私はこう生きる―吃音と発達障害、私の考え 2

 一昨日のつづきです。今日は、どもる子どもの保護者と、どもる子どもを支援する教師の立場からの意見です。どもる当事者もそうですが、今日紹介する人たちの力強い声に、大きくうなずきながら読みました。このような人たちと連帯していけば、きっと何かが変わる、そう思わせてくれるメッセージです。
 「スタタリング・ナウ」2016.4.20 NO.260 より紹介します。

私はこう生きる―吃音と発達障害、私の考え 2

〈保護者の声〉

  どもりと向き合う娘から教えられること
                          坂本英樹(大阪府、高校教員)

 幼い頃に言葉の繰り返しや引き延ばしが見られたが、それを吃音とは理解せず、「思いが溢れて、言葉が追いつかないのだ。何と可愛い子なんだろう」と、その話し方を愛でていた私が、娘の話し方を「吃音」と気がついたのは、彼女が小学5年の秋の頃。
 「言葉が詰まって、音読が出来ない」と毎晩のように、涙を流し訴えてきた時だ。あれから5年、高校1年生の彼女は、吃音と上手く付き合っているようだ。吃音親子サマーキャンプや大阪吃音教室と出会い、「吃音とは、その課題は何なのか」を本人なりに「考える」機会を得たからだ。
 吃音の課題がどもること自体にあるのか、どもるのを不安に感じるあまり、話すことから逃げ、自分を劣った人間だと考えてしまうから、ととらえるのかによって、対処の仕方は大きく異なる。大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプは後者を取り組むべき課題であるとの哲学に基づいたプログラムによって構成されている。

 小6で初めてキャンプに参加した娘は、自分以外のどもる人に初めて出会い、寝食、活動をともにした。それは「吃音に対する考え方が少し変わった」経験として、彼女の中に蓄積された。この経験を糧としてのことであろうが、娘は中学時代に仲間と呼べる人たちに自分のどもりのことを説明し、修学旅行の夜の「自分を語る会」で、クラス全員の前でどもることを自分の課題として語った。相談はされたが、娘が自分の判断で行った。
 娘の行為は、名乗りであり、アイデンティティ形成の試みだ。どもりに悩み、泣いていた頃の否定的なイメージから、この先苦労はするだろうが、何とかやっていけるという肯定的な「どもり観」、自己概念への変化といえるだろう。
 高校生となった彼女は中学に比べて随分と積極的になり、また第二反抗期ということもあるのだろう、手厳しい親批判もするようになっている。かつての言いたい事があっても、つい言葉を飲み込んでしまっていた娘の姿はもうそこにはない。

 娘と私はそのことばの特徴が「どもり」であることを知り、吃音親子サマーキャンプとつながったのは、どもる人たちのコミュニティにつながり、その文化と歴史を学んでいく過程であり、「吃音とともに豊かに生きる」ロールモデルを発見し、アイデンティファイする経験であった。娘が経験したこの出会い、体験、学びは大きな意味では「教育」の営みだ。どもりを通して、ものを考え、表現する、成長する自分を掴んだのだ。「自分はどもる」と彼女が意味ある他者に伝えることができるのは、どもりを通して自分を耕したことにより、どもりを肯定的に捉えることができたからだろう。彼女はどもりという名前を選び取ったのだ。
 そこに今、「発達障害」の名付けが加えられようとしていることに私は戸惑いを覚える。発達障害者支援法に規定されている「支援」を受けるためには、その定義にあてはまるように自分を見ることを強要されるのではないかの危惧があるからだ。これは他者からの名付け、定義づけへの従属であろう。娘がどもりと向き合うことで執行したのは他者から名付けられ、定義づけられることへの抵抗であり、それからの解放だ。娘は自己定義をすることでエンパワメントされたのである。

