自分や吃音と向き合うことの大切さ
僕の仲間、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会のひとり、千葉の渡邉美穂さんの実践を紹介します。渡邉さんとは、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、吃音親子サマーキャンプ、ちばキャンプ、その他研修会や相談会で、年に何度も会っています。どもる子どもたちの話をし始めたら、どれだけ時間があっても足りないくらい話します。子どもたちの様子を楽しそうに話してくれる渡邉さんを見ていると、僕たちまでうれしくなります。
今日から3回に分けて紹介します。今日は、実践の中から、吃音カルタ編です。(「スタタリング・ナウ」2012.2.20 NO.210)
自分や吃音と向き合うことの大切さ
渡邉美穂(千葉市立あやめ台小学校ことばの教室)
はじめに
私は、千葉市の小学校でことばの教室の担当をしている。私がどもる子どもたちと取り組んできたことを、2011年度の全難言協北海道千歳大会で、発表させてもらうことになった。
これまで私は、どもる子どもたちとのかかわりの中で、あまり「学習する」という形を意識して考えていなかった。しかし、どもる子どもたちと行ってきたことを「学習」として整理しまとめていけば、私たちが考えていることがもっと受け入れやすくなり、ことばの教室の担当者がどもる子どもと向き合うことの大事さを広く理解してもらえるのではないかと思った。
私もどもる子どもたちとどうかかわればよいか悩み、困っていた頃を思い出しながら、現在、悩んでいる担当者のヒントになればうれしいと考えた。私がことばの教室で子どもたちと毎回いろいろな話題で話してきたことは、すべて吃音と向き合うことにつながると確信したからである。
どもることで自己を否定し、悩みを抱え、吃音を治したいと思っていた子どもたちが、「どもりカルタ」作りや、いろんなワークを通して吃音を受け入れ、自分の思いを周囲に伝え、自分と向き合っていくようになった様子を紹介する。
自分や吃音と向き合うことの大切さを伝えたい。
学習の方向性
ことばの教室の担当者になった時、どもる子どもたちとの学習は、どのような内容や目標にしたらよいか、どのような教材を使えばよいか私は悩んでいた。吃音の研究は、世界中で行われており、未だに原因や治療方法が明らかではない状況で、どのように考え、どのように子どもたちと向き合えばよいか困っていた。
私の教室には、現在どもる子どもたちが7人通ってきている。個別学習以外にも月に1回のグループ学習を行い、その中でこのような話し合いを行った。
「どもりが治るとは、どんなことか」
この問いにその日参加した7人は、次の項目を選んだ。
○いつでもどこでもどもらない(1人)
○意識的に吃音をコントロールすることができ、音読や発表がどもらずにできる(2人)
○どもるけれど、言いたいことを言い、したいことをする。吃音に悩まない状態(4人)
このことをきっかけに、7人の子どもたちの意見が分かれたことで本気の話し合いが始まった。それぞれの主張を尊重しながらの話し合いの中から疑問が出てきた。
「どもっていたら、就職できないのか?」
「どもっていたら、結婚できないのか?」
「どもっていたら、自分の思った通りに生きられないのか?」である。
これらの質問に、私が答えたことは、「私が吃音親子サマーキャンプで出会ったどもる人は、仕事をしていた。結婚をしていた。そして、自分の思った通りに毎日を過ごしていた」である。この事実は、ものすごく説得力があると思った。
どもる人が自分の他にいることが分かり、生き生きと暮らしていると知ったのは小学生の子どもたちにとって、うれしい情報だったようだ。こうして「自分や吃音と向き合う学習」は、事実を大切にし、子どもたちの思いや考えを学習に取り組んでいこうと思った。
そのために「どもりカルタ」作りを行っていこうと思った。今までどもる大人が作った「どもりカルタ」の読み札はあったが、絵とセットになっているものや、子ども向けのものはなかった。
「どもりカルタ」は、子どもたちが自分には吃音があることを認め、吃音や自分と向き合いながら生きぬく力を育てるものになるのではないかと考え、取り組んでいこうと考えた。
「どもりカルタ」の実践
「どもりカルタ」に取り組んだ子どもたちの中で、A君について紹介する。
A君は、1年生からことばの教室に通い、現在4年生である。「どうしてぼくは、どもるんだろう」と悩み、言いたいことがなかなか言えなかったり、友だちに誤解されてトラブルになったりすることがあった。A君に他の子が作った「どもりカルタ」を見せたところ、自分の思いを伝えるために作ってみたいと飛びついた。A君の「どもりカルタ」作りが始まった。
