〈NPO法人・全国ことばを育む会発行〉両親指導手引き書41     吃音とともに豊かに生きる                 著者:伊藤伸二  定価400円 装丁A5版55ページ

 10月25・26日は、第8回新・吃音ショートコースでした。
 2015年11月、各分野の第一人者をゲストにお招きしての吃音ショートコースは21回で終わり、2017年から新・吃音ショートコースとして、ゲストなしで、参加者同士が語り合う形に変えました。参加人数は多くはありませんが、ゆったりとした時間の流れの中で、ひとりひとりの人生に耳を傾け、テーマに沿って話し合い、話し合ってみたいとのリクエストに応えてみんなで話し合い、気づきを伝え合うという、なんとも贅沢な2日間を過ごしました。千葉や愛媛からも参加がありました。印象に残ったことを、このブログで紹介したいと思いますが、まずは、前回の続きです。これで感想特集は、終わりです。

  親子で歩む~どもっている自分を理解した上で~
                            斎木夏子(広島在住)
 小学校2年生のときが初参加。以来、広島から3回連続して吃音親子サマーキャンプに参加している斎木夏子さんからパンフレットを速達で送ってほしいとの連絡がありました。家庭訪問が近いので担任に渡したいという理由が添えられていました。後日、保護者の生の声を聞かせていただきたいと、斎木さんにいくつか質問をしました。

◇このパンフレットのことをどうして知ったか
 「どもり」について子どもと確認したり、全国でどのような講演会やワークショップが開催されているのかを確認するために、日本吃音臨床研究会のホームページをまめにチェックしています。その中で、「吃音とともに豊かに生きる」が発行されるということを知りました。

◇担任の先生になぜ読んでもらおうと思ったのか
 これまでの担任の先生にも、私自身が伊藤さんの著書を読んで理解した「どもり」についてや、これまでの子どものどもりの様子から見て感じたどもりの波について次のようなことをお伝えしてきました。
・訓練したからといって治るものではないこと
・どもりには、その子自身の波があり、必ずしも家や学校で何かあったからどもりが強く出るわけではないこと(うちの子は自分でもいいますが、春よりも冬のほうがどもりが強く出るようです)
・どもりがあっても、自分らしく生きていけるようにと考えていて、治すことやどもる機会を減少させるために時間を費やそうとは考えていない事。そのためにはまずはどもりというものを、親子でしっかり理解し、向き合わなければいけないので、どもりと向き合う機会があれば、参加していること(キャンプの事です)
・友達からのどもりへの言及は、「自分と違うことに対する純粋な疑問」と「からかい」があって、知ってもらい、理解してもらえる友達を増やすためにも純粋な疑問には自分なりにこたえてみようと話し合っていること

 以上を4年間伝えてきました。しかしながら、一年間の中で家庭訪問、個人面談と何回か口頭でこれを伝えても、どもりが強く出る時期には、「家で何かありましたか?」と先生から連絡があったり、新しい環境に入る春よりも冬の方がどもりが強く出ることについて疑問を呈されたり、本人や私にも理由がわからないことについて、連絡があることがしばしばありました。ですので、「文字」として読んでいただいて、先生に少しでも理解を深めてほしいと考えた次第です。

◇新学年になってからの悠士の様子について
 今年は、クラス替えの年でしたが、2年前のクラス替えに比べるととても落ち着いていました。2年生からソフトボール部に所属して、悠士のどもりを理解する仲間が増えていることや、特に1、2、3年生の時の担任の先生が、「どもり」を個性としてとらえ、悠士が音読や発表のときにどもっても、「待つことのできる」クラスづくりをしてくれたことが、1学年3クラスしかない悠士の小学校におけるクラス替えについての、どもりによる新学期の不安を軽減したように思います。
 悠士は今のところ、学校代表の挨拶や、学級委員、運動会の応援団など、積極的に手をあげ、先生からもその積極性をほめていただくことが多い子どもに成長しました。もちろん、それぞれの本番前には、家で頻繁にどもることへの不安を口にしますが、毎回役目を終えても次また手を挙げて挨拶を勝ち取ってくるところをみると、どもっても、待ってくれる友達の存在が彼に自信を与えていることを、実感します。
 本人もどもりについて聞かれたら、自分なりにこたえる努力をしているようですし、どもっている自分を理解したうえでのクラス内での立ち位置の確保に努めているように感じますから、1年~3年生までの、涙をたくさん流したことを振り返ると、先生だけでなく、本人の努力に尊敬の意を表したいです。

