どもり、この奥深きもの
僕が敬愛する言語病理学者のチャールズ・ヴァンライパー博士のエピソード、ライパー博士も自分自身のこの物語を好んでよく語ったらしいのですが、僕もこの物語をよく紹介します。吃音とともに生きていこうと覚悟を決めたのが、ヴァンライパー博士は30歳、スキャットマン・ジョンは50歳、そして僕は21歳だ、というふうに。
吃音親子サマーキャンプに参加する子どもたちは、もっと早く小学生や中学生で、どもる覚悟を決め、自分らしく生きていく道を選んでいます。どもる覚悟を決め、どもりながら生きている子どもたちは清々しく、吃音の豊かな世界を、奥深い吃音の世界を、味わっているようです。
「スタタリング・ナウ」2016.6.20 NO.262 では、「吃音と発達障害」のテーマの最終の特集を組んでいます。まず、巻頭言を紹介します。
どもり、この奥深きもの
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「私の少年時代、青年時代は、みじめなものでした。なんとかして治そうと何度も試みたにもかかわらず、努力は報われませんでした。大学時代には、並外れて激しくどもり、成績は良かったものの、就職ではどこにも相手にされませんでした。やっと材木を切り出す仕事につきましたが、伝達がうまくできないとの理由でクビになり、将来を悲観した私は、三度も自殺しようとしましたが、死にきれませんでした。やけっぱちになり、しゃべらないで仕事をしようと、「ろう者」を装い、農場に就職し、黙ってじゃがいもを掘っていました。しかし、農場主とその家族にばかにされ、家畜小屋で寝食させられました。たまりかねて、何のあてもなく農場をやめて、町へ出る長い道のりの途中、車に乗った老人が、町まで乗せてやろうと言いました。老人から、名前や行き先を尋ねられ、私はいつものように顔をゆがめて激しくどもりながら答えました。すると彼はげらげらと笑い出したのです。私が怒っているのを見て、老人は「いやいや、君がどもったから笑ったわけではない。実は、私もどもりだからさ。君くらいの頃には、唾を飛ばして、君みたいにどもったもんだ。でも、老いぼれて、そんなに一生懸命どもれなくなってしまった。君ももっと気楽にどもったらどうだい」
暗闇の中に一条の光を見たようでした。あの老人のようにどもれるようになろう。どもらずに話そうとするのはよそう。どもりの治った日を夢見るのはよそう。なめらかにどもれるようになろう。私はそう決心しました。そして成し遂げました。私はもう老いぼれましたが、あの老人と会った以降は、すばらしい人生を送ってきました。そして、他の人たちにもすばらしい人生を送れるように手助けをしてきました。私はどもりであったことを、そして今なおどもることを今になっては喜んでいます。人は誰もが、自分の課題に挑戦していくものなのです」
農場をやめた後、言語病理学の大学へ行き直し、吃音研究臨床の世界の第一人者になった、チャールズ・ヴァン・ライパー博士の30歳、1936年のエピソードだ。
ライパー博士は88歳で生涯を閉じるまで、この吃音の物語を好んで何度も語り続けた。私も、この物語が大好きだ。
「今、大学受験を目指す高校3年生の教え子から、障害者手帳を取りたいがどうしたらもらえるのかと相談があった。通級中も、どもっても大丈夫とはなかなか思えない子どもだった」
つい先日、長年つき合いのあることばの教室の教師から、電話があった。どのような体験をして、吃音をどうとらえ、どのような思いから、この高校生は、かって指導を受けたことばの教室の先生のところに電話をかけてきたのだろう。話を聞いていて胸が痛くなった。
どもる人のセルフヘルプグループを作って10年目。起草した「吃音者宣言」の文言に、私は
「全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう」
と入れた。
これからまだまだまだ可能性のある高校生が、この時点で障害者手帳の取得を考えることは、自らの可能性を閉ざしてしまうことにならないだろうかと、私は不安になった。
ライパー博士のように、一時期深く悩みながらも「どもりでよかった」という人は少なくない。深く悩みながら、「どもりでよかった」という人もいる、奥の深い吃音が、「障害認定」の議論の中で、吃音のマイナス面だけが広がってしまいそうな危惧をもつ。
1月号から6回にわたった、「吃音の障害認定の特集」は、この6月号、ナラティヴ・アプローチの国重浩一さんで一旦終わる。
第三者の立場からの国重さんの論考は、私たちに、もう一度、しっかりと考える視点を提供して下さった。
今後もみんなで考え続けていきたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/27

