『そうだ、サマキャンに行こう!』 ~吃音と歩んだこれまで、これから~

 吃音親子サマーキャンプ、親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会、大阪吃音教室など、僕たちとの出会い、つまり、「吃音とともに豊かに生きる」という考え方との出会いが、人生の転機になったという人は、少なからずいます。
 僕たちは、何も特別なことをしたというつもりはないのですが、出会いがきっかけで、進学、就職、結婚など人生の節目の選択を考えたと、感謝の気気持ちを話してくれる人に出会います。そんなときはむしろ、僕たちの方が、ありがたい出会いに感謝しています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2015.12.20 No.256 に掲載している第26回吃音親子サマーキャンプ報告を紹介します。

第26回吃音親子サマーキャンプ報告
『そうだ、サマキャンに行こう!』~吃音と歩んだこれまで、これから~
               掛田みちる(教員・京都教育大学連合教職大学院)
               掛田力哉(教員・大阪スタタリングプロジェクト)

1.はじめに
                                掛田力哉
 親たちが文字通り「人目もはばからず」大勢の人たちの前で我が子の魅力について語っている。その言葉の一つひとつに、子どもたちはじっと聞き入っている。話の内容は多少難しくとも、幼い子どもたちにも十分伝わっているようだった。
 今年の吃音親子サマーキャンプ(以下、サマキャン)の1シーン。子どもたちの「レジリエンス」について語る親たちの姿、それを嬉しそうに、真剣に見つめる子どもたちの姿は、清らかで美しかった。
 サマキャンは、独特の空間である。主催者の伊藤伸二さんが、「吃音ファミリー」と称するように、子どもと大人が「吃音」という同じ釜の飯を食いながら少しずつすこしずつ成長する、まるで大きな家庭のようだ。そのサマキャンで出会い、本当のファミリーとなった私たち夫婦に、伊藤さんがサマキャンについての文章を書いてみないかとお話を下さった。長く吃音に悩んだ末に、伊藤伸二さんの元でもう一度自身の吃音と向き合おうと10年前に大阪にやってきた私と、かって吃音とは全くの無縁であった妻とが、どのようにサマキャンと出会い、何を学び考えてきたのかを振り返ることで、サマキャンの魅力や力について改めて考えることが出来ればと思う。

2.私がサマキャンと出会い、考えてきたこと
                             掛田みちる

①サマーキャンプとの出会い
 私と日本吃音臨床研究会との出会いは、大学4回生の夏。講義室の掲示板に貼ってあった吃音ショートコースの案内がふと目についた。当時の会場だった滋賀県青年会館は実家のすぐ近くであり、教員採用試験が不合格で落ち込んでいた私は、友だちでも誘って帰省しがてら参加したら、気分も変わるだろうというくらいの軽い気持ちで申し込んだ。
 吃音ショートコースでは、将来が見えない不安の中にいた私の話にじっくりと耳を傾けてくれる優しいどもる大人たちがいた。また、それぞれ悩みを抱えながらも明るく、繊細に気持ちを思いやりながら近づいてきてくれた同年代のどもる人たちがいた。また初めて受けた竹内敏晴さんのレッスンは、自分のコミュニケーションの取り方において息苦しく感じていたものや、その場しのぎでごまかしていた自身のコミュニケーションのありようをはっきりと意識する機会になった。ここで出会った人たちにまた会いたいという気持ちはどんどん強くなり、それから毎年、吃音ショートコースと吃音親子サマーキャンプに参加するようになった。
 サマーキャンプは第9回の時に初めて参加した。小学校3、4年生の話し合いの時に、初参加の女の子の「どもりでよかった」という言葉を耳にした。自分以外のどもる人と初めて出会い、率直に吃音と向き合い、語り合う体験は、「どもりでよかった」と思えるほどの力を子どもたちに与えるという事に驚いた。サマキャンのすごみを教えられた瞬間だった。そしてスタッフとして、その発言を聞けたことを誇らしく思い、胸を張って報告したことを覚えている。しかし、次の年、彼女が吃音について話す表情は前年とは違っていた。友だちの家の前まで行ったものの、玄関のチャイムを鳴らす勇気がなく自宅へ引き返した経験を話し、「今はどもりがきらい。治るのものなら治したい」と語っていた。