 『スタタリング・ナウ』258号の松田博幸さんによれば、発達障害者支援法のような法律に規定される定義は「純粋に科学的なことではなく、政治的なもの」だ。定義の幅はそこに問題ありと考える人々の異議申し立てで変化する。DSMやICDの改訂、関係する人々、団体の力学、社会状況で変わっていくものなのだ。だとするならば、吃音が発達障害であるかどうかの議論の落ち着く先の一端はどもる人たち自身が担っていることになるだろう。

〈子どもを支援する教師の声〉

  豊かな「発達」への道がある
                  桑田省吾(神戸市、自閉・情緒障害通級指導教室教員)

 私は今、教育の場で「発達障害とされる子どもとその保護者の相談や支援の仕事をしている。
私たちが使う「ことば」には「障害」に関わることだけでなく、多くの思慮深さが必要と思う。特に児童期・青年期の子どもに向けられる「ことば」にはたとえそれが褒め言葉や励まし、配慮ある説明であっても、よく吟味する必要がある。
 物心ついたころから「泣き虫のあかんたれ」と言われていた私。登園登校を渋る傾向があり、3年の時には登校すると頭痛や腹痛に悩まされ、学校に居られなくなった。大きな病院で精密検査を受けたが、「異常なし」の言葉をもらうだけで、今で言う起立性調節障害に近い症状だったが、本人の気持ちの問題とされた。5年のとき目を怪我し、運ばれた病院で「失明ですね」とさらっと言われた。幸い視力は数年で回復したが、何のガイダンスもない「ことば」に恐怖だけが強く残った。

 「異常なし」のことばには、自分の状況をそれ以上言えなくなり、まわりも細かく聞こうとはしなくなった。「失明」のことばには、これから変化していく余地すらない「絶望」だけを強く感じたし、周りもそのことに触れないようにし出した。私は、何か「ことば」を「言われる」「充てがわれる」ことには誰よりも恐怖を覚えていたと思う。
 逆に、小さい時からどもっていたが「吃音」や「言語障害」のことばにきちんと出会ったのは、教員をしていながら、30歳を過ぎてからだ。どもりながらも自分なりに試行錯誤して暮らしてきた後なので、「言語障害? どもることも障害のジャンルに入れられるのか、自分の実感とは違うところにあるな」と距離を置いて見ることができた。
 自分にとって不本意な「あかんたれ」のことばは、すぐ後におまじないのように「大器晩成、大器晩成!」と周囲の大人が言ってくれていた。不本意ではありながら、こんな自分でも伸び代を感じさせてくれる、また人が関わりをもってくれているいいことばだったなと今は思っている。

 「ことば」が当時者の実感から遠いか近いかは、大切な観点だ。「ことば」は自分も他者もより理解が深まるためにあるが、実感から遠い「ことば」は知らず知らず「ことば」が優先されて、実像まで「ことば」の方に近づけてしまう危険性がある。
 「ことば」さえ充てれば周囲の理解が深まるかどうかも別問題だ。「ことば」とはそれほどあやふやで、使い方によっては「希望」にも「恐怖」にもなるものだと自分に言い聞かせてきた。
 私は「風邪」と呼ばれる諸症状があっても薬も飲まないし、医者にも行かない。医者に行かないどころかその「風邪」が定期的に体を掃除してくれることを心待ちにしている。体の弱かった私が、苦戦を繰り返す中で自分のからだに確かめ確かめ自ずと身についてきた暮らし方だ。
 「風邪」は、実状を表しえることばではなく、自分のからだにある状態を「自分の身にあってはならない病(=悪)」とする多くの人のイメージが集まってできた「名」だと私は思う。でも「風邪」と名付けられた症状がありがたいと思っている私にとっては、そんな見方をする人もいるんだとその度々に気づき感心する程度の「名」なのだ。
 「『そんなことしてたら風邪ひくよ』と言うと子どもは本当に病気になってしまう」と聞いたことがあるが、実感とは違う言葉を充てがい続けられていると、そうなってしまうのも仕方ないと思う。