①表現する
A君は、絵を描くことや文字を書くことが苦手であったが、「どもりカルタ」作りは、一生懸命、進んで取り組んでいた。考えたことや思ったこと、心配なことや悩みなどをカルタに表現していた。
『きこえたよ。友だちが言ってくれたトイレのト』
緊張するとすぐにトイレに行きたくなるA君である。しかし、タ行音がよくどもるA君は「トイレ」ということばが言えずに困っていた。すると、近くにいた友だちが「ト」と言ってくれたので「トイレに行ってきていいですか」とことばが続き、担任の先生に言えた。
この頃1年生のA君は、自分のどもることを友だちに理解してもらえないと悩んでいた。しかし、なんとなく周りが自分や自分のどもりを分かってくれていると初めて感じたエピソードである。
②話し合う
週一回の個別学習の他に月一回のグループ学習を行っている。初めの頃は、進んで話すことがなかったが、お互い顔馴染みになってくると話したいことがあふれて、毎回わいわいにぎやかな学習になった。その学習の中で「どもりカルタ」をお互いに見合う活動をした。自分の「どもりカルタ」を紹介し、友だちと意見交換をした。
『のんびりとどもりと一緒に生きていこう』
友だちが作ったこのカルタについて、A君は「ぼくは、どもらないようになりたいと思っていたので、この作品には驚いた」と感想を書いている。
『ぬかしてくれて、ほっとした』
『ぬかさないで、待っててね』
友だちがそれぞれに作った、クラスで順番に音読している場面の様子を読んだ2つの作品である。どもって時間がかかるけれど順番がきたらみんなと同じように読むから終わるまで待っててほしいという作品と、担任の先生がうまくぬかしてくれて読まずに終わってよかったという作品であった。
A君は、真面目であり、きちんとできなくてはいけないと考えすぎることが多い。音読はどもるけれどしなくてはいけないし、うまくできなかったらどうしようと悩んできた。そのため、緊張しすぎて授業中に何度もトイレに行きたくなり、保健室へ行くことも多かった。
『ぬかしてくれて、ほっとした』
これを作った子にA君は、作った背景を質問していた。すると「いつもじゃないけど、今日は無理だなって時にぬかしてもらったってことだよ。先生もクラスのみんなもぼくのことを知ってるから安心なんだよ」。このような話を聞いたA君は「音読はみんな苦手だと言っていたので同じでうれしかった。音読は、できない時があってもいいんだと聞いてびっくりした。パスすることができるんだと思ってびっくりした」とグループ学習後の感想に書いた。このようにA君の吃音に対する固定的な考えが少し柔軟になり、周りに理解してもらうことについて考え始めた。
③遊ぶ
2年生になったA君は、在籍学級の友だちと「どもりカルタ大会」をした。学級のお楽しみ会にA君が出し物の一つとして勇気を出して提案したそうである。周りの友だちが誉めてくれ、楽しそうに遊んでいる様子を見て、A君はとてもうれしそうだった。はりきって読み札を大きな声で読んでいた。その時、この友だちになら自分のどもりについて話せそうだと思ったようである。
④周囲に働きかける
A君は2年生の3月に、自分について理解してもらうための作文を在籍学級で読んだ。
〈どもっても気にしないで〉
ぼくは、みんなに知ってもらいたいことがあります。それは、ぼくのことばです。1年生の時からことばの教室に通っています。ぼくは、ことばがどもります。「どもる」というのは、ことばをくり返して話すことです。みんなは、ぼくがどもると「変だな」とか「どうしてそんなしゃべり方をするの?」と、不思議に思うと思います。ぼくも、どうしてか分かりません。
だから、どもるマネをされたり、からかわれたりすると悲しい気持ちになります。それに、話している時に笑われたりするのも嫌です。ぼくが、どもっていても気にしないでほしいです。心の中で「がんばれ」と思ってくれたらもっとうれしいです。でも、なかなかことばが出てこない時は、深呼吸をしてから話すようにするので、慣れてほしいです。
在籍学級の友だちにことばの教室に通っていることや、どもることなどを知らせる内容である。初めてのクラス替えを間近に控え、自分や自分の吃音にっいて理解してもらってきた環境から新しい環境へ変わる不安があった時である。新しい学級で自分のことを理解してくれる友だちを増やし、安心して3年生の生活をスタートさせたいという願いからこのような手紙を読むことを、自分で決めた。
〈クラスの友だちの感想〉
○A君が、ことばの教室に行っていることは知っていたけれど、何をしているか分からなかった。手紙を読んでくれたから分かった。
