でも電車代とレッスン代…」まだ躊躇していた。
そんなとき、地元でハンセン病に対する偏見や差別を無くするための人権劇をするので、キャストを市民から募集するというプロジェクトがあるのを知った。中学のとき、どもりだからというのを理由に逃げた人権劇に、今回はチャレンジしてみようと思った。不幸な青春を取り戻したいという思いもあった。キャストで応募し、そのまま役で使ってもらえることになった。実はこの時期、恋愛問題でこじれていて、このままでいくと、私ストーカーになるかも…という事態だった。この狂気を何かに転換しなければ。人権劇に出ることになったし、よし、竹内レッスンに行こう。電車代とレッスン代は高いけど、ストーカーで捕まるよりは、こっちを払った方がいい。この年ようやく年間を通してレッスンに通い、3月の應典院の舞台「ゲド戦記2」に、小さい役ではあるが立たせていただいた。
人権劇の方では、練習のとき最初の方ではどもって台詞がいえなくなってしまったこともあったが、息を吐くタイミングに気を付けたり、ある程度の言い換えは許されたので、自分の言いやすいように台詞を変えて練習を重ねるうちに、どもって台詞がいえないということはなくなった。竹内レッスンで習ったまっすぐ息を出すこと、母音で押すように言葉を発することにも注意していた。そうしているうち、最初の脚本では、私の役は一場面だけの登場で台詞も少なかったが、書き直しの段階で、物語のクライマックスの場面にも登場し、重要な台詞を言うことになってしまった。うーん、大役過ぎるかも…でも、この台詞言ってみたいし、がんばってみよう。これは私の不幸な青春を取り戻す旅でもあるのだから。
私の役は、ハンセン病患者の一人である。ハンセン病については、小泉元首相がらい予防法や隔離政策を違憲だったと認め、元患者さんたちと和解の握手をしていたことを、テレビのニュースで見て知っているくらいだった。劇に出るということで、ハンセン病のことを知るためにプロジェクトの人たちと一緒に、元患者さんの暮らす療養所を訪問した。そのときに、病気のため顔の一部分がゆがんでしまった方、手足が変形してしまった方、指のない方など、いろいろな方にお会いし、話を伺った。今は薬で治っているから感染することはないとわかっていても、最初一瞬ぎょっとしてしまった。それでも皆、暖かく迎えてくれた。話の中で元患者さんたちに、かつてこの収容所で何があったか伝えてほしい、無知と偏見が自分たちをさらに苦しめていることを知ってほしい、そして、生きていれば必ずいいことがあるから何があっても生き延びてほしい、ということを言われた。どん底の状態で、生きていれば必ずいいことがあるなぞ、どうして信じられたのだろう。この方たちの苦しみは私のどもりの苦しみの比ではない。人権を奪われ、肉体的にも傷つき、それにもかかわらず強制労働に駆り出され、病気が治っても差別は残り…理不尽である。
私も自分のどもりを理不尽と思っていたが、もっと理不尽である。でも、それでも、私も苦しかったのだ。どもりの私の青春は苦しいものだったのだ。学生時代には、授業で発表するときにどもって皆に笑われ、就職活動では、面接で自分の名前を言うのに何十秒もかかり、そこから立て直せず、何社も落ち、就職してからは、電話でどもる度に「電話番もできないのか」と白い眼で見られ、落ち込み、誰かに相談しても、たかがそのくらいと真剣に受け取ってもらえず、私も苦しかったのだ。自殺寸前まで追いつめられたほど苦しかったのだ。ただ、今わかるのは、当時の私は、自分の苦しみしかわかろうとしなかっただろうということだ。「世の中にはもっと苦しんでいる人がいるよ」と言われても、「それがどうしたの。そんなの私と関係ない」としか、返答しなかっただろう。今は元患者さんたちの苦しみは、自分の苦しみよりもはるかに大きいものだとわかる。だからといって、完全にわかるとは言えないが、患者さんたちの苦しみに寄り添うことができる人間にはなれたと思う。そして、今回その気持ちを台詞に込めて言うことができる。生き延びてよかったと今は私も思える。
