ジャッジメントとアセスメント
僕がよく話したり書いたりする、吃音に悩み始めた最初のエピソードは、小学2年生の秋の学芸会で、担任からせりふのある役を外されたことです。そのできごとは、21歳まで、僕を悩ませ続けました。それからが、「教師や社会から張られたスティグマ(烙印)をはがす」人生だったのです。このことを、水島広子さんは、「ジャッジメントを手放す」と言います。
水島さんのことばを借りて書いた巻頭言を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2016.5.21 NO.261)
ジャッジメントとアセスメント
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
トラウマ治療で知られる精神科医の水島広子さんは、『トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ』(創元こころ文庫)の中で、ジャッジメントとアセスメントを明確に区別し、トラウマの治療者や支援者に、さらには当事者にジャッジメントを手放すことを強く勧めている。水島さんは、ジャッジメントは、傷ついているトラウマ体験者をさらに傷つけ、トラウマからの回復に大きな支障をきたすと考えている。
ジャッジメントの定義は状況によって違うとしながらも、水島さんは「ある人の主観に基づいて下される評価」と定義し、「ある人の主観的経験」に過ぎないものを、あたかも客観的事実であるかのように宣告され、押しつけられる「暴力性」を指摘する。暴力性は、治療の場面でより強力になり、「専門家の言ったことだから」と受け入れざるを得ず、それが治療的トラウマを産むのだと言う。
振り返れば、私が吃音に劣等感をもち、悩みの底に沈んでいったのは、治療の場ではないが、当時、最も信頼していた教育現場での、担任教師のジャッジメントだった。学芸会でセリフのある役を外したのは、自分のクラスの劇を成功させたいための不当な差別か、どもったら、かわいそうだとの教育的配慮かは分からないが、「どもりは、劣った恥ずかしいもの」とのジャジメントだった。
私の学童期・思春期の苦悩は、教師のこのジャッジメントから始まり、そこからの回復は、このジャッジメントを手放す歴史だった。
今回の、ふってわいたかのように出てきた、吃音を「発達障害者支援法」の対象に入れる動きを、私は専門家や政府機関によるジャッジメントだと考えている。私たちがセルフヘルプグループを作り、10年の歳月をかけて、「どもりを治さなければ明るい未来はない」のジャッジメントをやっと手放した時の開放感と喜びを、私は1976年の「吃音者宣言」の文言の中にこう入れた。
「私たちはまず自らが吃音者であること、また、どもりをもったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した」
あれから40年たった。私たちはどもることはあるが、それが私のすべてではないと、「吃音者」の表現に抵抗感をもち、最近は一切使わなくなった。そのこと以外は、あのころと今と、私の考え方は全く変わっていない。あの当時は、「教師や社会から張られたスティグマ(烙印)をはがす」と表現していたが、水島さんのことばでは、「ジャッジメントを手放す」ことの宣言だったといえる。
どもる人の苦悩は、紀元前300年代には、デモステネスの伝記で表され、現代では第二次世界大戦開戦時のジョージ6世の「英国王のスピーチ」の映画で一般的に知られるようになった。気の遠くなるような長い人類の歴史と、ものすごい数のどもる人の苦悩を経て、たどり着いたのが、「どもる事実を認め、吃音と共に豊かに生きる」だ。
吃音は、病気でも、障害でもない。ただ私たちはどもるというひとつの特徴ある話し方をするだけのことだ。しかし、それは空気でも吸うように話す、「普通」と言われる人とは明らかに違う。その違いは人を悩ませてきたが、同時に、それは、「普通」と違う面をもつあらゆる少数派の人々と共通する、人間を豊かにするテーマでもある。悩みがその人を豊かに成長させることがあり得るのは、普遍的な人間の生きるかたちのひとつだ。
吃音が豊かに生きるテーマになるか、人を悩ませ続けるかの分かれ道は、ジャッジメントを手放せるかどうかにある。水島さんは、アセスメントを「治療に限定した客観的評価」だという。私たちは、日本音声言語医学会のジャッジメントと言える、吃音検査法に強く反発し、「吃音を生きるために」吃音から受ける影響を、自分自身がアセスメントする「吃音自己チェック」を作成した。
大阪吃音教室ではそれをもとに自分の課題に自らが取り組んでいる。ジャッジメントを手放し、自分で吃音をアセスメントすることが、吃音を豊かに生きることにつながるのだ。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/21

