対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について 2
昨日の続きです。池上久美子さんが書いてくださった原稿にも出てきたグレーシャンのことも出てきます。治療を求めて転々とした時間も、その時間があったから今があると言えなくもないですが、やっぱり15年間も吃音治療にやっきになったのは、もったいないと僕は思います。
「スタタリング・ナウ」2012.6.20 NO.214 より紹介します。
対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について 2
池上久美子:同志社女子大学嘱託講師
オンタリオ州立リハビリテーションセンター言語聴覚士
伊藤伸二:日本吃音臨床研究会
2012年5月18日 大阪吃音教室
北米の治るとは
池上 北米の治療では、3ヶ月間コントロールできたのが、治ったという考え方です。だからまた戻ってくる、リフレッシャーコースがある。リフレッシャーコースで、スキルをリフレッシュさえすれば、またどもらないところに3ヶ月は行ける。頑張りさえすれば、6ヶ月でも1年でも伸びるよという考え方です。治療室でどもらなくさせるのは簡単ですが、日常生活への般化は難しい。
伊藤 僕は東京正生学院の1ヶ月のプログラムで、「これは全く役に立たん」と思った。喫茶店で、教えられたようにゆっくりと、「カーレーラーイースー」と注文すると、変な反応をされる。「カ、カ、カレーライス」の方が、自然に受け取ってもらえる。こんなばかばかしいことは止めようと、私たちの多くは思ったが、カナダ人はなぜそうならないのですか。
池上 流暢にしゃべる、自己主張する、パブリック・スピーキングや人前でプレゼンテーションすることへの社会的なウェイトが、日本より大きいのではないでしょうか。私も昔は全然社交的じゃなくて、すごく人見知りだった。日本で社交的か、普通だったら、アメリカやカナダでは、かなり非・非・非社交的になり居場所がない。私もあまり話さないから、「久美子は、何を考えているか分からない」と言われることもありました。
伊藤 社交的でなければ駄目な文化の中に生きるカナダやアメリカの人たちの、吃音をハンディに思う気持ちと、日本人とは違うかもしれないですね。
池上 会社でも、パブリックスピーキングができてなんぼというのがあります。私も日本にいた時は、人前や初めての人としゃべるのは、すごく苦手で、できたら向こうから話しかけてくれないかなあと思っていたが、カナダでは、誰も話しかけてくれない。日本だったら、「話しかけてほしそうにしてるな」と感じ取って、話しかけてくれる人がいますけどね。仕事の面でも、学校で友だちを作る面でも、自分からしゃべらないと始まらない。プレゼンテーションする機会も遙かに日本より多い。流暢にしゃべることへのウェイトは、かなり大きい。それが、吃音を治すことにこだわるただ一つの理由ではないとは思うんですけど。
伊藤 日本の場合、どもりながら誠実にしゃべった方が説得力があるとの考え方がある程度成り立つが、向こうでは成り立たない。何回も世界大会に参加してその度に思うのは、日本がどもる人にとっては住みやすい国だということです。村八分や人のことに介入するなど生きにくい文化はあるが、少なくとも言語、表出言語に関しては、「沈黙は金だ」とか、人を思いやる、察する文化がまだ根強い中では、黙って行動する方が信頼される場合があるが、向こうではありえないですね。
池上 そうですね。黙っていたら、良くない。ほとんどそうです。
伊藤 そういう外圧で、彼たちがどもらずに話すことに駆り立てられることは理解できるが、それにしても、繰り返し失敗しているのに、どうして治ることをあきらめないのですかね。
15年間通い続けて
池上 私の友だちも、15年も何百万とお金を注ぎ込んだ。プログラムに一回行くのに、3週間なら30万ぐらい。そこに宿泊費、飛行機代がプラスされ、食事代も自費負担です。彼はカナダで一流大学と言われているトロント大学を卒業し、ファイナンシャル・アナリストとして働き、給料も年間1000万以上の会社に就職したが、隣の席の人は1200万もらっている。これは絶対にどもりのせいだ。僕に今、彼女がいないのはどもりのせいだ。出会うたびに、何回も聞かされました。
それが、たまたま3週間ぐらい前に話をした時には結婚もしていて、幸せだと言っていた。前に働いていた会社も辞めて、もっといい仕事を探すと言っていたし、すごく前向きになっていた。えらい変わったなあと思いました。