 担任していた女の子は大阪好きだ。今の居住地の方が不親切なわけではないが、助けてと言わなくても当たり前のように配慮してくれるのが逆に辛いと言っていた。大阪に行くとストレートに「あんた、足悪いん?」と聞いてくれるから、そんな人とならいい関係になれそうだと言う。「重度肢体不自由の○○さん」からスタートするではなく、人と人との当たり前の出会いがあったのだろう。
 特別支援教育という「名」の教育が推し進められるようになって、懐の狭い学校や社会になってしまった感はあるし、ありのままの本人を見てもらえなくなったという感じは教員だけでなく子どもや保護者の中にもあるのではないか。また「個に応じた~」とうたいながらも、支援の質自体も決して豊かさが増したとは思えない。
 「~障害」その名がつけられることによって、その子がどんな目で見られ、人にどんな心が生まれていくのか、それを考えられる余裕を持ちたいと思う。さらにその名自体を多少変えようと、口には出さないようにしようとしても、心の中にレッテルをつけて区別する心があれば同じことだ。

 望まれるのは、名やチェック項目で人を見ないで、個性のまま受け入れ合える空気と、本人をよく知った上での支援、それらが実現できる懐の深い社会になっていくことだと思う。
 「障害名」や「福祉的支援」が不用というのではない。医者に往診してもらってでも「名」をつけてもらい、少しでもはやい福祉的支援を求めた場合もある。が、社会の多数派側だけからのジャンル分けや支援を進める動きには警戒が必要だ。
 分類を考える側、問題状況に診断名をっけないといけない側の便宜上都合のいい言葉の必要性はわかるが、出会いの現場や暮らしの中に居る私たちは当事者の実感に近い言葉をこれからも使っていきたい。私には学習障害(LD)にあたる困難さもあるが、日本ではアメリカ流に「障害」(disabilities)のイメージを強くあるが、英式の「困難さ」(difficulties)が自分の実感に近い。同様にどもることも、話すときの「不便さ」はあるが、「障害」にはあたらないと自分では捉えている。

 吃音は「風邪」のような異物でもなければ、人生の課題をはじめからパスできる免罪符でもない。「課題に向かわないままでいい」のではなく「人の中」で「自分の課題に取り組む中」で吃音がある自分の暮らしが見つかり、自分の生き方を作っていける。普通に生きていく中で、自分を知り自分の宝が磨かれていく。その道中で一時的に適切な支援が必要なことはあるが。また、「発達」には多様な道筋があるのは誰もが認める。多数派と同じ発達ではないかもしれないが、多数派以上の豊かな発達や自己実現が期待できる。決して健全な発達が阻害されるものではなく、より豊かに発達していけるという将来像をもてるものだと思う。
 「支援」も目に見える支援ではなく、内からの支えを築いていくことが吃音では大切となる。配慮のもと保護してもらう立場に押し込まれるものではなく「自らの力で楽しめる道」を選べる、大きな土壌が待っていることへの「希望」をわたしたち大人はしっかり伝えていかねばならない。

 同じ支援教育に携わるベテラン教員でも、診断がつき治療対象となる医療や障害者手帳取得を安易に勧めていく実情は収まるどころかエスカレートしている。今、どちらにも転ぶ可能性がある子どもたちが、深い考えがないまま、多くの人が腑に落ちやすいジャンルに勝手に入れられ、そのポジションに甘んじるよう仕向けられていることに危機感を感じる。
 「あれ、そんな「ことば」でいいの?」「その支援は必要なの?」と思うときは、私たち一人一人がどんな社会になっていってくれたららいいか、どんな自分でありたいかを考える大切な機会だと思う。願うのは、個性がそのまま受け入れられる社会であり、『助けて』も普通に言える社会。さらに言えば対等に出会え、当たり前の持ちつ持たれつのつながりに感謝して暮らせる社会になれることだと思う。その実現のためも、私たちが日々の生活の中でガッテンして使っていける「ことば」について考えてみることは、とても大切なことだ。

