私はこう生きる―吃音と発達障害、私の考え

 吃音が発達障害者支援法の対象に入り、障害者手帳取得の動きが広がりました。障害者年金を申請した人もいると聞きます。これらの情報に接し、また「スタタリング・ナウ」の先月号で高木浩明さんが報告してくれたものを読んで、僕の仲間たちが、今の自分の思いを投稿してくれました。
 NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室に集まるどもる人たち、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の、どもる子どもを支援する人たちなどです。
 ひとりひとりのメッセージは、現状に危機感を持ち、圧倒的な力強さで迫ってきます。このように考える人たちがいることを知ってほしいと、僕は強く思いました。
 今日は、まず、当事者の声を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2016.4.20 NO.260 より)

私はこう生きる―吃音と発達障害、私の考え

〈どもる人本人の声〉

  どもる僕らの意欲と向上心
                             鈴木真司(25歳、会社員)
 吃音が発達障害として広く知れ渡ると、どもる本人、特に子どもがより良く生きようとする意欲や向上心を失ってしまうと思う。私は、吃音が発達障害となり、障害者手帳を取得できるようになると聞いたとき、最初は「選択肢が増えることが良いことかな」と思った。私は就職活動をしていた時、何度も逃げたくなったことがあったからだ。
 現在は多くの企業の採用試験で、集団面接やグループディスカッションが実施されている。私はその場面でどもることへの恐怖を感じていた。なかなか内定が取れず、滅入っていた時に「どんな手段を使っても就職したい」と思った時もあった。そのようなときに、吃音を考慮してくれる制度があったら、私は活用していたかもしれない。だが、それは将来必ず後悔すると、今は思う。
 現在、私は一般の会社に就職し電話対応で困る事もあるが、その分「出来ること」を探しそれを伸ばそうとしている。電話でうまくお客さんをつかまえられない分、たくさんの電話の本数を掛けたり、電話での準備に時間を取られるため他の作業を素早く終える努力をしたりしている。この活力は吃音から授かったものだ。
 もし、吃音を理由で障害者手帳を取得してしまったら、私は「できないこと」をどんどん吃音のせいにしてしまうと思う。そうなると、「今はうまくできないが、がんばったらできるようになること」にも手を出さなくなるだろう。
 また、吃音が発達障害に分類されることは、吃音にとらわれない生き方をする子どもにとっては水を差すと考える。私は以前、「どもる子どもと保護者の会」の集まりで、どもる中学生の親と話したことがあった。その子は、入学後のクラスでの自己紹介で、自分がどもりであることを公言し、クラスに馴染んでいるという。また、親がその子に「最近の悩み事はない?」と聞くと、部活でのレギュラー争いや、苦手科目の話が先に出る。自己紹介でどもることを言う程、吃音を認識しているにもかかわらず、その子の大きな悩みの上位には吃音はこないということだ。まさに、吃音にとらわれない生き方をしていると感じた。
 その子の将来は、きっと「障害者手帳を取って働く」ではないだろう。また、吃音で障害者手帳を取れるというアナウンスは、がんばって生きていこうとしている子どもに不要な逃げ道を提供してしまうのではないか。昔の私のように、あるいはもっと深刻に、就職活動に苦戦している人はいるだろうが、人間にはそれを乗り越えていく力があると思う。その意欲や向上心が、生きていく上で本当に大切なことだと信じている。私は吃音が発達障害に分類されることを素直に支持できない。