それでも吃音はコントロールできると、心の底で思っているのはすごく感じました。だけど、かなり前向きになり、以前のように「僕の吃音のせいで」とか、「これさえ治ればもっと明るい未来が待っているのに」とは言わなくなった。「吃音に悩んでばかりいたら、僕はすぐ年寄りになってしまう」とも言っていたので、話していてこっちも気分が晴れるし、楽しいと思えました。最初に会った時、彼自身の吃音は「ええ、どもるの?」と、周囲から見ると彼がどもるなんて気がつかない人もいるくらいでした。そんな彼でも吃音と向き合うまでに15年の歳月を要する。すごくもったいないと私は思う。彼も「あの15年を取り返せたら」とこの間は言っていたが、その期間があったから、彼の今の人生があるのだと思うと、全く無駄ではなかったと思います。今の時点で気づけたとのは、彼にとって、かなり良かったも思います。
誰も言わない
伊藤 それにしても、15年の間に、「そんなあほなことやってたら、あかんぞ」と、ビシッと言う言語聴覚士や仲間には出会えなかったんですか。
池上 出会えなかったんです。いないんです。彼はセルフヘルプグループに行きたくないと言っていました。何か、治療をあきらめた人っていうふうに、彼は思っていたのかもしれません。私も他のセラピストも何回もすすめたが、彼自身が行きたいと思わなければ、強制的に行かせられない。彼は、最先端の治療を求めて、アメリカやカナダ各地で教授と名のつく人に教えてもらっていました。
伊藤 流暢性形成技法は、教えてもらったが、「吃音の問題とは何か」は教えてもらわなかったんですね。
池上 そうですね。でも、例えそういうことを聞いていたとしても頭に入らない状態ですね。
言語聴覚士が学び、学んでいないこと
伊藤 大学院の勉強の中で、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図や、チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式、シーアンの氷山説は?
池上 見た程度で、スライドでも一枚程度です。
伊藤 シーアンが1960年代後半から70年にかけて、「吃音の問題は氷山のようなものだ。海面上に見える吃音の症状は問題のごく一部で、海面下に沈んでいる、吃音を隠し、話すことから逃げる行動や、恥ずかしい、惨めだと思う感情こそが、問題で、これにアプローチしなきゃならない」と提案しましたが、アメリカの言語病理学は、結局、何にもしなかったんですね。
池上 そうですね。根本の解決にはならないオールド・スクールという感じで、古い考えというふうに、授業でも言われていました。
伊藤 池上さんの大学院当時はまだ、多次元モデルのCALMSモデルはなかったのですか。
池上 なかったですね。CALMSは最近ですね。今の大学院生が勉強していると思います。
伊藤 Healey(ヒーリー)教授のCALMSモデルの講演(2011.12.10:大阪福祉医療専門学校)を池上さんと聞きましたが、どんな感じでしたか。
池上 何か前に習ったことを、上手く1個のセットにしているという印象です。「古いモデルを、新しくパッケージし直している」とは思いましたが、ほとんど役に立たないと率直に思いました。
伊藤 でも、今そのCALMSモデルが、これこそ新しい、素晴らしいと考えてしまうのが、日本の吃音研究者・言語聴覚士です。そのうち、そればかりを言い始めますよ。CALMSモデルより、シーアンの吃音氷山の方がよっぽどシンプルで、何が本当の問題かと問題の本質をいい、役に立つ。
池上 そうですね、私も氷山説がいいと思います。
コントロールできることが前提
伊藤 オーストラリアの第7回世界大会で論理療法のワークショップをした時に、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を誰ひとり知らなかったのには驚きました。欧米やオーストラリアの人たちは、吃音コントロールは勉強はするが、吃音の本当の問題とは何なのか、生きるとはについて、一切やっていないことになります。
池上 そうですね。吃音の授業で一度も「生きる」という言葉は聞いたことなかったですね。
伊藤 「吃音とともに生きる」は負け犬のやることだと言うことですね。不思議な世界ですね。
池上 「ある程度コントロールできるんだったら、なぜその道を選ばないのか」がたぶん根底にある。
伊藤 でも、実際コントロールできないでしょう?