 当時、ことばの教室の指導員として研修を積むなかで、よく「吃音受容」や「障害受容」という言葉を使って出会った子どもや家族のことを話していた。改善や治癒が難しいことばの問題がある場合、それを本人や家族が受容できるように支えていくことがことばの専門家として大切だと学んできた。前年のその子だけを捉えると、「吃音の受容」ができたと言えるのかもしれない。しかし、次の年も出会うことで、どもりと共に生きる当事者にとっては当然の、ある事実に気付くことができた。
 彼女はどもりでよかったと思う時も、どもりさえなければと憎むこともある。それでも、苦しかったこの年にも、どもりから逃げずにサマキャンに来て話し合いに参加し、吃音や自分の生活に真剣に向き合おうとしているという彼女の生の姿が目の前にあった。
 「受容」ができたか、できていないかなど、簡単に言いきれるものではなく、その言葉を使う事自体が、子どもやその家族の本当の思いや願いを見えにくくしていくのだと、私は彼女から教えてもらった。悩みながらも誠実にどもりと共に生きている彼女を、心から応援したいと思った。それから毎年、サマーキャンプで出会うたくさんの子どもたちから、自分も元気や勇気をもらってきた。そして、その子たちを応援するために参加していたつもりであったサマキャンが、いつの間にか人生の節目ごとに自分の悩みや選択について真剣に考える場所へと変化していったのだ。

②結婚、そして家族が増え…

 20代は私にとって、仕事の面で迷いの多い時代だった。高校生からの夢であったことばの教室の指導員になることができ、子どもやその家族と向き合いながら、ことばやコミュニケーションを指導することにやりがいを感じていた。一方で、非正規の雇用形態だったため、将来には大きな不安を感じていた。、そして28歳の時、6年間勤めたことばの教室を辞め、重症心身障害児施設の言語聴覚士として就職した。そこではどんなに重い障害があろうとも、呼吸の深さ浅さで気持ちを表したり、相手にからだを委ねたり反らせたり、表情や視線で語ったり…、様々な方法で外の世界や人と関わる多くの利用者さんと出会った。
 今まではことばがコミュニケーションの中心だという考えから抜け出せないでいたが、人と人はからだ全体で関わり合い伝え合っているのだということを、そこで教えてもらった。また、医療機関を併せ持つ施設であったため、外来で出会う子どもたちにも、リハビリテーションの枠組みの中で関わることになった。それは、ことばの教室などの教育分野で子どもと関わることとの違いや、これから自分がことばとコミュニケーションに関わってどのような仕事をしていきたいかについてじっくりと考える機会になった。自身の環境の変化や新しく学ぶことの多さに必死でついていく日々で、サマキャンから足が遠のいた時期でもあった。

 そして、もう一度原点に戻り、教育の分野で仕事をしたいと決め、通級指導教室の教師を目指して教員採用試験を受けた年に、3年ぶりのサマーキャンプに参加した。そこで同じスタッフとして参加した掛田力哉と出会い、結婚することになった。夫は、どもる子どもたちと同じ目線に立って寄り添う人だった。出会ってから結婚までの期間はとても短かったが、ここで出会った人だからという安心感はとても大きかったように思う。

 サマキャンの最終日、恒例の卒業式の前に、伊藤さんが私たちの結婚を皆の前で報告する機会を作って下さった。下の名前で呼び合い友だちのように仲良くして下さっていたお母さんが涙ながらに喜んでくれたり、素敵な手作りブーケを頂いたり、本当にたくさんの方からお祝いの言葉をいただいた。伊藤さんがサマーキャンプの仲間を「吃音ファミリー」と表現されるが、あの時の私たちは、もう一つの実家に報告するような心持ちだったように思う。嬉しいことは一緒に喜び、前に進めないような辛いことがあったらここで悩めば良い。そんな共通の場所があるということは、私たち夫婦にとってとても心強いことだった。

③今年のサマーキャンプ

 今年の第26回サマーキャンプは、結婚してから10年間で2回目の参加だった。今回は、初めてスタッフ劇の練習から参加した。劇の演出やキャラクターについて渡辺貴裕さんのリードのもと、みんなであれこれと想像したり和気あいあいと話し合ったりしながら作っていく時間はとても楽しいものだった。そして、何よりもキャンプの劇への関わり方が私自身がらりと変わったように思う。今までは、子どもたちの練習の時にも、なかなか一歩踏み込んで声や表現について子どもに迫ることができず、自分の意見を引っ込めてしまうところがあった。しかし、今回は自身が劇の場面一つひとつに対する思い入れが深くなっていたので、その分「ここのセリフはどう言う? どう動く? 考えてみよう」と、劇の練習中も、自信をもって言えるようになっていた。夫が「スタッフの劇練習から参加したら、キャンプはぐんと楽しくなる」といつも言っていた意味がよく分かった気がする。