  吃音という道を歩む
                              嶺本憲吾(34歳、会社員)
 吃音が外から見てもわかる障害ならどれだけ楽に生きられるだろう。吃音に、ひとりで深く悩んでいた中学生の頃よく考えていた。吃音の苦労を先生や友達に話しても返ってくる言葉はいつも同じで、「気にしすぎ」というありきたりな言葉だった。
 「吃音は人生を破壊するとても重大な障害だ。だから障害者認定するべきだ」と、求めすぎる気持ちが起こるのは仕方がないが、障害者と認められ保護される立場になったとしてそこからの人生はどうなるのだろう。「吃音があると就職に不利になる。面接で失敗する。りっぱな障害ではないか」と、誰かが言う。言語障害というのはなんとなくわかる。しかし発達障害に含まれるというのはピンとこない。障害者認定され、楽に生きられるならそれでもいいという危なげな考えが、ちらちらと見え隠れしているように私には思える。
 吃音を自分のものと認めて、面接でどもった人と、吃音で障害者雇用された人、どちらがその後の生活で生きやすいのだろうか。インターネットで簡単に情報が手に入る時代に、吃音で検索して、「発達障害のひとつ」とされれば、吃音だと公表している人はどうなるのだろう。まちがった保護を受けてしまうのではないかと思う。吃音はとてもとらえどころのないものだ。障害とも病気とも癖とも、隠していればまったく気づかせることもなく話せることができる人も多いことを再確認してほしい。ゆえに苦しんできたのだということも。
 障害者認定され、障害者雇用で救われる人もいるかもしれないが、それはごく一部の人だけなのではないか。どもる人全体を救う道にはならない。どもる人全体が救われる道は、どもる人、一人ひとりが自分は吃音だと認めることだと思う。自分は発達障害だと思ったところでなにも変わらない。

  どもりが育んでくれた自己肯定と他者信頼
                          堤野瑛一(37歳、Web制作)
 吃音を「発達障害」に含めよう、「障害」として認定しようの動きには、甚だしい違和感を覚える。吃音を「障害」と認定することに反対することは、すなわち「障害」への差別だとの意見もあると聞いたが、僕はむしろ、吃音を「障害」に含めることは、本当に支援を必要とする障害者の方々に対して失礼であり、自分たちが無用な支援を受けることで、必要な人への支援の機会や財源を奪ってしまうという意味で、弊害ともなると考えている。
 どもる人は、いわゆる障害者の人たちに比べ、できることがあまりに多いと思われるからだ。たしかに僕たちは、どもらない人のように、息をするように何の困難もなく流暢に話すことはできない。しかし、流暢に話すことにこだわらなければ、きちんと自分の言葉で伝えることは可能だ。
 僕自身も、ひどいときには、なかなか言葉が出てこず、顔や声をひきつらせて、絞り出すようにどもる自分の姿を、とても惨めに感じ、劣等感に苛まれ、挫けたこともあった。そして話すことから逃げ、しばらく人生のレールから外れたような生活を送っていた時期もあった。
 しかし、自分はどもる人間なのだと認め、どもってでも人と関わっていく中で、たとえ流暢でなくとも人と関われる、繋がれることを、身をもって学んでいった。どもりが治ったり改善したりしたわけではなくとも、自分なりの「話し方」を身につけていくことができた。どもりを通じて、自分自身に誠実に向き合い、人と丁寧に関わることを学んだ。最初は勇気がいったが、一歩踏み出してみれば、思っていたほど恐ろしいことでもなく、どもっていても、人は自分の話を聞いてくれるし、必要なら、きちんと自分のどもりについて説明をすれば、理解されないことはほとんどなかった。どもりは、たしかに不便を感じることはあっても、根本的には「障害」とはならないと今では言える。「障害者」に対する支援は、本当に必要な人が受けるべきだ。僕たちどもる人間は、自分の力で生きていくことができるし、どうしても困ったときには、わざわざ「障害者」として支援を受けなくとも、助けを求めれば、ごく普通の日常の中で、人は助けてくれる。そういう自己肯定感、他者への信頼感を、僕は吃音を通じて育むことができた。