池上 できないです。
伊藤 僕は言語聴覚士の専門学校で講義をしますが、「吃音コントロールは自然に身につくもので、訓練によってではない。ましてや言語聴覚士が、教えられるものではない」と話しますが、そんなことを言う先生はいないですね。
池上 もちろんいない。「コントロールできる」が、前提になっているので、コントロールできないのは、努力が足りないということになる。
伊藤 ほう。努力が足りないか。日本の民間吃音矯正所でさんざん言われてきたことです。
カナダの教育に足りないもの
伊藤 池上さんは、アメリカやカナダの言語病理学を学び、3年間言語聴覚士として働いてきた人として、今のアメリカやカナダの現状の中で、教育で何が足りないって思われますか。
池上 やはり一つの考えに、固執してしまっているということでしょうか。比べる対象がないので、物事を批判的にとらえられない。私もカナダにいる時は、何も疑問に思わずに、吃音治療はこの方法しかないと思い込んでいた。教育プログラムがひとつの方向しかないことに問題がありますね。
伊藤 僕のような「治すのではなく、どう生きるかだ」は、ゼロだと考えていいですか。
池上 ほぼゼロに等しいと思っていいですね。今まで、一人も出会ったことはないです。なので、伊藤さん是非海外へ出かけて下さい。
伊藤 自分なりには出て、世界大会で何度も基調講演やワークショップをしています。一番拍手は多いけれどどこまで理解できているかわかりません。文化の違いもあるから。
カナダのシステム
池上 そうですね、教育自体も日本のように専門学校が多くなくて、言語聴覚士になるには大学院に行かないといけない。ハードルが高い。大学を出て大学院に入るまでに、医学、心理学と、いろいろと履修しなければいけないので、大半の学生が4年間大学に行った後、一年残って勉強し、その後大学院に入るパターンが多いです。実際のところ7年間の教育を受けた後、言語聴覚士になりますから、門がかなり狭い。仕事もある程度保証されるように、大学院の卒業人数もかなりコントロールされている。カナダで今、フランス語のところも入れて6校しかない。ほとんどの大学が40名程度の入学者数の制限をかけているので、毎年約240人が卒業していくという計算になりま。240人で実際に吃音治療に携わるのは1から2割程度です。学会などで出会っても、同じ話しかしない。人数としても少ないので、吃音に対して異なった見方をする人は少ない。
伊藤 吃音は学ぶけれども、どもる人たちがどんな人生を生き、どんなことでつまずき、苦労しているかという、どもる人生に対して、きちっと検証したり考えたりすることはしないんですね。
池上 ないです。全く無かったです。
どうして変だと思ったのか
伊藤 幸か不幸か池上さんは今、僕と出会いましたが、もし出会わなかったらどうでしたか。
池上 ちょっと変だなあとは、ずっと思っていましたが、何が変なのか確信はもてませんでした。
伊藤 他の言語聴覚士と違って、池上さんが治すことにこだわったら、ちょっと損じゃないかと思ったのは、何がそうさせたんでしょう。
池上 たぶん、私自身がカナダの生活で、マイノリティであることを経験できたことが、私の考え方にかなりの影響を与えたのだと思います。私が勤めていたセンターには60人程度の言語聴覚士がいましたが、英語を母語としないのは、私一人でしたし、カナダで日本語を話せる言語聴覚士も私の知る限りでは3人だけでした。その人たちも、散り散りばらばらで、出会うこともほとんど無い環境で、病院にも英語を母語としないのは、私だけだった。卒業して、一番最初に発音の問題の子どもの親に、「順番が来ましたので、いつ予約取りましょうか」と電話をかけた時に、そのお母さんがなかなか予約を入れてくれなかった。