障害認定で人生が大きく開けるに違いないと考え始めているあなたへ 2

 昨日のつづきです。掛田さんの相手に語りかけるような優しく、厳しい指摘は、僕がうなずくことばかりです。「支配や支援が不必要だと言っているわけではない」「あなた固有の言葉を持ちたい」など、自分の体験から生まれたこれらの言葉の中に、どもる子どもやどもる人への信頼が見えます。
 「スタタリング・ナウ」2016.5.21 NO.261 より紹介します。

障害認定で人生が大きく開けるに違いないと考え始めているあなたへ 2
           掛田力哉(大阪スタタリングプロジエクト・大阪府支援学校教員)

4.「支援や配慮」を越えるもの~「弱さ」が生み出す「生きる知恵」~

 私(たち)は決して「障害者に対する支援や配慮が不要だ」と言っている訳ではないのです。私が教育現場で日々向き合う子どもたちは、それぞれの障害による様々な特性に応じた支援や配慮を受けながら、それぞれの人生課題に対するチャレンジを続け、喜怒哀楽交えた日々の生活を豊かに歩んでいます。「他者の思いを汲み取るのが難しい」と評価されがちな「自閉症スペクトラム」と言われる子どもたちの多くが、安心して生活できる基本的な条件さえ整った環境の中では、驚くほどに人の思いを感じ取ったり、私たち以上に他者を尊重し、大事にできる姿に、私は日々驚かされ、学ばされています。

 私たち教員が子どもたちの「本当の思い」に気づけないで、混乱させたり、傷つけてしまうことも多々あります。そんな時は、気づけなくてごめんね、これからは一緒にあなたの「本当の思い」を丁寧に探っていこうね、と心から謝り約束するのです。私たちはこうして「対等な」人間同士、日々を一緒に生きています。障害者として一括りにされ、その「支援や配慮」ばかりが取り沙汰される支援学校の子どもたちですが、私が知ってほしいのは、日々向き合うAちゃんやBちゃんの持つ個性や能力、ユーモア感覚や優しさなど、「一人ひとりの子ども」としての豊かな姿であり、彼ら彼女らが日ごとに身に着けていく「生きる知恵」の奥深さなのです。

 横浜市立大学の中西新太郎さんは、『人間が抱えている弱さには、社会をもっと豊かにしていくための資源にできる関係があり、私たちには、力を持たない人間が知恵を集め、生きやすい社会を作っていくための技が必要だ』と訴えています。(7)

 私たちのどもる仲間の一人は、己の境遇を恨み、荒れ果てた生活を続けた末に、『なぜいつも自分だけが、たかだか「普通」のために身を削って努力せねばならないのか。もう「普通」ではない自分を認め、「普通」をあきらめるほんの少しの勇気さえあれば、僕は生きていけるのではないか。僕には、ありのままの自分でいる権利があるはずだ』の発見に至り、新たな人生を歩み始めました。(8)

 その後、職場でどもる事実を丁寧に伝え、どうしても声が出ず「立ち往生」した時のサインを皆と一緒に考えながら、苦労しつつも楽しく仕事をしていった彼が「大阪吃音教室」で語るエピソードは、吃音が自らの可能性を開いただけでなく、周囲の人たちも巻き込んで新たな環境(=生きやすい社会)を創り出していった良い例だと思います。どもる当事者たちによる体験集『吃音を生きるⅡ~どもる人たちのサバイバル』には、当事者の数だけの苦しみや絶望の経験が綴られています。吃音を憎み、他人を恐れ拒み、自暴自棄な人生を過ごした果てに、私たちの仲間の多くは「吃音について正しく知り、どもる自分を認め、人生に対する様々な課題について誠実に学びさえすれば、どもりながら出来ないことはほとんどない」という事実に気づいていきました。

 吃音と向きあうために学んできた「アサーション」「交流分析」「論理療法」「認知行動療法」「ナラティブ・アプローチ」「レジリエンス」等の知識や実践経験は、吃音以外の様々な人生課題と向き合う原動力となっていきました。そして、あれほど憎んだ吃音は、生きるための様々な知恵や知識、笑いやユーモア、新たな出会いや学びなど、人生を豊かにするものを私たちに与えてくれる大切な存在だったことに気づかされたのです。しかしながら、仲間の多くが「出来ればどもりたくない」「恥ずかしいな」の思いを消し去れず持ち続けているのも事実です。行きつ戻りつつでも、不便なものとつきあいながら、したいことやすべきことと真摯に向きあい、「楽しく」生きる私たちの姿は、吃音以外の様々な理由から「生き難さ」を抱え人生に悩む全ての人々にとっての「新たな知恵」を生み出すはずだと、私は今確信しています。そしてそんな「新たな知恵」を生み出す仲間に、是非みなさんにも加わってほしいと願っているのです。