  人生を守るために
                             藤岡千恵(39歳、会社員)
 子どものころから、「どもっていたら愛されない」と思い込んでいた私は、中学生の頃には家族の前でもほぼ完壁に吃音をコントロールしていた。どもりそうな言葉を避け、言い換えをし、言葉の順番を変えた。父や母に「どもりが治った」と言われることで、やっと自分が「愛されるスタート地点に立った」と錯覚していた。
 保育士として働き始めた1年目。話すことの多い毎日で、「どもってはいけない」のプレッシャーに耐えかねた私は、大阪吃音教室を訪れたが、「どもりは恥ずかしい、劣った、治すべきもの」の思いにとらわれていた私には、どもってしゃべる人たちの姿を見るのがつらく、「どもりは治らない」事実も受け入れられなかった。
 催眠療法を紹介してほしいと精神科を尋ねたが、常に吃音をコントロールしていた私は医師から、吃音ではなく、「神経症」と診断され、薬の服用を勧められた。薬に依存するのが怖くて一度は断ったが、2回目の診察で、「あなたの脳は神経伝達物質が不足している。薬でその物質を補えば気分も安定する」と説明され、いつでもやめられるとのことばで、その日から向精神薬の服用を始めた。
 それから、続けて飲んだり、薬をやめたりしながら、私の薬とのつき合いが続いた。完全に服用をやめた時は、以前より激しい症状が現れ、動悸、不眠、強い不安感、思考の低下が起こった。私は焦り、通院と服薬を再開した。他の薬と同様に向精神薬にも数多くの副作用があり、組み合わせによる副作用の現れ方は医師でも予想がつきにくいようだった。副作用の調整と気分の安定のために何度も処方が変わった。転院して主治医が変わると見立ても変わり「うつ状態」「社会不安障害」「気分障害」と診断名も変化した。私はだんだんと「うつ」に近づいていった。
 20代の初めに向精神薬の服用を始めた私は、20代後半から30代の大きなテーマが「うつ」と「薬」だった。安易に精神科を訪れたことを後悔している。精神科を受診したとしても薬を飲むことを選ばない人もいるし、そもそも精神科に行くことを選択しない人もいる。自ら精神科を訪れ、薬を服用し、長年服用してきたのは私自身だ。「薬さえ飲んでいれば、いつか気分の不調が治る」と思い、何の努力もしなかった。考えることを放棄して、楽な方に流れていた。
 最初に精神科を訪れる前に、大阪吃音教室に出会っていたのに、あの時の私には自分にとって大切なものを見極める力がなかった。その後が、薬に翻弄された人生だったと思うと、とても残念だが、私の限界だったのだろうと思う。
 現在も「吃音を治したい」と強く思っている人はいる。そのなかには「障害者手帳を取得すれば、障害者雇用の枠で働くことができる」「人並みに働く自信がないから、障害年金を受給したい」と願う人がいるらしい。その気持ちは、私自身の体験から痛いほどわかる。20代の頃、「治したい」「治るはず」との思いで大阪吃音教室の吃音の仲間のもとを去った私は、治す努力を何もしてこなかった。精神的に不調な時には、薬という安直な方法でしか対処しなかった。相変わらず吃音の悩みはつきまとい、精神的にも楽になる兆しを感じられず、将来に絶望していた。吃音を必死にごまかして生きるうちに、「これは治る類のものではない」という感覚が芽生え、向き合うしかないと気づき始めた。向き合いたいけれど、私にとって吃音という存在は大きすぎて、一人では難しい。一人では難しいけれど、あの人たちとなら向き合えそうな気がすると思い、最初に去ってから8年後、再び大阪吃音教室を訪れた。
 「どもりを治したい」も「どもるままで生きている身軽さ」もどちらも経験した今、私は「どもりで生きていくのは悪くない」と思っている。悪くないどころか、私に吃音があったおかげで、今の私がいる。どもりがあったからこそ、大切な仲間に出会えた。仲間との経験が、このままの自分で生きることの喜びを教えてくれた。
 今、世間では「吃音が発達障害に含まれる」流れが起こっている。どもる人の中に「どもりが障害と認められて、就労や生活のサポートを受けたい」という考えを持つ人がいる。そういう考えを頭から否定する資格は私にはないが、吃音が発達障害に含まれ、多くのどもる仲間たちが障害者手帳の取得や障害年金の受給を受けることになった時のことを想像すると、胸がつぶれそうな感覚に陥る。精神医療を通じて福祉のサポートを受けることと引き換えに、本来必要ではない薬の服用を私のように始めてしまう人が増えるのではないかと危惧している。長年、向精神薬の服用を続け、今も服用している私にこのようなことを言う資格はないのかもしれないが、一度そこにハマってしまうと抜け出すことは容易ではない。
 どもらない人にとって、吃音は理解しづらいものだ。どもる人でも、吃音の正しい知識をどれだけ知っているかと問われると難しいだろう。世間一般に知られている「どもり」は、連発のどもりで、ブロックで言葉が出ない難発や、体の動きを使って言葉を出す随伴などは理解が難しいと思う。他の病気や障害のことも、身近な人がいることで初めて理解できることも多い。どもりを理解してほしいなら、自分にできる精一杯の方法で、どもりのことを自分のことばで伝えるしかないと思う。吃音の正しい知識を持っていないが故に、あるいはその人自身の問題として、心ない言葉を投げかける人がいるのも事実だが、大半の人は自分の敵ではない。「どもりを理解しない世間は敵だ」と感じているどもる仲間には、勇気を持って踏み出してほしいと願うばかりだ。

