〈NPO法人・全国ことばを育む会発行〉両親指導手引き書41吃音とともに豊かに生きる 著者:伊藤伸二 定価 500円 装丁 A5版55ページ
2013年、小さなパンフレットが完成しました。一貫して吃音肯定の立場に立ちきり、それを前提とした取り組みを具体的に提示しています。両親のための手引き書とありますが、ことばの教室の担当者や通常の学級の先生への応援歌でもあり、また、どもる大人が読んでも充分役立つものです。
パンフレットが完成して1ヶ月。NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトに集う、どもる大人が読みました。パンフレットに流れる思想は、大阪吃音教室で毎週行っているミーティングと共通しています。どもる大人がパンフレットを読んだ感想を特集した、「スタタリング・ナウ」2013.5.20 NO.225 を紹介します。
どもるのは誰のせいでもない
東野晃之(団体職員 56歳)
どもらない人に、吃音をわかってもらうのは難しい。どもる体験がないから知り得た情報と知識によることになる。残念ながら、今なお吃音は治る、治すべきものという前提で吃音をとらえる人が多数派である。その状況に一石を投じ、吃音は治らないと考える方が現実的であり、治すべきものではないという基本前提に立ち、話しことばの特徴として吃音を肯定して生きるという主張が「吃音とともに豊かに生きる」パンフには貫かれる。
その主張のべースには、どもる当事者としての体験とともに、ほぼ半世紀にわたって携わってきたセルフヘルプグループの活動や吃音親子サマーキャンプ、吃音相談会などでの実践の体験があり、揺るぎない信念とともに迫力が感じられる。
私にとってこのパンフレットを読み解くキーワードは、どもるのは本人のせいでも、親のせいでもない。つまり誰のせいでもないときっぱり言い切っていることだ。IV章通常学級の先生へでは、「どもるのは、子どもの精神力が弱いからでも、努力をしないからでもありません。吃音は、治らない、治せないものと考えてください」と、吃音の理解を求める。吃音の悩みの森をさまよう時、治ることへのあきらめがつかず、改善の努力を自分に課すようになる。だが吃音症状は変動し、とらえどころがなく治らない。どうどう巡りの結末に、精神力の弱さと努力不足を嘆き、落ち込んだ経験を思い出す。どもるのは精神力が弱いからでも、努力不足でもないのだと思えれば、肩の荷を降ろし、どもる自分を責めるような悩み方はしなくなるだろう。
音読の宿題に対して「足が不自由な子に、みんなと一緒に走れとは誰も言わないのに、どもる子には常にみんなと一緒を求められます。本人も、そうしたい、そうしようとがんばるところに苦しさがある~」の指摘はそのことを物語っている。
大阪吃音教室を訪れるどもる人の悩みに、会社での電話応対で社名や自分の名前が出ない、朝礼での発表で経営理念や接遇マニュアルがスムーズに言えないなどがよく話される。何とかことばを出し、対処するためのサバイバルについて皆で話し合い、知恵を出し合う。そのとき、吃音を治さなければならないと吃音否定を前提とするか、吃音を認め、吃音肯定を前提とするかで大きな違いがある。どもる本人の心理面の負荷の度合いや行動の選択肢の幅が全く異なる。
前者は、いろいろな工夫でその場をたとえ上手く切り抜けたとしても、吃音は治すべきものという呪縛は解かれず、また同じような悩みが生じ、吃ることへの不安や恐れはなくならないだろう。
後者の吃音を認め、吃音肯定に立つと不安や恐れが小さくなり、視界が開けるように、サバイバルの方法や知恵を幅広く持てるようになる。どもるのは自分のせいではないと考えることは、吃音肯定の入り口である。吃音の原因がわからず、治療法も確立しない中、どもるのは自分のせいではないと考えるのは、まっとうで、論理的である。それでもなお、吃音を治さなければならないと精神力や努力を強いるのは論理的でなく、非現実的な考え方だろう。
決まりきった接客用語、社名や自分の名前など固有名詞が言えない悩みを考えるとき、誰もが言えることが言えない、どもりという社会の少数派を自覚する。スムーズに言えない、どもるという事実を相手に差し出すこと。自分の弱さを公表するという覚悟と決断、そしてその結果について腹をくくる。サバイバルとはそのようなことではないかと思う。
それはある面でとても厳しく、つらい課題である。同じような課題を持つ仲間がいれば、やはり心強い。そこにセルフヘルプグループの存在意義がある。
親や教師や吃音に関わる人に対して、どもる人が伝えたかったこと、理解してほしかったことがこのパンフには詰まっている。言わば、私たちの代弁者となって伊藤さんが語りかけている。
通常の学級の先生への章では、吃音に悩んだ学生の頃を思い出しながら読んだ。仮にそのときこのパンフが手元にあったとしたらどう活用しただろうか、ふと当時の教師の顔を思い浮かべてみたが、パンフを手渡せたかどうか自信はない。教師との信頼関係もあるがパンフを渡すという行為は、吃音を公表することであり、吃音を隠し、否定していた自分がその勇気を持てたか、どうか、疑問なのだ。だが、当時の新聞、雑誌の広告欄に見られた吃音否定情報一色のなか、「どもるのは本人のせいでも、親のせいでもない」「吃音は治すべきものではない」というこのパンフに出会っていたら、ずいぶん吃音の悩みは違ったものになったように思う。