  どもる子どもたちの声
                       渡邉美穂(干葉市、ことばの教室)

 私が21年間、ことばの教室で出会った子どもたちは、自分と向き合い、自分らしく生きる道を考えている。人生を語る子どもたちのことばに何度も感動し、私は尊敬してきた。
 吃音に向き合い、考え、語り合った子どもたちは、自分を見つめ、将来を考えている。ことばの教室を卒業する時の晴れ晴れとした顔に、どもる子どもたちの自信や達成感を感じる。子どもたちの人生は、まだこれからなのにもう、満足な表惰なのである。今後も、困難や不便があっても何とか乗り越えていけるだろう。

 最近、私は中学生の賢一君とその母親に会った。小学1年生からとても吃音に悩み、学校に行きたくないと思う日も多くあった子だ。一緒にどもりカルタ作りに取り組み、クラスの友だちに自分の吃音について伝えた賢一君が今、中学校で楽しく過ごしている。どもることだけでなく、いろいろな困難にも前向きに取り組み、自分で解決できるようになったと母親が話してくれた。現在、かなりどもっているが言いたいことは伝わっていると賢一君本人も、どもりながら話してくれた。小学1年生の時に作ったカルタで「言いたいことは目と目で合わせて伝えよう」というのがある。実践していることがわかりうれしくなった。

 今年度末に他県に引っ越すことになった小学5年生の由香里さんが、先日、コブクロの「風見鶏」の替え歌を学習発表会で歌った。歌詞の中に「いつの日も未来を探す風見鶏のように真っ直ぐどもりと立ち向かい生きてゆきたい。逃げださないように、流されないように心に深く深く突き立てた風見鶏」とある。風見鶏のようにいろいろな困難に向き合っていくことを丁寧に歌った。更に、替え歌に込めた思いを由香里さんが作文に書いた。

 「ことばの教室に通い始めた頃は、弱くて自信がなくて、人と話すことが苦手な私だったが、今の私は全然違う。強く、自信に満ちあふれ、人と話すことが好きな自分だ。もし、ことばの教室に通っていなかったら、昔の自分と今の自分はほとんど変わっていなかったかもしれない。昔の自分と今の自分を描いた「風見鶏」の替え歌には、今の自分らしいことばが、たくさんつまっている。それに、この歌には、私からいろいろな人へ、感謝と希望を伝える歌でもある。「弱い自分に勝てるなら誰に負けたっていいさ」のことばを大切に、それと、今の自分を捨てずに、見失わずに、これから大きな壁が目の前に立ちはだかっても、ぶちこわせるように、自分に強く生きていきたい」

 吃音と共に転校する新しい場所で、がんばろうとしていることが伝わってきた。作文を書き終わった時、由香里さんの笑顔がとても素敵だった。
 私は特別支援コーディネーターとして、発達障害の子どもたちとも多くかかわりがあるが、吃音が厚生労働省や内閣府の中で「障害者差別解消法」「発達障害者支援法」「合理的配慮」の対象として考えると記載されていたのには驚いた。含まれるようになった経緯も調べていくと曖昧だったり、安易だったりすることに更に驚きと怒りがあった。
 私の目の前にいる子どもたちが吃音について一生懸命に向き合い、受け入れ、学んだことを生かして毎日を過ごしているのに、よく考え、ヒアリングをして、検討してほしかった。今度は、吃音だけでなく発達障害について学び、発達障害である自分と向き合うことになるのかと疑問に思った。

 発達障害に含まれることを歓迎し、障害者手帳を獲得して就職にいかす人もいることは、残念なことだ。子どもたちは、音読、発表だけでなく、将来の面接、就職など、いろいろなことを想像しながらどう取り組めばいいか、どう乗り越えて自分の夢を実現するかを考えている。どもる大人の人が、がんばっていると知っているから、自分たちもがんばれる、やってみようと思っているのに、障害者手帳を頼りに生きるどもる大人の人がいると知ったら、将来を夢見ることができなくなってしまう。

