対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について

 アメリカ言語病理学をカナダで実際に学び、カナダで働いたことのある、池上久美子さんの話は説得力がありました。アメリカの治療は、1965年に私が東京正生学院で受けたものとほぼ同じです。一度の治療経験の21歳から、僕は吃音とともに生きるという立場に立ちきって、生きてきました。

  対談「カナダ・北米の吃音治療の現状」について
          池上久美子:同志社女子大学嘱託講師
               オンタリオ州立リハビリテーションセンター言語聴覚士
伊藤伸二:日本吃音臨床研究会
2012年5月18日 大阪吃音教室

はじめに

池上 私はカナダの60人ほどの言語聴覚士が働くリハビリテーション病院で3年間、言語聴覚士として働き、約2年前に日本に帰ってきました。日本で言語聴覚士として働くか、別の道を歩むか悩みました。カナダの資格を日本で置き換えるプロセスが大変で、今の時点では保留状態です。現在、同志社女子大学、立命館大学で非常勤講獅として、英語科目の担当をしています。
 カナダ言語病理学科大学院で学んだことと、その後3年間、センター、病院で働いていた時の経験を、カナダでの現状を通してお伝えします。
 『スタタリング・ナウ』の原稿を書いた時に読んだ、カナダから持ち帰った教科書、テキスト、論文を、今日の対談のために再度読み直すと、カナダの現状を批判的な立場から見ることができました。大学院では北米の教育はすばらしいとの先入観があり、教授陣の講義はすべて正しいと疑うこともなく受け入れていたように思います。
 日本で翻訳されているバリー・ギターの『吃音の基礎と臨床』(学苑社)も、授業中に読み、吃音治療はこうあるべきだと思い込んでいました。この一週間で再度読み直すと、「うん?」「うん?」と疑問に思うところがたくさんありました。今から思い返すと北米で吃音治療についての教育を受けた言語聴覚士は、吃音は治る、コントロールできると信じてもおかしくないと強く思いました。
 実際に授業では、どもらないで話すトレーニングが、ほとんどでした。カウンセリングというか、吃音受容に関する内容もありましたが、スライドでいうと1枚か2枚分の量でした。
 ストラタジー(戦略、計略、方策)や流暢性獲得のスキルなどに関しては、大学の授業で教えやすいので、すごくウェイトが置かれます。カウンセリングは、言語聴覚士の仕事の一部ではあるが、2年間大学院で授業を受けても、卒業後、自信を持って治療にあたれるものではない分野なので、ウエイトはあまり多くなかったように思います。

エビデンス・ベースド

池上 エビデンス・べースド・プラクティス(科学的根拠に基づく実践)が、この10年ぐらい、外国でよく言われます。研究業績や研究結果に基づいて実践していく考え方ですが、私が授業を受けていた5、6年前から、治療はエビデンス・ベースド・プラクティスに基づかないといけないと教えられました。統計の授業やたくさんの論文を読み批判をする授業もあり、結果の信頼性、妥当性を見るエビデンスの考え方があまりにも前に出すぎているように思いました。人の感情の変化を測るのは難しいが、何かを教えて、その前後の流暢性を比べるのは、比較的簡単で、数字になって出てくるので、論文を出すのにも都合がいい。
 ある程度管理された環境の中での実験、研究なので、流暢性のデータも、セラピストが側につくと、かなりの確率でどもらずに話せる。研究論文を読んでも、「コントロールされた環境であれば、どもらない」とデータが、たくさん出ています。
 その一方で日常の、仕事中の流暢性は、「そこはこれから見ていく必要がある」と、今後の課題として書いてある。あるいは、「日常の場面では、そこまで流暢性は達していないが、治療環境であれば流暢性に達することができるので、効果は認められた」と結論が書かれているものが多い。
 アメリカや北米は「メジャラブル」といい、測ることができる、クリアーなものがすごく好きなので、数字として統計的にクリアーで、測りやすくてというのが、全面的に出ている。
 逆に、吃音受容に関しての部分は陰に隠れていて、授業の中で、ほとんど研究も紹介されなかった。ブロムグリーンが2005年の論文で、ヴァン・ライパーの提唱する吃音モディフィケーション治療の効果を検証している。イージースタタリング「軽くどもる」、イージーブリジング「楽に呼吸をする」、ライト・タッチ「構音器官の軽い接触」に焦点を当てるそれらには、吃音の症状を軽減や、吃音コントロールの長期的な効果は無いとの結論でした。不安を取り除く情緒的な面の効果のメリットに関してはあまり強調されていなかった。
 吃音受容よりも、どれだけ吃音をコントロールできるようになるかにのみ固執してしまっていた私にとって、「ヴァン・ライパーの手法は、使わない方がいい」とそのとき思ったのを覚えています。