5.「固有の言葉」について

 吃音が障害として認められさえすれば、自分は社会から誤解無く理解され、認められ、満足な人生が送れるはずだと考えているあなたに伝えたいことがあります。まず己の吃音についてしっかりと学び、具体的に語れる「あなただけの固有の言葉」を手にすることの方が遥かに重要で有効なのだということです。
 吃音が他の障害と大きく異なる点は、「変化すること」です。場面や時期、状況など、いろいろな要素の中でどもり方は変わります。人前が苦手だと思っていた人がある日はたまたま話せたとか、親しい友人との会話で急にどもったとか、当人でも予測がつかないほどに現れたり現れなかったりします。また、吃音に対する知識や考え方、人間関係やコミュニケーションについての考え方が変わる事で、どもり方が大きく変化していくこともあります。

 就職活動は、どもる人たちの多くが恐れるものの1つです。ここでも最も重要なのは、いかに吃音のことを自分がしっかりと理解し、説明ができるか、その上で自分がどのように働いていきたいかを明確に話せるかどうかということです。その当事者でさえ中途半端にしか説明できないような「吃音」を、全く吃音を知らない採用担当者が安心して受け入れられるはずがないからです。私は初めて教員採用試験を受けた時、自分が吃音に悩んだ事で様々な困難や生き難さを抱える子どもたちの為になりたいという思いで教員を目指したことを懸命に話しましたが、面接官の「でも、今の貴方はあまりどもってないじゃないですか」の言葉に何も言い返せませんでした。自身の吃音を語る知識も言葉も持ち得ていなかったからです。結果、その試験は不合格となり、その後何度か受けた試験も落ち続けることになりました。

 「大阪吃音教室」と出会い、自身の吃音と改めて向き合い学ぶ中で、私は「吃音には波があり、何時どもるかわからない不安に苛まれること」や、「吃音の真の問題はどもる症状ではなく、吃音に対する思考や感情、それによって引き起こされる”話すことから逃げ続ける”、”人との関わりを避ける”等の行動にあること」を一つひとつ整理し、語れるようになっていきました。また、教室では、「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「伝えること」とはどういうことかと、誠実に言葉やコミュニケーションについて考え、学ぶことで、魅力的な聞き方、話し方を身につけた素敵な先輩に出会いました。その場を繕うことばかり考えた不誠実な自分自身のコミュニケーション、生き方に気づくきっかけとなり、教員を目指す上での自身の人間観や人生観を再構築する上で非常に役立ちました。そして、28歳になった年の教員採用試験では、面接室のドアをノックして「失礼します」の声が全く出ず、心配した面接官にわざわざドアを開けてもらうスタートではあったものの、大阪吃音教室で学んだことを全て素直に率直に語ることができ、やっと合格することができました。

 吃音が障害として認められれば、「障害者雇用枠」で職を得られる人は、増えるのかもしれせん。しかし、「障害だ」「合理的配慮だ」と主張すれば、就職してからの仕事人生が何もかもうまくいき、それまでの艱難辛苦は全て取り除かれるかのような「幻想」が蔓延してはいないでしょうか。「安定した雇用を勝ち取る」ことに執着し、それ以外の人生の目的意識や努力の芽を摘み、「思考停止」状態に陥ってしまう当事者が増えてしまうのではないかとの危惧を私は持っています。また、自分の経験や皮膚感覚を以て己の吃音について語れず、診断基準、法的根拠等、他者が決めた尺度の中で自己を説明しようとする当事者が増えてしまう恐ろしさも感じています。自分の人生を、他者の基準の中でしか判断できない「他人任せ」の若いどもる仲間が増えてしまうとしたら、これほど恐ろしく残念なことはありません。

 就職し、複雑な人間関係の中で仕事人生を続けていくには、学ばなければならない課題が吃音の他にも沢山あります。それらの壁とぶつかった時、「どうせ吃音だから出来ない」「どもる自分には関係ない」と全てを「吃音のせい」にしてしまう、若い人が増えてしまうとしたら、社会における吃音の真の理解は進まないどころか、むしろ「できれば関わらないでおこう」と鼻つまみ者にされるだけです。どもる人にも様々な人がいますが、人の喜び悲しみを想像する感受性にあふれ、苦労したが故に「他者の事情に土足で踏み込まない」優しさを持つ人が多いように思います。また、同じような苦労をしながらも、個々人の吃音の生活経験やその思いは千差万別で、多様で奥深いものがあります。

 吃音と真摯に向き合い、苦労しながら生きていく経験、吃音をきっかけにして学んでいく言葉やコミュニケーションについての知識やスキルは、仕事やその他様々な場面で社会と繋がり、生きていく上で役立つ可能性に満ちています。吃音による独特な困難や生き難さ、その面白さや豊かさを学び続け、当事者しか知りえない固有の言葉で表現し続けることが、私たちの人生を開き、他者とつながっていく上で大切であり、有効だと私たちは考えています。身近な人たちを出発点として、新聞等のメディア、ホームページ、機関誌など様々な方法で、私たちは発信を続けています。あなたにもその輪に加わって欲しいのです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/23

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