◇速達で申し込んだこと
 ホームページ上で、「吃音とともに豊かに生きる」の目次を拝見しましたとき、「通級の学級の先生へ」という章があることを目にし、これは是非担任になった先生に見てほしいと思いました。家庭訪問が目前に迫っていましたので、速達で送っていただきました次第です。

◇届いてみたときの印象
 たくさんの子どもたちをみなければいけない先生に、悠士のための文章を読む時間をさいていただくので、その読みやすさが一番の心配でした。ですので、届いてすぐ、「通常の学級の先生へ」を読みました。字の大きさも適当で、端的にどもりについて書かれていて、とても読みやすく、先生にも読んでくださいと渡しやすいと思いました。

◇自分が読んだ時の感想
 伊藤さんの著書は何冊も拝読していますが、今回読ませていただいて、子どもの成長に伴って、自分が注視するページに変化があることを感じました。初めて伊藤さんの本を読ませていただいたのは、子どもが幼稚園の年長の時でした。その時は、子ども自身がどう対処するかということは難しい時期でしたので、親としての心構えや対処法について真剣に読んだことを覚えています。今や子どもも5年生になり、思春期の入り口に立つ年齢となりました。ですので、22ページから始まる「子どもと対話する」、この章を非常に興味深く読みました。
 特に、子どもが吃音の悩みや困ったことを話してきたときに、「どういうことがあったのか」(事実確認)→「どう考えたか」(思考)→「どう感じたか」(感情)→「どうしたかったのか」(意図)→「そうなるとどうなると思うか」(結末の予測)→「これからどうなればいいと思うか」(解決目標)という形で、整理しながら話していくという過程について、これまでの私たちが「どう感じたか」まででストップしていたことや、そろそろそれ以降のステップを踏める時期に来ていることに気づかされました。今後心に留めて子どもと話をしていきたいと思います。

◇担任の先生について
 家庭訪問で先生に渡そうと、張り切ってコピーをとって待っておりましたが、家庭訪問の順番が真ん中だった我が家に先生が来られたのは、予定時間から1時間遅れてのことでした。ですので、あまり先生ともゆっくり話ができず、新しいクラスでの様子や、どもりについての考え方、これまでの事をそれぞれ簡単に触れるのが精いっぱいで、コピーを渡して読んでくださいというところまでいきませんでした。ですので、夏休み前の個人懇談でこのコピーを渡すつもりです。

 担任の先生がこのパンフレットをどう受け止められたのか、お聞きしたかったのですが、残念ながらそのチャンスがなかったということでした。次回にぜひと思っています。

  パートナー
                        田辺正恵(岡山県在住)
 自分の今までの人生において、一番ながくつき合ってきたのは、吃音だ。もの心ついた時には、どもっていた。幼いながらも、自分が他人とは決定的に違うのだと認識させられた。これほど影響を受けた存在は他にはいない。どもったり、息ができないぐらい詰まったりしながら、50年ちかく共に生きてきて、パートナーと言っても良いぐらいの存在なのに、私は吃音というものについて、よく分からず生きてきた。心ならずもではあるにせよ、いつでも一緒にいたし、私に吃音者であることを片時も忘れさせなかった、その存在感は他を圧する。こんなに大事なパートナーなのに、吃音に関する私の知識は、なんとなくぼんやりとしたものだった。
 自分が吃音者であることが一番つらかった小、中学生時代に知っていたのは「しゃべる前に大きく息を吸い込む」「話すことを事前に考えておく。考えながらしゃべるのは吃音者には無理」「本読みを暗記するぐらい練習する」「吃音を気にせず、しゃべる」などだった。この当時、実践してすべて失敗した。大きく息を吸っても、事前に考えてしゃべっても、暗記した本読みも、ことごとく、どもった。吃音が悩みの吃音者に、吃音を気にせずしゃべるのは不可能だ。今考えると、不思議な吃音対処法だが、40年数年ほど前の田舎の子どもには、こんな知識しか届いていなかった。他には「催眠術で治す」「拝んで治す」などのかなり怪しい矯正方法があった。私は一度拝んでもらったが、吃音はびくともしなかった。
 吃音が原因でいじめられ、自殺を考えていた小、中学生の頃は、私が一番吃音を知りたかった時期でもあった。私は吃音について、何も知らないも同然だった。私が欲しかったのは、正しい知識だった。本当のことを知りたかった。その当時、吃音は頑張って、努力すれば、治ると言われていた。吃音は治すべきもの、そして治せるものだった。吃音者は、ずっと頑張って努力しなくてはならなかった。どんなに頑張っても、どもり続けるのだが、弱音を吐くことは許されなかった。自分でも、吃音は治らないのではないか?と思ってはいても、それは考えてはいけないことだった。この「吃音を治す」と対極にあったのが「吃音を気にせずしゃべる」だった。吃音に負けない強い人間になれという精神論というか根性論だった。吃音は治すべきもので、どもってはいけない、だが吃音を気にしない強い人間にもならなくてはいけなくて、どちらもできず、どもってそれを気にする弱い私は、最低の人間だった。
 親の会発行のパンフレト『吃音とともに豊かに生きる』を手にとって、私は、あの頃の自分に読ませたかったと痛切に思う。表紙の「あなたはあなたのままでいい」を子どもの頃の自分に言ってやりたい。吃音を肯定して生きる生き方、この素晴らしい考え方を、あの劣等感一杯の私に教えてやりたい。タイムマシーンがあって、あの頃に行くことができたら、この本を手渡してやりたい。「どもっていいんだよ」そう言いたい。
 悲しいことに、タイムマシーンはSF世界のものだ。私は過去に行くことができない。つらい時期の自分に手渡せない本を、今の私が読んでいる。正しい知識を得て、私は吃音を嫌いではなくなった。吃音者の自分を好きになれる。吃音はこれからも、ずっと一緒に生きていく私の大切なパートナーだ。