どもらない人に、吃音をわかってもらうのは難しいが、どもる人が、自分の吃音を否定せず、肯定して生きるのも簡単ではない。人それぞれに体験してきたことや考え方が違うからだ。インターネットの普及で多くの情報が飛び交うこともかえって混乱を呼ぶ。このパンフは、保護者、ことばの教室や通常学級の教師を対象とするが、基本前提の章をはじめ通読すると、成人のどもる人に対しても吃音肯定のメッセージとなっているのがわかる。吃音を治す、コントロールするではなく、吃音を肯定し、吃音とともに豊かに生きることを考えることが現実的であると、様々な体験と事例を上げ説明される。「吃音を治そうとするのをいいかげんにあきらめ、吃音と上手につき合おう」と言われているようでもある。
私には、「どもるのはあなたのせいでも、親のせいでもない。つまり誰のせいでもないのだからもう逃げ隠れしないで覚悟をきめて吃音とともに生きよう」という声に聞こえる。このパンフレットを読み終えた後のずしっとした重たさの余韻はそこにあるようだ。
力強いメッセージと共に、たくさんの勇気が与えられるパンフレット
井上詠治(会社員 38歳)
最初のページ「吃音は自らの努力によってではなく、生活の中で自然に変わる」というのは印象が強かったです。吃音を治すための努力は放棄せよという強いメッセージを感じました。
今まで、吃音が治らないのは努力が足りないからだと思い込んでいる人に、考えを改める機会になるのではないかと思います。
「他の領域から学ぶ」は、独特の発想だと思います。吃音治療のほとんどが症状しか注目していないのに対し、本冊子では様々な視点から吃音を考えることが重要ということが伝わってきます。
保護者へのメッセージはどれも力強く、親を勇気付けるメッセージだと思います。親は、育て方が悪かった、言葉の教え方が悪かったとか、つい自分を責める方向に走ってしまいがちですが、本章では、親のせいでも子どものせいでもないということをズバリ書かれていて、混乱している親が冷静さを取り戻すのではないかと思います。叱ったりすることはどの親でもすることで、冷静に考えればそれが必ず吃音につながるわけではないことが、実に明快に記述されていると思います。
話し方=外見と定義した場合、服装とかの外見であれば簡単に変えることができますが、話し方、すなわち吃音は簡単に変えることができません。ということは、どもる人は外見を簡単に変えることができないということになります。であれば、外見はあきらめて、内面を磨こうよということになります。話し方はダサいけど、話の中身は面白いよ、と言われるようになりたいなと思いました。
「自分以外のどもる子どもと出会う」とあります。僕は、ことばの教室には行ったことがありません。小学生の頃は、自分だけなぜ言葉が詰まるのか、吃音は得体の知れないものでした。
担任の先生もどうしたらいいか分らない感じでした。でも、自分と同じような子どもにそのとき出会えたら、一緒に話し合い共感できたら、その得体の知れない吃音に対して少し不安が和らいだのではないかと思いました。吃音の仲間と出会うのは非常に大事だと思います。特に児童期には。ただし、そこには正しい吃音の知識を持った大人が必ず必要だと思います。
通級の先生に対するメッセージを読んで少し思い出すことがありました。小5のとき、一度だけ「配慮」されたことがあります。校内放送で読み上げる作文に私の作文が選ばれたのですが、読むか読まないかを担任から私に直接相談されました。
私が断ったときの代打の子も一緒でした。結局、私は断って、代打の子が放送を担当することになったのですが、もしこの章を読んでいたらどんな言葉を私にかけていたか、少し思い返していました。ちなみに、その担任はとても一生懸命な良い先生でした。
通級の教師もこの冊子を読んで吃音の知識を深めてもらえば、たくさんの子どもが勇気付けられると思います。
発信していく責任
赤坂多恵子(保険代理店 63歳)
まず、パンフレットを開いて、冒頭の3つに、全てが表現されていると思いました。
治るとはどういうことかは、私も常々思っていた事です。コントロールされた流暢性、私はこれに当てはまるなあと思いました。書いてあるとおり、コントロール出来ない時に声が出なくなる。日頃隠しているので、どもりがばれないかと恐ろしくなる。隠しているので私の周りの人たちは私のどもりは治ったと認識している。そして、治っていなくても、それだけごまかせるのなら何の問題もないのではないかと言う。”普通やん”と言う。普通を装っていて、心の中はバクバクなんですが。なので、どもらないようにごまかしたり、話す事から逃げるって、どもらない人にはキチンと説明しないと理解しにくいようです。