英語にはある程度自信もあり、だから言語聴覚士として採用されたはずなのに、私もすごく緊張していたのもあって、電話のお母さんからすると、頼りないセラピストに聞こえたようです。10分ぐらい、「お子さん、今どうですか」とか話をした後に「あなた以外のセラピストは、いないんですか」と言われました。私も初め何を言ってるのか分からず、「いますよ」と答えたんですが、お母さんに「英語を母語としない人に教えてもらうと、私の子どもはもっと悪くなる」と言われました。それもかなりショックでした。
自分にとっては、お母さんたちにまず認められ信頼関係がないと、治療もできないと思ったので、「他にもいますので2、3週間か1ヶ月ぐらい待っていただくかもしれないけど、違う担当者から連絡が入ると思います」と、応対したんです。でもそれ以降は誰一人として、私以外の人がいいという人もなかったです。引っ越した先から戻ってきた患者さんからも、また久美子がいいと言ってもらえるようになった。でも、いつも完壁には英語をしゃべれないという劣等感は持っていました。
方向転換
池上 いつもマジョリティでいると、そういう苦労が分からない。私も英語をネイティブのようにしゃべりたいと思い、スピーチトレーニングに一時期通いました。でもある時、そこばかりにこだわるよりも、他のスキル、言語聴覚士としての技術向上や、対人面のコミュニケーション能力を上げることに時間を費やした方が、よっぽど効果が上がると気づいたんです。発音は取り敢えずおいて、違う部分でスキルを磨くことに方向転換しました。
そうすると、同僚、患者さんからも信頼がすごく厚くなった。英語が母語じゃない劣等感からも開放されました。同僚からも「何かすごく自信に満ち溢れているから、患者さんがぜんぜん不安に思わないよ」と、言ってもらえるようになったので、方向転換して良かったなあと思います。
伊藤 完壁な英語をと思ってたら大変でしたね。
池上 いつもパーフェクトじゃないと思うと、ずっと大変だったろうと思います。1回のセッションで完壁にしゃべれないのは、100%分かっているけれども、その度に落胆するより自分でいい治療ができたと思えて、患者さんもそう思ってくれる治療ができれば、発音のことはあまり気にしなくてもいいと、一年ぐらいして方向転換ができました。それで、かなり、気が楽になりました。
伊藤 なるほど。そういうご経験があるから、どもる人も流暢性にあまりこだわらない方が楽なんじゃないかなと思われたんですね。こだわっても、効果があるならいいけどね。再発を繰り返すのに、これをいつまで続けるのかと思われたのでしょうね。そうは思わない言語聴覚士が多いんですね。
池上 そうですね。その土地に生まれ育ち、カナダ以外の国で実際に生活をしたり、異文化環境の中でマイノリティを経験している人は少なかった。移民であっても、2世、3世が多いので、本当のマイノリティにはならない。ある程度教育水準が高く、今までいつもトップできたような人がほとんどなので、考え方が私とは違っていたのかなあと思ったりはするんですけど。
伊藤 そういうことでしょうねえ。とてもよく理解できます。劇作家で演出家の鴻上尚史さんが私との対談で、「教育にとって一番大切なことは、マイノリティ感覚をバランスよく経験することだ」と言われたことをすごく覚えています。
池上 私がそういう経験ができたのは、逆に言うと、幸福だったと思います。
伊藤 どもる僕たちは必然的にマイノリティ体験をしているわけだから、それを何か上手に生かすことができたらいいなあと思うんですけど。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/23

