リッカム・プログラム
カナダ・北米の吃音治療について、実際、そこで学び、働いてこられた池上久美子さんのお話を紹介しています。池上さんに出会えたこと、お話を聞かせていただけたこと、本当にありがたいことでした。
今週末は、千葉県柏市で、第12回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会があります。僕たちは、明日、千葉入りです。暑い中、この研修会に参加申し込みをしてくださった方たちと、共に考え、語り、学び合っていけること、とても楽しみです。まだ申し込みをしていないという方、ぎりぎりでも構いません。ご都合がつきましたら、ぜひ、ご参加ください。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページに掲載しています。
今日は、池上さんと僕との対談の続きを紹介している号の巻頭言です。「スタタリング・ナウ」2012.1.22 NO.215 より紹介します。
リッカム・プログラム
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
カナダの大学院で言語病理学を学び、言語聴覚士の資格をとって、カナダの大きなセンターで、言語聴覚士として3年間仕事をされた、池上久美子さんの報告は、興味深かった。
私は国際吃音連盟の世界大会には何度も参加し、国際流暢性(吃音)学会にも参加し、海外のセルフヘルプグループのリーダーや吃音研究者とのつきあいがある。また、『スタタリング・ナウ』では、海外文献や海外情報の掲載もしてきた。だからある程度は海外の吃音事情は知っているつもりでいた。しかし、カナダの大学院での吃音の講義内容、実際の吃音臨床を詳しく報告していただき、改めて、私たちの吃音についての視点や実践と、海外とのあまりにも大きな違いに驚いた。
吃音は北米でも、日本でも、他の国でも現実には治っていない。治せていないのに、なぜこうも吃音に対する考え方、取り組みが違うのか。その違いはどこから来るのか、少しでもそれを知りたかった。だから、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室に来ていただいた。池上さんがセルフヘルプグループのメンバーとともに、話し合いに加わって下さった意義は大きい。
大阪吃音教室のメンバーが発言することで、カナダやアメリカの吃音に対する取り組みと、私たちの取り組みの違いが、さらに鮮やかに浮かび上がった。しかし、社会状況や文化の違いは理解しつつも、やはり疑問はとけなかった。この違いは、いつまでも続いていくのだろうか。それとも、新しい接点はみつかるのだろうか。
今回は、リッカム・プログラムに触れておきたい。カナダではここ数年、どもる子どもの指導に、リッカム・プログラムが注目を集めているという。
私がリッカム・プログラムに初めて出会ったのは、2007年、クロアチアでの第8回世界大会だった。マーク・オンズロー博士のワークショップに参加し、ビデオなどを見ながら、説明を受けたとき、強い違和感をもった。
―親と子どもがスピーチ・クリニックに通い、親が子どもの日常生活で毎日治療を行う。吃音が改善されれば親による治療が減らされる。親は子どもがどもらずに話した場合も、明らかにどもった場合もコメントを行う。
どもらなかった場合のコメント:
(1)どもらずに話せたことを子どもに伝える。
例「すらすら言えたね」
(2)どもらずに話せたことを褒める。
例「上手に話せたね」
(3)子どもに自分の話し方を評価させる。
例「つまった言葉はあった?」
どもった場合のコメント:
(1)どもったことを子どもに伝える。
例「少しつまったね」
(2)子どもに言い直しを求める。
例「もう一度できるかな?」
どもった場合でも、どもらなかった場合でも、直ちに言葉かけをすれば、子どもも親の言葉に耳を傾ける。明らかにどもったことを伝える場合は、親は淡々と話し、叱るような口調は避ける。どもらなかった場合の言葉かけとどもった場合の言葉かけの割合は、少なくとも5:1でなければならない。『スタタリング・ナウ157号』
2007年のクロアチアでの、このリッカム・プログラムのワークショップを受けたとき、私は気分が悪くなった。親に子どもの指導をさせ、もしうまくいかなければ、親が責任を感じてしまうのではないかと、まず思った。一方、成功すれば、言語聴覚士の親への指導の功績となるのだろうか。
オンズロー博士の発表の後、「どもらないで話せたら褒め、どもると否定されないまでも、褒められないのであれば、どもる事をマイナスに捉えないか?」と質問をすると、吃音に対して否定的なセラピストはいないから大丈夫だと即答した。そんなはずはないだろうとつぶやきながら、日本に導入されないことを私は祈っていた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/24

