幸せのかたち
今月号の「スタタリング・ナウ」の印刷が終わって、昨日、家に届きました。今月号は374号で、僕は、それだけの数の巻頭言を書いてきたことになります。
今日、紹介する「スタタリングナウ」2013.5.20 NO.225 の巻頭言を読み返しました。
NPO法人・全国ことばを育む会発行のパンフレット、両親指導の手引き書41『吃音とともに豊かに生きる』が完成し、それを読んだ人たちの感想文が寄せられた号の巻頭言です。パンフレットの中で、私は、2011年3月11日の東日本大震災の津波で亡くなった阿部莉菜さんのことを紹介しました。その阿部莉菜さんが生きていた女川町にやっと行けたという思いと、そこで感じた、僕自身のこれからの旅の行く道を指し示す思いが重なって、自分で読んでいても驚くほどの力強さを感じ、身が引き締まる思いがしました。ずいぶん前に書いたものですが、まだまだがんばらなければならないと改めて思いました。
幸せのかたち
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
そこは、ただ一面、荒涼たる空き地が広がっているだけだった。この地に足を踏み入れないと、私の新たな一歩が踏み出せないと思っていた。やっと立てたその土地は、人の動きもなく、一軒の建物の工事さえ始まっていない。アベノミクスで浮かれている政府や多くの人から、もう忘れ去られているような気がした。悔しさ、寂しさ、怒り、悲しみがこみ上げてくる。この国は、幸せのかたちを考え直す、最後の機会を失ってしまった。
2013年5月の連休にやっと訪れた、宮城県牡鹿郡女川町は、吃音親子サマーキャンプに3年連続して参加した4人家族の阿部さん一家が幸せに生きていた場所だ。どもることでいじめにあい、不登校になった小学6年生の莉菜さんが、キャンプで仲間と語り合い、生きる力をつけて、その後楽しい中学校生活を送り、4月から仙台の高校へと、夢を膨らませていた場所だ。常に人のことを考えていた母親は、高齢の隣人を助けようとして、莉菜さんと一緒に津波にのみ込まれた。莉菜さんが、キャンプの作文教室で書いた「どもっても大丈夫」の作文は、今後の吃音の取り組みのあり方に、力強いメッセージを残している。
短い作文だが、その中には、吃音の苦悩、新しい生き方の息吹、決意が込められている。その後の彼女の生きた姿と、この作文は、今、私の大切な宝物となり、これからの私の吃音の取り組みに、勇気を与えてくれる。
NPO法人・全国ことばを育む会が発行して下さったパンフレット、両親指導の手引き書『吃音とともに豊かに生きる』に、彼女の作文を紹介でき、3・11から学んだ、レジリエンスや防災教育を入れることができたのが、何よりもうれしい。
私はこれまで何冊も本を書いている。そのひとつひとつに魂をこめて書いてきた。常に時間のかかる仕事だった。流行作家の○○時間で書き上げたなど、とても考えられない。1978年『どもりの相談』を書いたときも2年がかりの大変な作業だった。今回のパンフレットは時間的にはそれほどはかけていないが、私のこれまでの吃音の体験と、私にとっての3・11が重なり合い、書いても書いても満足できなかった。木下順二の『夕鶴』のつうが、好きな与ひょうのために、自分の羽を抜いて織物をつくるのに似た、命を削っての仕事だったような気がする。
なかなか完成しない原稿。期日を延ばしていただいてやっと書き上げて、数日後、あれだけ元気だったのに大きく体調を崩してしまった。無理を続けていたからだろう。手にした人にとっては、55ページの小さな冊子だが、阿部莉菜さんの人生と一緒に、私の人生を差し出した思いがある。
書籍のまえがき以外で、自分が書いたものへの思いを書いたのは初めてのような気がする。それだけ思い入れが強いものだったので、今回、深く読んでの感想がとてもありがたかった。
今回は、私と一緒に活動する、どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの人たちの感想が中心になった。ひとりひとりが、自分の吃音の人生を振り返りながら、自分のことばで表現する感想に、私は改めて、この仲間がいるからここまで来ることができたのだと、強く思った。ひとりひとりの人生と想像力が、私が書いた以上の広がりをもっている。「吃音を治す・改善する」の立場からは、到底紡ぎ出しようもない「吃音の豊かな世界」がそこに広がっていた。吃音が治らないことを嘆くどもる人、治せないことに無力感を感じる臨床家はいる。しかし、治らなくても大丈夫。吃音とともに豊かに生きる世界をぜひ知って欲しい。
津波のためにその後の人生を絶たれた阿部莉菜さん。小学4年生から連続してキャンプに参加して、27歳になる長尾政毅さん。ふたりは、キャンプで出会っている。
女川町で莉菜さんの冥福を祈った翌月に、彼の結婚式に私は列席する。言いようのない思いが巡る。短くても、長くても、吃音とともに幸せに、豊かに生きた、生きる人々の人生を伝え続ける私の旅が、新たに宮城県女川町から始まった。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/19