クライマックスでの重要な台詞というのは、自殺を図ろうとした主役のハンセン病患者に「でも、私は、死んではいかんと思う」というものだった。短いけれども、それまで死ぬ方に向かっていた主役の気持ちや舞台の雰囲気が、ここから生の世界へ向かうようになる大事な台詞だ。相手に、客席の人に届くように言わなくては。心がけたのは、竹内レッスンで習ったこと…相手の呼吸に合わせること、一音一音を母音で押すように言うこと、奥歯を開けて息をまっすぐ出すこと、「ん」をきちんと一拍で発音すること…本番では、客席の奥の人を声で押すように集中して、私は台詞を言った。
劇は成功に終わった。私も「声がよく通っていたね」とか「演技うまいね」とか褒められた。私も舞台が成功して嬉しかった。が、果たして不幸な青春を取り戻せたのかというと、その感じはなかった。結局のところ、人生は,一瞬一瞬の積み重ねで、過去のピースの穴を埋めようとしたところで、現在を生きる私には、それと同じピースを手に入れることはできないのだ。でもまあ、今回この劇に関われたことで、年齢やら仕事やらいろいろ幅のある人たちと出会えたり、皆で舞台を作っていくわくわく感や祝祭のような本番の楽しさを味わえたりしたのだから、もういいやと思えた。こだわっていたものに、けりがついたような気がした。その一方で、もしどもりでなく中学生のとき劇に出ていたら、ただ表面だけうまく見せようとしか考えずに演じ、それで満足して終わったかもしれないとも思った。そうしたら、竹内レッスンにも今回の人権劇にも参加することはなく、からだや声、そしてことばについても真剣に学ぶことはなかったろう。忙しさにかまけ、自分の世界から出ることもなく、新しいことにチャレンジしようとも思わなかったろう。それから隔年で催される地元の人権劇で、私は毎回キャストで声をかけていただくことになった。口では「またですか」と言いながら、内心喜んで出演させていただいている。今年で4度目である。
どもりだからという理由で、劇をはじめ、いろんなことから逃げてきた青春だった。それでやり残したと後悔していることもたくさんある。でも、後悔は次の扉を開ける鍵になりうるのである。その扉の前に立ったとき、以前よりも成長した自分でありたいと思う。
【選者コメント】
選者にも、劇にまつわる苦い思い出がある。というより、21歳までの私の生き方に大きく影響したできごとだ。せりふのある役を外されたことで、どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの、あってはならないものになった。そして、50年後、名古屋・東京での舞台、大阪さくらホールでの舞台、毎年の吃音親子サマーキャンプでの芝居で、ようやくそのときの痛みが少しずつ薄らいでいったのだ。
筆者の人権劇との出会いもそのようなものだったのだろう。筆者の心の変遷が、劇というものを軸として、読む者に圧倒的な力で迫ってくる。読み応えのある作品である。
ハンセン病患者の話から得たもの、竹内レッスンから得たもの、再び人権劇と出会い、出演して得たもの、それら全てが、今の筆者を作り上げている。
過去のピースの穴を埋めようとしても現在を生きる筆者には同じピースを手に入れることはできない。しかし、筆者は言う。後悔は次の扉を開ける鍵になりうる、と。そして、その扉の前に立ったとき以前より成長した自分でありたい、と。筆者のひたむきな生きる姿勢にふれ、背筋がピンと伸びる思いである。
【作者感想】
大賞をいただき、ありがとうございます。これまでショートコースやJSPに出会うまでのことを書いていたので、出会ってからのことを書いてみたいと思って、書いてみました。最初は吃音のことをもっとよく知ろうとショートコースに参加したのですが、実際参加してみたら、吃音のことというよりは、どう他人とうまくコミュニケーションをとるかとか、吃音と共にどう生きるかということを勉強することになり、正直面食らいました。でもその結果、楽にどもれるようになり、楽に生きられるスキルをいくつもゲットできて、出会えたJSPの皆さん、会長の伊藤さん、講師の方々に感謝感謝です。最後に、ことば文学賞発表のとき、すてきな声で朗読してくださった溝口さん、ありがとうございました。自分の文が読まれている間、最初は恥ずかしいと思うのですが、溝口さんの緩急のある語りで、場にあたたかい笑いが起こったり、しーんとした中に皆も共感してくれているんだなと思えたりしたときは、うれしくなりました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/05/08