  障害者になるということ
                            井上詠治(40歳、会社員)
 吃音が発達障害として定義された。第一報を聞いて、正直驚いた。吃音とは全く異なる分野に定義されたことにとても違和感を持つ。深く議論もされず、政府広報にまで出る現状は非常に残念だ。吃音の知識が乏しく、理解もしていなかった頃は、なぜ言語障害として障害認定されないのかと思ったこともあった。しかし、吃音を学び、理解を深め、仲間に出会い、苦労しながらも様々な職種で活躍するのを見て確かに吃音は障害ではないと、障害認定など不要だと確信した。
 吃音を理由に障害者になることに、私には大きなデメリットしか思い浮かばない。吃音は、面接などで就職に不利になるという説がある。この不利な状況に対応するために、吃音で障害者認定をとって企業の障害者雇用枠という狭き門に押し込んだとして、どのようなことが起こるだろうか。
 障害者雇用枠での採用は、給与を低く抑えられることはないのか。同じ仕事をしていても、他の社員と比べ経済的に不利にならないのだろうか。昇格などの人事に悪影響を及ぼす可能性はないのか。就職できたとしても、「障害者」ということがその後のキャリア形成に深刻な問題をもたらす可能性がないのか。次々と疑問が湧いてくる。もし、このような不利益を生涯被ることになると、障害者になるということは重い決断なのである。
 吃音の課題は、就職してからの方が出てくる。吃音だからといって、話すことを避けて仕事を行うのは困難だ。どもりながら仕事を行うには、会社や同僚に吃音を説明し、どもりながらでもコミュニケーションをとる方法を学び、実践していくしかない。また、文章能力を磨けば、吃音で伝えられず困った時の一助となる。吃音は障害であることにとらわれ、吃音から目をそむけ、学び理解することを怠った場合、当然周囲の理解も得られず孤立し、やがて退職を余儀なくされるだろう。
 障害者認定を受けたからといって、吃音の症状が改善し、吃音が持つ課題を解決してくれるわけでもない。障害者認定とは、銀の弾丸などではないどころか、どもりながらでも何とか仕事をこなしている人たちにとっての足枷にしかならない。
 どもる子どもたちにも深刻な影響をもたらす。子どもの視野はまだ狭い。自分が障害者だと思い込んでしまい、本当に進みたかった進路を諦めるかもしれない。「吃音=障害」という誤った認識が世に広まると履歴書に吃音と書くだけで面接にもたどり着けない可能性もあるのではないか。勝手に障害者雇用枠に入れられる恐れもある。障害者認定された当人は束の間の喜びに浸るかもしれないが、未来ある子どもの将来を奪うことにもつながりかねないのだ。本当にやりたいことを見つけ、それに向かって進もうとしている子どもたちの意欲の芽を摘むことは許されないことである。
 今一度、よく考えてほしい。吃音は本当に発達障害なのか。障害者になるということはどういうことか。発達障害の人たちのこと。吃音に悩む子どもたちのこと。吃音を持つ人間として、より良い行動をとってくれることを心から願う。