  多くの共感をもって
                       元生活の発見会理事長・大谷鈴代
 このたびは、「吃音とともに豊に生きる」をご恵贈いただきありがとうございました。
 タイトル通り、吃音を持ちながらいかに豊かな人生を送のるかが、ぎっしり詰まった素晴らしい冊子ですね。
 神経症に悩み、森田療法と、自助グループ「生活の発見会」の仲間とともに、神経症を乗り越えた体験を、重ね合わせて読ませていただきました。これだけ内容の充実した冊子が完成したのは、伊藤さんが児童期から吃音に悩み苦しまれ、数々治すための努力をしてこられた結果、それらの体験をもとに研鑽を積まれ、治るとはどういうことかを体得されて、心から悩む人たちの立場に立って、執筆された賜物だと思います。
 私が吃音に悩む子どもを持つ親の立場にあって、この本に出会ったら、明るい光がさし、生きていく道筋が見えてきたことに、ほっとすると思います。そして、座右の銘として子どもに接していくでしょう。
 自分にとって、不都合と思われることは、何とか排除したい、治したいと考えるのは、人情ですが、私たち神経質者は、森田療法理論を学ぶことによって、神経症は、治すものではないという、基本的なことから考え方を変えていくことに気づき、生活の仕方を変える。それが、治るとはどういうことか、伊藤さんの「治すことの否定」に繋がり、すっと入ってきます。
 森田先生が、患者さんに「神経症が治ったから人生観が変わったのではなく、人生観が変わったから神経症が治ったのだ」という有名な話があります。ここが大切なポイントだと思います。
 はじめ、吃音に悩んでいる方は、治す努力を否定することへの戸惑いは大きいと思います。
 生活の発見会を訪れる方の中にも、治すために門をたたいたのに、症状はそのままにして、あなたのやるべきことをやりなさい。と言われて、「なぜ治らないの?」「治せないの?」と抵抗されることもあります。
 繰り返しくりかえし、学び行動していくうちに、自分が本当はどう生きたいのか、少しずつ気づいていくのです。神経症を治すことが人生の目的ではないことに気づいた時、症状は影をひそめ、生き生きした人生に変化していくのです。
 伊藤さんの「あとがき」に、『日本には受け入れる文化がある』と書いておられますが、まさにその通りで、多くの共感をもって読ませていただきました。
 「吃音とともに豊かに生きる」が悩んでいる方は勿論、関心をお持ちの多くの方々がお読みになることを、お奨めします。
【パンフレットをお読みいただいた、元生活の発見会理事長の大谷さんからおたよりをいただきました。了解を得て、ご紹介しました】

☆両親指導の手引書41「吃音とともに豊かに生きる」をご希墾の方は、下記の要領でお申し込み下さい。
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〒572-0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1-2-1526

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/27

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