“I Stutter.So,What?!”「どもるけど、それがどうしたの?」~第7回国際吃音連盟総会ならびに第10回世界大会参加報告~
「スタタリング・ナウ」2013.8.20 NO.228 で報告しているオランダでの第10回世界大会の様子を紹介します。この大会で、デイビッド・ミッチェルさんと出会い、話しています。自分と自分の吃音との関係を「内戦」という言葉を使って説明していたのが印象的でした。大会のスローガンというか、メインのメッセージとして掲げられていた”I Stutter.So,What?!”「どもるけど、それがどうしたの?」は、日本に戻ってきてからも、よく口にしていました。どもることは何でもないこと、ただどもっているだけのこと、何の問題もないこと、そう思えたら、生きやすくなりそうです。
”I Stutter.So,What?!”「どもるけど、それがどうしたの?」
~第7回国際吃音連盟総会ならびに第10回世界大会参加報告~
川崎益彦(大阪スタタリングプロジェクト・日本吃音臨床研究会)
●6月7日
2013年6月7日10時20分、伊藤伸二さん、通訳・翻訳として、日本吃音臨床研究会・国際部長の進士和恵さん、どもる人のセルフヘルプグループである、大阪スタタリングプロジェクトの松本進さん、徳田和史さん、僕の5人が第7回国際吃音連盟総会ならびに第10回世界大会に出席するため、関西国際空港よりオランダへ出発した。
時差の関係で同じ日の14時40分、アムステルダム、スキポール空港に到着。電車でアムステルダムサウスへ向かったが、一人3ユーロ払った。一駅しか乗らないのに約400円かかるので、高くて驚いた。最終日に分かったことだが、窓口ではなく券売機で切符を購入すると、2ユーロ50セント。日本では銀行は窓口とATMの手数料が違うことは一般に知られているが、オランダでは電車の手数料も違うことを初めて知った。
ホテルにチェックイン後、ガイドブックとスマホを片手にアムステルダムの街を散策。オランダは自転車の街として有名だが確かにその通りで、車や歩行者より自転車が優先なので、歩いていて自転車が一番怖い。また、アムステルダムの中心部では運河が縦横に通っているので、舟が多く、多くの人々が交通の足として舟を利用している。
ツーリストインフォメーションを探してライチェ広場へ行った。土曜日ということもあってすごい人出だった。結局ツーリストインフォメーションは閉まっていて、そこのレストランで夕食にオランダ料理を食べた。思ったより美味しい。
食後、散歩していたら、偶然アンネ・フランクの像があり、すぐ隣のアンネ・フランクの家を見た。ただし見学は9時までだったので残念ながら中には入れなかった。
●6月8日
ホテルでの朝食後、アムステルダムで最も楽しみにしていた「運河クルーズ」を体験しに、タクシーで乗船場に向かった。チケットは一人15ユーロ。快晴の中、運河クルーズは素晴らしく、1時間15分のクルーズを満喫した。
終わってからヴァン・ゴッホ美術館へ。美術館見学後、世界最高のコンサートホールと言われるアムステルダム・コンセルト・ヘボウへ。この旅行の日程で、唯一コンサートを聴く時間がとれるのが6月14日だけなので、その日の上演プログラムとチケット状況を聞きに行った。偶然その日はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートで、幸運なことにチケットもまだ少し残っていた。ちなみに今年ll月ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が来日(東京公演のみ)し、S席は3万円する。それが、40ユーロ50セント(5200円)。最高のホールで、最高の管弦楽団の演奏を聴けたのはラッキーだった。