  どもる人として生きる私が今考えること
                      佐々木和子(58歳、元ろう学校教員)
 長年、吃音には言語障がいのラベルが貼られ、私たちは、言語治療を受けるべき対象とされてきた。「吃音は治る」との社会通念の下、治るはずの吃音が消えない私たちは、治らない責任を本人の努力不足と能力のなさに転嫁され、自己否定の渦の中に生きてきた。
 私も友達のように流暢に話す人になりたくて、小学校2年生の時、両親に頼んで「どもりは必ず治る」とふれ込む吃音矯正所に通った。そこでは、ゆっくりと、節をつけて話す練習が繰り返された。子ども心に「こんなことをしても私のどもりは治らない」と直感し、私のどもりは一生治らないものと悟った。それからの私は、治せるはずの吃音を治せないダメな自分を恥じ、人前で話すことを止め、吃音を隠した。どもる自分が表面化する場面を徹底的に避け、授業は無言で過ごし、吃音のせいで何もできない惨めな自分を演じて生きていた。吃音を隠し続ける生活に疲れた私は、教員になるつもりが全くないままに、どもる自分がありのまま認められる居場所を求めて、大阪教育大学言語障害児教育教員養成課程に進学した。そこで吃音を学び、どもりながら社会で対等に生きている魅力的な先輩や仲間と出会った。
 多くのどもる人と出会い、私は、吃音はその人の自己概念により、障がいにも、得難い魅力にもなりうるものだと知った。そして自分の存在までも否定するほどに私を苦しめ続けたものの正体が、「吃音は治すべき障がいである」という世間の評価をそのまま取り込んで構築した私自身の吃音に対する概念であることに気づいた。
 吃音が自分の障がいになるかどうかは、どもる人の生き方によって決まるものなのだ。私は、吃音が障がいであるかどうか、私が障がい者であるかどうかは、どちらでもいい。社会が吃音を障がいと定義し、どもる私が障がい者と認定されても、私は私として生きることに変わりはない。専門家が決めた標準枠に入ることをめざし、どもらない私になる必要はない。治すことをめざしていては、いつまでも自分の存在に自信はもてない。私は私のままでいい。私は「吃音を治すことをめざす」土俵から降りて、どもる自分を許し、どもる人として生きることを決めた。
 大阪での生活の影響で、想像すらできなかった教員採用試験を受けた。面接でかなりどもり、こんなにどもる人が教員ができるのかと、不採用になりかけた私を、「彼女のような人こそ教師をすべきだ」と支えてくれたのは、大阪教育大学の教授と、教育実習の小学校の担当教師だった。苦しい体験をしながらも、教師として生きてこれたのは、多くのどもる先輩と、仲間の支えがあったからだ。
 自分の人生をどう生きるのかの選択は、自分自身に任されている。私は仲間と共に吃音哲学を学び、仲間に支えられてどもる人としての人生を歩むなかで、流暢に話す多数派に対して、どもる話し方をする少数派として対等に存在できるという確信をもった。吃音を呪い、どもっていたら幸せな人生は送れないと信じていた時を経て、吃音を認め、吃音と共に生きてきた半生を振り返り、私は、どもる私たちが社会で生きていくために必要なものは、公的な支援ではなく、吃音を正しく認識する学びの場であると考える。
 今、吃音に発達障がいという新たなラベルが浮上してきたと聞く。専門家が吃音に発達障がいのラベルを貼るということは、彼らが吃音は治らないことを認め、どもる症状に対する治療的アプローチを諦め、どもる人としての生き方を学ぶ場を提供してくれるようになることだろうか。発達障がいであれば、吃音は脳の疾患から生じる症状の訳だから、吃音を治らな1つの特性として認め、治す・改善をめざす臨床から、どもりながら豊かに生きる道を探る臨床への大転換が、本来なされるはずだ。吃音は治そうと努力して治るものではないことは、吃音の臨床に携わってきた専門家には暗黙の了解事項だろう。これを機会に、吃音に対する対処法が、ようやく言語治療から吃音哲学に替わる時代になると受けとめていいのだろうか。
 いや、決してそうはならないだろう。それどころか、現実には、私たちは言語障がいと発達障がいを合わせ有する障がい者として定義され、今以上に吃音を治すことを求められ、より一層苦しめられることになるだろうと私は思う。
 吃音に対する社会の評価は、どもる私たち自身の在り方によって決まるものだろう。私たちが、どもりながら生きるかたちを否定しない、蔑まないことが、吃音を正当に評価する、どもることに価値があることに気づける社会を築く礎になる。先ず私たち一人ひとりが自分の吃音を認め、どもる人として誠実に自分の人生を生きる姿を周囲に示したい。どもることを理由に自分の責任や人生の課題を放棄することなく、どもりながら人として真っ当に生きる。そんな当たり前の日常の積み重ねが、吃音に対する自他の概念を変えていくことになる。当事者の私たちが、吃音にマイナスの評価を下し、自らを既めることはもうやめたい。私たちは、ただどもる話し方をする存在なのだから、どもる事実を認め、恥じることなく、自分に誇りをもって生きていきたい。自分の力を信じて、かけがえのない自分の人生を切り開いていく、私たちにはその力があると私は信じている。

