子どもと語る、肯定的物語~吃音を生きて、見えてきたこと 2

 昨日は、節分。成田山不動尊での節分豆まきのことを書きました。そして今日は立春。昨日に比べてずいぶんと暖かいです。食後のウォーキングが日課ですが、気持ちよく歩きました。ベンチで休憩すると、ひなたぼっこになり、眠ってしまいそうです。
 今日は、一昨日の続きで、2013年7月に、鹿児島で開かれた第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会での記念講演での話を紹介します。これまで出会ったたくさんのどもる人、どもる子どもたちのことが話の中に出てきます。これらの人たちの体験を紹介することは、僕の使命でもあります。

第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会鹿児島大会(2013.7.30)
〈記念講演〉
  子どもと語る、肯定的物語~吃音を生きて、見えてきたこと 2
                        日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

第10回オランダでの世界大会

 1986年、私が大会会長となって、京都で第一回の世界大会を開きました。400人が集まった大会の閉会式の時、世界各国の人たちと肩を組んで、「次回、ドイツで会いましょう」と挨拶をした時、私は涙がぼろぼろこぼれました。今まで憎み苦しんできた吃音ですが、その吃音に対して「どもりで良かった」と心の底から思えた瞬間でした。
 第2回がドイツ、第3回がアメリカ、と続き、10回大会が、今年の6月、オランダで開かれました。「見ない、聞かない、言わないできた、これまでのあらゆる吃音のタブーを打ち破ろう」がテーマでした。私はあまり期待しないで6年ぶりに世界大会に参加したのですが、予想していたものとはかなり違っていました。アメリカ、オーストラリアはともかく、参加の一番多かったヨーロッパのどもる人たちは私たちの考えに近くなっていました。大会会長の挨拶、大会事務局長がスケジュールをアナウンスする時、大勢の前で、こんなにどもる人は久しく聞いたことがないくらいにみんな派手に堂々とどもっていました。
 それまでの世界大会が、言語病理学者の基調講演やワークショップが主体だったのに比べて、今回の10回大会は、吃音に苦しみ悩み、吃音の問題を熟知した当事者の声が反映されていました。脳の研究やDAF(聴覚遅延フィードバック)、リッカムプログラムなどの講演・発表が姿を消し、治療をしても治らない現実に向き合って、「吃音治療、軽減、コントロール」が多少は残っているものの、「吃音と共に豊かに生きる」にシフトしているように私には思えました。
 7つの基調講演のうちの2つが言語病理学者で、5つのどもる当事者の基調講演は、「吃音と共に生きる」を主張するものでした。大会期間中、会う人々はみんな、「ゆっくり、そっと、やわらかく」吃音をコントロールすることなく、自然に堂々とどもっていました。私は6回世界大会に参加していますが、こんな印象は初めてです。
 私は過去4回、世界大会で基調講演をしていますが、今回の「吃音否定から吃音肯定への語り ナラティヴ・アプローチの提案」が一番関心をもたれたようです。日本でも翻訳・出版されている、デヴィッド・ミッチェルという世界的な小説家は、13歳のどもる少年を主人公にした小説を書いています。そのミッチェルさんが、私の基調講演の要約を読んで共感をし、話しかけてくれました。100分ほど、ミッチェルさんと話し合ったのは、非常にうれしい時間でした。ミッチェルさんはこんな話をしてくれました。
 「私はずっと私のどもりを敵だと思い、どもりを殺したい、攻撃したい、勝ちたいと戦いました。が、いつでも駄目でした。今度は、どもりが私を攻撃してきました。私は自分の中のものと戦い、内戦し続けてきたのです。戦いに疲れて絶望したとき、自分の考え方を変えなければいけないと思うようになりました。どもりは敵ではなく、いたずらが好きな子どもなんだと思うようになりました。そうすると少しずつ私は話せるようになりました。私の友だちにアルコール依存症の人がいます。彼はアルコールを飲まないことに成功しましたが、今もアルコール依存症者です。私も彼と同じようになりたいと思いました。私のどもりは、私の腎臓のように体の一部として私の中にいます。存在の権利があります。私の遺伝子にあるものを私は攻撃したくない。攻撃するなんておかしい。折り合いをつけて、私は私のどもりに、『いいですよ。はい。あなたが私の中にいても。あなたの存在する権利を認めます。尊敬します』と言いました。そうすると、どもりも、『いいでしょう。あなたの存在の権利を認め、尊敬します』と言ってくれました」
 子どもの頃から、ことばを言い換えて生き延びてきたことが、小説家としての力になった、今はどもりに感謝していると話してくれました。
 大会期間中、たくさんのどもることばを耳にして、久しぶりにどもる人の世界大会に来たという感じがしました。
 吃音を否定し、「完全に治らなくても、少しでも軽減してあげる」の吃音臨床から、変わる必要があると強く思いました。治らない、治せていないは世界共通でした。治らないものに、治療、改善、軽減の立場をとり、治らなければ私の人生はないと思い詰め、吃音が治ってからの人生を夢見た私たちの失敗を繰り返してほしくないと、大会期間中に強く思いました。しかし、一度吃音をマイナスに考えると、そこから「どもっても、まあいいか」と思えるようには、なかなかなりません。私は21歳であきらめました。これはとても早かったと、後で思いました。3人の体験を紹介します。