○A君が一生懸命に話していたので、気持ちがよく分かった。
○「どもる」ってことばを初めて聞いたけど、A君がいろいろ考えていたなんて知らなかった。
〈A君の感想〉
○みんなが静かに聞いてくれてうれしかった。
更に、2回目のクラス替えとなる3年生の3月にも再び在籍学級の友だちに自分のことを知らせたいとA君から提案してきた。そこで、3年間取り組んできた「どもりカルタ」を紹介し、自分を理解してもらうことにした。
〈クラスの友だちの感想〉
○A君の思っていたことがカルタでよく分かった。
○A君がどもっているけど、ぼくは気にしてなかった。でも、たくさん勉強していろいろなことを知ってるんだと思ってすごいと思った。
○自分のことを一生懸命に話してくれてすごいと思った。
〈A君の感想〉
○今回もみんなが静かに聞いてくれてうれしかった。時間がなかったからカルタを全部紹介できなかった。でも、またクラスでカルタをしながら気持ちを伝えたい。
A君の感想から様子の変化がわかる。2年生の時は、手紙を読むことができたことの喜びだけであるが、3年生ではもっと、周りに自分のことを伝えたいという意欲が伝わってくる。自分のことを知ってほしいだけでなく、自分のありのままを理解してほしいという強い気持ちになっていると感じる。更に3年生の「どもりカルタ大会」を参観していたA君の母親の感想である。
〈A君のお母さんの感想〉
最近の息子は、自分の吃音を理解し、吃音と共に生きていくことに前向きになったと思います。
息子は、吃音のことで悩んでいたのですが、吃音のせいにして「できない」と考えていたことがうまくいかなかった本当の原因ではないかと思います。私もどう息子に接したらいいのか分からず、毎日一緒に落ち込んだりイライラしたりしていました。
1年生から使っていることばの教室のノートを読み返しました。息子の変化より私自身が変わったかもしれないと気がつきました。
今、息子は生き生きとしています。相変わらずどもったり、苦手な勉強があったりする息子ですが、私は余裕をもって見守れるようになりました。今回、在籍学級でカルタを紹介している堂々とした姿をみて本当にうれしかったです。これからも、みんなに感謝しながら、息子らしく生きてほしいと思っています。
母親や在籍学級の友だちの感想から、A君の周りにいる家族や友だちや先生方に自分のことを伝えられるようになると、まわりも成長することができたことがわかる。
「どもりカルタ」を通してA君は吃音について学び、向き合ってきた。自分のどもりに悩み、不安を抱えていた頃と比べるとA君の心の成長は著しい。最近ではどもることは「いや」ではなく「不便」であると表現することがある。話したい時に、さっと言えないことがあり、相手を待たせて悪いなと思ってしまうからだとA君は言っている。表現の変化からA君が自分で吃音を受け入れていることがうかがえる。
⑤自分と向き合う
『目と目を合わせて伝えたい』
どもっていても伝えたい気持ちが強く表現されていると感じた。伝える手段は、ことばだけではなく、目や身振りも有効であると思えるようになったことが分かる。伝わったと実感しながらこのカルタを作っていた。
『世界のどもる人と、会ってみたいな』
A君が自分のどもりについて悩んでいた時、同じような話し方をする人がいることを知って驚いていた。ことばの教室でいろいろと話していくうちに、どもる人が100人に1人の割合で世界中にいることも知った。自分のどもりに悩んでいたA君が、どもることを共感してもらえる仲間がいることに喜びを感じ、どもることをはずかしがったり、隠したりしなくてもいいと思い始めた。また、どもる人の職業について考えるワークを行った時、どもっていてもいろいろな職業に就いてがんばっている人のことを知った。特に、教師や俳優、落語家、アナウンサーのような話す仕事に就いている人がいることに驚いていた。A君が自分の将来を考えるきっかけとなり、肯定的な意見がもてるようになった。
そして、教材として取り組んだ「どもりカルタ」は、自分の内面を表現できなかった子どもたちの思いや考えを引き出し、表現することができた。
一つ一つの「どもりカルタ」に自分のエピソードを載せ、自分の言動を振り返ることもできた。個別学習の中でA君は、自己を否定したり、友だちを批判したりすることがあった。最近の話題の内容は、悩みや心配だけではなく、内容が前向きなものになってきた。どうやったらうまくいくか、どのように自分で乗り越えようか考えるようになってきた。「どもりカルタ」は、自分の言動を振り返ることができる教材であると考えられる。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/29