夕方、ホテルに預けていた荷物を受け取って、アムステルダムサウス駅からアーマーズフォート駅で乗り換えて目的地のルンテレンへ。アーマーズフォートでの乗り換えは問題なかったが、乗り換えた電車の車内の行先表示モニターが間違っていたために、ルンテレンに着かないのではと混乱。乗客に聞いてもルンテレンに停まらないという。結局心配をよそに電車は時間通りルンテレンに到着した。
駅に降りると、完全な無人駅。絵本に出てくるような美しく小さな駅だが、吃音の世界大会の表示も、シャトルバスもまったくなかった。大会会長のオランダ人女性のマーシャにフェイスブックで連絡し、40分待ってようやく迎えに来てもらった。タクシーの運転手だと思っていたおじさんは、実はマーシャのお父さんだった。
会場に到着したら、すでにISA前会長のマーク・アーウィン(オーストラリア)、今回会長になった、キース・ボス(イギリス)、言語病理学者・デビッド・シャピロ(アメリカ)、アニタ・ブロム(スウェーデン)など、国際吃音連盟(ISA)の中心メンバーがそろっていて再会を喜んだ。
これから6連泊する部屋の中はシンプルそのもので、電話も冷蔵庫もない。風呂はなくシャワーだけ。パソコンもフロント横に1台置いているだけ。しかしさすがにヨーロッパで、wi-fiは整っているので、施設内ではスマホやタブレットのネット接続は快適だった。
40分ほど歩いて行ったレトランから帰ってきた夜11時過ぎに、マーク・アーウインが、6年前にシーアンの吃音氷山説の水面下の部分について、伊藤さんと激しく対立した論議、SSS(吃音シンドローム)について話したいと言ってきた。
吃音の問題が吃音の症状だけでなく、水面下の吃音の影響を受けた行動、思考、感情にあることは共通なのだが、それを吃音シンドロームと名づけ、それを治療できない言語聴覚士は、国際吃音連盟としては認めないとする採択をしようとマーク・アーウィンは提案した。伊藤さんは、水面下の問題は、吃音に悩む人なら、誰しもが陥ることで、病的なものではない。それは、治療ではなく、セルフヘルプグループでこそ取り組める問題だと、「吃音シンドローム」と名づけることに反対したのだった。
ところが、伊藤さんの基調講演、僕のワークショップの内容を読んで、マークの主張する氷山の下の部分の考え方がほとんど一致していると主張し、ほんのわずかの違いなので、この大会中にお互い見解をすり合わせないかと言ってきた。彼はまだ、吃音シンドロームにこだわっていたのだ。
●6月9日
第7回国際吃音連盟(ISA)総会は35人ほどが参加。投票権をもつメンバーは前列に座る。伊藤さんと進士さんは前列で、僕は離れて座った。6年間ISA会長を務めたマイケル・シュガーマンの司会進行で、ハーマンの会計報告、アメリカのセルフヘルプグループであるナショナル・スタタリング・アソシエイション(NSA)による、2016年第11回世界大会のカリフォルニア招致のプレゼンテーションがあった。他に立候補する開催地もなく、次回世界大会はアメリカに決定。
次に国際流暢性学会(IFA)会長の言語病理学者、デビッド・シャピロ博士から、ISAとIFAの大会の共同開催の提案があった。シャピロ博士は昨年のIFAフランス大会で会長に就任していた。
”Shedding Light on Fluency Disorder around the world”(世界の流暢性障害に光を当てる)を目的に、IFAとISA、ICA(クラッタリング、早口症)の大会を同時に開催してはどうかという提案があった。そうすることで、臨床家たちの大会への参加費用が安くでき、臨床家、どもる人、早口症の交流ができるので大きなメリットがあるという提案だ。もし3年後に実現すると、ISAは第11回、IFAは第8回、ICAは第3回となる。
シャピロ博士は説明の中で、どもる人たちのことを「コンシューマー(消費者)」と呼んでいた。数人のメンバーが共同開催について賛成意見を述べたが、僕は違和感を持った。僕の持った違和感とは、どもる人が「カモネギ」になるのではないかという懸念だ。世界中どこでも臨床家たちはどもる僕たちのことを「治療の対象」すなわち「消費者」と考える。しかし僕は自分自身のことを「治療の対象」とは考えないし、ましてや消費者ではない。流暢性を求めるのではなく、どもったまま言いたい事を言う権利、どもったまま生きる権利がなくてはならない。そこで僕はシャピロに発言を求め、自分の考えを次のように言った。
