82歳の誕生日を、故郷で迎えました

 4月28日、今日は僕の82歳の誕生日です。82歳の誕生日を三重県津市で迎えました。
 82歳、なんともすごい年齢になりました。こんなに長く生きるなんて考えてもみませんでした。何の根拠もなく、63歳で死ぬと思っていたからです。
 小学校、中学校、高校時代にまったく勉強をせず、スポーツもせず、友だちの輪の中にも出ていかなかった僕が、社会人として生きている姿が全くイメージできませんでした。当然、仕事をしない僕は、どこかで野垂れ死にすることを予感していました。その場所は、何度も夢に出てきた、金沢の香林坊の繁華街の路地裏です。

 昨年の81歳の誕生日は、脊柱管狭窄症の手術のため入院していた病院で迎えました。今年は、坐骨神経痛が残っているとはいえ、82歳の誕生日を故郷の三重県津市で迎えられたこと、感慨深いものがあります。
 昨日は、三重県の伊勢奥津に行きました。僕が生まれたのは、奈良県の吉野ですが、すぐに三重県の伊勢奥津に移り、小学校1年生の1学期まで、奥津で過ごしました。三重県の中央部の津市に転校し、転校してすぐ副級長に選ばれるなど、元気で活発で明るい子どもでした。そして、運命の2年生の秋の学芸会を迎えるのです。期待していた学芸会では、主役どころか、三人で声を揃えて言う「さよなら、亀」のセリフしか与えられなかったことで、吃音に強い劣等感をもって、転落の人生が始まることになるのです。

 70年前の記憶をたどりながら歩いたのですが、当時大変お世話になった人の家がなかなかみつかりません。現在、ここに住んでおられるかどうかも、分からないので、みつけるのは無理かなあと思っていたのですが、名松線の終点の伊勢奥津駅のすぐ隣に観光センターがあったので、寄って、聞いてみました。70年前、ここに住んでいて、久しぶりに来たのだと伝えると、観光案内センターの女性が親切にいろいろと教えてくれました。そこへひとりの老人が電動の車椅子でやってきました。すると、女性は、「この人も昭和19年生まれなんだけど、住んでいた地区が違うからなあ」と言います。観光案内センターの人は、住人の生まれた年まで把握しているのかとびっくりです。
 通っていただろうと思われる小学校にも行ってみました。奥津小学校の記念碑があって、僕が1年生の1学期だけ通ったのは、八幡村立八幡第一小学校だったようです。その小学校から少し行ったところに、お世話になった人の家がありました。ずいぶん前に、奥津を出ていかれたそうです。
 よく遊んだ神社にも行きました。大きな杉の木がありました。長い階段も昔のままでした。
 昨日の伊勢奥津は、雨あがりの、新緑のきれいな、静かな町でした。どもっていたけれど、きれいな雲出川で泳いだり、魚をとったりする元気な僕がいた町でした。

 誕生日の今日は、奥津から津に移動し、なつかしい町を歩きました。ソウルフードの「蜂蜜まんじゅう」も食べました。津市に住んでいた頃、よく行った偕楽園にも行きました。つつじの花が咲く中で、写真を撮りました。
 まだまだ学びたいこと、書きたい本など、たくさんのしたいこと、しなければならないことがあります。吃音親子サマーキャンプや、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、新・吃音ショートコース、伊藤伸二・吃音ワークショップin東京など主催する行事だけでなく、来年の講演依頼も舞い込んできました。幸い、体力も気力も充実しているので、まだまだやれそうです。さあ、また新しい1年の始まりです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/28

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