ナラティヴから見た、3人の体験

 スキャットマン・ジョンは、私と仲の良かった世界的ミュージシャンです。
 彼は吃音の苦しみ悩みから逃れるために、麻薬依存、アルコール依存になり、荒んだ生活を送りました。アメリカでは生活ができなくなり、ヨーロッパに渡って、ホテルでピアノを弾いていた時、「その曲は面白い。CDに出そう」と話が出ます。「もし、ヒットしたら、インタビューを受ける。すると、今まで隠してきた吃音が公になる」。彼は最大の窮地に陥ります。妻のジュデイに「CDを出すの、やめる」と言い出します。妻は、「52歳にもなって、バレるのが嫌なら、自分で公表したら」と言われて、覚悟を決めて、曲の詩に吃音ということばを入れ、CDのジャケットに吃音について書きました。吃音の症状が軽減されたわけではなく、ただ吃音を認めたことで、彼の人生が大きく変わりました。
 陽気で明るいミュージシャンとして「スキャットマン・ワールド」は日本でも120万枚の大ヒットとなり、プッチン・プリンの宣伝にも出ていました。国際吃音連盟の役員の私に会いたいと、大阪で会う約束をしていたのが、手違いで会えなかったのは残念でした。吃音治療ではなくて、吃音を肯定して生きるために、いろんな活動を一緒にしようと約束していたのですが、57歳でがんで亡くなりました。彼が吃音を肯定して生きたのはたった5年でした。それまでの苦難に満ちた人生を思うと、くやしい思いがいっぱいです。
 チャールズ・ヴァン・ライパーは、私が敬愛する言語病理学者ですが、どもりであれば就職ができないと、30歳の時、ろう者を装って農場に就職し、話さないで黙々とじゃがいも堀りをしていました。その生活に絶望して、山を下りる時に老人と会います。老人に「どこへ行くのか」と尋ねられた時に、ひどくどもりました。すると老人はその姿を見てげらげら笑うんです。ライパーが怒って抗議すると、老人は、「私も、若い頃は君のように力んでどもっていたが、今はそんな元気はないよ」と話しました。この出会いで、吃音を治さなくても老人のようにどもればいいのだと考え、アイオワ州立大学で吃音について学び、世界一の吃音言語病理学者になり、多くの弟子を育てました。
 晩年は「私は私を含めて数千人のどもる人の吃音を治せなかった。慢性病の人々が、慢性病を治せないものとして受け入れるように、吃音を受け入れよう」と言い続けていました。大学でブリンゲルソンから、随意吃音を中心としたセラピーを浮けた経験から、どもり方は変えられるとの信念を持っていたようです。吃音を受け入れるだけでは十分ではない、どもり方を変えようとも言っていました。ここが、ヴァン・ライパーと私との大きな違いです。ライパーは、セラピーを受けてどもり方が変わった。私の場合は、治すことをあきらめ、生活の中でどもっていくことで、自然に変わっていった。
 ライパーは、私の敬愛する言語病理学者ではありますが、弟子のバリー・ギターの統合的アプローチ「ゆっくり、そっと、やわらかく」につながったのは残念です。ライパーと同年代に生きたら、もっと議論がしたかったと思います。