「ISAとIFAの大会を同時に開催するという考えは悪くない。しかし、その目的が臨床家が患者を探すといったマーケットの場、セラピーの広告の場、ビジネスモデルになるのであれば反対だ。しかし、臨床家がどもる人の声、意見を聞く場であれば、大いに賛成である」
この発言に対して、会場からは拍手まではなかったが、数人の人が賛成の態度を表明してくれて、会議の雰囲気が変わった。アニタの発言の後、伊藤さんが次のように発言した。
「ISAとIFAの大会の同時開催には基本的に賛成だが、当面は、全日程を共同で開催するのではなく、会場、日程を調整する。たとえば、同じ会場で、初めの3日をIFAを、4日目を共同開催、5日めからがISAの独自の大会にする。そうすると、ISA参加のどもる人の中で、専門家の大会に参加したい人はIFAにも参加でき、IFAの参加の臨床家で、どもる人の大会であるISAに関心を持つ人は、ISAにも参加できる。そうすれば、それぞれの独自性を保ちつつ、互いの経験、臨床を学び合うことができる。まずそのような開催で、共同開催のメリット、デメリットを検討して、今後のことは考えてはどうか」
伊藤さんの考えは、ISAの独自性を守るということである。シャピロも関心を示していた。会議が終わってから一人の臨床家が僕のところに来て、消費者と言われたくなければ消費者は使わないことや、クラッタリングについて説明してくれた。
会議終了後にアニタと話したが、アニタも僕と同意見で、もしISAとIFAが一緒に大会を開催すれば、IFAがISAを食べてしまうだろうという表現で、心配していた。
帰国後、シャピロからISAとIFA委員会の全員にメールが来たが、その中で彼は「消費者」と書かずに「どもる人」と書いていた。そして、カッコ書きで僕の名前と「ありがとう」を書き添えていた。
世界の人々に吃音についての理解を広めるために、インターネット上で一定期間議論をする「国際吃音デー(ISAD)」については、ISADを長年支えてきたジュディ・カスターが引退したため、マイケル・シュガーマンがその役割を引き継ぐことになった。
いよいよ新理事の選出である。会議が始まる前から、前会長のマイケル・シュガーマンや、現理事のキース・ボスが僕のところに来て、理事に立候補するようにしきりに勧めた。僕は9年前のオーストラリア大会で初めて理事に選ばれクロアチアで再選し、前回のアルゼンチン大会まで計7年間ISA理事を務めた。やっと2年前に辞めることができ、ISA理事の大変さを知っているので自分自身理事になることは夢にも考えていなかった。しかし、伊藤さんと進士さんが強くすすめたこともあって、気持ちが揺らいできた。
先ほどのISAとIFAとの関係や、すでに立候補を表明しているメンバーの出身国がアメリカ、イギリス、ドイツ、オランダとヨーロッパ・アメリカ圏だけなので、国際機関であるべきISAがこれではいけないと思ったのと、人種や考え方の多様性が必要だと考えたので、結局自分から新理事に手を挙げた。その結果、定員9名に8名の立候補だったため、投票もなく次の8名に決定した。
Keith Boss(イギリス)、Maartje Borghuis(オランダ)、Bert Bast(オランダ)、Gerald Maguire(アメリカ)、Harry Dhillon(イギリス)、AnjaHerde(ドイツ)、David Resnick(アメリカ)、川﨑益彦(日本)
新理事に選ばれた者は順に就任のあいさつをした。その中で僕は次のような内容を話した。