実際の現場と言語聴覚士の意識

池上 その一方でインテグラルアプローチ(統合的・包括的アプローチ)では、吃音受容と流暢性獲得を両方合わせてと書いてあるので、私も大学院生の時は半々かなあと、理論としては思っていたが、実際働くと、流暢性の獲得が99%で、吃音受容に関しては約1%が現場での状況でした。現場に出る前の教育で吃音受容に関しては、資料約1枚程度。実践に出ても1%となると、言語聴覚士がよほど何か衝撃的な出来事に遭遇したり、伊藤さんと出会うことがない限り、流暢性の獲得だけを目指す治療の弊害に疑いをもたないでしょう。
 実際大学院生の頭は白紙のページです。そこにどんどん教育という色が塗られていく。ブレインウォッシュという表現が英語でありますが、洗脳状態で教育を受けて、実際に現場に出てもそういった環境となると疑うこともない。アメリカの、北米の現状は、流暢性獲得の方向を誰も疑わないので変わらないだろうという印象を受けました。

吃音受容

伊藤 ヴァン・ライパー批判には驚きました。古いということですね。僕の理解ではライパーは、「心臓病などの慢性病を受け入れるように、そろそろ吃音も受け入れよう。数千人の吃音の治療に当たったが、自分も含めて誰も治せなかった」と言う一方で、「楽などもり方を身につけよう」と強調していた。ライパーの「楽にどもろう」への批判ではなく、前段の「そろそろどもりを受け入れよう」を批判しているということですか。
池上 そうだと思います。大学院とセンターで使っていた「吃音受容」に関するマニュアルを読み直すと、「どもってもいいと思いなさい」ではない。「トレーニングをして、流暢性獲得のスキルを身につけたのだから、クリニックの外に出た時でも、ある程度スキルを使える。50%、60%使えれば、ひどくどもらずに生活できるので、少しどもることは受け入れなさい」が根底にある。吃音受容の考え方自体が、日本とかなりかけ離れている。生き方については、ほとんど触れていない。技術があって、残った部分は吃音受容なので、吃音受容のみが単独では存在しない。
 それが、アイスター(ISTAR:アルバーター大学吃音専門治療・研究所)のマニュアルです。
 カナダでも1位か2位。北米でも1~3位に入る吃音センターで、世界中から見学者が集まるところがこういうことを言っているのであれば、なかなか将来的にも変わらないだろうと感じました。
 カナダにいる当時は「スキルを使えると思えばいいのか」と考えていたし、吃音に悩む方も、スキルをどう上手く日常生活の中で使いこなしたらいいかと、常に考えていたと思います。だから、アメリカの考える吃音受容の概念と、伊藤さんの言う吃音受容の概念は、かなりかけ離れている。
伊藤 どもらない練習で70%まで流暢にしゃべれるようになったら、生活の中で、100%を目指さないで、70%でOKだと受け入れなさいの受容ですね。僕たちの、無条件にそのままを認めるとは全然違いますね。
池上 全然違います。言語聴覚士は大学院で勉強して、知識だけの吃音受容ですね。