 また、最近「吃音症」ということばをよく見かける。いつからこのことばが生まれたのだろう。この「症」には「病気の性質」「病気の様子」という意味がある。吃音は病気なのか、障害なのか、なんだろうかと、疑問が起こる。病気だとしたら、治すことや改善を目指して言語訓練や薬の力を借りるのだろうか。障害だとしたら、障害理解で、少しでも生きやすい環境を社会に求めていくのだろうか。吃音は、いつもどもる訳ではない。波がありどもったりどもらなかったりする。「吃音症」を使っている人は、「症」にどのような意味をイメージをしているのだろうか。発達障害の人もどもる人も、求めれば精神障害者保健福祉手帳が取得できるようだと、報道にはある。吃音はやはり、障害なのか、それとも病気なのだろうか。

 吃音は病気か障害かについては、何度も子どもたちと話し合ってきた。意見としてはいろいろで「どちらかを選ぶとしたら障害」と話す子が多かった。その理由は「病気は悪いものというイメージだし、治すことを目指すだろうし、薬があって飲むだろう。でも、障害は治すというより、受け入れ、生きやすいように考えるというところが当てはまる気がする」であった。
 しかし、「吃音を障害として考えたことはない。個性だと思っている」「ぼくの特徴だ」と全員が言っている。障害にしたがったり、発達障害に含ませて考える事態に、子どもたちも驚いている。

 私は、これまでの取り組みやかかわりからどもる子どものもっている力と将来を信じてきた。発達障害と認めて発達障害者支援法や障害者手帳を活用してその人らしく生きるという選択肢があったとしても、目の前の子どもたちには必要ないだろうと思う。子どもたちが自分のもっている力や可能性を信じて私は、困難に直面したときは、一緒に考え、取り組んでいきたい。世の中が、配慮を必要とする子どもに目を向け、助けてあげなくてはならないと考えるなら、目の前の子どもたちには無用なことと聞き流したい。どもる子どもたちが、これまでと変わらず、語り合いながら、自分で一歩一歩進む姿を私は見守り、同行していきたい。

  ラベルはいらない…私は”私”を生きよう
                   土井幸美(横浜市、きこえとことばの教室)

 ♪(ちびまる子ちゃんのメロディで)♪
あの子も この子も みんな
「発達障害」らしい 
DSMからボワッと あいまい訳語が登場
いつだって マイペース~
エジソンも そうらしい~
ポイントは「三つ組~」
パッパパラリラ…

 ふざけている!と怒られるだろう。10年くらい前、私はかなりやけっぱちになっていた。
 ”専門家”は、一刻も早く子どもたちの「発達の偏り」を見つけ出し「早期介入」をするのが役割。それが子どもたちの「生きやすさ」や「幸せ」につながる、と信じて私は仕事をしてきたし、今もしている部分がある。でも、現場にいて、多くの子どもたちが「広汎性発達障害(PDD)」と診断されるようになり、戸惑いも感じてきた。

 私にはとうてい思いつかないユニークな見方で世の中を見つめ、誤解されることも多いけれど誰よりもまじめに、自分に正直に生きている、そんな魅力的な子どもたち。でも、その子どもたちが、こちらの社会に合わせるために”改善”を強いられる存在にされることに息苦しくなった。そして、何より、自分は仕事として、積極的にその一端を担う立場にあり、とても居心地が悪い。”ダイバーシティ”(多様性)を標榜する社会のわりに”偏狭な価値観”で子どもと親を追い込んでいるのではないか、そういう感じ方を忘れないように仕事をすることくらいしかできない自分に不甲斐なさを感じた。案の定、曖昧なカテゴリーだった「広汎性発達障害」は、DSM-Vでは使用されなくなりASD(自閉症スペクトラム障害)に包括されるようになった。それでも、ラベリングの流れは留まるところを知らない。