「僕が日本吃音臨床研究会(JSP)に入ったのは17年前で、その時は僕のどもる症状は比較的軽いのに、人前で話すことや特に電話がとても怖く、仕事でもどもりが大きな問題だった。その原因は、僕がどもりを完全に隠していたからだ。僕はどもることができなかった。それがJSPに入ってから僕はどもれるようになった。どもりの問題の中で、特に症状が軽いどもる人のケースに多いのは、どもれないことだ。今僕はどもれるようになったので、どもりながら何でもできるようになった。どもったときの恥ずかしさは少しだけあるが、仕事や生活での支障は全くない」
休憩時間に新理事は別室に集まり、会長、副会長、事務局長の三役を決めた。その中で僕が「英語が苦手だから」と言い訳したら、すかさず他の理事から「プラクティス(練習しろ)」と返ってきた。確かにその通りで、甘くない事がよく分かった。話し合いの結果、会長は全員一致で、イギリスのキース・ボスに決定したが、その他は後日ネット上でスカイプなどを使って決めることにした。
休憩のときにスウェーデン出身のアニタと話したが、彼女はヨーロッパ吃音連盟(ELSA)の活動の中で、スカイプを使って世界中の人に言語訓練をしていると話していた。その訓練とはどもってでも話す「3分間スピーチ」で、流暢性は求めない。今回の世界大会で最初に驚いたのが、外国人は治療やコントロールばかり求めていると思っていたが、そうではなく、治らない、完全にはコントロールできないという現実を認めて、どもりながらでも話す努力をしているということだ。
6時の夕食の後、8時からパーティーに参加した。世界中から集まった久しぶりに会う仲間や初めて会う仲間と、会話を楽しんだ。どもりでなければ絶対に会うことのなかった仲間。どもりという共通点だけで、親しみを感じる。会話は果てしなく広がっていき、とても楽しい時間を過ごした。
●6月10日
いよいよ第10回世界大会が始まった。まずは大会会長であるマーシャのあいさつ。若いのに実に落ち着いているように見えたが、実は緊張のためにいつもよりどもっている様子。自分の子どもの時からの写真を交えながら、参加者やスタッフ、両親に感謝を述べるスピーチが素晴らしかった。
続いて、今回大会を引き受けた、オランダのセルフヘルプグループ、「デモステネス」の創始者のあいさつがあった。1966年に会ができた当初は吃音治療が目的だったが、1970年代に吃音理解が目的になったらしい。
最初の基調講演は研究者のPhd.マリー・クリスティン・フランケン。内容は幼児吃音の臨床で使われるDCモデルとリッカムプログラムの比較で、結果は両者とも早期介入の成果は大きく、症状は急激に減るとのこと。面白かったのは、何もしなくても自然に吃症状が減っていくデータもあり、自然治癒は年数はかかるにせよ、落ち着くレベルは、ふたつの治療と同じだった。
基調講演の会場の前に、小さなブースがあって吃音に関する本が並んでいた。売っているのは若い素敵な女性。話をすると、なんとスタタリング・ファンデーションの会長であるジェーン・フレイザー(マルコム・フレイザーの妻)の娘だった。本を数冊買い、全員一緒に記念撮影。その写真はすぐにスタタリング・ファンデーションのフェイスブックに掲載されていた。
午後の基調講演は「タイムズ誌が選ぶ世界に影響を与える100人」に選ばれた、小説家・デビッド・ミッチェル。第三作『Cloud Atlas』はブッカー賞にノミネートされ、100万冊以上を売り上げた。2006年の『Black Swan Greent』は13歳のどもる少年が主人公の半自伝的小説で、イギリスの言語療法の教育課程で広く使われている。
夕食時、先ほどのミッチェルが伊藤さんのところに日本語で話しかけてきた。伊藤さんの基調講演の要約を読んで共感し、是非話したいと探して、話しかけてくれたのだ。
夕食後、改めて1時間半ミッチェルと話し合った。ミッチェルは、広島で英語教師として8年暮らした経験や、これは秘密だけど、とプライベートな話もしてくれた。とても楽しそうだった。