完全にどもらないのがゴール

池上 トレーニングの研修も、流暢性の獲得に関するスキルを教える部分を学生が治療を担当していました。吃音受容に関しては、次のセラピーの準備や、教えるトレーニング内容の練習を優先し、「吃音受容の講義」に出るようにも勧められなかった。そういった流れの中で、「30%どもっていいよ」とさえも言える言語聴覚士は、北米で何人いるかちょっと疑問です。
 テキストにも書いてありましたが、実際には完全にどもらないのが目標でした。こういう状況では、最後の診断結果で30%しかどもらないという結果が出たとしても、その人にとっては100%のゴールを満たしていないので、「以前よりはどもらなくなったが、まだ努力が足りない」と思っても仕方ないと思います。そして、また治療に通う結果となるのです。同じ方が、毎年1回、2回と、このセンターを訪れてくる。
 セラピーを受けたら2、3ヶ月は流暢になるが、その後また前と同じところに戻ってしまうので、また来ないといけない。2、3ヶ月効果があったり、4ヶ月効果があったりして「前より効果が長かった。じゃあ、またもう1回行ったら、5ヶ月流暢にいけるんじゃないか」の、サイクルに入り、いつか治る期待を当事者も言語聴覚士も持つ。

アイスターの治療プログラム

池上 一番最初はゆっくりのスピードコントロールから入ります。「When sunlight strikes」という詩を通常の発話のスピードの40%の速さ、60%の速さ、80%の速さ、100%の速さとコントロールできるように練習します。40%の速さなら「when sunlight strikes」という感じのゆっくりさ、長さになります。それが短縮されて、最後に自分の速さに持っていく。3時間ぐらい、毎日練習する。その後、呼吸の仕方のトレーニングもある。息が止まってしまう人は、どこにブロックがあるのかを感じられるようになる訓練をする。常に意識をして、どこの点でブロックが起こっているのか分析する。奥の方なのか、舌、肺の部分でという人もいる。実際の自分の身体の状況を知るのに、最初の3日ぐらいは費やされます。
 呼吸の仕方が終われば、二番目の、話し方に焦点を当て、最初に息を出してからしゃべり出すなどいろいろなスキル・手法をやっていく。最初の音を柔らかく出したり、小さいボリュームから「My name is…」と言う。最初に大きな声が出ないので、声帯のコントロールがしやすくなり、どもる確率は小さくなる。英語の場合は、音のリンキングがおこるので、空気を出し続けるような練習をして話したり、唇とか口蓋とか歯を軽く接触させて話すスキルを全部使いながら、一番ゆっくりのスピードで、次は60%、次は80%でと、スキル+スピードのコントロールする。自分の力でコントロールを身につければ成功。そのスキルが全部獲得できた時点で、40%のスピードでずっと話すことは、かなり不自然なので、自分が一番ナチュラルだと思えるスピードを見つけ、その中でスキルも使いこなせ、ある程度自分で不自然に思わないレベルまで持っていく。不自然でないレベルでも、これまでよりはかなりゆっくり目になっています。三番目は、そのスピードを受け入れることです。次の3つの条件が満たされるかどうかが大切です。
 ①速さ。スピードのコントロールができるか
 ②流暢性獲得のスキルを使っているか
 ③ゆっくりのスピートを受け入れられるか
 現実的にはこの3つの条件を日常の生活で満たすのはかなり難しい。皆さんスピードが速くなってしまうので、ちょっとゆっくり話すだけでも、自分の話し方じゃないと、違和感を感じる。でも、吃音受容の時に、「多少ゆっくり話すのは、すごくどもるよりいいでしょう」、「多少不自然でもどもらないなら、あなたはどっちを選ぶの?」みたいな議論がよく行われていました。
 ディスカッションの場面等で「彼の意見をどう思いますか」という質問に「やっぱりどもらない方がいい」と次々に答えていきます。けれども、社会に出て日々生活し、特に職場で忙しい時期とか、いっもリラックスして会話してるわけではないので、スピードのコントロールもできなくなってしまう。そのセンターでも、「外に出た時は、自分でスピードをコントロールするしかないんだ」という解決法しか、結局はなかったのが現状です。