 アカデミー賞映画、「英国王のスピーチ」、ご覧になった方は多いと思います。ジョージ6世は、5年間、必死で吃音治療を受けますが、治りも改善もしません。開戦スピーチの40分前、言語聴覚士の力を借りて、必死で声を出そうとするけれどもうまくいかない。最後に彼は、「結果がどうであれ、君が僕にこれまで関わってくれたことに感謝する」とどもる覚悟を決めてスピーチに臨みます。どもる時はどもればいい。国王がどもってしゃべっても、国民は聞く権利と義務がある。国王の私はいかにどもっても、国民に伝える権利と義務があるとのどもる覚悟ができたのは、私から見れば、ナラティヴ・アプローチになっていたからだと思います。
 「俺はもうだめだ。俺なんて国王じゃない」と、泣いて妻のエリザベスにすがる姿が印象的ですが、エリザベスは、「あなたの吃音が素敵だったから、結婚したのよ」と言い、後の首相チャーチルは、「あなたこそ、国王にふさわしい」と言います。言語聴覚士も、「誠実なあなたこそ国王になるべきだ」と、あまりに言い過ぎて、喧嘩するぐらいでした。父国王も「誰よりも根性がある。お前が国王になれ」と言います。みんなの「吃音肯定の語り」が少しずつ体に染みて、「どもる時はどもればいいんだ」と、どもる覚悟ができたのだろうと私は思います。
 3人の経験を話しました。どもりの症状を治す、軽減するのではなくて、「どもっても、まあいいか」と肯定的な物語に変わった時、人は変わるのだと私は思います。

吃音を治したいとのニーズ

 「吃音を治したい、軽減したいが、子どもや親のニーズだ」と言われます。
 私は、吃音を治したいと言う子どもや親に、「なんで治したいの」と聞きます。すると「どもっていたら、友だちはできないし、学校生活の中で苦労するし、将来就職で苦戦し、結婚ができるか心配だ」と言います。確かに、子どもはいろいろと苦労しています。しかし、その苦労は自分が真剣に吃音に向き合えば、自分なりに解決できる問題です。治したいとの親のニーズの奥には、「子どもに幸せになってほしい」の思いがあります。それをどもりが阻むと思うから、治したいと思うのであって、治すことにこだわらなければ、学校生活の中での苦労、苦戦は、ことばの教室の先生やどもる子どもの親、子ども本人が考えて解決していける問題だと思います。

治したいと思わない

 吃音親子サマーキャンプは、24年続いています。キャンプの様子がTBSの「ニュースバード」で流れました。中学1年生の女の子の一人が、「私はどもりを治したいなんて思わない。治らない方がいいです」と言い、もう一人の女の子は「どもりでよかったなあと思いました」と発言していました。静岡のキャンプで、「どもりを治したい人?」と言ったとき、手を挙げなかった子に「どうして治したいと思わないの?」と聞くと、「どもるのが僕だから。学校で、何回も発表するし、治そうなんて全然思わない」と言いました。これらのことばは、48年前の私には想像もできません。当時は、治さなければ、治るはずだの情報ばかりで、こんなことばは出てこなかっただろうと思います。