1時間ほど経ったとき、僕が「どもりでよかったことは?」と質問したら、とても丁寧にことばを選びながら答えてくれた。以前だったらどもりを治す薬があればすぐに飲んだが、今は絶対に飲まないとのこと。どもりは小説家の自分にとって贈り物だとまで言っていたのが印象に残っている。
●6月11日
朝、フロント横のパソコンでメールをチェックしていたら、マーク・アーウィンに声をかけられて、シャピロ、ジョン・ステグルス、ステファン、マーシャなど一緒に食事をした。
食事中、シャピロに、3年後のカリフォルニア大会で、ISAとIFAが共同開催する可能性があるかを尋ねたら、多分ないだろうとのことだった。
理由は、世界大会を主催する、セルフヘルプグループのNSAがあまりにも巨大で、うまくいかないからと言っていた。帰国後NSAのホームページを見たら、一昨年のNSA全国大会で800人も参加していた。
マークと二人になったので僕から、吃音氷山説の水面下の問題として、マークが言う、吃音シンドロームを話題にした。マークは、「吃音とは水面上に現れている症状だけでなく水面下も含めて吃音だ」と主張し、その点は一致した。以前マークは水面下を治療対象と見ていたので僕は、「逃げてもいいし、怖いと思ってもいいので水面下は治療対象ではない、水面下を全くなくす必要はない」と主張すると、マークも同意した。そして、シンドロームということばに違和感を感じると言ったら、マークはニュアンスの差もあるだろうとのことだった。
僕とマークは症状面でよく似ている。二人とも症状は軽いが悩みはとても大きかった。後でアニタと吃音シンドロームについて話した時、アニタが面白いことを言っていた。もし就職の面接のときに「私はどもります」と言ったら採用になるだろうが、「私には吃音シンドロームがあります」といったら採用担当者は不安で雇ってくれないだろうと話していた。とても分かりやすい話なので、今度マークとこのことで話すことがあれば、この例を使おうと思う。
9時からシャピロの基調講演。「吃音のタブーを破る」をテーマに講演した。講演の導入部分はユーモアたっぷりだった。
いくつかのワークショップに参加した後、12時45分からソーシャル・アクティビティ(半日観光)に出発。3台のバスに分乗してデ・ホーフ・フェルウェ国立公園へ行った。食事の時間がなかったのでランチパックをバスの中で食べていたら「ダメ」と言われ、結局クレラー・ミュラー美術館の前で立ったまま昼食。2班に分かれて僕たちは最初にクレラー・ミュラー美術館を見学した。アムステルダムのゴッホ美術館に続く世界有数のゴッホコレクションが有名で、他にもピカソなど素晴らしい作品が多数あって驚いた。
その後自転車で公園内をサイクリング。自転車がオランダ人サイズで、日本人には足が届かない。また僕の乗った自転車はハンドルにブレーキがなくて、ペダルを逆に回すとブレーキがかかるタイプだった。足がつかないので転んだり、大の大人が自転車で大騒ぎだった。
1時間ほどのサイクリングを楽しんで、再び美術館に戻った。さきほど見なかった野外彫刻庭園を見学。やかましいほどの鳥のさえずりが聞こえる中で、広大な庭園の中に配置された彫刻をゆったりと見て回るのは最高の時間だ。自転車を所定の場所に返しに行く時、世界中のどもる人のツーリングは、滅多にない光景だろうと思った。
会場に戻ってからキースに頼んで、初回理事会を開催してもらった。5人集まり、短い時間だが自己紹介に充てた。やはり一人ずつ、自分のことばで自分のことを語ってもらわないと、相手のことは分からない。その後大会主催者のマーシャとリチャードから昨晩も誘われていたカラオケへ行った。日本のカラオケと全然違い、洋楽でもスタンダードな曲がない。あってもダンス用に編曲しているのでとても歌えない。しばらくしてオランダの若者を中心とするメンバーが集まり、大いに盛り上がった。僕を含む年配のメンバーは、若者が騒ぐのを見てるだけだった。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/11/03