  迷惑な支援はいらない
                            西田逸夫(64歳、団体職員)
 最近吃音が発達障害者支援法の対象になっていると知って、発達障害者支援法対象範囲を表すリストを読んでいくと、チックも場面絨黙夜尿症も対象とされている。発達障害ではないけれども発達障害者支援法の対象になり得る、という点で吃音は立場としては夜尿症と同じらしい。吃音治療の専門家のところに行くと、多くの場合、発声法を指導される。「ゆっくり話せ」とか「話し始めをやさしく」とか言われるし、どもっているときの自分の発声を常にモニターすることを求められる。夜尿症やチックや場面絨黙の子どもが専門家から受けるだろう扱いとは大違いだ。
 夜尿症の子どもに「寝ているときに、おしっこが出そうかどうか、しっかり意識しているんだよ」という専門家は、多分いないだろう。チックの子どもに、顔の筋肉がどんな具合か、いつもモニターするよう指導する専門家は、多分いないだろう。場面絨黙の子どもにだったら、なおさらだろう。
 吃音の課題に、本人にも努力できることがたくさんあり、周囲の人たちが支援できることもたくさんある。吃音は一人ひとり千差万別な現象だから、吃音とどうつき合うかは当人が試行錯誤の中で見つけるしかない。試行錯誤の過程でどんな試みが役立ち、周囲のどんな支援が可能か、大阪吃音教室には40年を超える実績がある。
 大阪吃音教室では、年間スケジュールで吃音の課題をあらゆる方向から考察する。一生つき合う相手である吃音のこと、自分のことを知る例会、吃音を持ったままでコミュニケーションスキルを磨く例会を、年間のメニューとして用意している。参加者は毎週のそんな例会を通し、自分の吃音の課題と取り組むのに適した道具を見つけて来た。その一端を著書や冊子として発刊して来た。
 年間スケジュールに余るほど多くの方向からアプローチが可能なのは、吃音が治らない現象だからだ。治らないことこそが吃音がもたらす最大の福音であり、治すことを諦めて初めて、吃音の課題としっかり向き合うことが可能になる。