 1980年代にアメリカで始まった精神病の診断基準(DSM-Ⅲ)。それが日本にも導入され、精神医学は一変したという。DSMは、本来、薬効を判定するための基準であったそうだが、それが診断にも使われるようになった。医者は患者と対話をして患者の成育歴や暮らしを知る必要もなくなった。症状を区別するマニュアルに従って診断し、薬を与えるのが医者の役割になっていく。(『日本の精神医学この50年』松本雅彦著)
 この余波は、子どもたちにも及ぶ。その一つが「発達障害」だったのではないか。”マニュアル診断”や”お薬”、わかりやすいSST(ソーシャルスキル・トレーニング)で格段に暮らしやすくなったり、周囲の理解を得られるようになったり、自分の力が発揮しやすくなったりした子どもたちが少なくないのは確かである。でも、そのプロセスの中で、教育現場に在る私たちが、何かとても大切な感覚を失ってきたのではないだろうか。それにどう向き合い、自分はどう行動しているのか。

 そんな葛藤の日々の中にあって、吃音と発達障害のテーマが出てきた。「吃音と発達障害」の議論は、まず、当事者がとことん主張しあうことがとても大切だと思う。私は、今、出会っている吃音のある子どもたちと、大人になった人たちの言葉にひたすら耳を傾ける。真摯に対話をする。そして、仲間となり、自分の生き方も彼らに正直に晒すことにしている。

 私は、20年前、『現代思想』で「ろう文化宣言」を読み、ろう学校で働きたいと思った。実際に働いて、ろう文化宣言で語られている思想とろう学校の現場のギャップに愕然としたけれど、そういう中で自身の尊厳を守ろうとするろう者との出会いがたくさんあった。友人のろう者、ペギー・プロッサーさんは『聾は決して障害じゃない』という本を著し、「私は聾者よ、それが何か?」と真っ向から主張する。2014年のオランダで開かれた、第10回世界吃音大会で売り切れた缶バッジ「I stutter,so what?」に似ている。彼女は、日本滞在26年にわたり日本のろうの仲間に「”障害”を生きるのではなく、”ろう者”として自分自身の尊厳を取り戻して生きるとはどんなことか」を体現する役割を果たしてきたと思う。私は彼女の生き方がとても好きだ。そして、”障害”ってなんだ?との根源的な問いにも向き合うことを促す。

 障害者差別解消法がこの4月から施行された。東俊裕さんは言う。
 「心身の機能に問題があるから社会的不利を負う、この考え方を”医療モデル”という。それではかわいそう、助けてあげようと思いやりの心を基本とした社会福祉が(日本では)発展してきた。対して、障害者の存在を想定していない社会の仕組みこそが社会的不利益を生じさせる大きな原因だという考え方が”社会モデル”。社会システムに目を向けることで障害問題の領域は福祉から人権へと広がった」

 「障害特性を理解させ、困っていたら助けようという心の教育は大切だ。でも、社会にあるシステムが使えないのを『能力のなさ』に求めることは”医療モデル”の発想。本来、基本的な人権を守るためのシステムは、障害があろうとなかろうと誰でも平等に利用できなければならないはず」(東京新聞2月27日合理的配慮・矯正の鍵)

 私も、”障害”というラベルがあれば周りは優しくなり、当事者が生きやすくなる、というような社会を目指すのではなく、社会システムの変容が生きやすさをもたらす社会こそが、これから私たちが進むべき道だと思っている。
 吃音は、新たなラベルを得ることで社会的な受け入れが進んだり、周囲の人々が優しくなったりするのかもしれない。でも、それが「かわいそう」「助けてあげよう」からくるものなら、きっぱりと遠慮したいと表明する人たちがいるだろう。
 「ラベルはいらない、私は”私を生きる”。僕たち・私たちは、吃音とともに十分に豊かに生きられるのだから」
 伊藤伸二さんとその仲間たちの主張は直球で力強い。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/20

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