Ⅱ章の保護者のみなさんへは読みやすく、ひとつひとつ納得しながら読み進みました。〝親の課題、子の課題””~親自身が安心し楽になる為にいろいろと言うのです。”はどもりを切り離しても、子どもをもつ親として考えさせられます。
Ⅲ章のことばの教室の先生への中に、わざわざ他人から、面白くもない流暢性促進技法を教えられ、訓練される必要はないのです、とありますが、同感です。人それぞれに技法を編み出し試行錯誤で実践していきます。でもそれは自分に合ったやりかたで、他人には当てはまらない。自らの力で間を取ったり、少しゆっくり話そうとしたり、自分自身で修正していきます。ほんとにそうです。
「どんな手を使っても、人と関わり、自分のしたい、しなければならないことをするために話していくのです」のところで私は、胸がいっぱい、目には涙がいっぱいになりました。時には逃げたり、時には立ち向かったり試行錯誤で頑張ってきた自分を思い出しました。最後の「自分自身でなくても、大人の助けを借りて、自分の環境を自分で変えた実績になります」にある、助けてと言える人は強い人だと思います。
世間の人は緊張するから、あわてるからどもると思っている人が多くいるので、どもる子どもを理解するの項目は有難く読みました。私もリラックスした方がどもります。
足が不自由な子に、みんなと一緒に走れとは誰も言わないのに、どもる子には常に一緒を求められるとありますが、それはどもりは治ると思われているからでしょうか。どもる私たちは私たちの思いを発信していく責任があると再度思いました。「治める」は、私もしっくり来ました。
どもる人、どもらない人、多くの人にこの冊子は何度も何度も繰り返し読んでいただきたいです。
吃音は教養である
川崎益彦(会社役員 55歳)
2013年5月10日の大阪吃音教室の講座は「1分間スピーチ」だった。スピーチのテーマは「自分の吃音に言いたいこと」。30人ほどの参加者が順に吃音に対する自分の思いをスピーチしたが、驚いたことに半数ほどの人が「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。本来なら消えてなくなって欲しい吃音。僕に限らずほぼすべての人が、どもる自分の不幸を嘆き、どもりを恨み、吃音さえなければ自分はもっと活躍できたのに、幸せになれたのにと思い続けてきたことだろう。その憎むべき吃音に「ありがとう」という。これは一体なにがどうなっているのだろうか。
どもり始めたのがいつかにかかわらず、どもって嫌な体験を繰り返すと、人間の脳はネガティブ脳になってしまう。不安ばかりに占領されて現実から逃げ出したい、現実を認めたくないと思っている深刻な状態になる。こうなると、人生うまくいかないのは自分が悪いのではなく吃音のせいとなり、せっかく生きていく中で様々な楽しみや多くの選択肢があるにもかかわらず、考えることを止めてしまう。
このネガティブな不安から脱出するために必要な物は何かというと、経験やスキル、知識ということになる。それは社会から逃げるためではなく、世の中で戦っていくための基地である。今回の小冊子『吃音とともに豊かに生きる』は、そのための経験や知識、スキルが凝縮されている。しかしこの本は、世の中に数多く出回っている吃音治療を目指す本に書かれているテクニックやノウハウ、知識とは全く違う。正反対と言っていい。
突然だが吃音は教養である。広辞苑で教養を引くと「単なる学識・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識」と書かれている。吃音とは単なる症状ではない。吃音というテーマをもって、どう生きるかが問われている。
まさにこの本には、伊藤伸二さんがこれまで考えてきた吃音の文化、伊藤さんが身につけた創造的な理解力や知識がコンパクトにまとめられている。それも、どもる当事者へ、保護者へ、ことばの教室の先生へ、通常学級の先生へと、それぞれの立場の人が理解しやすいように、すぐに「教養」が身に着くようにできている。読んでいって感じたことは、この本は吃音がテーマだが、吃音の本ではない。吃音を通して、どもる大人や子どもを応援している。それだけではない、どもる子どもに関わる先生までも応援しているように感じる。
今日の大阪吃音教室で、吃音のことを話し出したらいくらでも話せる、話すうちにどんどん面白くなっていく、知れば知るほど楽しく奥が深いという話が出た。これこそ正にその人が身につけた創造的な理解力や知識、すなわち「教養」だろう。
だからこそ、多くの人が自分の吃音に対して「ありがとう」と感謝の言葉を言ったのだろう。
あらためて吃音は教養であることに気付かせてくれたこの本に感謝する。(つづく)
〈NPO法人・全国ことばを育む会発行〉両親指導手引き書41
『吃音とともに豊かに生きる』 著者:伊藤伸二 定価 500円 装丁 A5版55ページ
※ご希望の方は、700円分(定価500円+送料)の切手を、下記日本吃音臨床研究会の伊藤伸二宛にお送りください。
〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/20