吃音は自然に変わる

 吃音は訓練をしなくても自然に変わるものだと私は思っています。吃音は、多少吃音が軽減されたり、コントロールできても完全には治らないので、アナウンサーの小倉智昭さんも「仕事ではどもらなくなったが、普段の生活ではどもる。私は吃音キャスターだ」と言います。女優の木の実ナナさんも、フーテンの寅さんの映画で、「お兄ちゃん」のセリフが言えなくて、2日間、撮影がストップした体験を語ります。職業としてことばを鍛えてきた人でも、どもる時はどもります。
 一方で、どもる人の本当の悩みは、どもれない悩みだということは多くの人はあまり気づいていません。吃音症状が軽減されると、余計に「どもりたくない」の思いが強まって、吃音を隠したい思いが膨らみ、悩みを深める例はたくさんあります。教室で教えている時は、あまりどもらなくなった教師が、卒業式で子どもの名前をが言えずに悩みます。また、課長に昇任して、大勢の前での司会で、「起立、礼、着席」の短いことばが言えない。普段はどもらないので、ある場面でどもりたくないと悩むどもる人たちはとても多いのです。その人に「ゆっくり、そっと、やわらかく」言う練習をしても、役に立ちません。普段はちゃんと話している人たちにどんな訓練が必要なのかと私は思います。どこまで、軽減されれば、その人が満足するのかの線引きはありません。軽減すればするほど、あと少し、あと少しと完全を求め、際限がありません。そして、「いつか、完全に治れば」の思いが膨らみ、吃音と共に生きる覚悟ができません。「完全に治らなくても、軽減する」は、とても危険がはらんでいることは、知っておいてほしいことです。
 ことばは生活の中で育つものです。吃音も、ことばに関しては、できるだけ小さな援助にとどめ、ことばの教室で「ゆっくり、そっと、やわらかく」の話し方は教えないでほしいと思います。生活の中で、子どもたちが自然にそれを使っているのと、意図的に教えられて訓練するのとは違います。
 その子の将来に役立つと、吃音のコントロール法を教えることが、実はその人のことばの個性を奪う可能性があります。コントロールできて幸せになる人も、中にはいるかもしれません。でも、すべてがそうではないということは知っておいてほしいと思います。
 私たちは、知らず知らずのうちに母国語を身につけてきました。誰かから特別に訓練をされたわけではありません。人は生活の中で、自分の性格などの条件の中で、自分のことばを育てます。人それぞれが、生活の中で、自分のことばを身につけていくのが、人間の本来の営みです。吃音は、放っておいても、生活の中で話すことから逃げない生活を続けていれば、自然に変わります。たくさんのどもる子どもたちと出会い、たくさんのどもる人たちと出会って、本当にそう思います。
 そのような訓練よりも、その子が困難な状況の中でも生き延びる「レジリエンス」を育てることが、何よりも必要なのではないかと思います。

レジリエンス

 アメリカの心理学者、ウェルナーは、貧困、暴力など劣悪な環境で育った人を長年にわたって調査研究しました。すべての人が貧困や犯罪など大変な生活を送っているだろうと思っていたが、3分の1の人が能力のある信頼できる成人になっていたと報告しました。この人たちのことを「心的外傷となる可能性のあった苦難から新しい力で生き残る能力、回復力がある」として、「レジリエンス」があると言いました。
 2011年3月11日、あの東日本大震災で生き抜いている子どもたちの中にも、レジリエンスがあると私は思います。スクールカウンセラーとして被災地に入った臨床心理士の国重浩一さんは、「世間は、すぐに、心的外傷後ストレス障害と言うけれど、世間が考えるほどには、PTSDに陥る子どもたちは多くはない。自然災害は誰の責任でもない、仕方がないことだと受け止めることができる」と話して下さいました。
 どもる子どもたちを見ていると、確かに生活の中で苦労はあるけれども、それなりに立派に生き延びているなあと、私は思います。
 私はここに、教育の力、教育の大切さを考えます。吃音を否定することで、どのような問題が起こるのか、どんなマイナスの影響を与えるのか、私たち、マイナスの影響を受けた当事者の声を、私は伝えていきたいと思います。それを私は吃音の予防教育だと考えています。吃音になることは予防できないけれど、大きなマイナスの影響を受けないようには予防できるのです。
 私は、どもりが治らないと、軽減されないと、こんな悲劇が起こるとする、吃音否定の物語ではなく、どもりと共に生きていけるという吃音肯定の物語を語っていきたいのです。どもる子どもには脆弱性があり、ストレスに弱いから、今のうちにどもりを治してあげないといけない、軽減してあげるという「脆弱性モデル」ではなくて、この子はこの子なりに力を持って生きていけるという「レジリエンスモデル」で、吃音を考えていく必要があると思います。それには、吃音を否定しないことが何よりも大切なことになります。

当事者研究

 吃音症状の軽減が、自信になり、幸せにつながる人もいるかもしれないけれども、48年間に出会った数千人の人たちは、「まあ、どもってもいいか」と吃音を肯定して生きることで人生が変わってきました。私は子どもと共に「吃音否定の物語」から「吃音肯定の物語」に変えることが、教育の現場であることばの教室でできる最大のことではないかと思います。
 吃音を治す、軽減するは、医療の発想です。私たちは、学校生活の中で苦戦をする子どもたちと、苦戦をしている課題に「当事者研究」の考え方を使って研究を進めます。子どもたちは「当事者研究」と言うと「研究? 研究するの?」と目を輝かせて自分の困っていること、困難に思っていることを研究しようとします。自分の課題のすべてを専門家に丸投げするのではなく、自分自身が主人公になって、自分の課題に取り組むのです。