 話し合いは中学1年生グループに入った。3回以上の参加者が4人、初参加が2人、どもる弟をもつ兄1人が構成するグループだった。自己紹介や自分のどもり方について、中学校生活の話や部活動の話、吃音とは何なのかなど、それぞれの考えについて話した。話題が1つ変わるごとに、静かにみんなで向き合って話し合う。この年頃の子どもたちらしく、次々と発言が飛び交う雰囲気ではなかったが、静かな空気が流れるなか順番に回ってくる1人ずつの語りにみんなで耳を傾ける時間であった。なかでも初参加の男の子が、話し合いの時間に聞いてもらいたいと思うことをあらかじめ持って臨んでいた様子で、学校生活でこれまで困ってきたこと、具体的にからかわれたり嫌なことをされたりしたこと、それに対して自分はどのように考えてきたか、また家族や理解ある友だちがどのように支えてくれたかということをたくさん話してくれた。彼はサマーキャンプに参加を決めた時点で自分のこと、吃音のことをたくさん話したいと思い、どう話そうか、ことばにする作業を始めていたのだろうと思う。話し合いの場に向けて、日常で吃音についていろいろ思ってきたことをこんなふうに話したい、聞いてほしいという思いを温めてくる子どもは、きっと他にもいるのだろうと感じた。

 そんな彼とは劇のチームも同じで、そこにはどのように参加するのか興味深く見ていた。すると、話し合いとは様子が違った。配役の時点で、できるだけセリフの少ない役を取ろうとするのだが、年齢的にも上から数えた方が早い彼は、どの役をするにしても、年下の子どもたちを引っぱって表現することを周囲から要求される立場だった。一つひとつのセリフや表現を、子どもたちやスタッフから提案されるたびに、「えー、そんなのは無理!」とひどく戸惑っている様子が見られた。グループには他にも中学生や高校生がいて、この劇のなかで己の力に挑戦しようという決意を静かに見せる姿があった。また、小学生たちはやる気満々で「ここはこうすればいいんじゃない?」と劇の演出に次々とアイデアを出していた。そんな周りの空気に後に引けない雰囲気を察知したのか、「本番では、やるから!」と自分なりの決意を伝えてくれるようになり、本番は彼らしい素晴らしい演技を見せてくれた。どもる子どもたちで劇を作り上げるという、このキャンプならではの作業を通してきっと何かを感じとってくれたのではないかと思う。そして、これからの彼の表現の変化が、また一つ私のキャンプの楽しみになった。
 劇の前には、親の学習会「レジリエンス」の発表があった。我が子の持つ魅力や強み、レジリエンスについて具体的なエピソードをまじえながらグループの親たちが話をした。明るく楽しい語り口調で、自分の子どもについて生きいきと話す親たちを見ていると、まるで自分がほめてもらっているかのような気持ちになり、とても心が温まった。きっと、会場の全ての参加者が、同じような思いを抱いていたのではないだろうか。

④ぶれないもの

 今年度、私は小学校教員を休職して、教職大学院に通っている。もう一度学びの場にどっぷり浸かりたいというのは、社会人になってからずっと願っていたことだった。念願の大学院での学びであるが、そこで何を学ぶのかが、私にとって重要なテーマであった。世に出ている技法や理論をたくさん学んで、したり顔でその分野について話をする専門家になりたいのではない。これからも出会う子どもやその家族に対して、自分ができることを考えるうえで、「ぶれない指標」のようなものが欲しかった。
 言いにくいことではあるが、長年吃音親子サマーキャンプに参加しながらも、私は「吃音を治す努力の否定」が本当の意味で納得できていなかった。当事者が治したいという思いを持つのは当然であるし、その思いをもった人に対して、いわゆる「治療」のための技法を含めた様々な選択肢を示すことができるのもことばの援助者の役割ではないかと考えたこともあった。しかし、ことばやコミュニケーションの支援・診断技法等のこれまでを辿ると、様々な問題が見えてくる。人は目に見えやすいもの、分かりやすいものに飛びつき易い。そして提供したいろんな技法が相手にとってどうであったのか、吟味する機会もないまま、また次の技法が流行する。結局、そのプランを採用した結果や責任を負うのは本人や家族である。その援助者の熱心さは、果たしてどうなのだろうかと、疑問に思い始めてもいた。

 今回、久しぶりに参加してみて、サマーキャンプのどの場面にも、伊藤伸二さんの話のどの内容にも、私が関わってから20年近くの間、依然として変わらないメッセージが存在し、それは自分が掴みたいと思っている「ぶれない指標」につながっているのだということに気がついた。症状を治したり軽減したりすることに心を囚われ、その時々に流行している技法を次々と提供し、子どもたち、大人たちを混乱の淵に追いやるのではなく、その人が豊かに生きられるように、抱える困難さにその人自身が向き合って取り組んでいくための確固たる力、それは今回のサマキャンのテーマでもある「レジリエンス」と言っても良いのかも知れないが、それをつけられるように支援できる方が、たとえそれが微力であったとしても役立つ援助になるだろう。次の20年、自分にも、ぶれない指標をもって何かメッセージを発信し続けることができるだろうか、いや、できるようになりたいと強く思った。
 また今回もサマーキャンプが、自分の人生の節目に立ち会ってくれた。今回は、仕事の節目である。本当に不思議な場所だと思う。自分の家族と、出会った人々と、仕事と、誠実にまっすぐに向き合えているか確かめるためにも、また来年も参加しなければならないなと改めて思う帰途であった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/03

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