  どもりのままで豊かに生きて来た
                        赤坂多恵子(66歳、保険代理店)
 「発達障害」「障害認定」を、パソコンなどで調べてみたが、どもりの特徴と一致しない。どもりの何が発達障害なのだろうか。不便だから、就けない職業があるから、コミュニケーションが下手だからか。身長制限、視力制限などの条件でなれない職業はあるが、どもりもそれと同じなのか。
 不便な事はあるが、そのおかげで生きる知恵が生まれたし、人から優しくされ、助けてももらった。そして、私も他の人を助けもした。生活上の不便を持っていない人なんているのだろうか。
 コミュニケーションが苦手なのはどもりと関係がないように思う。「発達障害」の枠に入れられて、得か損か分からないが、いろんな事に犠牲が生まれると想像する。そうなれば私はおそらく、どもりを隠す事になるだろう。今、私が楽しく楽に過ごせているのはどもりを隠さなくなったからだ。どもりをマイナスと受け止めて公表していた時はしんどかったが、大阪吃音教室に出会って、プラスと受け止めて公表するようになってからは何の心の負担もない。どもりに関しては健やかに淡々と過ごせている。どもりを隠すことになったら、また、地獄(大変な生活)が始まってしまう。
 私はどもりがあって、人に優しくなれたように思う。人に助けてもらう事も覚えたし、しっかり人に伝えようと思うと表現を考えねばならない。振り返れば、どもりに成長させてもらったことは数しれない。ずっと続いている営業職もどもるお蔭だ。飛び込み営業もテレアポも声を出す練習の感じでした。どもらない人は別の意味で、それらが苦手だ。どもる私は声さえ出れば、飛び込み、テレアポ、苦なく数多く出来た。どもりの調子が悪い時はパスしたが。どもりのどこが発達障害で、なんで障害認定がいるんだろう。素朴な疑問だ。

  私としての「吃音と発達障害」
                            徳田和史(69歳、会社顧問)
吃音が発達障害者支援法に入ったエビデンスは当の厚生労働省もはっきりとした見解は示していない。経緯はともかく、吃音が発達障害として位置づけられる必要があるのか、また、どもる人にとってそれがプラスなのかマイナスなのか。
 どもる人の中には、このままでは生きづらいので発達障害として認定してもらい公的支援を受けたいと望む人もいるのだろう。生活のために必要とする人もいるのだろう。反対に、吃音を発達障害の中に入れて欲しくはない、公的支援は受けたくないとする人もいるだろう。これはあくまで吃音の症状が重い軽いとかの問題ではなく、当事者の生き方に対するスタンスではないだろうか。
 私はどもる人の人生を考えると吃音を発達障害と位置づけない方がいいように思う。どもることは確かに不便で、辛いことだ。しかし、世界の吃音臨床100年の歴史でも吃音の明確な原因や治療法は見つかっていない現状で、どもる人はどうすればいいのかを考えるとき、吃音をもったままどう生きれば得なのだろうか、そして生きがいはどう持てばいいのかということになる。
 吃音を治すことに無駄なエネルギーを注ぐことなく、そのエネルギーを「吃音とともにどう生きるか」に使った方が得ではないだろうか。一度の人生だ。治る可能性がほとんどないことに大切な人生の時間を使うより、吃音をもったままでもどもる自分を認め、自分のしたいことをして自分なりの豊かな人生を送る方が結果として幸せだ。
 吃音を発達障害として公的支援を受けるために障害者手帳を申請するとき、障害者としての一定の規準を超えなければ手帳の交付はしてもらえないだろう。その手続きで、「私は、吃音のためこれができません、こんな支障があります」等、自分のマイナス面をことさらに強調して診断書を書いてもらうことになる。こうして手帳の交付を受けたとして、それ以後、果たしてその人は自分を肯定して生きがいをもって自分の人生を歩んで行けるだろうか。障害者手帳をもらい自分に発達障害というラベルを貼れば、どう生きるかの考えもそこで留まり、公的支援を受ければその環境に甘んじ、自分の人生を切り開く力が委縮し、その人の可能性をもそこでストップしてしまうのではないだろうか。生き方としてのマイナス面が出てくるように思えてならない。私としては、自分の吃音に発達障害というラベルを貼ることなく、人生の終焉において、「自分は吃音で辛いこともあったが自分なりの生きがいのある人生を歩んで豊かな生涯だった」と思えるようでありたい。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/18

Follow me!