子どもと何を学ぶか

 子どもと吃音否定から肯定的な物語を語るために、何が必要かを考えます。
 私たちが苦しんだのは、吃音についての正しい情報がなかったからです。どもりは必ず治るとの情報しかなく、治療法があり、治ると思っていました。ところが100年経っても、ゆっくり言うことしか治療法しかない治療の現実を、子どもたちに伝えるべきだと思います。そして、子どもが吃音と共に生きていくのに役立つ知識を学びます。私が、治すことにあきらめがついたのは、吃音に悩みながらも学校の教師や会社の営業職など、話すことの多い仕事に就いて生きている人と出会えたからです。大学生だった私は、どもりながらでも社会人として生きていけるんだと安心しました。
 『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)には、どもる人の仕事のワークがあります。子どもたちは、どもる人がこれだけ多くの仕事に就いていると知ってびっくりします。どもる人がどんな人生を送っているか、知ってほしい。吃音と共に豊かに生きている先輩と出会ってほしい。「どもりを治したい、やっぱりどもっているとだめだよね」という、今吃音に悩んでいる先輩ではなく、どもりながら苦労しながら生きてきた先輩と出会ってほしいと思います。
 吃音親子サマーキャンプで子どもたちが変わっていくのは、先輩の子どもたちが、自分が学校で苦戦しながらも、豊かに生きていることを語るからです。そのことを聞いて学んでいくからです。また、肯定的な物語を語るために、自分のことを語る力、人と対話していく力を身につけてほしい。
 私は、からかいや真似をされることで、みんなは話を聞いてくれないと、他人を信じられずに悩みました。学校のみんなは自分のことを分かってくれない、敵だと思うと、いくら自分がどもっても大丈夫と思っても、音読や発表はできません。

 アドラー心理学で言う共同体感覚は、「私は私のことが好きだ」という自己肯定、「人々は仲間で、信頼できる。中にはからかう子もいるが、基本的には先生も友だちも、私の仲間だ」と思える他者信頼、「私は人の役に立っている能力がある」とする他者貢献の3つから成り立ちます。私は、セルフヘルプグループのリーダーになることで、「伊藤さん、今度の行事、良かったね」と会員が喜んでくれ、自分も人の役に立っていると思えて初めて、他者貢献が、自己肯定になり、他者信頼へと循環していきました。自己肯定感だけを育てようと思っても無理です。他者貢献、他者信頼があって初めて実現します。共同体感覚を育成するために、学校生活の中で、クラスの中で、その子がどんな役割を持つのかを通常学級の先生とことばの教室の先生と一緒に考えてほしい。そして、劣等コンプレックスに陥らないようにしてほしい。
 人が生きていく上で、劣等感があるのは当たり前で、劣等感があっても、「どもりだから~できない」と、課題から逃げる人生、劣等コンプレックスに陥らないためにも、共同体感覚の育成が必要だと思います。

氷山の水面下への取り組み

 アメリカ言語病理学は、氷山の上の部分だけに取り組んでいます。吃音受容のことばは使うけれども、実際の取り組みは、「ゆっくり、そっと、やわらかく」の流暢性促進技法のアプローチです。吃音は、日常生活を大切に、人を大切に、自分を大切に生きていけば、自然に変わります。どもらない方向にも、どもる方向にも変わります。
 小学4年生からサマーキャンプに参加し、あまりどもらないままに高校3年生で卒業した子が、大学2年生になってかなりどもるようになり、周りが心配しました。でも、彼女は、どもる覚悟、自己概念がしっかりしていたために、接客のアルバイトをしながら、大学を卒業し、薬剤師として、大きな病院で働いています。吃音も3年ほどで元の状態に戻りました。
 アメリカ言語病理学は、放っておいても変わる吃音症状に取り組むものの、放っておいたら変わらない氷山の下の部分の、行動・思考・感情への取り組みをしません。私たちは、吃音を否定することから起こる、氷山の水面下の課題にアプローチするために、認知行動療法、アサーティヴ・トレーニング、論理療法など、たくさんのことを学んでいます。吃音に絡めたそれらの本を出版しています。興味がもてたら、お読み下さい。

おわりに

 教育評論家の芹沢俊介さんが、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)で私が書いた文を、「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介して下さったのを最後にお伝えします。

 「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てた時、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」〈大会報告集より〉 (了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/04

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