ゆっくり言うしか治療法はない

 スキルを使ったしゃべり方なので、「わたしの名前は」(※声小→大、そっと言い出す)という感じになる。音量も最初から「わたしの名前は」(※フラットに通常の早さ)ではないので、そのしゃべり方自体も不自然になるので、ちょっと不自然でも、どもらないのであれば、自分で使ってもいいと思えるか。普段の生活で、身近な人と話す時なら使わなくてもいいけど、プレゼンテーションとか、仕事とか、結婚式のスピーチの時だったら、「ちょっと不自然なしゃべり方でも、どもらない方がいいなら使いなさい」とどもる人に判断を委ねる。最後の③に関して、今までのスピードより平均的に20~30%はゆっくりなので、皆さん疑問というか不自然さを感じて当たり前だと思います。
伊藤 結局は、ゆっくりしかないんですね。
池上 そうですね。ゆっくり、取りあえずゆっくりしゃべればかなりどもらないということですね。
伊藤 ゆっくり言うことしか、吃音の治療法はない。もうこれ、言い切れますね。
池上 はい。そうですね。

3週間のプログラムの効果

池上 効果はその時はあるが、生活の中へ出ていくとなると、最初の1ヶ月ぐらいは、こちらも口が酸っぱくなるぐらい、「毎日練習して下さいね」と言う。特にスピードのコントロールに関しては、必ず朝晩やらないといけない義務、宿題が課せられ、夜も宿題に3時間ぐらいかかる。
 3週間のプログラムが終わった後に、3~5ヶ月の間にもう一度来て診断を受けるので、それまでは皆さん結構練習も朝晩したりとか、職場のトイレで練習したりしていた。練習を促進させるために、「どこで、何時頃練習できますか」、「忙しくなってきたらどうします」、「誰か一緒に練習できるような人を探せそうですか」と聞いて、できるだけ練習できるような環境を作り上げていくのが、最後の3、4日の目標です。そして、すごくどもるようになった時には、どう対処したらいいかの話もしていくので、だいたいの方が、少なくとも2、3ヶ月は、ほとんどどもらないか、ちょっとどもっても、かなりコントロールできている状態を保つことができていました。
 しかし、ほぼ100%、再発しますので、同じ方が、一回来だすと何回も繰り返して来る。

45年前と全く同じ

伊藤 1965年、今から45年前に、僕が東京正生学院でやった方法と、アイスターの方法と全く同じですね。外へ出ての練習は、アイスターよりも難易度が高い。僕らは上野公園の西郷さんの銅像の前や山手線の電車の中で演説し、一日100人に街頭で道を尋ねた。日本の場合も、あきらめきれずに、繰り返し来る人は多かったですが、カナダも同じなんでしょうね。
池上 全く一緒だと思います。根本的な治療ということはありえないので。

フォローアップセッション

池上 3週間のプログラム終了後のフォローアップで、吃音と向き合うことで充実した人生を送れるようになった人の人生体験を聞くセッションがあります。しかし、そのような生き方が「いいなあ」と思う一方で、「彼は、何かそれ以外の部分で、仕事もうまくいっている」と、彼たちは選ばれた人間だという思いがあるようです。
伊藤 「この人たちにできて、私たちにできないことはない」とは思わないで、あの人たちは特別な人。せっかく「吃音と向き合うことで、人生が変わった」という体験をしてる人もいっぱいいるのに、それが後に続く人に生きていないのですね。
池上 たぶん何回も何回も聞かないと分からない。1年に1回先輩の体験を聞く程度では、機会として少なく、無理なんじゃないでしょうか。やはりセルフヘルプグループに行っている人の方が、吃音に対して前向きな人が多かった印象を受けました。話に来てくださる方は、セルフヘルプグループの人たちが多かったように思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/22

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